中学入学を控えた静かな午後。
春の匂いがまだ薄い風が、リビングのカーテンをゆるく揺らしていた。
ソファにもたれ、海洋生物の雑誌をめくっていると、
奥の方から弾む声が飛んでくる。
「テレビ! ママとミヤコさん出てる!」
……ったく、ルビーは相変わらず騒がしい。
ページを閉じ、顔だけテレビへ向ける。
画面には照明を浴びたアイが、相変わらず天真爛漫な笑顔を浮かべて立っていた。
ミヤコも隣でキッチリ頭を下げている。
会見の背景パネルが白く反射して、部屋が少し眩しく感じる。
アイドル活動をやめ、
これからは女優とタレント業を中心にやる——
そう宣言した瞬間、記者たちのペンが一斉に動いた。
……まあ、そりゃそうだ。
二十歳を超えたアイが“永遠のアイドル”でいるのは難しい。
ファンはともかく、業界の空気はそう甘くない。
隣ではルビーがわかりやすく肩を落としている。
「……えぇ~……ママのアイドル姿、まだ見たかったのに」
——その気持ちは分かる。
けど、人生ってのはいつまでも同じ形を求めると、どこかで歪む。
前世で、俺はそれを嫌というほど味わった。
画面のアイが、ふいに胸を張り、にっこり笑った。
「きっかけは、うちの子達の中学校入学なんですよ~。
いつまでも隠すの、子供にもファンにも悪いから!」
……おい。
記者たちが固まる。
ミヤコの顔が引きつる。
ルビーが目をむく。
「言ったぁ……!」
“やれやれだぜ”。
額を押さえたくなる衝動が込み上げるが、もう遅い。
今の一言で、世間は一晩じゃ消えない騒ぎになる。
ミヤコが慌ててマイクを取った。
「父親に関しては……一般の方でして、すでに亡くなられております。
公表は控えさせていただきます」
うまく収めたな……と思ったのも一瞬。
またアイがずいっ、と前に出る。
「そうそう! 子供の名前はアクアとルビー!
みんな知ってる? 同じ事務所なんだけど〜!」
ズガン、と何かが爆発するように頭痛が走る。
横ではルビーが跳ねていた。
「やった! これで外でも“ママ~!”って言えるじゃん!!」
……この妹は、どうしてこう、無邪気なんだか。
リビングは夕方の光で朱色に染まり、
テレビだけがチカチカと白いフラッシュを放ち続ける。
家の空気が妙に熱い。
これからどうするか考えねば——
と、思ったその瞬間。
スマホが振動した。
──着信だ。
画面には、見慣れた名前が表示されている。
(……はあ。どうせ、今日の“爆弾処理”の追加説明だろうな)
アクアは静かに通話ボタンを押した。
「……ああ、俺だ」
受話口の向こうから鋭く、やや高めの声が飛び出した。
本人は抑えているつもりなのかもしれないが。
「ああ……見てる。どういうことって、言われてもな。テレビの通りだ」
リビングに、相手の怒涛のまくしたてる声だけが、かすかに漏れ聞こえた。
アクアはスマホを軽く耳から離し、耳の調子を確かめるようにこめかみを押さえる。
「……声がデカい。落ち着けって」
その横で。
ルビーが、ソファに膝を立てながら、口元を押さえてニヤニヤしている。
どうにも隠しきれない好奇心が全身に溢れ出ている。
「……おい」
アクアが一瞥すると、ルビーは慌てて姿勢を直し、テレビに視線を戻した。
しかし耳は完全にこちらへ向けているのが丸わかりだ。
アクアは深く息を吐いて、通話へ戻る。
「……やんわり注意してるだけだ。別に怒っちゃいない。俺も悪かったよ。内容が内容だ。軽々しく話せるもんじゃなかった」
再び相手の声。
今度は少し落ち着いたようだが――ルビーにはまだ断片が聞こえているらしい。
じりじりと距離を縮めてくる。
ソファとテーブルの間に、こっそり膝を滑り込ませて。
「……戻れ。聞くな」
アクアは手でしっしと追い払う。
ルビーはむくれた顔をしつつ、またテレビの方へ身体を向けた。
だが耳だけはこっちに向いている。意味がない。
アクアはそれを無視して、通話を続ける。
「……で、だ。アイとまた共演するだろ。あの時みたいにイジメるなよ――先輩?」
“先輩”を必要以上に強調した言い方に、受話口の向こうが再び爆ぜる。
アクアは肩を揺らし、笑いを堪えきれずに小さく吐息した。
「分かった分かった。悪かったって。……はは、また予定合えば飯でも行こうぜ」
そして、穏やかに告げる。
「じゃあ切るぞ――かな」
通話を切る電子音が、静かなリビングに柔らかく鳴り響いた。
間を置かず、ルビーのニヤついた声。
「へ〜……ほぉ〜……ら〜ぶらぶですかぁ〜?」
アクアは無言のまま指を弾いた。
デコピンがルビーの額に軽く命中する。
「いったぁ!」
西日が差す穏やかなリビングに、少しだけ春めいた空気が混ざった。
――アクアの日常は、今日も騒がしい。
かなちゃん好きなんで ⋯
ネタ枠の短編だったんですが
短編集て事で勘弁して下さい。