真夜中のパン屋   作:焼きトリニティ

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第1話

 それは突然現れた。

 

「宇宙人……!?」

 

 目の前のそれを見て、私は思わず口から言葉が漏れた。

 緑色の体躯。まるでほうれん草が、二本足で歩いているかのようだった。ぽよん、と弾むその緑色のボディはどこか気味の悪い質感だった。

 

「ええと……いらっしゃいませ」

 

 私はとりあえず挨拶をした。一目見て困惑してしまったが、初対面で勝手に驚くのは良くない。そして挨拶は欠かせない。

 なんたってここは"パン屋"なんだから。

 

「…………」

 

 緑色の人(?)は店内をぐるりと一瞥した。そして、ゆっくりと歩き始めた。歩く度に聞いたことのない音がぽよぽよと鳴った。

 

「……e38181943818fe3818886e81aeac1e81be828e9ae2b59d31b3398ae8be8aeb8ea8e9bea8e89e8ae88e88e88ea831632e89e8843eb81」

 

「……はい?」

 

「3818be381abe88ebbe8ae31631fe3889e3881e3811a4381aee9993e31abe18b9ab231bfe789a9e3818ce38399e3b3e38」

 

「ええと……」

 

 緑色の人はおおよそ私の理解できない言葉を喋った。喋った……のだろう。口っぽい黒い穴がぐわぐわと動いている。

 私は身振り手振りで何とか言葉がわからないことを伝えようとした。

 

「20ae749e3801e7499e308e……コンニチハ」

 

「わっ! こ、こんにちは」

 

「モウしワケなイ。言バデータをトリダすのにシょウ々時間がカカっテshiまつた」

 

「ええと、はい」

 

 緑色の人はやっぱり宇宙人のようだった。カタコトの言葉で喋りながら(やっぱり喋ってた!)緑色の人は身体を折り曲げた。どうやら謝ってくれているようだ。私は慌てて身体を挙げるように言った。

 

「……どうだろうか。これで大分聞き取りやすくなったと思うが」

 

「あ、はい。完璧です」

 

「なら良かった」

 

 身体をあげた時には緑色の人の言葉はもうカタコトじゃなくなっていた。

 緑色の人は腕っぽい触手をぐわーんと伸ばした。

 ちょっとビックリした。

 

「自分の名前は……そうだな、こちらの言語を適用するなら……"宇宙人"と言ったところだろうか」

 

「あー、いやそれは個体名というより、種族名っぽい括りですね」

 

「ふむ。ではあなたが名付けてほしい」

 

「……えぇ?」

 

 緑色の人はそう言うと床にドッシリと座った。「儀式」と呟いたのがわかった。何やらそういう文化圏なのかもしれない。

 私は無い頭をぐりぐり回して考えた。

 

「う~ん……メロンで!」

 

「なるほど。心得た。自分のことは"メロン"と呼んで欲しい」

 

 ボディが緑色だから”メロン。我ながらなんと酷い名付けだった。

 ちょっと罪悪感があった。純粋無垢な子供を騙しているような。

 

「して、あんたの名前は?」

 

「アスカです。よろしくお願いします」

 

「アスカ……了承した。良き名前だ」

 

「おぉ! 中々に会話のツボが分かってるじゃないですか」

 

 緑色の人……メロンは先程までここの言葉すらわからかなったというのに、もう会話の定型文まで取得していた。結構高度な文明レベルか知能レベルの方なのかもしれない。しかし、何だって宇宙人がこんな辺境のパン屋に来たのだろうか。

 

「自分は宇宙を飛行していたところ、船の機材トラブルによりこの惑星に降り立った。近隣をサーチして唯一良さげな反応があったのでここに来た」

 

「ここはパン屋ですよ? 求めているものが何かはわかりませんが、あるとは思えないですけど」

 

「いや、既に確認させてもらった。ここには食料……いや、"料理"があるだろう?」

 

「なーるほど」

 

 確かに、この近くに食べ物屋さんはない。素材そのままならまだしも、美味しさを観点に置いた食べ物はこの近辺ならここしかないだろう。もっとも、単なるパン屋ではあるんだけど。

 

「パンでいいなら、たくさんありますよ。もっとも、パンしかないですけどね」

 

 私は大げさに肩をすくめて、陳列棚の方を手で示した。そこには、今朝できたばかりのパンが並んでいる。

 ふっくらとした山型のパン、派閥争いにも対応できる複数種類のあんパン、ハードな質感のバゲット。

 

「好きなのを選んでください。お代は……まあ、宇宙通貨とか持ってこられても困るんで、今回は初回サービスってことで」

 

「感謝する。では、遠慮なく」

 

 メロンはのっそりと棚に近づいた。ぽよぽよ。動く度になる擬音にはまだ慣れない。

 メロンはトングとトレイを(私の動きを真似して)触手で操り、いくつかのパンを乗せた。

 選んだのはクリームパンと、惣菜パンの王様である焼きそばパンだった。

 

「サーチをしてもこの細長い触手が入ったものが不思議と気になる。中に何かを入れるのが主流だと察するが、流体ではないものも入れるのか」

 

「パンは何と一緒に食べても美味しいですからね」

 

「自分の惑星では固形と流体を合わせるのは非常に珍しいスタイルだった。そもそも、食した際の味覚的情報を重視する者は少なかった」

 

「へぇー。メロンさんはどうなんですか?」

 

「……並の者よりかは気にする程度だ」

 

 メロンはそう言ってクリームパンを一つ掴むと、顔の真ん中にある真っ黒な穴へ放り込んだ。

 咀嚼音はしなかった。

 まるでブラックホールに物質が吸い込まれるように、パンはメロンの体内へと消えた。

 

「…………」

 

 沈黙。

 店内に、冷蔵ケースのモーター音だけが低く響く。

 私は少しだけ緊張しながらその様子を見守っていた。

 味には自信がある。けれど、相手は宇宙人だ。味覚の概念が地球とは違うだろう。

 何なら毒の類いにもなってしまうかもしれない。いや、それはサーチして見付けたと言っていたし、多分大丈夫だと思うけど。

 

「……驚いた」

 

 ぐにゃり、と緑色の顔が歪む。

 

「これは……有機物の合成繊維と糖質の塊だと認識していたが、回路に電流が走るような感覚は」

 

 私は内心安堵した。そして、例え宇宙人相手でもその感覚は説明できる。

 何たって、ここはパン屋なのだから。

 

「それを『美味しい』って言うんですよ、地球では」

 

「おいしい……なるほど、これがおいしいか。素晴らしい。素晴らしいぞアスカ!」

 

 メロンは興奮した様子で、今度は焼きそばパンを口に運んだ。

 柔らかいコッペパンと、ソースの絡んだ麺のジャンクなハーモニー。かなり濃い目の味付けのパン2つとなったが、まぁ大丈夫だろう。

 

「これも中々だ。惜しむらくは、先程の……"クリームパン"と食べる順序を入れ替えた方が良かったという点だろうか」

 

「あっ、わかります?」

 

「サーチの際に薄々予想していたが、この惑星の味覚的感性と自分の惑星の感性はかなり近しいところにあるようだ。自分の惑星であってもアスカのパンは人気になるだろう」

 

 私はその言葉に思わず微笑んだ。遠い宇宙の人にもこの店の味が通じたというのもある。けど、私達の味のことを分析だけするのではなく、ちゃんと楽しんでくれているのが、何だか無性に嬉しかった。

 

「船の修理が終わるまで、しばらくここに滞在させてもらってもいいだろうか。もちろん、労働力の提供や、未知のテクノロジーの供与など、対価は払うつもりだ」

 

「いいですよ。別に何があるってわけじゃないですけどね」

 

「恩に着る。しかし、不思議だな」

 

 メロンは窓の外へと視線を向けた。

 窓の外は、灰色の荒野が広がっている。

 かつて道路だった場所はひび割れ、隙間から赤茶けた鉄骨が肋骨のように突き出している。空は分厚い雲に覆われていて、昼間だというのに薄暗い。風が吹くたびに、砂塵がガラスを叩く乾いた音がする。

 

「このエリアの生命反応は、著しく低下している。来る途中にスキャンしたが、知的生命体の居住区は見当たらなかった。……アスカ、この店は誰のためにパンを焼いているんだ?」

 

 メロンの言葉には、悪意はなかった。純粋な疑問。

 こんな辺境で、客もいないのに、なぜ毎日売れもしないパンを作り続けるのかという、問いかけ。

 私は、エプロンの裾をきゅっと握りしめた。

 

「お客さんのためですよ。ここはパン屋ですからね。いつ誰がお腹を空かせて来てもいいように、準備しておくのが店番の仕事です。実際、こうしてメロンさんが来てくれたじゃないですか」

 

「しかし、統計的に見て客が来る確率は……」

 

「それに、」

 

 私はメロンの言葉を遮った。その先の言葉は、あんまり聞きたくなかったから。

 

「店長が、帰ってくるかもしれないし」

 

「テンチョウ?」

 

「この店の、本来の主です……ちょっとね、買い出しに出てるんです。遠くの街まで、特別な小麦粉を探しに」

 

 そう言って、私はカウンターの奥に飾ってある写真をちらりと見た。

 優しそうな初老の男性と、数人の人間が写っている写真。その中の一人には昔の私もいる。

 色褪せて端が丸まったその写真は、もう何年もそこに飾られたままだ。

 

「店長が……皆が戻ってきた時に、パンが一つもないなんてことになったら怒られちゃいますからね。だから私は焼き続けるんです。この身体なら、疲れることもないですしね」

 

 私は自分の腕を軽く叩いてみせた。こん、と硬質な音が響く。

 

「この身体?」

 

「えーっと、ですね。こんな環境でヒトは生きられないんですよ」

 

「サーチしても良いか?」

 

「どうぞ」

 

 やろうと思えばいつでもできるだろうに、ちゃんと許可を取るところにメロンの律儀さが伺える。

 

「アスカは……機械なのか」

 

「まぁ、ちゃちゃっと改造して……ね」

 

 メロンはそれ以上深くは聞いてこなかった。カレーパンをトングで掴んだ。最初にトングで掴んだら後は手掴みでも良いんだけど、メロンは口に投げ入れる直前までトングでパンを掴んでいた。

 「興味深い」と呟いた。

 


 

 こうして、私とメロンの共同生活が始まった。

 客の来ないパン屋と緑色の宇宙人。

 外の世界が終わっていることを除けば、彼我の見た目がおおよそ人間的じゃないことを除けば、それはとても平和で、穏やかな日々の連続だった。

 

 メロンは昼間、店の裏手に不時着した宇宙船の修理に精を出し、日が暮れると店に戻って来てパンを貪るのが日課になった。

 彼は見た目に反して手先……というより触手先が器用で、壊れかけていた店の自動ドアを直したり、接触の悪かった私の左腕のモーターを調整してくれたりした。

 いつのまにか入口が自動ドアになっていたり、店の近くにポータルができていたりするけど……まぁ、些事だろう。

 

「アスカ、そこの棒を取ってくれ」

 

「えーと、このバールのような形状のもの?」

 

「感謝する……ふむ、やはりこの惑星の大気成分は船の装甲を腐食させるな」

 

「あー、酸素ねぇ。こっちでいうところのポリ塩化ビニルに近いもんね」

 

「先日の重曹の提供、改めて感謝する。少なくとも黄ばみは落ちた」

 

「どういたしまして」

 

 ある日の夜、閉店後の店内。メロンは椅子に座りながら小さな機械部品をいじりながら唸っていた。私は店内の拭き掃除をしながらそんなメロンの様子を伺った。

 

「修理、難航してるの?」

 

「いや、順調だ。後は細かいシミュレートと調整を繰り返す段階だが……公式の船ではない。多少雑でも良いだろう」

 

 そこでメロンは言葉を切って、手元のカレーパンを齧った。一番のお気に入りらしい。辛ければ辛いほど良いそうで、今では超激辛カレーパンとなっている。

 

「アスカ」

 

「ん?」

 

「シミュレーションが完了した時、自分は旅立つだろう」

 

「……ふぅん。そっか」

 

 私は棚を拭く手を止めずに答えた。

 寂しくないと言えば嘘になる。

 何年ぶりの話し相手だった。私のジョークに付き合ってくれて、私が焼いたパンを「美味しい」と食べてくれる。

 口には出さないが、私はメロンのことを確かに友人だと思っていた。

 

「アスカも、一緒に来るか?」

 

「!?」

 

 メロンの唐突な提案に、私の思考回路が一瞬フリーズした。

 

「この惑星の環境は、もはや生命維持に適していない。君は機械化されているとはいえ、メンテナンスには限界があるだろう。私の船なら、もっと環境の良い星へ連れて行ける。君のその身体を維持できる資源のある星も知っている」

 

 それは、答え合わせだった。

 私も地球の文明レベルではるが、自身を改造してサイボーグ化するぐらいはできる。修理の手伝いもしていた。だから、もうとっくに直ってるはずの宇宙船をずっと"修理中"と言うメロンの嘘に、気付いていた。

 気付いていて、黙っていた。口に出せば、私達を繋ぐ関係性が消えてしまいそうで。

 

「……私は、」

 

 メロンの誘い。

 それは私にとって最善の策だっただろうし、きっとメロンにとっても最良の選択だったはずだ。

 でも、

 

「ううん、私はいいよ」

 

 私は首を横に振った。

 表情筋のアクチュエータを駆動させ、精一杯の笑顔を作る。

 

「だって、店長が……皆が帰って来る、から」

 

「…………」

 

 メロンの手が止まった。

 緑色の瞳のような器官が、じっと私を見つめている。

 

「アスカ。確率の話をしよう」

 

 メロンの声のトーンが落ちる。触手の上で転がされていた部品が、行き場を失って床に転がった。

 

「自分がこの惑星に降り立つ前、軌道上から全大陸のサーチを行った。君との会話と過ごした時間で得たデータは、地球人類の生存を許さないという結論を出している」

 

 メロンは淡々と、残酷な事実を突きつけた。

 

「君の言う店長達が、ただの小麦粉の買い出しで何年も戻らないという事実。そしてこの惑星の荒廃状況。これらを統合して導き出される結論は一つだ……アスカ、恐らく君の待つ者達はもう────」

 

「わかってないなぁ、メロンは」

 

 私は笑った。胸の奥の冷却ファンが、異音を立てて回り始めるのを感じながら。

 

「店長はね、すごい人なんだよ? 究極の小麦粉を求めて、ちょっと遠くの……そう、隣の県とか、もしかしたら海外まで行っちゃう人なの。皆……このパン屋が大好きで、一生ずっと一緒って……それで、絶対帰って来るって言ってたから…………だから!」

 

「アスカ。君は知っているはずだ」

 

「皆は帰ってくるよ。だって約束したから。『店を頼む』って。だから私は待ってるの。パンを焼いて、掃除をして、いつ帰ってきてもいいように」

 

 約束。

 それは今の私を繋ぎとめる唯一のものだった。

 

「あのね、メロン。地球人はね……私達は、"約束"を大事にするんだ。絶対に破らないように」

 

「アスカ」

 

「もうすぐ帰ってくるよ。だってメロンが来たんだよ? 来るんだよ、お客さんも、皆も。だから私はここにいないといけない。メロンとは、一緒には行けない」

 

「…………」

 

「ごめん。誘ってくれて、ありがと」

 

 私は知っている。

 身体のほとんどを機械に挿げ替えた私は、忘れるなんてことはない。

 店長が出て行ったあの日。お店から皆がいなくなったあの日。

 空が赤く燃えて、遠くの街からキノコ雲が上がったのを。

 『必ず戻る』と言った店長の背中が、放射能防護服越しに震えていたのを。

 私は、被爆してもう死ぬのを待つだけだったから、一人で"ここ"に残ると言ったのを。

 

 知っている。とっくに知っている。

 人間はもういない。店長は帰ってこない。皆は帰ってこない。

 このパン屋は、墓標だ。

 私は墓守だ。

 死体なんだ。

 考えていても、頭脳を維持していても、目的を失っていることからずっと目を逸らしている過去の亡霊。

 

 でも、それを認めてしまったら。

 それを口にしてしまったら、私は何のために、この重たい機械の身体を引きずって生きているのかわからなくなってしまう。

 

「……そっか。残念だ」

 

 メロンは、それ以上私を追い詰めなかった。

 短く息を吐き、床に転がった部品を拾った。

 

「だが、君がそう言うなら、そうなんだろう。確率論など、宇宙の広さに比べれば些細なことだ」

 

 メロンは私の愚かな選択も、生きているだけの生き方も、否定しなかった。きっと彼の文明レベルなら、私の論破なんて簡単なことだろうに。

 優しかった。

 暖かかった。

 でも、その優しさが、今は痛かった。

 

「……ごめん。嫌な空気になっちゃった」

 

「構わない。カレーパンは冷めても美味いというデータがある」

 

 メロンは立ち上がり、窓の方へ歩いた。

 夜の闇が、世界を塗りつぶしている。

 星は見えない。人類の愚かな戦争で生まれた分厚い雲が、かつてはすぐそこに見えた美しい星空を隠していた。

 

「アスカ。実は自分も、隠していたことがある」

 

 窓ガラスに映る自分の緑色の顔を見つめながら、メロンが言った。

 

「自分は、旅をしているわけではない」

 

「え?」

 

「自分は、場所を探していた……終わるための場所を」

 

「終わる……」

 

「我々の種族は長命だ。長命すぎるがゆえに、精神の摩耗が肉体の寿命より先に訪れる。自分は疲れてしまったんだ。だから、誰もいない静かな星で、誰にも迷惑をかけずに土に還ろうと思って、ここに来た。我々の母星と似た環境のこの惑星で」

 

 私は無言で振り返るメロンの顔を見詰めていた。

 メロンが私が目を逸らし続けている現実に気付いていたように、気付いた上で付き合ってくれていたように。

 私も心のどこかで、メロンが単なる旅人ではないことに気付いていた。

 心なんて、もうパーツの集合体でしかないけど。

 

「ここは最適だった。知的生命体がおらず、静寂に満ちている……だが、誤算があった」

 

「誤算?」

 

「ああ。パンが美味すぎた」

 

「!」

 

 メロンは続ける。

 

「それに、友人ができてしまった。友人を置いて、一人で勝手に終わるわけにはいかない。それは『不義理』というものだと、地球の古い娯楽データで学んだ」

 

 私の胸の奥で、何かがきゅっと鳴った。

 この宇宙人は、死ぬために来たのだ。

 私と同じだ。

 私も、生きる目的を失って、ただ緩やかに錆びついて死ぬのを待っているだけだった。皆を待つという嘘の目的でコーティングして、時間を稼いでいただけ。

 

 私たちは、似た者同士だったんだ。

 終わった星の片隅で、死に損なった機械と、死に場所を探す宇宙人。

 

「アスカ」

 

 メロンが、真っ直ぐに私を見た。

 

「君は待つと言った。なら、自分も探そう」

 

「探すって……何を?」

 

「君の店長だ。あるいは、生き残った人類を」

 

 メロンは、自分の胸を、ドンと叩いた。彼のそこには、胃袋があるだけだけど、わざわざそこを叩いた意図は明白だった。

 

「自分は一度宇宙へ戻る。この星の大気圏外へ出て、もっと広範囲を、サーチする。人類が飛び立った日時と人類の生存可能な環境。様々な条件を考慮すれば、生存者を見つけ出すことも可能だろう」

 

「でも……」

 

「ならこうしよう。約束だ」

 

「約束……」

 

「約束は、大事にするものなんだろう?」

 

 雲の隙間から、ほんの少しだけ月明かりが漏れた気がした。

 メロンの緑色の身体が、微かに発光しているように見えた。

 

「だから、死ぬとか終わるとか考えるのは、その後だ。まずは見つける。話はそれからだ」

 

 私は、目頭が熱くなるのを感じた。

 ああ、そうか。

 私は、これを待っていたのかもしれない。

 店長じゃなくてもいい。誰かが「まだ終わってない」と言ってくれるのを。

 私の無意味な待ちぼうけに、新しい意味をくれる誰かを。

 

「……わかった」

 

 私は涙を拭う仕草をして、精一杯の強がりで答えた。

 

「じゃあ、お願い。見つけてきて。皆を連れてきたら、死ぬほど美味しいメロンパン、ご馳走してあげるから」

 

「メロンパン……? 共食いの予感がするが、期待しておこう」

 

 こうして、私たちの間に新しい約束が生まれた。

 それは、終わった世界で交わされた、ちっぽけで、無謀で、とてつもなく温かい約束だった。

 

 翌朝、メロンは旅立った。

 

 修理を終えた彼の宇宙船は、パン屋の裏手から轟音と共に垂直に上昇した。

 衝撃波が廃墟の塵を巻き上げ、私のエプロンを激しく叩いた。

 彼は振り返らなかった。私も手を振らなかった。

 それは「さよなら」ではなく「行ってきます」だったからだ。

 灰色の雲を突き破り、緑色の光の筋が天へと伸びていく。

 その光が消えた後、世界には再び、あの重たい静寂が戻ってきた。

 

 たった一人。

 瓦礫と砂に埋もれたこの星で、私はまた一人になった。

 でも、不思議と寂しさはなかった。

 胸の奥の駆動音が、昨日までとは違うリズムを刻んでいる気がした。

 

「さてと」

 

 私は店に戻り、看板を外した。

 そして、倉庫から工具箱と、店長が趣味で集めていたジャンクパーツの山を引っ張り出した。

 私は、店を変えることにした。

 昼間にパンを焼くのはやめた。だって、昼間の空は灰色の雲に覆われていて、何も見えないから。

 私が用があるのは、その向こう側だ。

 

 私は自分の身体にもメスを入れた。

 パンを作るために必要な機構は残しつつ、視覚センサーの出力リミッターを解除した。

 店の屋根をぶち抜き、そこに店長の遺品だった巨大な天体望遠鏡を据え付けた。

 そして、望遠鏡のデータケーブルを、私の首筋にある外部入力端子へと直結した。

 これでいい。

 私はパン屋の店員であり、同時に、この星で一番巨大な"瞳"だった。

 その日から、私の営業時間は真夜中になった。

 

 

 十数年の月日が流れた。

 正確には、4382日と14時間。

 私の内部時計は、狂うことなく時を刻み続けている。

 外の世界はさらに荒廃が進んでいた。

 かつて道路だった場所は砂漠となり、隣のビルの残骸も風化して崩れ落ちた。

 けれど、私の店だけは変わらずにそこにあった。

 

 夜の22時。

 私は店の明かりを灯す。

 誰もいない荒野に、ぽつんと温かなオレンジ色の光が浮かび上がる。

 オーブンからは、香ばしい匂いが漂う。今日のラインナップは、メロンが好きだったカレーパンと、店長が好きだったバタール。

 

 私はカウンターに座り、目を閉じる。

 けれど、私の視界は閉じない。

 意識は屋根の上の望遠鏡とリンクし、分厚い雲の隙間、その遥か上空にある宇宙を見上げている。強化された視覚センサーは、大気の揺らぎを補正し、ノイズを除去し、クリアな星空を映し出す。

 満点の星空。

 宝石箱をひっくり返したような、残酷なまでに美しい光の粒。

 

『異常なし。未確認飛行物体、反応なし』

 

 システムが淡々と報告する。今日もまた、反応はない。

 私はリンクを少し緩め、焼きあがったパンをトレイに並べる。単純な繰り返しに見える毎日。

 

 でも、私は知っている。

 望遠鏡を覗き続けているからわかる。

 宇宙は広いけれど、何も変化していないわけじゃない。

 10年前と比べて、あの星雲の位置が少し変わった。あそこで超新星爆発が起きた。

 世界は動いている。止まっているのは、この地上の時間だけだ。

 

 そして、その夜は突然訪れた。

 4383日目の、深夜2時。

 いつものようにパン屋の仕事を終え、空を見ていた時だった。

 

『高エネルギー反応を検知』

 

 アラートが脳内で響いた。

 私は反射的に視覚倍率を上げた。

 ズーム、ズーム、ズーム。

 視界が急速に圧縮され、夜空の一点へと収束する。

 

 それは、流れ星ではなかった。

 不規則な軌道を描きながら、しかし明確な意思を持ってこちらへ近づいてくる光。

 

「……!」

 

 解析コードが走る。

 スペクトル分析、緑色波長。形状照合、適合率99.9%。

 間違いない。

 かつて私が修理を手伝った、継ぎ接ぎだらけの宇宙船だ。

 通信が入る。

 ノイズ混じりの、懐かしい電子音声。

 

『……こちら、メロン。アスカ、応答せよ』

 

 私は、震える唇を開いた。

 声帯ユニットが錆びついていないか心配だったけれど、声はちゃんと出た。

 

「こちら、アスカ……待ったよ」

 

『申し訳ない。言っただろう、宇宙は広いと。見つけるのに手間取った』

 

 通信の向こうで、メロンが笑った気配がした。

 そして、メロンは続けた。

 

『データを送る』

 

 脳内に、膨大な画像データが送られてきた。

 それは、どこかの星の映像だった。

 緑色の森があり、青い海があり、そして……ドーム状の居住区の中で暮らす、人々の姿があった。

 その中に、見覚えのある顔があった。

 皺が増えて、髪は真っ白になっていたけれど、優しい目元は変わっていない。

 店長だ。生きていた。お店の皆と一緒に、別の星で。

 

『彼らは脱出船で、この星へ逃げ延びていたらしい。座標の特定に時間がかかったが、君の話をしたら、すぐにわかってくれたよ』

 

「……そっか」

 

 涙は出なかった。涙腺はもうないから。

 でも、胸の奥の炉心が熱く、熱く燃え上がったのを感じた。

 

『彼らは迎えの船を出す準備をしている。だが、私は待ちきれなくて先に報告に来た……約束は、守ったぞ』

 

 望遠鏡越しの視界の中で、メロンの宇宙船がピカピカと明滅した。

 まるで、ウィンクをするように。

 私は立ち上がり、店のドアを開けた。

 夜風が吹き込んでくる。

 見上げた空、分厚い雲の切れ間から、一際明るい緑色の星が輝いているのが見えた。

 

 私の役目は終わったのかもしれない。

 待つだけの時間は、もうおしまいだ。

 私はエプロンを外し、そしてまた結び直した。

 

「いらっしゃいませ」

 

 夜空に向かって、私は深くお辞儀をした。

 

「真夜中のパン屋へようこそ……おかえりなさい、私の友達」

 

 荒廃した地球の片隅。

 大きな望遠鏡を背負った小さなパン屋に、久しぶりの客が降りてくる音がした。

 

 

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