2022年11月6日(日)17:20
アインクラッド第1層
はじまりの街近郊平原エリア安全地帯
「ねえ、これってどうやってログアウトするの?」
「はぁ?何言ってんだ?」
「いや、ちょっとわからなくて…」
メインメニューを隅から隅まで項目を見てみるも、どこにもログアウトの文字が見当たらない。一瞬、私の目が悪くなったかと思ったがどうやらそうでもないらしい。
風に揺れる草木の一つ一つがくっきりハッキリ認識できる。何ならリアルよりも視力が上がっているとさえ思える程に。
それでもメインメニューに【ログアウト】の文字はどこにも見られなかった。
「そんなのメニュを開いてこう操作すれば──」
アベルの言葉が途中で止まる。
数秒固まったアベルが次に発した言葉は──
「──ない」
「え?」
「ログアウトのボタンが…ない…」
「……」
「……」
沈黙。けれどこれは先程の気不味さから来るものではない。私たちがこの現象に対する理解ができず、それに対して必死に思考を回しているがゆえの沈黙だ。
「えっと…不具合発生ってことでゲームマスターコールしてみる?」
「いや…今試してみたんだがよ、全く反応がなくてさ…それどころかメッセージが届いているかすらわからねぇ」
「…そう」
再び沈黙。
しかし無言の時間が増す毎に私たちの不安も膨れ上がる。
気を紛らわせるために私たちは会話を続けた。
「あ…そう言えばβテストでも何かしら不具合とかあったりしたの?」
「ん?あぁいろいろあったぜ」
「ちょっと聞かせてほしいな」
「そうだな…例えば──」
アベルの口から語られるのは、どれもゲーム開発段階ではよく聞く話のスケールの大きいバージョンで、心が大きく躍った。
攻撃力爆増バグ。無限アイテム採取バグ。モンスターグジャグジャテクスチャーバグ。
数々の不具合を上げたら切りが無い。
「──極めつけはオブジェクト貫通バグだったな。シンプルながらインパクトが大きかったからよく覚えてるぜ。なんたって迷宮区の最上階でちゃんと床があったはずなのに一気に下層まで落ちたってプレイヤーがいたからな」
「それって、やっぱり落下ダメージはあったの?」
「そりゃあもう。直接見てたプレイヤーは運営に猛抗議したもんさ!『ボス直前にこんな理不尽な死に方があるか!』ってな」
「ホントにそうね〜ww」
「しかもそれ俺の目の前で起きてやんのwwまぁ速攻で修正されたから、それ以降は起きてないんだがな」
「良かった〜」
それに。とアベルは続ける。
「今日いろいろ試してみて、それらのバグは全部修正されてるってわかって安心したんだ…だからこそわからない」
「うん…」
アベルの言葉で現実に引き戻される。
「これは俺が今まで経験したバグの中ではトップクラスにやべぇやつだ。何せこのままだと俺たちは現実に戻れねぇ」
「そうよね…アベルってお家の人は?」
「うーん…親は共働きで、兄がいるけど高校入って一人暮らし。家からログインしてて今は俺一人…あれ?いま俺けっこう不味くね?」
「日曜にお仕事してるご両親かぁ…何と言うか、お疲れ様…」
「おう、良い親だぜ?」
そういったアベルの顔はいままでで一番生き生きしていると思う。家族仲が良くて微笑ましい。
「今までβテストでもここまでひでぇバグはなかった。あったとしたらこうして正式サービスなんてできなかっただろうしな」
「それにこんな重大な不具合がこのまま放置されるのもありえない話よ。遅かれ早かれこの事実はリアルにも拡散すると思うし、何よりこの状況をマスコミが黙っているとも思えない」
「え?なんで?」
「そもそもこのVR技術も受け入れられる声が多い分、懐疑的な声も多かったの。VR世界で体を動かせるとはいえ、生身の体は完全に無防備になる所が数ある受け入れがたい要因の一つみたい。
医療現場では手足の不自由な患者さんがVR世界で自由に動き回れる空間を手に入れたことに対して、健常者が長時間のフルダイブによる衰弱の報告も多く挙がっていたの。
βテストの期間が特にピークを迎えていたと思うわ」
「え?じゃあ、このまま俺たちが出られなかったら…」
「放っておいたら私たちは衰弱死まっしぐらよ。そうなるともはやソードアート・オンラインは愚か、VR技術そのものの存続も危ぶまれるわ」
私たちはここまで話し合って漸く自分たちの置かれた状況が如何に異常かの整理がついた。
いつの間にか夕日は雲に遮られ、差し込む光のなくなったアインクラッド第1層は薄暗いを通り越して深い闇に閉ざされようとしている。なぜかと思って上をちらりと見たら頭上の第2層の天蓋が空を完全に覆っている。
その意味を考えると、途端にこの世界の在り方が恐ろしく感じられた。
「……ねえ、このゲームって緊急脱出用のコマンドとかはあったりする?」
「……ない」
記憶を確かめるような沈黙の後に続いたアベルの言葉は戸惑いに満ちていた。
「俺たちがこの世界から出るためには、メニュー画面からのログアウトボタンしか用意されていない。説明書にもほかに載ってなかった」
「じゃあ私たちは誰かにナーヴギアを外してもらうか、または運営がこの事態に気付いてサーバーを落とすくらいしかこの世界から脱出する手段はないのかしら…」
「シズクは?俺のところはいま誰もいないはずだけど」
「実家暮らしだけど、両親は今2人で旅行中。妹が居るけど、今日は友達の家に泊まるって言ってた。学校もそこから直接行くって」
「…これって俺たち詰みってやつじゃねぇか?」
「…かもしれないわねぇ」
「「ハァー…」」
二人同時にため息を吐いたその時だった。
──ゴーンゴーン…
「これは…鐘の音?」
「始まりの街のほうか?でも何でいきなり…」
「いまで鳴ったこと無いの?」
「ああ。こんなの今まで一度も──」
アベルが続きを言い終わる前に私たちは強い光りに包まれた。光が消えた場所には何も残っていない。
◆ ◆ ◆
同日17:30
同層
始まりの街転移門広場
「っ!なに!?」
「これは、テレポートだ!しかも強制的に!無事かシズク!」
「私は無事!でもこれは一体…」
周りを見ると私たち以外にも続々とプレイヤーが転移させられてきている。彼等も私たちと同様に、何が起きたかわからずに困惑する表情を浮かべている。
「なんだ?」「強制テレポート?」「ログアウト出来ねぇんだけど…」「なんなのこれ…」
「…やっぱり」
「やっぱりって?」
「私たちだけじゃなかったってことよ…ここに居るみんな、私たちと同じでログアウトができない」
「…じゃあ…どういう…」
「なあ!上!」
鐘楼の鐘が広場に鳴り響く中、一人のプレイヤーの声が聞こえた。
彼につられて上を見上げると、夕日に染まった空に異彩を放つ物体が浮かんでいた。
WARNING
SYSTEMS ANNOUNCEMENT
このゲームにはお似合いな、けれど今この状況にはあまりに不釣り合いなもの。赤地に黒文字でメッセージが書かれた、あまり目に優しくなさそうな横長六角形のメッセージパネル。
それが点滅しながら上空に浮かんでいる。
気が付けばざわめきは収まり、皆一様に空のパネルを見つめていた。
──ゴーンゴーン…
鐘が止む。
すると今度はメッセージパネルが蜂の巣のように空を埋め尽くし始める。ものの数秒で空はパネルの複眼で覆われた。
少し間を置いて今度はパネルとパネルの隙間から粘性の高そうな赤い液体が滴り落ちる。それらは空のほぼ全体に及んでゆき、地に落ちる前に一つに集まり形を成してゆく。
稲光のようなエフェクトを伴って最終的に現れたのは顔と足が見えず、手に当たる部分には白い手袋しか見えない赤いローブの巨大な人型だった。
「何だ?ゲームマスター?」「不具合の告知?」「すげぇ開幕セレモニーだな」「早く帰りたいんだけど〜」
「アベル…あれは?」
「ゲームマスターの格好だが、顔がないなんて変だ…GMコールのアイコンはあの衣装を着たヒゲ面の爺さんなのに…」
『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』
独特な艶のある声。情熱溢れる若者とも、成熟した老人のどちらにも聞こえる声。そんな響きを持った声が空に浮かぶ巨大な人型から聞こえてくる。
私たちの周りで大きなざわめきがあってもその声はどうしてか私たちの耳に届いてくる。
『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロール出来る唯一の人間だ』
「茅場!?」「開発者自ら!?」「すげーサービスだな!」「私生の声初めて聞いた!」
「すげー!すげーなシズク!開発者の挨拶だってよ!」
「……うん、確かにすごいね」
ざわめきが大きくなる。確かにこの手のMMORPGでは、リリース初日に開発者たちが開幕セレモニーをする事は特段珍しい話ではない。
それでも態々こうしてプレイヤーを一箇所に集める必要は無いはずだ。それに気になる単語もある。
──私の世界?唯一?コントロールできる?
『諸君らはすでに、メインメニューからログアウトのボタンが消滅している事に気付いていると思う』
そうだ。だから不具合の告知と修正を──
『しかしこれはゲームの不具合ではない』
一瞬、私の耳がおかしくなったかと思った。
どうか聞き間違いであってほしい。けれどそんな願いは──
『繰り返す。これはゲームの不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』
酷くあっさりと打ち砕かれる。
「仕様?」「何言ってんだ?」「意味分かんない…」「そんなことより早く出してよ」
ざわめきが大きくなる。先ほどとは違い、不満に交じって戸惑いの声まで聞こえてきた。
『諸君らは自発的にログアウトする事は出来ない』
「何を…言って…」
『また外部の人間による《ナーヴギア》の停止、或いは解除もあり得ない』
「だから…何を!」
自分が冷静でいられなくなるのを感じる。だってそんな事はあってはいけない。ゲームから出られなくなるなんてそんな事──
『もしそれらが試みられた場合、《ナーヴギア》の信号素子が発する高出力マイクロウェーブが諸君の脳を破壊し生命活動を停止させる』
──は?何?生命活動?停止?何を言っているの?
けれど思い当たる節が私にはある。初めてナーヴギアを手にしたときに、確かに感じた違和感。けれどそういうものかと見過ごした仕様の数々。それらが走馬灯のように頭を過ぎる。
「な、なぁシズク…そんな事できるのか?」
「……私はとある電子機器部品のメーカーでエンジニアとして働いているの。その一環でナーヴギアの大まかなスペックも知っている…だから──」
『より具体的には、10分間の外部電源切断、2時間のネットワーク回線切断、《ナーヴギア》本体のロック解除、分解、または破壊のいずれかが試みられた場合に脳破壊シークエンスが実行される』
「──出来るかと聞かれたら…私には出来ると答えられちゃう…」
「……じ、じゃあ電源のぶつ切りで──」
「ナーヴギアには内蔵バッテリーがあるの。と言うかナーヴギア本体の殆どはそのバッテリーで占められているの」
「……は?でも…それじゃ……」
『残念ながら、一部プレイヤーの家族や友人が警告を無視し《ナーヴギア》の解除を試みた例が少なからず有り』
──嫌だ。聞きたくない。
そんな私の思いを無視してかはわからない。茅場は言葉を続ける。
『その結果、213名のプレイヤーがアインクラッド及び現実世界から永久退場している』
気が付けばざわめきは収まり、広場は苦しい沈黙で満たされる。213名。あまりに具体的すぎる数字を持ってこられて、リアリティが増す。
でもこの人数は──
『ご覧の通り、多数の死者が出たことを含めこの状況はあらゆるメディアが繰り返し報道している。よって今後はナーヴギアが強引に除装される危険性は低くなったと見ていいだろう。諸君らは安心してゲーム攻略に励んでほしい』
巨大な人型か改め茅場晶彦の周りに無数のニュース番組の映像が映し出される。
被害者の顔写真。非常線の張られた家屋。町中を行き交う救急車にパトカー。泣き崩れる何処かの家族。
これらは日本だけではなく、海外のニュース番組でも取り上げられている。
──事態は私が想像していたよりも遥かに深刻だった。
『しかし十分に留意して欲しい。今後この《ソードアート・オンライン》ではあらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に──』
いくら事態が飲み込めてきれていない私でもこの先の言葉は想像ができた。
……いや、出来てしまった。
『諸君らの脳はナーヴギアによって破壊される』
「…は?どういう意味だよ…」
掠れた声でアベルが聞き返す。
「…死んだらそれで終わり…ってことみたい…」
「…信じねぇ…信じねぇぞ俺は!」
『諸君がこのゲームから解放される条件は唯一つ。このゲームをクリアすればよい』
開示される条件。実に単純だが、今我々の置かれている状況を考えるとあまりも…
『現在君たちがいるのはアインクラッド最下層の第1層である。各フロアの迷宮区のボスを倒せば上の層へ進める。最上層である第100層のボスを倒せばクリアだ』
誰もしばらく何も言わない。いや、何も言えないのだ。
「…て、適当なことを言うんじゃねえよ!」
「クリア、第100層だと…出来るわけねぇだろ!βテストじゃ碌に上がれなかったんだろ!」
口にしたら絶望が心を支配する。2ヶ月のβテストでさえ、何度も死亡して漸く第8層。けれどこの先は自身を含めて絶対に死亡せずに第100層。一体どれだけの時間がかかるか分かったものじゃない。
「アベル…この先誰一人死なない保証ってある?」
「…わかんねぇ…わかんねぇけど…」
『最後にささやかながら、私から君たちのアイテムストレージにプレゼントを用意してある。確認してくれたまえ』
広場に集ったプレイヤーはそれぞれ恐る恐るといった動作でメニュー画面を開く。
私もおっかなびっくりでアイテムストレージを確認する。
「手鏡?」
「何だってこんな物が…」
アイテムをタップして実体化させる。何の変哲も装飾もない本当にシンプルな作りの手鏡が私の手の中に落ちる。
覗いてみると、ログイン直前に私がAIに性別以外は適当に作らせた当たり障りの無い顔が映っている。改めて見ると、自由に作れるのだからもう少し拘ってみても良かったかもしれないと思えてくる。アベルとか相当な作り込みだ。
「うわ!?なんだコレ!?」
「どうしたのアベル!?」
突然アベルの周囲に青い光が満ちる。よく見れば周りからも似たようなエフェクトと悲鳴が聞こえてくる。私も例に漏れず「イヤ!?」とかなり情けない悲鳴を上げて光りに包まれた。
ものの数十秒で騒ぎが収まったが、その光景は先ほどとは一変している。
と言うか私の目線が少し低くなったような気がする。
「大丈夫かシズク!」
「ええ、平気…?えっと…あなた誰?」
突然先ほどアベルの居た位置から聞き慣れない声変わり前の少年のような声が聞こえてくる。見れば10代前半の見た目をした子供がそこにはいて…
「?あんたこそ誰?」
「私はシズクだけど…」
「俺はアベル…」
お互い顔を見合わせ、少し思案して手鏡を見る。
「え!私の顔!?体型も!?嘘でしょ!!」
「は!?俺の顔!?背も縮んだ!?」
年齢不相応な童顔。人より少し大きな眼に長いまつ毛と低めな鼻。それに小さな耳と口。作業の邪魔になるからと肩より上でバッサリ切った黒い髪。
そこに映ってたのは現実世界で何度も見た私の顔だった。
「「と…言うことは…」」
「「あんたがシズクか!/あなたアベル!?」」
お互いに顔を見合わせ確認する。そして注意深く周りをよく見ると、全体の男女比が大きく変わっている。
「これ俺じゃん!?」「嘘、私!?」「あんた男だったの!?」「17って嘘かよ!」
──このゲーム、ネカマいたのかぁ…
呑気にそんなことを思いながら周囲の騒ぎを俯瞰する。
どうやら私たちの例に漏れずここにいるプレイヤー全員、このゲームで作ったアバターが全て現実の容姿に置き換えられたようだ。
「で、でも何で!?どうやって!?」
あまりに突発的な出来事にアベルは混乱している。私は少しでも冷静に居続けるために思考を回す。
「…なんでこの姿にしたかは分からないけど、どうやってこの姿にしたかは分かる気がするわ」
「ど、どうやって?」
「ナーヴギアは頭全体を覆うような作りになってるでしょ?その内側は信号素子まみれになってる。だからそこから発する信号で顔や頭の形を把握できるの」
「そっか…でも、身長は?」
「ナーヴギア初期設定の時に自分の身体をあちこち触らなかった?たぶんその時のデータを元に今の体格を再現している」
言って、冷静にならないと。私は冷静だから今の状況が何となく理解できてる。これはもう…
「そ、そうか…でも…でもなんで…」
私は上空の茅場晶彦を指差す。
「どうせすぐに答えるはずよ…」
『諸君は今、“なぜ?”と思っているだろう。なぜ《ソードアート・オンライン》及び《ナーヴギア》開発者である茅場晶彦はこんなことをしたのかと』
私たち全員が抱く疑問。けれどそれに対する答えは──
『私の目的は既に達せられている。この世界を生み出し、鑑賞するためにのみ私は《ソードアート・オンライン》を造ったのだ』
「──は?」
たった一音。
それが自分の口から出たと理解するのに、少しだけ時間を要する。
あまりにも身勝手であっさりしたその目的に、私の脳は怒りも憤りも通り越して何も感じることができなくなっていた。
『そして、全ては達成せしめられた…!』
今までただ淡々と事実を説明していた茅場晶彦の言葉に、ここで初めて感情が見えたような気がした。それはまるで、夢をかなえた無邪気な子供のようで…
『以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する』
この状況に置いてけぼりな私たちの感情を他所に、茅場晶彦は一方的にアナウンス終了を宣言する。
『最後に一つ忠告しておく。
それは数々の新聞やゲーム雑誌で茅場晶彦のインタビュー記事に載っていた見出しの言葉。その意味が今ここに収束する。
『プレイヤー諸君の健闘を祈る』
その言葉を最後に茅場晶彦の身体が崩れていき、最初に見た液状の物体に戻る。それは次第に空へと流れていき、メッセージパネルの隙間へと消える。すべて吸い込まれた後、上空のパネルが一斉に消え失せ、あとに残るのは夕日に照らされた第2層の天蓋が見えるだけとなった。