気が付くと私は自室の真ん中に立っていた。
格好はいつも仕事に行く時のもの。起きた後に無意識のうちに着替えていたのだろうか。
目を凝らす。部屋の隅に姿見が立て掛けられている。映っているのは1人の女性。というか私だ。
既に成人している筈なのに一般的な女子中学生の平均以下で成長が止まった身長。一目では成人とは判断出来ないほどの童顔。作業の邪魔になるからと肩より上で切り揃えた髪。
ここ半年で見慣れた普段通りの姿の私がそこにはあった。
「あ、そうだ。今日は仕事行くんだった」
自室を出てすぐ目の前の階段を降りる。時間はまだ余裕があるみたい。リビングでは母がテレビを点けながら朝食を作っているところだった。
「あ、おはよう雫。ここに来たばかりで悪いんだけど
「お母さん澪なら昨日は友達の家で寝てるよ」
「あ、そうだったかしら?」
「っていうかお母さんこそ大丈夫なの?昨日はお父さんと遅くに帰ってきたみたいだけど」
「もう体に染みついちゃってるから気にしないで。あなたもいつかこうなるわ」
「そういうものかな…?」
話しながら手際よく料理を皿に盛り付けていく母。物心をついたときから目にした当たり前の光景。でもなぜかその事実に涙が出てきそうになる。
「どうかしたの雫?そんなに泣いて?」
「え?私泣いてる?」
「なんかそんな顔してるわよ?」
「あはは…なんでだろうね?」
「そんなに仕事大変?まぁいろいろ有るわよねぇ」
「仕事は順調だから。そこは心配しなくていいわよ」
「そう?」
「うん、だから大丈夫」
母と二人で席に座って朝食を食べる。何気なく朝のニュースを横目でチラ見。
“【速報】ゲームで死者。東京都の自宅で兄弟死亡”
「あれ?」
初めて見るはずなのに見覚えのある映像。確か2つあった顔写真は…
「ホントやぁね。あなたはやらなくてよかったわね」
「え?」
母の言葉が耳に入らない。写っていた顔写真は全く違うもの。と言うか見覚えしかない顔。
アベルの顔写真がテレビに映し出されていた。
「いや、ちょっと待って…」
「雫?どうしたの?」
「私…あの時ちゃんと…」
──助けられていたはず…
瞬間、場面が変わる。場所は自宅の和室。部屋の隅に設置された仏壇には祖父母の写真に並んで振り袖姿の私の写真が飾られている。あれは確か成人のお祝いで写真屋さんで撮ってもらったやつだ。
私の母がその前で項垂れている。
「雫…嘘だと言ってちょうだい…」
「違う!お母さん私はここに!」
そう言って伸した手は仕事で着ていた格好ではなくなっていた。私がソードアート・オンラインで最初に着ていた簡素なシャツとズボン。そこに胸当てをつけただけのもの。
「──え?」
場面は変わり、今度ははじまりの街。母の姿は無く、周りも私の知らないプレイヤーばかり。
「っ!アベル!アベルどこ!」
呼びかけるも返事がない。頭上では茅場晶彦が状況の説明をしているところだった。
『残念ながら、現時点で一部のプレイヤーの家族や友人が警告を無視し、ナーヴギアの解除を試みた例が少なからずあり』
──え?待って?それじゃ…
『その結果214名のプレイヤーがアインクラッド及び現実世界から永久退場している』
──待って。待ってほしい。
『ご覧の通り、多数の死者が出たことを含めこの状況をあらゆるメディアが繰り返し報道している』
その時茅場晶彦の周囲に現れた無数のニュース映像。その中に見覚えのある少年の顔があった。
そこから何が起きたのか、私は何も覚えていない。どれ程の月日が経っただろう。一年?二年?或いはそれ以上か。私はあれから一歩も動けていなかった。多くのプレイヤーが最前線で戦っている中最下層に残った落ちぶれ組。その中に私もいる。
再び茅場晶彦が現れた。
『生き残ったプレイヤー諸君に非常に残念な知らせがある。最前線で戦っていた攻略組が全滅した。よって諸君らの希望がなくなったこの世界に幕を引く時が訪れた。アインクラッドは直ちに崩壊する。どうか残された時間を健やかに過ごしてほしい』
その知らせの後に姿を消す茅場晶彦。でも私には何もかもがどうでもよかった。
足元が揺れる。広場の中央から亀裂が広がり崩壊が始まる。鐘楼の影で蹲っていた私はそれに抗うことはなく、瓦礫とともに宙に落ちる。
──ああ…ようやく解放される…
私の視界左上に表示され続けていたHPバーが一瞬でゼロになる。【GAME OVER】の表示が出て間もなく私の意識は闇に落ちて行った。
◆ ◆ ◆
「──っは!?」
視界に入るのは見慣れない天井。時計を見るとまだギリギリ日付が変わっていない。眠ってからそれほど時は経っていないらしい。
最悪な目覚めだった。
「っ!アベル…!」
隣のベッドを見ると実に芸術的な寝相に健やかな寝顔と規則正しい呼吸で横になっている少年の姿が目に入る。
「よかった…」
悪夢でもそれは夢だ。現実ではない。
「ここも…夢ならよかったのに…」
夢が現実じゃなくてよかったと安堵した筈なのに、現実が夢なら良かったと思う矛盾。
眠れば寝落ちとして解放されるのでは、と言う淡い期待もこれで無残に消え失せた。
「もう眠れる気がしないわね…」
悪夢からの目覚めで眠気はすっかり吹き飛ぶ。かと言って何もしないよりは何かしたいという思いが勝り、まだ日の登っていないホルンカの村を散策する。第2層の天蓋が星明かりのように光を放つお陰か、真夜中の森の中なのに周囲が明るく感じる。
夜時間から深夜帯になった村は風に揺れる木の葉が擦れる音しか聞こえない。
「ここまで静かだと逆に心地良いわね」
誰に言うでもなくそう独りごちる。その音は響くことなく夜の森へ吸い込まれる。
木の葉擦れの音の中に私が獣道を踏み締める音がかすかに聞こえる。散策を続ける内に今まで気がつけなかったところにも目がいくようになった。
中央広場の焚き火。開きっぱなしの鍛冶屋の炉。空っぽの道具やカウンター。厩舎の中で寝息を立てる馬。家畜小屋から微かに聞こえるニワトリの寝言。明かりの消えた民家たち。
まるでこれらが遥か昔からこの浮遊城で生活を続けてきたかのような質感に、私はこの世界がゲームである事をほんの一時だけ忘れそうになった。
そうして歩いている内に日付が変わる。
村の入り口まで来たところで人影を見る。
──あの少年は…
後ろ姿だけだが間違いない。例のクエスト報酬の剣も背中に吊ってる。その後ろ姿はとても寂しげで…
「あの…こんな時間にどこへ行くんですか?」
思わず声をかけてしまった。
「…?キミは…」
振り返った少年の顔を私は初めて見る。年の頃はおそらく中学生。声の質は声変わりを終えたばかりのような男性のもの。その顔は同年代の男性と比べると少しだけ線が細く、どこか少女然としたものを感じる。
「あ、いえ、こんな遅い時間なのにどこに行くのかなぁ〜と…」
心配になってうっかり声をかけてしまった手前、なんとか場を繋ごうと会話を試みる。
「あぁ…そっか…そう言えばそんな時間か…俺がここでやることは終えたから、早めに次の村に行くんだ」
「一人で、ですか?」
「ああ」
「仲間は、居ないんですか?」
「さっきは居た。けど…ここにはもう居ないよ」
その言葉には様々なニュアンスが込められていることに気が付く。
この子は一体この一日で何を見てきたというのだろうか。
「私たちでは、力になれませんか?」
「…悪い」
とても申し訳なさそうに少年は俯きながらそう返事をした。
「じゃあ、俺もう行くから」
「…はい」
もう何年も昔。
遠方に住んでいた父方の祖父が亡くなった時のこと。亡くなる半年ほど前に一度会っていた。その時は本当に元気そうに笑って私たち姉妹の遊び相手になってくれた。
末期ガンの知らせを聞いたのは亡くなってすぐのこと。
『もっと早く気づいてやれば…』
葬式の時にそう言って力無く項垂れていた祖母の姿をよく憶えている。その祖母も一月後に後を追うように亡くなった。
いま思えば、祖父も自分の命が長くないことに気が付いていたんだと思う。それでも私たちに心配をかけないようにと最期まで笑っていたのだ。だけど『それでも』と思うのはどうしても止められない。
少年の様子は、その時の祖母とよく似ていた。
「あの!」
気が付くと私は少年を呼び止めていた。
「なに?」
「えっと…その…」
「……」
少年は振り返るが、言葉を選んでいる私の様子を見て足を進めようとする。
「あ、あなた達の身に何があったのかはわかりませんが…きっとあなたは悪くないです!だから…その…」
「……」
少年は少しだけ足を止める。私の言葉が届いたわけでは無いと思う。私は言葉を少しだけ選びながら話した。
「…あなただけが、重荷に思うことはきっと無いんです」
「…じゃあな」
そう言って少年は闇の中へと姿を消した。もう私からは姿も見えないし、足音も聞こえない。初めからそこには何もなかったかのように静寂が流れている。
時刻は00:30
部屋に戻って休むにはちょうどいい時間かもしれない。昨日は色々あって心と体が疲れたのだ。こうしてリフレッシュすれば、きっと明日は、というか今日はいいことがある。そう思って宿へ引き返す。アベルの寝相は一周回ってしっかり布団に入って仰向けの体勢になっていた。
「…いや、どういう寝相?」
そう思いながら私はベットに入る。目を閉じれば途端に睡魔が襲ってきて、私は深い眠りに落ちていった。
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