2022年11月7日(月)18:30
アインクラッド第1層
ホルンカの村宿酒場
「……地獄だヨ」
その言葉を発したアルゴからは表情と呼べるものが完全に抜け落ちていた。けれどその独特のイントネーションは変わっていない。私はそこに恐ろしさを感じてしまった。
「──それって…どういう…」
「大体言葉通りの意味サ。先ず昨日の騒動は憶えてるよナ?」
「…ええ」
あの絶望と狂気が充満したようなあの空気は忘れようにも忘れられない。
「それが今日にかけてさらに恐ろしいことになっタ…この先も聞きたいカ?」
「…今はやめておくわ。唯でさえ恐ろしかったのに、それ以上だなんて」
「それが良イ。特にアベルには聞かせられないし、聞かせたくなイ」
話は終わりだ。そう言わんばかりにアルゴは席を立つ。私たちから離れる前に彼女は私に顔を向けた。
「今まけた情報料の代わりと言っちゃなんだガ、オレっちからも一つ聞かせてくレ。何でそんな事を知りたかったんダ?」
「それは…」
自分でもよく分かっていない。理由は幾つも思い当たるが、どれも言い訳にしか過ぎない。ただ、一番明確な理由があるとしたら…
「…アベルを連れてきた責任。なのかもしれません」
「責任と来たカ…それはどんな立場としての責任ダ?」
「なんでしょうね…実はよくわかっていないんです。強いて言うなら…一人の大人としての責任…でしょうかね」
その言葉が私の口から出た途端、胸の奥にチクリと痛みが走った気がした。それが何なのかをよく理解した上で愛想笑いを浮かべる。
そんな私の答えにアルゴは少しだけ目を見開く。その後少しだけ思案顔をし、小さくため息を吐いた。
「そうカ…シズクっちはこの先苦労しそうだナ〜」
「あはは…」
「っていうかその身なりで成人だったのカ。オレっちとしてはアベルと並んで今そっちにも驚いてるヨ」
「もう慣れましたよ。ここには身分証とかがないので証明はできませんが」
「ナハハ。じゃあお前さん方も達者でナ〜。生きてたらまた会おうゼ〜」
そう言って手を振りアルゴは店を後にした。気が付けば料理も残り少なくなっており、宴の終りが近付いていくのを感じる。
テーブルから皿が片付けられていくのを眺めてふと思ってしまう。ここにいる人たちは、私を含めてこれから生き残れるのだろうか。楽しい時間は終わり、明日から生死の境を彷徨い歩く毎日に進むのだろうか。
──また、生きて会えるのだろうか。
「こう言うの、またやりたいわね」
「…そうだな」
小声で呟く私にアベルが小さく返事をする。
“ご馳走さん”
“また呼んでくれ”
“次は俺が招待するよ”
そんな言葉を置いてプレイヤー達は酒場を後にする。それぞれ取ってる宿やこの時間から始まるクエストに向けて行動を起こしたのだろう。
名前も知らない彼らの顔を、ここまで忘れたくないと思ったのはどうしてだろう。
その答えだけがでないまま、私たちの夜は深まっていった。
◆ ◆ ◆
同日22:00
同層
ホルンカの村宿屋の一室
──コピン♪
そんな可愛らしい音が耳に入ると同時に、視界の隅にメールを受信したポップアップが現れる。勿論これは現実世界からの受信したものでは無く、このゲームに備わっているフレンド同士でのメッセージだ。
件名には『さっきの話の続き』と書かれている。
初めて触れる機能にああでもないこうでもないと触り続け、肝心のメールを開くのに3分近くも要してしまった。
開いたメールにはつい先程出会った彼女の様子からは考えられないくらい几帳面な文章が書かれている。もともと彼女はかなり真面目な人間なのだろう。しかしその内容はこちらの想像を絶するものだった。
チュートリアル(茅場晶彦の登場から退場まで)後の出来事。
・広場の騒動
・
・ログアウト関連のデマが横行
・それによる自殺者の出現
・上記による街の治安悪化から来る無法地帯化
箇条書きで纏めるとこの5つとなった。
広場の騒動については私もよく見ていたため特に新しく何かを思うことはない。先行するβテスター達を追いかけるために、今の私は正気を取り戻せた振りをしている。そうでないと今でもあの空気に呑み込まれそうになる。
後になってアベルから聞いた話によると、黒鉄宮とはβテスト時代に蘇生ポイントとして機能していた建造物らしい。何らかの要因で死亡した場合にここでリスポーンしていたそうだ。
しかし現在はあらゆる蘇生手段が機能しない上にゲームオーバー = 現実の死となったデスゲーム状態。正式サービス開始に伴い本来の機能が失われた黒鉄宮には、横長の黒い碑、その名前を『生命の碑』が配置されたそうだ。
そこには全SAOプレイヤーのプレイヤーネームが刻まれていたそうだ。ご丁寧に
その事が分かったのは実際にこのゲームで自殺者が現れてしまった事に由来するそうだ。その最初の一人がアインクラッド外周から投身自殺したことによるものだ。
そのプレイヤーは誰が聞いてもよく分からないような持論を展開した後『とにかくアインクラッドから出れば助かる』と言った後にはじまりの街の端、それもアインクラッド最南端の外周部の柵から身を投げた。生命の碑に書かれた件のプレイヤーの名前に二重線が引かれたのはその僅か数分後のことだった。
彼が本当に死んでしまったのかはこちらでは分からない。しかし事実として、生命の碑に線が引かれたプレイヤーはこのゲームから永遠に居なくなってしまった。
もしかしたら現実での死はデタラメで、本当はそれでログアウトできるのかもしれない。何ならその近くにはで『ドッキリ大成功!』の看板とカメラを持ったアーガススタッフがいても今ならまだ笑って許せるかも知れない。
何にせよこの騒動の後からデマが拡散し始めた。
デバッグコードを呼び出せば出られる、何ていうのはまだ愛嬌がある方だ。他にも隠しログアウトスポット何ていうの根も葉もない噂も出回り、果てには『誰かを殺せば出られる』とか言う他のゲームと混同した脱出手段を試みようとしたプレイヤーも現れたそうだ。
『本当に死ぬのかは分からない』と言う
歪められた認識に染み渡る毒のなんと甘美なことか。1日足らずの僅かな時間にそれが蔓延してしまったはじまりの街がどんな様相となったのかは想像に難くない。NPCの楽団が演奏する優美な音楽の中で展開される地獄は、世界中を探してもここでしか見られないことだろう。
それが茅場の見たかった景色なのだとしたら本当に悪趣味極まりない。もし見掛けたなら一発顔面に拳を叩き込む決意をする。
そんな現状が書かれているはじまりの街の治安は、はっきり言って『終わっている』の一言に尽きるだろう。
一つ気がかりなのは、広場にいたプレイヤーの中にアベルと同じかそれ以下の年齢の子供が混ざっていないかだろうか。
……あり得なくはない。しかしそれ以上考える余裕も今の私には無い。考え出したらキリがない。唯でさえアベルを連れ出した罪悪感で心に余裕がないのに、それ以上を考え出したら本当に発狂してしまいそうだ。
急いでその思考を打ち切る。切り替えの早さは私の長所の一つだ。
ここまでアルゴからもたらされた情報を整理するとこんな感じだろうか。きっと誇張や脚色も多分に入ってしまっている。
そんなメールの最後にはこんな文言が添えられていた。
『アベルの事を、どうかよろしくお願いします。
現在、あるプレイヤーが方々を駆け回って子供たちの保護をしておりますが、それもまだ完全ではありません。今はじまりの街に近付くのは極めて危険です。
そんな中でどんな理由があれ、貴女があの地獄を見る前にアベルを連れ出してくれました。職業柄こんな事を言うのは変だとは思いますが、どこが運命を感じてしまいました。
あの子はβテスト時代、右も左も分からなかった私にこの世界の楽しさを教えてくれた恩人でもあります。まさかあんなに小さな子だったとは夢にも思いませんでしたが、それでも彼は私にとって大恩人に違いはありません。
繰り返しになってしまいますが、どうかアベルの事をよろしくお願いします。ここまでアベルを連れてきて下さって、ありがとうございました。
このような状況で大人としての責任を果たそうとしている人が一人だけではないと知ることが出来ただけで、とても嬉しかったです。
Argo』
「………」
ベッドに座り込み、膝を抱えて顔を埋める。見たくないものから目を背けるように。
──違うんです。違うんですアルゴさん。私は貴女が思うような人間ではないのです。
私がアベルを連れ出したのは自分が生き残るためだった。たまたま近くに居たβテスターで、この世界で生きていく方法を私よりもずっと理解していて、例え私がどんなヘマをしても的確にフォローできそうだったからでした。連れて行く時も相手が子供だからと、丸め込むような言い方をしてしまったんです。先に行ったβテスターがズルしてるって。だから私たちも行くんだって。
最初から自分の事ばかりで、アベルの事なんて
アルゴさんに語ったことも半分は口からの出任せです。ただ自分が気持ちよくなりたい言葉を使っただけだったんです。何より自分がこんなに身勝手な人間なのだと口にするのが怖かったんです。
アルゴさんが語った子供を集めているプレイヤーと言うのはとても出来た大人の人なのでしょう。きっと自分の事より子供達のことを優先できるような素敵な方だ。でも私はそんな人じゃないんです。
どこまで行っても私は自分の事だけしか考えてなんかいなかったのです。
「……」
──ああ…でも…
「……うん」
──私が始めてしまったことの責任は取らなくちゃ。
そんな決意とも言えそうにない思いを胸に秘め、私はベッドに横になる。毛布を被る気力は、今日はもう無さそうだ。
暦の上では秋から冬に変わる頃。若干肌寒いが、これは現実の私が感じている寒さではない。これは偽物だ。
それでも寒さのせいでか、眠気は一向に訪れなかった。
結局その日は禄に眠れず、何処かのタイミングで意識が断絶したようだ。
気が付いた時には日の出を迎えており、横のベッドを見るとアベルが前衛芸術のような寝相でベッドに横になっていた。
単行本の第1巻を買い直して読んでおります。
話毎の文章量を見直し中。