短編でどうしようかなと考えています
その日、ひろし(仮)は、自分を“昼飯の流儀を極めし男”だと信じ込んでいた。
本名は別にある。
ただ──ある時から彼は強烈に思い込むようになったのだ。
「俺は……野原ひろし(昼飯の流儀)だ」 と。
もちろん本人はアニメのキャラだとは分かっている。
だが“昼飯の最適化”だけは、自分の中で真理と化し、
人格の根っこが染まりきってしまっていた。
会社も辞め、趣味というより“使命”として昼飯を探す男になってしまった。
医者には軽い妄想気味だと言われたが──本人は至って真面目だった。
だから今日も、ひろし(仮)は真剣に昼飯を追い求めていた。
ただ、それだけのはずだった。
仙台市内を歩きながら、彼は選択肢を吟味する。
豚の生姜焼きか、鯖の味噌煮か。
味のバランス、栄養、腹持ち。
昼飯で人生の午後は決まる──それが彼の揺るぎない“流儀”だ。
「今日は……生姜焼きかなぁ……魂が求めてる気がする……」
自分で言っておきながら、ひろしは首を傾げた。
「魂が……ってなんだよ俺……」
冗談のつもりだった。
だが、その直後に“本当に”魂がざわついた。
空気の温度が急落する。
街の音が消え、世界が息を潜めた。
そして──透明な壁のような揺らぎが、道路を塞いだ。
「……え?」
境界が締まる音すら聞こえない。
ただ“外界が切り落とされる”感覚だけが残った。
ひろし(仮)は知らない。
だがこれは死滅回遊の結界発動だった。
「えっ……ちょ、昼飯……?」
完全に閉じ込められたことより、
昼飯を食べられない可能性の方が彼には深刻だった。
その時──
ぬるり、と黒い塊が路地に盛り上がる。
四足獣に似た影。
目が赤く濁り、口から黒い液を垂らした“人の顔”。
呪霊。
しかしひろし(仮)は叫ばない。
別の理由で固まった。
「……うわ……腐った油の臭い……?」
彼の感覚が異常に鋭いわけではない。
ただ“昼飯の流儀”を拗らせすぎた結果、食の嗅覚と味覚だけが異常発達してしまったのだ。
そして、その瞬間。
彼の中で、また別の“勘”が動きだす。
──味読(みどく)。
普通なら料理の味を読む用途の能力。
しかし錯覚と過剰適応の結果、ひろしは呪霊の構造すら“味”として読んでしまった。
呪霊が襲いかかる。
「昼飯の邪魔すんな──!」
ひろしの腕が横に振られる。
素人の動きだ。
だが、次の瞬間──
呪霊の体が“まずい部分から分離するように”裂けて弾けた。
「……何これ。脂っぽい……最悪……」
ひろしは呪霊の破片を見て純粋に嫌そうに顔をしかめた。
それを、背後からじっと見ている男がいた。
「……いまの、君が?」
静かな声。
ひろし(仮)がゆっくり振り返ると、白い装束の青年が刀を携えて立っていた。
乙骨憂太だった。
彼の目は警戒と驚愕の色で揺れている。
「君……一般人じゃないよね?」
「いや、俺は……“昼飯の流儀”を大切にする普通のサラリーマンで……」
「……普通のサラリーマンは呪霊を素手で弾け飛ばさないよ」
「まぁ……ちょっと昼飯のこと考えてたら、体が勝手に……」
乙骨は、精神科案件か術式暴走かの判断に困って眉を寄せる。
「名前は?」
「広田……いや、ひろしで」
「いやどっち……?」
「本名より昼飯の時の俺のほうが……しっくり来るんですよ……」
乙骨は頭を抱えた。
「えっと……一応聞くけど……野原ひろし、じゃないよね?」
「ちがいますよ!? でも……昼飯への向き合い方は……似てるかもしれません」
乙骨は確信した。
これは完全な一般人ではない。
だけど術師でもない“危険な境界の人間”だ。
そしてこのコロニーには──
「……魂を“料理する”術師がいる。
人間を皿に並べて味をつけて食う……そういう異常者だ」
「魂……料理……?」
「さっきの呪霊みたいな匂い、もっと濃いやつが今この街を支配してる。
多分、君みたいなのを見つけたら“最高の食材だ”とか言って狙ってくる」
ひろしは数秒沈黙したあと、ぽつりと言った。
「……昼飯、食べられないじゃないですか」
「そこ!?!?」
乙骨の声が思わず裏返った。
しかしこの瞬間、乙骨は悟る。
この男──
昼飯のためなら、死滅回遊すら突破するかもしれない。
◇
乙骨の白い刀が、ひろしの喉元へ向けて構えられている。
だが、ひろしはまるで気にしない。
その表情には、極限状況とはまったく場違いな、
「飲食店の混雑待ちに立たされた父親」みたいな余裕がある。
「……いやぁ、いい匂いだな。
腹が減った男の鼻は誤魔化せねぇ……店はどこだ?」
「……あなた、本当に“一般人”なんですか?」
「当たり前だろ?
俺は“昼メシの流儀”を追求する普通のサラリーマンだ。
どっかにうまいランチがあるはずなんだが……」
乙骨は思わず剣先を下げる。
(こいつ……呪霊を素手で砕いておいて『サラリーマン』……?
完全に常識が噛み合ってない……)
だが、彼の周囲を漂う異常な“味の気配”は、
明らかに術式のそれだった。
「さっきのは……どうやって呪霊を倒したんですか?」
「え?
ただ“味見”しただけだが?」
「味……?」
「食材を前にしたら、どんな料理でも“どの部分が旨いか”が分かるんだ。
肉でも魚でも……さっきのあの黒いやつでも、だ」
「……呪霊の“味”が分かるってことですか?」
「おう。旨味成分の流れが全部見える。
で、腐ってる部分を“整える”と──」
ひろしは軽く拳を握る。
スッ、と空気が震えた。
呪力の濃度が上下するような不自然な“味の波”が走る。
「こうなる」
「……(完全に術式……! しかも性質が読めない……!」)
ここに来て乙骨は確信した。
この男は、自覚なく術式を発動している。
“味読(みどく)”と“整味(せいみ)”。
明らかに呪力の作用だ。
周囲の空気がざわり、と揺れた。
「……来ます」
森林の影、建物の瓦礫。
その隙間から、何十体もの高速型呪霊が這い出してくる。
「こんな数……!
通常のコロニーの密度じゃない……これは──」
「……おい乙骨くん、すまない。
あれ、どう見ても“ランチ待ちの行列”だよな?」
「違います!! 殺されます!!」
「だろうな。
だが列の進みが悪いとイラつくのが男ってもんだ」
「(いや食事の話しかしてない……!)」
呪霊たちが一斉に飛びかかる。
「下がって──」
「ああ、任せた!」
といいつつ、ひろしは一歩前へ。
呪霊の咆哮を、まるで厨房の煙のように嗅ぎ取る。
「……焦げ臭ぇな。
火加減が強すぎるぜ」
次の瞬間──
ドンッ!!
ひろしの拳が呪霊の“最も味の悪い部分”を正確に殴り抜く。
呪霊は一点から壊れ、塩が弾けるように消し飛んだ。
「な……!」
「ほら、味が偏ってるだろ?
バランスが悪いと料理は崩れるんだよ」
「(料理じゃなくて呪霊です!!)」
二人の戦闘スタイルは噛み合いすぎていた。
乙骨の剣撃は高出力・直線的。
ひろしの攻撃は、まるで急所だけを“味で探る”天性の最適化。
どちらかだけなら押し負けていた数でも──
二人なら突破できる。
「ひろしさん、右へ!」
「任せろ! 右の“焦げ”はもう落としてある!」
軽口を叩きながらも、ひろしの拳は正確無比だった。
呪霊たちは次々と破裂し、まるで“出来損ないの料理”のように散る。
「……すごい……」
「おう、だが腹は減ったままだ。
このままじゃ昼メシに辿り着けねぇ」
「(なんでこの状況で昼メシ探す気満々なんだ……?)」
呪霊の波を突破した瞬間──
乙骨は異様な呪力の塊を感じた。
「……いまの呪霊の密度……明らかに誰かが
“寄せている”……?」
その時だった。
コロニーの奥から、
濃厚で粘ついた“魂の匂い”が漂ってきた。
「……む?
なんだこの……
“出汁を煮詰めすぎたような匂い”は……?」
「感じますか!?
あれは……強い術者がひろしさんを狙っている可能性があります!」
「……昼メシの邪魔をするってのか?」
「(マジで昼メシ基準なんだ……!)」
◇
深い霧の向こう。
視線だけが、ひろしを舐めるように追っていた。
空膳一饗(くうぜん いっきょう)──
魂を“料理する”術師。
既に仙台コロニーの術師の大半を“調理済み”の男。
彼は静かに、
ひろしの“味”に舌を鳴らしていた。
「……面白い。
なんと濃い“旨味”……
あれほどの一般人が存在するのか……?」
その口角がゆっくりと吊り上がる。
「──お前の魂は、最高の“主菜”になりそうだ」
霧が閉じ、ひろしはまだ気づかない。
乙骨だけが、その底知れぬ気配に震えていた。