許してください
仙台コロニーの廃ビル。
壁は抉られ、焦げた床には呪力の暴走痕。
それなのに──
ひろしは迷わずイスを引いて座った。
ひろし
「……よし、ここなら昼メシが食えそうだ」
乙骨
「いや食べないでください! まだ危険です!」
ひろし
「そりゃ危険かもしれんが……昼を抜くほうがよっぽど危険だ。
男は腹が減ると正しい判断ができん」
乙骨
「(この人、呪術より生活の話しかしない……!」)
乙骨はひろしの隣に座りながらも、
周囲への結界感知を切らない。
来る。必ず来る。
空膳の“気配”がまるで底なし沼のように広がっている。
だが──
当のひろしは本気で“昼メシを食べる場所”を探しているだけにしか見えない。
◇
乙骨
「ひろしさん。
一度、あなたのことを整理したいんです。
さっきの能力……どうして呪霊の“急所”が分かるんですか?」
ひろし
「急所? いや、“味”を見るだけだが」
乙骨
「やっぱり味なんですね……?」
ひろし
「食材ってのは、旨いところから崩れる。
腐ってる部分は味が“死んでる”から分かりやすい。
さっきの黒いやつも“水分の抜けた干物”みたいな味がしたから──
まぁ、殴ったら崩れた」
乙骨
(……いや料理じゃなくて呪霊なんだけど……
でも説明として成立してしまうのが逆に怖い)
ひろし
「それに俺は“昼メシの味”を守るのが使命だからな。
昼に変なもん食ったら午後の仕事に響く」
乙骨
「(一般人すぎる……!!
いや一般人じゃないのに一般人として成立してる……!)」
◇
「……乙骨くん。
あれは、なんだ?」
ひろしが窓の外を指した。
ビルの隙間。
焼けた地面に、奇妙な“白い線”が残っていた。
乙骨は息を飲む。
乙骨
「魂……の痕だ」
ひろし
「魂に痕なんてつくのか?」
乙骨
「普通はつきません。
でも“魂を切り分けるような術式”なら──
痕跡が残ることがあります」
ひろし
「魂を切り分ける……?
料理の仕込みみたいだな」
乙骨
「(それを自然に“料理”に例えるのやめてほしい……)」
乙骨は膝をついて痕跡を観察する。
魂の断面がまるで“鋭利な刃物でスパッと切られた”ような均一さ。
普通の呪術ではありえない。
乙骨
「これをやったのは……あの“空膳一饗(くうぜん いっきょう)”という男でしょう。
仙台コロニーの術師を……もう半分以上、“調理”したという話です」
ひろし
「半分“調理”って……
昼メシの味が狂いそうだな」
乙骨
「(たぶんそういう問題じゃないんですが……)」
◇
ふいに。
ひろしの鼻がピクリ、と動いた。
ひろし
「……乙骨くん。
この匂い……さっきと違う」
乙骨
「匂い?」
ひろし
「ああ。
出汁を煮詰めすぎて、
塩を焦がす寸前みたいな……
いや違う。
“何かを茹でた後の鍋の裏”だ。
苦味が強い」
乙骨
「(何その比喩……!!)」
乙骨が気配を探るよりも早く、
ひろしの“味読(みどく)”が反応する。
ひろし
「……来るぞ。
苦ぇ“風味”が近づいてる」
乙骨
「気配が読めるんですか!?」
ひろし
「味が見えるだけだ。
味は嘘をつかん」
乙骨
「(こいつ……本気で“味”で戦ってる……!!)」
◇
廊下の奥から、
ぬらり、と濃い呪力が漏れ出した。
影が歪む。
空間が波打つ。
何かがゆっくりと形を取る。
乙骨
「ひろしさん、後ろへ!」
ひろし
「おう。
だがさっきより匂いは弱いな……
“出汁の取り直し”って感じだ」
出てきたのは──
人間の形をしているが、
体の半分が“魂の断面”のまま固まった“料理された術師”だった。
乙骨
「これは……魂料理にされたプレイヤー……!!
空膳の仕込みの途中だ……!」
ひろし
「……なるほどな。
確かに“煮込みすぎ”の味がする」
乙骨
「(なんで味で全部説明できるんだこの人……!?)」
“魂料理の残り香”はひろしの味覚を刺激し、
その構造を一瞬で理解させる。
ひろし
「乙骨くん。
あいつは“左側が焦げてる”。
そこを叩けば崩れる」
乙骨
「……味でそんなことまで!?」
ひろし
「当たり前だろ?
料理に必要なのは観察と、
……そして昼メシへの情熱だ」
乙骨
「(結局そこに帰るのか……!!)」
◇
魂の断面から呪力が漏れ、
異形は突進してくる。
乙骨が構え──
しかし先に動いたのはひろしだった。
ひろし
「昼メシの邪魔をするなァッ!!」
振るわれた拳が、
魂の“焦げ”の一点に突き刺さる。
バチィィン!!
断面に衝撃が走り、
魂の回路が一瞬で崩壊した。
ひろし
「ほらな。“焦げ”を狙えばすぐ壊れる」
乙骨
「(いや料理じゃない……魂だ……魂なんだぞそれ……!)」
崩れゆく“魂料理”の残骸の奥。
新たな、もっと濃い“出汁”のような呪力が湧き出してくる。
乙骨
「……まだいます。
あれは──」
ひろし
「ああ。
今のは“味見用”だ。
本命は……まだ奥にいやがる」
乙骨
(空膳一饗……!
確実にひろしさんを狙っている……!!)
崩れ落ちた魂料理の残骸。
そこから立ち上るのは、鉄のように重い“苦味”の呪力の煙。
ひろしは鼻をひくつかせる。
ひろし
「この匂い……“煮過ぎた鍋の底”だな。
焦げの奥に、もっと深ぇ味がいる」
乙骨
(味で危険察知する人間なんて初めて見た……
でも、間違いなく正確だ)
乙骨は呪霊の痕跡を追い、ひろしは“味”を頼りに歩く。
二人の感覚が、奇妙なほど一致していた。
やがて、非常階段を降りた先──
壁いっぱいに広がる“調理紋様”。
魂を切り分けた痕が、不気味な料理書のように重なっている。
乙骨
「……空膳一饗は、ここで“下ごしらえ”を……」
ひろし
「ずいぶんと手間をかけてるじゃねぇか。
だが、雑味がひでぇな。
魂を扱うってのは、もっと丁寧に……」
乙骨
「いや丁寧さの問題じゃないです!!」
◇
壁の奥から、声が響いた。
「……面白い舌を持つ」
反射的に乙骨が刀を構える。
だが姿は見えない。
声だけが、ぐつぐつと煮える鍋の音のように重く、ゆるく広がる。
「魂を“味”で読む。
そんな術式は聞いたことがない……
もしや、お前──
特級の食材か?」
ひろし
「食材じゃねぇよ。
ただのサラリーマンだ。
昼休みを邪魔すんな」
乙骨
「(ひろしさん、その返しは挑発が強すぎる……!)」
声だけの存在は笑う。
「……ふむ。
“昼飯の流儀”か。
滑稽で、実に旨そうだ」
ひろし
「俺の流儀は“食って働く”。
てめぇの“調理”のせいで働く時間がなくなるのは困るんだよ」
乙骨
(いや働く働かないの問題じゃない!!
この人は本当に昼休みを中心に世界を見ている!!)
空膳の声は、ひろしに興味を示しつつも──
なぜかすぐに姿を現さない。
それが、乙骨には逆に嫌な予感を与えた。
◇
乙骨
「ひろしさん……この“香り”、広がり方がおかしいです」
ひろし
「ああ。
普通の煮込みじゃねぇ。
味が“散ってる”。
誰かを……いや、“何人も”料理してる」
乙骨
「……仙台コロニーの術師が半分減ったという噂。
あれ、嘘じゃないな」
ひろし
「そりゃ……昼メシが不味くなるわけだ」
乙骨
「(完全に違う問題に変換してる……)」
そのとき──
風が変わった。
魂の残り香とは別の、
鋭く、研ぎ澄まされた“鉄の匂い”。
乙骨
「……この気配は──!」
ひろし
「ん?
さっきより味が“辛口”になったな。
新しいヤツが来るぞ」
◇
非常階段の上部。
鉄骨を蹴り飛ばしながら影が落ちてくる。
真希だ。
真希
「乙骨! 生きてんじゃん!」
乙骨
「真希!!」
ひろし
「お……辛口の味の正体はあんたか」
真希
「誰だよその昼メシの感想みたいな認識!!」
乙骨
「真希、紹介する。
この人は“ひろしさん”。
一般人なんだけど、呪霊が見えて、
なぜか味で全部理解して、
魂料理も味で解析して、
魂の急所を味で殴って倒せる……」
真希
「いや一般人じゃねぇだろそれ」
ひろし
「俺は一般人だ。
昼にメシを食う。それだけの男だ」
真希
「(やべぇ、本気で言ってる……!!)」
乙骨
「真希、空膳が付近にいます。
声だけですが……かなりひろしさんに興味を持ってる」
真希
「は? 食べる気満々じゃんあの変態」
ひろし
「だろうな。
“味の構造”がこっちに興味津々だ」
真希
「味で会話すんな!!」
◇
突如、床がぐらりと波打つ。
魂の断面の壁が、ひとりでに動き出す。
乙骨
「……来ます!」
真希
「まったく、面倒な料理人だぜ……!」
ひろし
「味が変わった……今度のは“下ごしらえ完了”の匂いだ」
真希
「それ絶対ヤバい奴じゃん!!」
空膳の声
「……では、“次の皿”を味わうといい」
床が裂け、
魂で固められた“肉片の獣”が姿を現す。
真希
「チッ……乙骨、下がってろ!!
私が──」
その横を、ひろしが普通に歩いていく。
ひろし
「昼メシの邪魔は許さねぇ。
雑味は、取る!」
真希
「お前が行くのかよ!!」
乙骨
「味読がもう発動してる……!
ひろしさん、あれの構造が見えるんですか!?」
ひろし
「見える。
“旨味が詰まりすぎた部分”がある。
料理も呪いも詰め込みすぎると、
そこが壊れやすくなる」
真希
「いや料理じゃねぇんだが!!」
だが、ひろしの拳が魂の獣に叩き込まれた瞬間──
鮮やかに“急所”だけが砕けた。
乙骨
「……本当に味で見えてる……
この人、呪術というより“食の理”で戦ってる……!」
真希
「化け物かよ……!」
◇
獣が崩れ落ち、部屋が静かになる。
しかし──
空膳の声だけは、より深く、濃く、艶めいていた。
空膳
「……やはり“旨い”。
主菜に相応しい。
──ひろし。
次は、お前の“魂の下ごしらえ”だ」
ひろし
「丁寧にやれよ。
適当に料理されるのは気に入らん」
真希
「お前は何を許可してんだ!!」
乙骨
「空膳……完全にひろしさんを標的にしている……!」
空膳
「また来よう。
そろそろ“味の仕込み”が終わる頃だ」
声は遠ざかり──
その残り香だけが、濃い重苦しい“煮詰まり”の匂いを残して消えた。
ひろし
「……昼メシ食えなかったな」
乙骨
「そこなんですか……?」
真希
「……まぁ、いい。
この一般人(?)、たしかに戦える。
空膳の奴をぶっ叩く戦力にはなる」
乙骨
「真希、空膳の全貌を掴むには──
ひろしさんの“味読”が不可欠なんだ」
真希
「……本気で言ってんだな」
ひろし
「昼メシを取り戻すためだ。
俺は本気だぞ」
その目は、本当に“昼メシのため”だけに燃えている。
だがその純粋さこそが──
空膳を最も刺激していることに、
ひろし自身はまだ気づいていなかった。