仙台コロニー中央区──
そこは瓦礫と残響だけが残る、静寂の中心だった。
北海道にも似た鋭い冷気が流れ、その中央にぽっかりと空洞のような広場が広がっている。
ひろしたち四人はそこへ辿り着いた。
空膳の“におい”──魂の濃い煮詰められた香りと圧が、はっきり漂っていた。
秤が眉をひそめる。
「……ここ、マジで悪い。雰囲気が“殺す気だ”って言ってる」
真希は刀を肩に担ぎ、目を細めた。
「魂の濃さが異常。乙骨でもギリギリのレベル……かもしれない」
乙骨は静かに周囲を見渡し、ひろしの前に立って庇うように腕を伸ばした。
「ひろしさん……この先に空膳がいます。僕らが道を切り開きますから、絶対に油断しないでください」
だが、ひろしは違うものに集中していた。
地面に落ちていた砂をひとつまみ、指先でつまみ、軽く舐める。
「……これは……
昨日漬けたカレーが、一晩置かれて旨味が増したような……濃さ……?」
乙骨「ひろしさん!?なんで地面舐めてるんですか!?」
真希「だから一般人じゃないのよこの人!!」
秤「いや……これはこれで助かるんだよ……こいつ、味で危険度わかるから……」
ひろしは小さく頷き、
「“晩飯”の味だ……支配の味がする。
ここに……空膳がいる。俺の、昼飯哲学と正反対の……」
その瞬間──
ビリリリリッッ!!
空気が裂かれた。
四人の背筋を冷たい刃が走る。
黒く淀んだ“影”が地面から湧くように盛り上がり、
それがそのまま人の形を成していく。
長いコックコートのような黒衣。
顔は白磁のように滑らかで、目元だけが深い影となり、黒い炎のように揺れている。
その姿はまるで
“厨師”であり“死神”であり、
“魂を調理する存在”そのものだった。
──空膳(一饗)
「……ここまで、よく香りを辿ってきたな。
昼の哲学者にして……偽りのひろしよ」
声が低く、底冷えするほど滑らかだった。
語尾に余韻があり、聞くものの魂を揺らす。
ひろしは眉ひとつ動かさず、空膳を見据えた。
「昼飯……俺の昼飯を邪魔し続けるヤツだな。
お前の“晩餐の思想”……今日は、きっちり味を見せてもらうぞ」
空膳の口元だけがゆっくりと綻び、
美食家が至高の料理を前にしたような愉悦を帯びる。
「……その魂の輝き。
実に美味そうだ……
磨けば“至高の一皿”となる。
──ゆえに、私はお前を食らう」
真希が瞬時に間合いを詰める。
「やらせるかよ!!」
乙骨も続いて刀を抜く。
秤も坐殺博徒の構えに入る。
三人同時に飛びかかった──その瞬間。
パン……ッ。
乾いた音が広場に響いた。
空膳が指を鳴らしただけで、空気が反転し、世界が裏返ったような感覚が襲う。
床に並んだのは──
見えない“皿”。
皿の上から、黒い蒸気がふわりと浮き上がる。
乙骨「な……なんだ、この……っ!?」
真希「くっ……魂が……引っ張られて……」
秤「まずい……“魂料理”か!!」
三人の胸元から、
・苦味(殺意)
・酸味(恐怖)
・渋味(覚悟)
その三種がそれぞれ色として浮かび上がり──
見えない皿に“切り分けられていく”感覚が襲う。
空膳は一歩だけ歩み寄り、
指先で皿の“縁”を撫でるように動かす。
「この世界が恐怖している魂の皿……
さぁ、晩餐会の準備は整った」
乙骨「ダメだ……動け……ない──」
真希「魂……抜かれる……っ」
秤「くっそ……!!」
三人の身体がガクンと崩れ落ちる。
戦線、離脱。
その中心に、ひろしだけが立ち尽くしていた。
空膳の黒い瞳が、ゆっくりとひろしへ向けられる。
「さぁ──
晩餐会を始めようか、
偽りのひろしよ」
闘いは、ここから始まる。
乙骨、真希、秤──
三人が倒れた瞬間、広場には“異様な静寂”が訪れた。
風の音すら消え、
皿だけが、カタ……と揺れ
魂の蒸気だけが、ふわりと漂う。
ひろしは、ひとり立っていた。
空膳の黒いコックコートが風もなくひるがえり、
影のような視線が、ひろしの全身を舐める。
「……この三人は、前菜にすぎん。
だが──お前は違う。
ひろしよ。
お前の魂の“旨味”は……別格だ」
ひろしは拳を握り、深く息を吸い込む。
胸の奥で、“昼飯哲学”が熱を帯びていた。
それはまだ完全な術式ではない。
だが、確かにひろしの身体の奥で何かが動いていた。
ひろし
「……昼飯を馬鹿にするヤツの味は……全部、わかるんだよ」
空膳
「ほう……言ってみろ。
我が晩餐の、どの“味”に気づいた?」
ひろしはゆっくりと言葉を搾った。
「お前の魂……塩辛い。
焦げてんだよ。
支配欲で煮詰めすぎた“晩飯の味”だ」
空膳の影が、ピシリと揺れた。
一瞬──その顔に、“怒り”の微細な皺が走った。
「……面白い。
一般人にして味覚の天才。
その魂──やはり食い頃だ」
空膳が右手を上げる。
空膳
「──《魂包丁(こんぽうちょう)》」
空間が裂け、
黒い刃が空膳の手に収まる。
光さえ吸い込むような包丁──魂を切断するためだけに存在する具現化呪具。
ひろしの喉がひくりと鳴った。
だが、それは恐怖ではなかった。
昼飯を食べそびれた怒りだ。
ひろし
「……昼メシの邪魔をしたやつは、許せん」
空膳
「ならば──斬られながら言うがいい」
黒い影が地を這うように伸び、
空膳の姿が掻き消えた。
──速い。
ひろしは、反射だけで飛び退く。
すぐ横で、空間がスパッと切れた。
もし一歩遅れていれば、魂が砕けていた。
空膳(すぐ背後)
「避けたか……。
やはり面白い」
ひろし
「……昼休みのダッシュは得意なんだよ」
空膳
「意味がわからん」
次の瞬間──
空膳の黒い包丁が、三連続でひろしへ襲いかかった。
カッ、カンッ、ガッッ!!
ひろしは紙一重で避けながら、
空膳の動きを“味読”していく。
足の踏み込み、影の揺れ、包丁を握る角度──
そこに“味”がある。
(こいつの攻撃……
切っ先が辛い……
だが根っこにあるのは、塩辛さ……)
(晩飯の……支配の味だ!!)
空膳が歯を食いしばり、包丁を横薙ぎに振った。
空膳
「動きが鈍ったぞ、ひろし!」
ひろし
「鈍ってねぇ……
昼飯のリズムができただけだ!」
ひろしの身体に、
ふわりと温かい気流のような“調和の気配”が漂い始める。
空膳は一瞬だけ目を細めた。
「……それは……術式の兆しか?」
ひろし
「昼飯は心を整える儀式だ。
……戦いだって同じだろ?」
空膳
「戯れ言を!」
空膳がさらに深く踏み込んだ瞬間──
ドッ。
空膳の胸に、ひろしの拳がめり込む。
その拳には、
“支配されない心”の温度が宿っていた。
空膳
「……!?」
ひろし
「こっちは……昼飯の流儀なんだよ!」
空膳は数歩よろめき、初めて体勢を崩した。
怒りと興奮が入り混じった声が、広場に響き渡る。
空膳
「……いいぞ。
ひろし。
お前は──育つ。
至高の一皿へ、確実にな」
ひろし
「育てられる気はないね」
空膳が包丁を構え直す。
「では──晩餐会の“本番”を始めよう」
その背後で、
倒れた乙骨、真希、秤の魂が揺れる。
誰も動けない。
ここからは、本気の一騎打ち。
ひろしは拳を握り、
その先だけを見据える。
ひろし
「……昼メシを取り返すためだ。
絶対に負けねぇ」
二人の影が重なり合う。
昼と晩。
調和と支配。
偽ひろしと空膳。
──最終決戦の序章が、ここから始まった。