虐殺姫は可愛くありたい 作:クロプトケープ
夕刻の鍛錬場には、剣を振るう鋭い風切り音だけが響いていた。
砂塵がゆらぎ、汗の匂いが漂う中、第二皇子ユリウスは黙々と木剣を振り下ろしていた。
その動きは若さゆえの勢いだけではない。一撃ごとに守るという意志が凝縮されているかのようだった。
皇族ともなれば、よほどの事態でなければ自ら剣を振るうような状況は起こりえない。それでも彼は剣を振るう。
まるでいざという時の自分に言い訳ができないように、未来の自分を追い詰めるかのように。
もちろん、それはユリウスとて知らないはずがない。
むしろ知っているからこそ、彼は鍛えずにはいられなかった。
最近のユリウスは、朝から夜まで軍略書を片手に戦術から戦略までを広く学び、軍制の研究を続けている。
ただ読むだけでは足りず、古い軍制史を紐解いて前線指揮官の日誌を写し、失敗した戦例には何度も赤線を引く。
もちろん、先の戦役でのものもだ。なにしろ、その戦場を設計した本人が書いた戦記すらあるのだ。アッティカ王国との戦いでの戦術機動はユリウスにとって恐るべき緻密さと大胆さにあふれていた。
歩兵の進軍速度と補給馬車の容量、野営地の広さと衛生管理、軍団再編の制度設計。時に机の上で布陣図を組み替え、時に近衛の兵を捕まえて動作を実践させ、まるで戦場そのものを頭の中に構築するかのように学び続けていた。
そして兵站の数字を積み上げるたび、ユリウスの胸にはあの時の光景がよみがえる。
救えなかった街、遅れた補給、たった一つの判断がもたらした惨禍。そして、自らを使った殲滅戦。机に置かれた軍略書の余白には、己への戒めのように細かい注意書きがびっしりと記されていた。
「殿下、やりすぎは毒とも言います。少しはお休みを」
傍らで控える近侍が心配げに声をかける。
その声は今日だけで三度目だった。
しかしユリウスは木剣を止め、少しだけ息を吐き、だが振り返らない。
「……俺は、あれから国を守る義務がある」
額から汗が滴り落ちる。
木剣を握る手は震えてはいない。
だがその握りは、若者らしからぬ固い決意に満ちていた。
「誰もが覚悟を決めて戦っているのに、俺だけが恐れて逃げたら、誰が命をかけて戦おうか。軍の先頭に立つものは恐れていると思われてはいけないのだ。ただ、逃げださない覚悟が今の俺にはまだ……ない。」
そう呟く声は震えてはいない。
しかし、その背中には若き皇子だけが抱く孤独な焦燥が滲んでいた。
鍛錬に来た私は、夕暮れの静けさを裂くような声を偶然耳にした。
練兵場の空気を震わせるような、張り詰めた声音だった。
『軍の先頭に立つ者は、恐れていると思われてはならないのだ』
思わず足が止まる。
視線で合図すると、ヨアヒムと随行の騎士たちが息を潜めて耳を澄ませた。
「これは……先客がいるようですね」
私は囁き、ヨアヒムと顔を見合わせる。
彼の眉がわずかに跳ね上がり、不穏な予感を示していた。
声の主は、どうやら真剣な鍛錬の最中らしく、木剣の風を切る重い音が規則的に響く。音を聞くだけで鍛えられているのはよくわかるが、私の意識は別のところに向いていた。
「うーん、敵指揮官がこんな考えばかりだったら楽なのに。有利不利に関係なく面子のために会戦に応じてくれそうだし、挑発すれば包囲のど真ん中に突っ込んで来てくれそうだわ。そうは思わない?」
ヨアヒムはあからさまに青ざめ、私の袖を引いた。
「姫様、ここ帝都ですよ。物騒な発言は……。それに、組みしやすいのは確かですが、猪武者というだけでは」
「戦場で自ら戦術を縛る発言を喧伝する時点で無能よ。挑発に乗らなければ部下の信頼を失うし、乗れば軍が壊滅。完全に詰んでるわね」
淡々と分析したつもりなのだが、ヨアヒムはますます顔を引きつらせる。
「姫様、声が……声が大きいですって……!」
その時だった。
鍛錬場の中央から、空気を裂くほどの鋭い声が飛んできた。
「誰だ、そこでこそこそと話しているのは!」
響き渡る怒気と気迫。私はほんのわずか眉を上げ呟いた。
「あら、申し訳ございません。私も鍛錬に来たのですが……」
思わずそう声をかけた瞬間、鍛錬場の中央で木剣を構えていた青年が、こちらを振り返った。
金の髪が夕陽を受けて揺れ、その影が長く地面に伸びる。
第二皇子、ユリウス殿下。
そう言われると、さっき聞こえた気迫に満ちた声は確かに皇族としての威厳が滲んでいたもののようにも思える。
近くで見ると、彼は想像していたよりもずっと真剣な眼差しをしている。鍛錬用の鎧の下からは一朝一夕ではありえない、鍛えられた体つきが良く分かってなんだか、すごく素敵に見える。
そして、私が何より嬉しいのが鍛錬が共通の趣味だろうということだった。そう、鍛錬は最高のコミュニケーション。
干戈を交えれば、その人の性格も、考えも、ほんの少し垣間見える。私にとっては相手を理解するための、もっとも確実で、誤魔化しの効かない言語だ。
「殿下が鍛錬をされているなんて、とても素晴らしいと思います」
そう言うと、ユリウス皇子はびくりと肩を震わせた。
え……? なぜそんな反応を?
「すっ、素晴らしい……ですか」
声まで震えている。
褒めたつもりなのだけれど、どう伝わったのかしら。褒め方が悪かったのかもしれない。
「ええ! だって、自分を鍛えるというのは強さだけじゃなくて、責務への向き合い方そのものですもの。殿下のような方が鍛錬に励まれ、実戦の動きを研究していると知ると、国の未来も安心できますわ」
ここは度胸と思ってなれないながらもさらに褒めてみる。そしたら。
ユリウス皇子は、明らかに青ざめている。
本当に青い。さっきまで強い気迫を放っていた人とは思えないほど、動揺した顔をしている。金の髪の隙間から汗が滴り落ち、こめかみまで濡れている。
あら……もしかして、殿下も緊張しているのかしら?
そう思った瞬間、胸がどきどきと跳ねた。私も緊張していたから、なんだか嬉しくなる。
「えっと……もしよければ、その……手合わせなど、していただけたらと思ったのですけれど」
勇気を振り絞って言うと、彼は目を見開いた。
「て、手合わせ!?」
声がひっくり返り、ヨアヒムが後ろで「姫様ぁ……」と頭を抱えた。私としては最高の提案をしたつもりなのだが。
「はい! 打ち合えば、お互い理解しやすいといいますし。殿下がお強いのは先ほどの鍛錬でよくわかりましたし、ぜひ……!」
そう言いながら一歩近づくと、ユリウス皇子は一歩後ずさった。
……え、かわいい
ユリウス皇子、思っていたより繊細だわ。だけど、それは決して嫌ではない。私との関係を壊したくないという恐れが見て取れて、なんだかこちらまで頬が熱くなってくる。我ながらチョロいけど、これでいいのだろうか。
「ま、ま、待ってください姫。その、私は……」
彼は言いかけて詰まり、視線を逸らした。
どうしよう。
これ、もしかして本当に緊張しているのよね。皇子様だって、人と剣を交えることに慣れていないのかもしれない。
私も同じだった。ヨアヒムたちとは慣れているけど、それ以外の人とは交えることはまずない。せいぜいが敵を斬り伏せるときくらいだろうか。
緊張しているけれど、すごく嬉しい。だって今日は、思いがけない人と触れ合えるきっかけができたのだから。
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