虐殺姫は可愛くありたい 作:クロプトケープ
正直、止めるべきだったのだ。
だって、姫様は久しぶりの手合わせで完全にテンションが上がっていたし、
対する相手は姫様の
その時点で嫌な予感しかしない。
……が、ユリウス皇子は震える声で「や、やりましょう」と返してしまった。
この瞬間、私は敗北を悟った。
誰も幸せにならない未来が見えていた。ユリウス皇子も、姫様も、そして何より止められなかった私自身も。
そもそも、姫様は単騎でも普通に強い。本来なら、大公女としても指揮官としてあれほど剣や槍を扱える必要などどこにもない。にもかかわらず、磨けば磨くほど輝く天性の才と、戦場での異様な勘の鋭さをお持ちだ。
もちろん姫様はそれを頼んで暴れ回ることを匹夫の勇として戒め、専ら戦略立案や指揮へと意識を傾けている。だが一対一となれば話は別で、姫様を正面から倒せる者など、戦場広しといえどそうはいない。
それに、引くときは引いて守れるのが姫様の強みだ。格上相手にはとことん逃げに回って間合いに入らせない動きを徹底してくる。
しかし、姫様ご本人は、自分を強いとはまったく思っていない。
曰く、「雑魚傭兵十人すら同時に相手できないのだから強いなんて言えないわ」とのこと。
……いや、そもそも十人を同時に相手にできなければ納得できないという基準は、一体どこから来ているのだろうか。
もっとも、姫様のおっしゃりたいこと自体は理解できる。
総大将が敵兵を十人討ち取ったところで、戦局全体の趨勢が劇的に変わるわけではない、という意味なのだろう。
しかしながら、本来であれば、一般の兵士は敵一人を相手にするだけで生死の境をさまようものである。
それにもかかわらず、姫様は敵兵を、まるで木の枝でも折るかのように、次々と突き伏せていかれる。
その光景を目の当たりにした兵士たちは、姫様のどこをもって「強くない」と仰るのか理解できず、むしろ心の底から震え上がっていた。
ましてや、騎兵を率い、突撃の先頭に立たれる時の姫様といったら……。
あれほど楽しげに戦場を駆け抜けられる御方を、私は他に存じ上げない。
実際、大公国の内においてすら、姫様にはいくつかの不穏な二つ名が囁かれているほどである。
そんな姫様が、久方ぶりの手合わせともなれば、全力で、そして誰よりも愉しそうに武器を振るわれるであろうことなど、私でなくとも容易に予想がつく。
開始の合図とともに、姫様が飛び出した。
久方ぶりとは到底思えぬ鋭さで一気に間合いを詰め、足運びは軽やか、そしてその瞳は、もはや完全に獣のそれである。
これは、本気で斬るおつもりでは?
そう疑わせるほどの殺気が、はっきりと滲み出ている。
とても慣れない木剣で放てる迫力ではない。
一方のユリウス皇子はというと、皇子は皇子で、必死の形相で木剣を構えている。
……が、姫様の気迫に押され、明らかに後手に回っている。
汗を飛び散らせながら、ただひたすら後退を余儀なくされている様子だ。
それにしても。
姫様、これは……楽しまれていませんか?
どうにも、すぐに終わらせるつもりはなく、わずかに力を抑えつつ、相手をいたぶるに近い状態を敢えて続けておられるように見える。手合わせとなると顔を出す、姫様のいつもの悪い癖ではありませんか。
本当に続けるおつもりですか。いささか無茶が過ぎるのでは?
そう思い、あちらの側近へと目配せしようとした、その矢先だった。
姫様が、足元に転がっていた小石をひとつ掴み、何の前触れもなくユリウス皇子の顔めがけて投げ放たれたのである。
お世辞にも上品とは言い難いが、取り立てて危険でもない手。
これもまた、姫様なりの揺さぶり、ある種のコミュニケーションなのだろう。
だが、ユリウス皇子はそれを躱さなかった。
否、躱すのではなく、正面から、剣で受けたのである。
当然ながら、剣を顔の前に掲げたその一瞬、皇子の視界から姫様の姿は消える。
その隙を、姫様が見逃すはずもない。
容赦ない追撃。
……と見せかけて、踏み込む直前、細かな足技を絡める。
重心を支えていた足を、滑らせるように奪われ、ユリウス皇子の体勢は一気に崩れた。
ドサリ、という鈍い音。皇子は膝をつき、息を呑む。
その、ほんの一瞬。
姫様の木剣が、ユリウス皇子の口内へとあまりにも自然に。迷いなく。そして、流れるように。突きつけられていた。
「……まひりました」
口内に剣を突っ込まれたユリウス皇子のかすれる声が鍛錬場に落ちる。
私は顔を覆った。
終わった……よりにもよって皇子殿下に口内タップ……
おそらく、剣を振るう機会の偏りが原因なのだろう。
加減や綺麗な終わらせ方を忘れ、無意識のうちに最短かつ最確実な制圧手段を選んでしまったに違いない。というか、そのまま貫いていなくて本当に良かった……
一方の姫様はというと、はっと我に返ったように一瞬だけ焦りの色を浮かべ、すぐに剣を引き、満面の笑みを浮かべたまま、弾むように息を整えておられた。
「ユリウス殿下、お強かったですね! とても楽しかったです!」
……楽しかったのは、間違いなく姫様だけである。
ユリウス皇子はというと、虚空の一点を見つめたまま、魂が半分ほど口から抜け落ちたような表情で立ち尽くしていた。
私は静かに空を仰ぐ。
今日という日を、記憶から抹消しよう。そう、強く心に誓った。
手合わせを終えて数日たったころ、風の噂によるとなぜかユリウス皇子が鍛錬場に姿を見せなくなったそうだ。
「あら……私、何かやり過ぎたのかしら?」
そう呟いてから思い出したが、考えれば考えるほど心当たりが多すぎて困る。最初は単純な打ち合いでいいかと思っていたのに、久しぶりの刺激に楽しくなってしまってあんまり覚えていない。だけど、殿下の口内に木剣を突きつけてしまったのだから、殿下が気まずく感じるのも無理はない。
それに、他国から来た姫である私に、いくら怖がられているとはいえ、
負けるという出来事そのものは、やはり穏やかなものではないのかもしれない。
もっとも、私自身の感覚からすれば、強い相手に敗れることは、決して恥ではない。
それどころか、そうした相手と遭遇したうえで生き残ることこそ、大将に求められる、最も重要な個人技だと思っている。
無理に張り合って討ち取られるよりも「これは勝てない」と見抜き、さっさと退く。その判断ができるかどうかで、兵の生死も、戦の行方も大きく変わる。
だから、落ち込む理由が、私にはあまりよく分からないのだけれど……そのあたりは、立場や育ちの違い、なのかもしれないわね。
まあ、今度会ったら「また一緒に鍛錬しましょう」って言わなきゃ。だって手合わせは、私にとって一番大切な、仲良くなる方法なのだから。
そんなことを考えていたある日のことだった。
帝都で評判の良いらしい貴族令嬢、ルミナ様から私宛てに招待状が届いた。上質な香りのついた封蝋が施され、いかにも洗練された筆跡で名前が記されている。
「姫様、ルミナ様の午後の小茶会らしいですよ。帝都の若いご令嬢の間では、とても人気の集まりです」
侍女が手紙を差し出しながらそう説明する。
ルミナ・マグネシア。噂では、帝都の社交界を牽引する華やかな令嬢で、皇子たちとの噂もあったと言われるほどだとか。帝室とも近く、帝都近くの大領を収める一族の娘ということで、全く非の打ちどころが無いという。
帝都近くは流石に攻め込める距離ではないので知らなかったが、地図で彼女の一族の領地は帝都北方の要地を占めている。北方の蛮族への盾として重要な位置だ。故に、帝都に彼女がいることは帝都にとって重要なのだろう。
貴族令嬢たちとの茶会というのは礼法、会話、笑顔、所作が付きまとい、小さな行為一つで意図を判断されるという。聞く限りにおいては、それはまるで伝令の動きのみから敵軍の狙いを読み解く一流の武将のような観察眼だ。
そう思えば思うほど、私は自分がいかに礼儀作法を知らないかを痛感し、胸の奥がじわりと熱くなる。もちろん、大公国では曲がりなりにも姫をやっていたものの、華の帝都令嬢と比してはいくら何でも田舎すぎる。
「うーん、これでは少々飾りが少ないかしら?」
「姫様、こちらなどいかがでしょう?」
そういって、私は何とかドレスを選ぶのだった。
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