虐殺姫は可愛くありたい 作:クロプトケープ
帝都に、かの名高いアイメレア姫がいらっしゃる。その知らせを聞いた瞬間、私、ルミナ・マグネシアの胸は高鳴り続けていた。
それは単なる外交儀礼のための短期滞在ではなく、皇子殿下のどなたかに嫁がれる可能性があるという重大な噂まで流れてきたのだから、帝都がざわつくのも無理はない。
噂が飛び交う中には、混乱や恐怖を煽るものも少なくない。
その名が掲げられるだけで市場は浮き足立ち、軍人たちは恐れおののき、文官たちは会議を増やし、噂好きの奥方たちは恐怖で大騒ぎである。街角の酒場に至るまで、老若男女が姫の話題を口にしていたそうだ。
もっとも、公爵領一つが灰燼と化したとはいえ、アイメレア姫が帝国奥深くまで攻め込む理由などない。無人のフォキス公爵領は今度は帝国中枢へ攻め込むときの足かせになるし、帝国側が開戦理由とした国境で暗躍していた組織犯罪も同時に掃討されたことで、これ以上の戦争に双方が踏み込む可能性は低い。
とはいえ、アイメレア姫が敵としてではなく客として帝都に来られるなど、とてつもない僥倖であり、帝都に生きる者にとって歴史的な出来事だった。
私は普段こそ帝都風の振る舞いを心がけているが、帝都に根を張る官僚貴族とは価値観が根本的に異なる。
北方で蛮族と対峙するマグネシア領では、「野蛮であること」は即ち「生き延びるための力」であり、決して恥ではない。むしろ、力を示せぬ者は領民を守る資格すらない。
そんな環境で育った私から見れば、帝都で囁かれるアイメレア姫への扱いはあまりにもひどかった。恐れ、距離を置き、根拠のない噂に怯え、まるで猛獣か危険物でも見るように遠巻きにする。
私でなくとも、あの姫の武勲と指揮の冴え、何より戦の終結に奔走した功績を知っていれば、そしてあの勇敢さと気高さを理解していれば、畏敬こそ抱けどあれほど理不尽な怯え方はしないはずだ。
そして何より、私の心を掴んだのはアイメレア姫が書かれた戦記だ。
官僚が体裁を整えた公式文書ではなく、 姫自身が綴った自筆の記録。
そこには飾り気も虚飾もなく、戦場で走り抜けた思考がそのままの速度で刻まれていた。
勝利への道筋も、犠牲者への弔意も、そして指揮官として何を考え、どう決断したか、生々しいほどに赤裸々に書かれていた。
正直に言えば、それは壮絶だった。戦の残酷さが、冷徹な判断が、あるいは姫自身の葛藤が、読み手の胸を容赦なく締めつける。貴族令嬢の嗜みとして読むには、あまりにも重い。だが、私はそこにこそアイメレア姫の芯を見ていた。
あれほどの才能と武功を持ちながら、決して慢心せず、常に自らの選択を振り返り、時に自身の未熟を自らの手で書きつけてしまうほどの誠実さを持つ。
故国を守るためにどんな手を使っても目的を成し遂げる意志。現実を現実のままに受け止めて、非情なまでの判断を下す覚悟。
私は読み終えた瞬間、ただの憧れが、尊敬へと変わったのをはっきりと自覚した。
しかし、こちらから強引に近づけば、礼儀を失する。これでも帝都流の慎みは理解しているつもりだった。
だけど、ただ遠巻きに眺めて怯えるなんて私には耐えがたい。そんな態度は、アイメレア姫に対しあまりにも失礼だった。
だから私は、覚悟を決めた。彼女を正しく迎え、丁寧にもてなし、誤解を解き、帝都の令嬢たちにだけでも強さは恐怖ではなく尊敬を呼ぶものだと示すために。
実際にお会いしたアイメレア姫は、私が想像していた以上に、可憐で、そして力強かった。
陽光を受けてさらりと揺れる金の髪、湖面を思わせる澄んだ青い瞳。その美しさだけなら姫として当然……と言えるのかもしれない。
だけど、その眼差しの奥には研ぎ澄まされた知性があり、直立した姿勢には戦場を駆け抜けた者だけが持つ静かな迫力が宿っていた。
可憐さと力強さという相反するはずのものが同時に存在していて、しかもどちらも偽物ではない。
それゆえに、彼女の周りには圧倒的な威圧感が漂っていた。ただ立っているだけで、他の令嬢たちが半歩引いてしまうほどの存在感。
しかし、そんな気迫を纏う姫が、ふっと微笑んだ瞬間にまるで霧が晴れるように、場の空気が柔らかくなる。
私は、胸の鼓動をごまかすために小さく深呼吸をした。震えないよう意識しながら、スカートの端をつまみ上げ、丁寧に礼をする。
「本日はご足労いただき、誠にありがとうございます、アイメレア殿下。お時間を頂戴でき、大変光栄に存じますわ」
……声は震えていない。完璧。自分でも驚くほど冷静に聞こえる。
舞い上がっているようには見えないはず。
すると姫は、飾らない自然な調子で微笑み返してくださった。
そのあとのことは、もうあまり覚えていない。
気づけば姫と談笑していた。 最初は緊張で何を話したかさえあやふやで、多分質問攻めにしてたような気もする。けれど、姫はとても自然に会話の糸をつなぎ、私を含め、場の全員がふわりと安心して話せる空気を作ってしまう。
一度姫が微笑むと、それだけで恐怖がほどけていく。
姫が何気なく語る鍛錬の話、歴史書の話、故郷の風習。そのどれもが令嬢たちには新鮮で、みんなが次第に姫へと視線を向け、まるで物語の主人公に出会った少女のような目になっていった。
ただ、一つだけ強烈に覚えていることがある。
午後のお茶菓子として、とある果物が銀皿に盛られて運ばれてきたときのことだ。
その場の令嬢たちがと嬉しそうに話す中で、姫だけがふと動きを止めた。
一瞬、本当に刹那のこと。姫の横顔に影が差し、青い瞳の奥に、深い記憶の底を覗くような光が宿った。
……どうされたのだろう?
周囲は気づいていない。けれど私は、その変化を見逃さなかった。
だが姫はすぐに気づき、「しまった」というように微笑みを作り直した。
「ごめんなさい。ちょっと懐かしくて」
「懐かしい……?」
「ええ。かつて行軍中、唯一見つかった食べ物がこれだったことがあってね。あの時は、幾日も食糧が尽きかけていたから……この果物がどれだけ嬉しかったか、今でもよく覚えているの」
その口調は軽い。まるで小さな笑い話のように語る。
他の令嬢たちも「まあ、大変だったのね」と頬に手を当て、無邪気に同情の声を上げた。
だが、私は気づいてしまった。
姫は笑っていたけれど、その笑みの奥には何か別の感情が潜んでいた。行軍中に果物ひとつしか得られなかったという話だけでは説明できない。
もっと深い戦場の匂い、おそらく飢えと緊迫と、生死の境の記憶が、ほんの一瞬だが姫の中に蘇っていたのではないか。
それでもアイメレア姫は、すぐに明るい話題へと切り替え、周囲の空気を乱さぬよう気遣いを見せたのだった。
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