虐殺姫は可愛くありたい 作:クロプトケープ
騎士たちにとって、馬上槍試合とは名誉の場だ。
帝都では、大規模な一騎打ち形式のトーナメントが、ほとんど毎年のように開かれてきた。
若い下級騎士にとっては、名を売る絶好の機会。一度でも目に留まれば、仕官先が変わり、人生が変わる。
一方で、上級貴族にとっても「強さ」というものは軽く扱えない。血筋や財だけでは得られない求心力が、そこには確かにあった。
とはいえ、それはあくまで祝祭だ。
普段は顔を合わせることのない騎士たちが一堂に会い、競い、称え、酒を酌み交わす、張り詰める場面はあっても、空気そのものは、どこか緩やかなものだった。
そう。昨年までは。
原因は、誰の目にも明らかだった。
満面の笑みを浮かべて観覧席に座る皇帝陛下……ではない。人々の視線が集まっていたのは、その隣で静かに差配を行っている一人の姫だった。
あの戦いに参加した騎士たちは、誰もがその名を口にすることを、どこか避けるようになった。だから、いつしか「かの姫」というだけで、通じるようになった。
他国から来た一人の大公女。戦場を知り、裁定を下し、その視線ひとつで、空気の流れを変える存在。
本来であれば、名目上の役割にすぎない女主人の席。祝祭を見守り、微笑み、栄誉を授けるだけの位置。だが、かの姫の下では、それは違った。
一歩でも踏み誤れば、言葉ひとつ、振る舞いひとつで、いつ首を差し出すことになるか分からない。そんな、死の気配を孕んだ空間へと変貌していた。
トーナメントは、彼女によって支配されていた。まるで、戦場そのものを再現するかのように。もしくは神名裁判かのような厳かな雰囲気が漂っていた。
もちろん、他国から来た大公女が、試合に出ることはない。その点については、誰もが何度も皇帝陛下に確認している。疑いようもなく、間違いはない。
それでも。
開会宣言で放たれた、あの威圧。
あの瞬間、私をはじめ騎士たちは理解してしまったのだ。
今年の試合は、勝ち負けを競う場である以前に、かの姫の御前で、自らの在り方を試される場なのだと。
剣を交える前に。槍を構える前に。
一度、頭を垂れていた。
「そこまで、勝者、ローデリック・ハルツ殿」
審判の裁定に認可を与えるかのように、かの姫が一歩前に出て、穏やかに頷いた。
「ローデリック殿、見事でした。今日の勝利を讃え、これをお渡しします。どうか、ご自身の誇りとして受け取ってください」
そういって、名誉の証である剣章が騎士に授けられる。
美しく誇り高い姫が勝利した騎士に剣章を授ける。これだけ見るとまさに絵にかいたような馬上槍試合だ。騎士であればあの場に立つことに憧れないものなどいない。
普通なら。
しかし、通常と違うのはこのあとだ。
「ローデリック殿、見事でした。長物の扱いがとても丁寧で、間合いの取り方や槍の返しも美しかったと思います」
そう、まるで指南役かのように戦いぶりを湛え、そして時には指導するのだ。
「ただ……馬との呼吸が合わなくなる場面が、わずかに見えました。
戦場では、敵は一人とは限りません。一度突いたあとも、次へ視線を向けられると、さらに良くなるでしょう」
かの姫が柔らかく微笑む。
「その点を意識なされば、もっと伸びるはずです」
戦も知らぬ年若い姫に、このような言葉を向けられれば、怒りに震える者も少なくはないだろう。しかし、かの姫は……尋常の相手ではない。
自ら槍を振るって先頭に立ち、幾度も軍を率いて周辺国を圧倒してきた実績。
悪名高い虐殺と拷問によって振りまかれた恐怖。
そして何より、近づいただけで肌に伝わる、あの圧倒的な威圧感。
そんな相手からの指南となれば、どれほどの大金を積んでも受けたいと思う者は多いだろう。
武人としての実の本音を言えば、あのような指南を受けたいくらいだ。
第二皇子殿下が、かの姫と模擬戦を行ったと聞いたときなど、羨望を感じなかったと言えば嘘になる。もちろん、それ以上の憐憫の情を抱かざるを得なかったのは間違いない。
続いて、かの姫は視線を敗れた騎士へ向ける。
「エドガー・ブランシェ殿」
姫が名を呼び、静かに続けた。
「お若いのに、立派な戦いでした。踏み込みを恐れず、最後まで姿勢を崩さなかったところ、とても印象に残っています」
声が少しだけ和らいだ。
「今回は敗れてしまいましたが、名誉を失ったわけではありません。
今日の経験を、必ず次につなげなさい」
その言葉を受け、年若い少年騎士は、堪えていたものが切れたように涙をこぼした。
無理に踏み込み、落馬するという失態を犯した彼にとって、それは名誉を汚した咎として首を刎ねられてもおかしくない。そう覚悟していたのだろう。
だが実際には、かの姫はこれまで、誰一人として処分してはいない。姫を前に恐怖に耐えきれず、半ば錯乱した騎士ですら、名誉を保った形で収めてみせたほどだ。
意図的に、かの姫の神経を逆なでする。仮にそのような無謀とも言える勇気を持つ騎士がいたとしても、フォキス公爵領での戦いに赴き、露と消えていたに違いない。
その後も次々と試合が行われ、勝者には名誉を、敗者にも尊厳を与えながら試合は進む。
そして、かの姫によって私の名が呼ばれる。
「ラウフェンの領主にして騎士、ラウフェン家嫡子、アルト・ラウフェン殿――前へ」
まるで判決文の冒頭のように、感情を挟む余地がない。罪状と共に刑が宣告され多かのような錯覚すら覚える。
名を呼ばれた瞬間、私は一歩、足を踏み出しかけて止まった。かの戦いで処刑台へ向かう騎士たちが、皆こうして歩き出したのではないか、そんな考えが、頭をよぎる。
ただ次の試合の順番になっただけだ。それは分かっている。分かっているのに、背中に冷たい汗が伝う。
観衆のざわめきが、遠くなる。姫の視線が、確かにこちらを捉えている。
フォキス公爵領で見た光景が、否応なく重なった。並べられた首、その余りにも恐ろしい表情を思い出す。
違う。ここは処刑場ではない。
そう言い聞かせながら、私は歩き出す。
だがその一歩一歩は、どうしても「処分を受けに行く者」のそれに似てしまう。
姫は何も言わない。
ただ、静かに見ている。
それが、何よりも恐ろしかった。