虐殺姫は可愛くありたい 作:クロプトケープ
おかしい。もう数か月たっているのに、皇子たちとの距離がいっこうに縮まらない。
これだけの期間があれば、それなりの国が一つ滅びてもおかしくないというのに。三人のいずれとも攻略の糸口すら見いだせていない。べトンで固められた永久要塞でも相手にしているかのようだ。
しかし、そこに銃剣で突撃するのは上策とは言い難い。もっと、ソフトパワーを使うべきだろう。
「ねえ、ヨアヒム。確認したいのだけど……私ってお姫様よね」
書類を整理していたヨアヒムが、顔も上げずに答える。
「まあ、そういうことも可能ですね」
「どういう意味よそれ。それでいて、ここは敵国の首都で、私は嫁ぎに来ている。違うかしら」
そう、忘れていたが、こういう解釈は十二分に可能なはずだ。
「一応、和平は結ばれていますが。長い間、帝国とは敵国でしたね」
「そうよね。それで私が嫁ぎにきたのはその和平のためだわ」
「間違いありません。姫様が嫁ぐことで和平が実現できる、と大公様も仰っていました」
そうそう、つまりは私は和平のために身を捧げた姫ということだ。
「ある種、人質のようなものよね」
ヨアヒムは少し考える。
「……姫様が帝国にいることで攻められない、という意味ではそうでしょう」
「そして、結婚相手のはずの皇子たちから無体な扱いをされているわ」
ヨアヒムが初めて顔を上げた。
「どちらかというと、それやってるの姫様ですけどね」
と軽口を叩いてくる。いや、でも私の方が酷い扱いされている気がするけどな。
「細かいことはいいのよ」
私は身を乗り出した。
「要するに、私は敵国に和平のために人質として送られた小国の姫で、そこで酷い扱いを受けているのよ!!」
そうだったのだ。こんな可哀想な姫君なのに、どうして恐れられるのだろう。そんな扱いをされる姫なんて私は見たこともない。
「どう見ても無理がある気がしますけど……」
「名目上でもそうならいいのよ。これを物語にしたら、今の私に親近感を覚える人も増えないかしら」
私は椅子の背にもたれながら、天井を見上げた。
政治とは、しばしば事実ではなく物語で動くものだ。
ならば、その物語を自分で用意してしまえばいい。
ヨアヒムの表情が、ほんの少しだけ諦めの色を帯びる。
「異国で心細い姫。そこに敵国の皇子が現れて、やがて恋に落ちる。障害を乗り越えて結婚…………ほら、よくあるロマンスよ」
「誰も姫様をそんなか弱い姫だとは見ていませんけどね」
分かっているけど言われるとムカつくものだ。
「そこを物語の力でどうにかするのよ」
私は机を軽く叩いた。
「私に関して、変な英雄譚が出回るくらいなら、恋愛ものが作られてもいいはずだわ。そして書くのは私じゃない。ああいう英雄ものを書いている人を引っ張ってきて、書かせるのよ」
ヨアヒムはしばらく黙っていたが、やがてため息をついた。
「……作家を探せばいいんですね」
「そういうこと」
こうしてヨアヒムに作家を探させることになった。
見つかったのは、レスボス女男爵。二十歳ほどの若い貴族の女性で、どうやら私についての戦記を書いていたのはこの人物だったらしい。
もっとも、実際に私の前に連れてこられた彼女は、戦記を書いている人物というより、今にも処刑台に連れて行かれる罪人のような顔をしていた。
「あなたが、レスボス女男爵ね……そんなに恐れなくてもいいわ」
私が声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせた。
深く頭を下げたまま、ほとんど息を詰めるような声で言う。
「もっ、申し訳ございません。アイメレア殿下のことをあのように描写するなど……」
なるほど。
どうやら彼女は、自分の書いた戦記が原因で呼び出されたと思っているらしい。
「いいわ。あれはあれで、私の印象を良くしてくれているみたいだし、怒るほどのものではないわ」
私は手を軽く振って、その謝罪を退けた。
「残虐なのを書くのが難しいのはわかるわ。私も自分で書いてみて思うのだけど、実際のような迫力を出すのはなかなか難しいのよ。どうしても穏健な描写になってしまうもの」
女男爵の顔色が、さらに青くなった。
「あっ、あれで……実際よりも穏健なのですか……」
「姫様、余計なことは言わない方が」
横からヨアヒムが静かに口を挟む。
私は軽く肩をすくめた。
「分かってるわよ」
それから、改めて女男爵の方へ向き直る。
「それで、本題なのだけど。貴女には、とある物語の執筆をお願いしたいのよ」
「物語……でございますか?」
女男爵が恐る恐る顔を上げる。
まだ半分ほどは処罰を覚悟しているような表情だった。
「そう。戦記ではなく、恋愛ものよ」
私は指先で机を軽く叩きながら言った。
「内容は簡単。異国に人質として送られた姫が、その国の宮廷で孤独に暮らしている。
けれどやがて、その国の皇子が姫と出会うの!」
私は少し考え直す。
「そして皇子が姫に見染めるのよ。最初は警戒していた二人が、さまざまな障害を乗り越えて心を通わせ、最後には結婚する――そういう話」
女男爵は数秒ほど沈黙した。
おそらく、その数秒のあいだに頭の中で何かを必死に整理していたのだろう。
それから、覚悟を決めたように小さく息を吸い、
「……分かりました。やらせていただきます」
と答えた。
「ありがとう」
私は満足して頷く。
話が早いのは良い作家の証拠だ。
それから三人で、物語の設定を詰めていくことになった。
なにしろ余計なものが混ざっては困る。とくに物騒な要素は最初から取り除いておく必要がある。
「まず姫の人物像だけど、これは大事よ。姫は繊細で文化的な人物にしてちょうだい。趣味は……そうね、音楽と刺繍」
その瞬間、横でヨアヒムが吹き出した。
堪えようとはしているらしいが、肩が震えている。あまりにも露骨だったので、私は迷わず机の下から蹴りを入れた。
「痛っ……」
「静かにしてなさい」
ヨアヒムは顔をそむけたまま、まだ笑いをこらえている。
私は咳払いを一つして話を続けた。
「それから障害も必要ね。恋愛ものには障害がないといけないわ」
女男爵は必死にメモを取っている。
「例えば……そうね。敵国には姫を警戒する恐ろしい女将軍がいる。皇子に近づく姫を危険視して、いろいろ牽制してくるの」
女男爵のペンが一瞬止まったが、すぐにまた動き出した。
「それから宮廷政治も必要よ。宰相が自分の娘を皇子に嫁がせようとしていて、姫を排除しようとするの」
「……なるほど」
「でも最後には全部乗り越えるの。女将軍とも和解して、宰相の陰謀も退けて――皇子と姫は結ばれる」
私は満足して腕を組んだ。
女男爵は必死に書き留めている。ヨアヒムはまだ肩を震わせている。
だが私は構わなかった。
これはきっと、素晴らしい物語になる。そんな予感が、はっきりとあった。