虐殺姫は可愛くありたい   作:クロプトケープ

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第二十八話

作戦会議の天幕。

 

机いっぱいに広げられた地図を前に、私とヨアヒム、そして見学という名目で同行してもらっているユリウス皇子の三人だけが残っていた。

 

ユリウス皇子は椅子へ腰掛けたまま、なぜか一言も発しない。緊張しているのかもしれない。私は安心させようと笑顔を向けてみたが、皇子は慌てたように視線を逸らしてしまった。少しでも肩の力が抜ければいいのだけれど。

 

「決めたわ、ヨアヒム。やっぱりラリサよ。このラリサ川一帯が戦場として最適だわ。いろんな資料を見てきたけれど、結局ここ以上の場所はなかったわ。」

 

私は地図の上でラリサの街を指先で叩く。

 

マグネシア公爵領第二の都市ラリサ。

 

帝都方面から進軍するなら、兵站の維持、地形のいずれを考えても理想的な地点だった。近くに横たわるペネイオス川は十分な水量があり、マグネシアの街まで繋がると同時にラリサの側面を守っている。また、そこに注ぎ込むラリサ川は緩やかな丘陵の間に平原を作り出しており、決戦場としても適していた。

 

ヨアヒムはすぐに意図を察したようで、小さく息を吐く。

 

「しかし、そうなるといくつか問題があります。」

 

「そうね。」

 

私は頷く。

 

「第一に、ラリサまで敵を誘導するということは、マグネシア公爵領の大半を蹂躙させることになる。」

 

避難も間に合わないため、特に本隊がくれば今以上に被害を受けることになる。それに、敵に補給を与えてしまうのも厄介だ。先に偽旗作戦で焼き払うという手も、諸侯らがいるまでは使いにくい。

 

しかし、この北方では中途半端に勝っても意味はない。敵本隊を逃がせば、来年も再来年も同じことが繰り返される。

 

「第二に、敵がそこまで来てくれる保証がない。」

 

私は地図上で敵軍の進路を指でなぞる。

 

「まともな指揮官なら、ラリサに大軍が待ち構えていると知れば近寄らないでしょうね。別の場所を荒らして帰るだけだわ。」

 

ヨアヒムも同意する。

 

「はい。偽装退却にも限界があります。まして傭兵では演技など期待できません。偽装どころか、本当に敗走しかねません。」

 

そこについては腹案があった。先遣隊さえ決戦予定地まで引き込めれば、こちらのものだ。

 

その考えを口にしようとした時だった。

 

「本気で……ゴスティバル族の本隊を呼び込むおつもりなのですか。」

 

声を上げたのは、それまで黙って話を聞いていたユリウス皇子だった。

 

「あら、怖いのですか?」

 

少しだけからかうように尋ねる。こういうジョークが戦場の空気を明るくするのだ。

それにしても、以前、鍛錬場では「指揮官は恐れていると思われてはならない」と語っていた皇子とは思えないほど慎重な言葉だった。

 

けれど、それは決して悪いことではない。敵を恐れることもまた、将には必要な資質だ。現実の戦場を知れば知るほど、戦とは恐れるべきものだと理解する。

だから私は、その言葉をむしろ好ましく思った。

 

ユリウス皇子は静かに首を横へ振る。

 

「そういうことではありません。」

 

その表情は真剣そのものだった。

 

「かつて侵入したゴスティバル族は、北方一帯を荒らし回りました。それは帝国軍が敗れ、彼らを止める者がいなくなったからです。以来、帝国は防衛線を築き、先遣隊の段階で追い返すことを基本としてきました。本隊を呼び込むという発想自体が……危険すぎます。」

 

ユリウス皇子は続けた。

 

「それに彼らは我々とは戦い方が根本的に違います。決して正面から戦わず、距離を保ちながら矢を射続ける。追えば逃げ、止まれば射る。南方育ちの姫には、実感しにくいかもしれませんが……。」

 

私は思わず微笑んだ。

 

私はヨアヒムと目を合わせる。思っていた以上に的確な分析だった。敵の戦い方をよく理解している。そして、それを明確に説明している。

 

「だからこそ、敵に選ばせないの。」

 

その一言に、ユリウス皇子は少し目を見開く。私はラリサ川のほとりを指差した。

 

「北方蛮族は、自分たちが有利な戦場でしか戦わない。なら、その判断そのものを奪えばいい。餌を見せ、勝てると思わせ、追わせる。そして、逃げられない場所まで引きずり込んでから戦う。」

 

私は静かに地図を見つめた。

 

「敵が戦うかどうかを選ぶ限り、私たちは勝てない。だから今回は、敵に戦うことを強制するのよ。」

 

 

 

私が出した命令は単純だった。

 

傭兵隊から千人ほどを抽出し、ゴスティバル族へ仕掛けさせる。

もちろん、勝たせるつもりはない。

 

兵数も練度も、要塞にいるマグネシア領軍にすらはるかに劣る。野戦で正面から当たれば瞬く間に追い散らされるだろう。

 

だが、それでいい。いや、それが目的だった。

 

遊牧民は勝てる戦しか追わない。逆に言えば、勝てると思えばどこまでも追ってくる。要塞への攻撃に飽きてきたところに弱兵をちらつかせれば、かかるだろう。

 

敗走する敵を追撃し、戦果を広げることは、彼らにとって最も得意な戦い方なのだから。

要するに、偽装退却ができないなら、本当に敗走してもらえばいい。命惜しさに必死で逃げる者ほど、敵を自然と決戦場まで案内してくれる。

 

それに傭兵は、無駄死にを嫌う。だからこそ、生き延びるための逃げ方だけは誰よりも上手い。

 

そして何より、千人を囮として切り離しても本隊の戦力を維持できる。これもまた、大軍を動員できる帝国だからこそ可能な贅沢な戦い方だった。

 

指揮は百人ほどの傭兵を率いていた傭兵団長へ任せる。行軍中の統率力でなかなか見どころがあったのだ。

 

作戦を成功させた暁には、本人だけでなく配下ごと帝国軍へ召し抱えることを約束すると、彼は胸を叩いて請け負い、意気揚々と北東へ馬を進めていった。

 

「死ぬ気はありませんぜ、姫様。」

 

そんな言葉を残して。

生きて逃げることが仕事なのだから、むしろこれほど彼らに向いた任務もない。

 

 

帝都を出発して十六日目。

私は予定どおりラリサの街へ入城していた。

 

途中、山越えでは荷車の速度が落ち、物資を徴発する村が少なかったせいで、兵糧に多少の不安は生じたもののそれ以外に大きな支障はない。

 

行軍は驚くほど順調だった。

 

大公国やフォキス公爵領で経験した戦いでは、敵に焼き払われた農地や略奪された村ばかりで、現地調達など望むべくもないことも多かった。

 

それに比べれば、帝国内の街道は整備され、補給拠点も機能している。国力というものは、戦場で兵を増やすだけではない。戦う前から勝率を上げる力でもあるのだ。

 

さらに朗報は続いた。

 

残りの北方諸侯も予想以上の速度で軍を集め、続々とラリサへ向かっているという報告が相次いだのである。

 

「……こんなに上手くいって良いのかしら。」

 

思わず本音が漏れる。

 

今までは兵も物資も足りず、ないものをどう使うかばかり考えていた。

 

ところが今回は違う。兵は集まり、食料も届き、人夫も木材も不足しない。敵も大きいが、味方も大きい。必要なものを命じれば、本当に集まってくる。それだけで、戦い方そのものが変わる。皇帝から借りた軍官僚の優秀さもあって、兵站がきれいに回っていく。

 

私は到着するなり人夫を徴発し、木材の供出を要求した。

 

柵や逆茂木、土塁の準備。ラリサ川上流での工事。そして投石器やバリスタをはじめとする攻城・野戦兵器の製作。

 

工事を進めさせながら、私も毎日のように馬を走らせ、ラリサ川周辺の地形を確認して回る。 いよいよ、戦いが始まろうとしていた。

 

 

 






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