虐殺姫は可愛くありたい   作:クロプトケープ

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第二十九話

ラリサの街からはマグネシアの街まで川伝いに連絡を取りやすい。幸いにしてペネイオス川はそれなりの川幅があり、舟のない敵が川を抑えることは難しい。

 

この川があるからこそ、帝国は本格的な侵攻以外で北からの攻撃を凌いできた。そして、この川の唯一の橋のかかるラリサの戦略的重要性を高めていた。

 

そして、その川を通じてマグネシアの街からは帝国軍が海路経由で到着したとの連絡が入る。

 

「マグネシアの街へ伝達。」

 

伝令が姿勢を正す。

 

「海路の軽騎兵部隊は予定どおりマグネシア領北部へ上陸。公爵には現地の地理に明るい案内人を付けてもらいなさい。」

 

地図の北方を指でなぞる。

 

「狙うのは先遣隊についてきている敵の輜重隊と家畜よ。」

 

遊牧民にとって家畜は兵糧であり、財産であり、国家そのものだった。

 

羊も牛も馬も失えば、勝っても遠征は続けられない。さらに、非戦闘員もそこに残っている可能性が高い。戦闘員よりはるかに殺しやすいのだから、軍を正面から叩き潰すよりも効果的だ。

 

「奪って帰る必要はありません。焼ける物は焼き、家畜は散らし、運べない物資は全て壊しなさい。連れて帰ることより、一つでも多く敵へ損害を与えることを優先するようにと念押ししなさい」

 

さらに、念を押しておく。

 

「それから、敵主力がこっちに引き付けられたなら、マグネシアの街に送った重歩兵を用いて退路を断つようにと」

 

「はっ!」

 

伝令は駆け出していく。

 

 

 

 

 

天幕の中で諸侯や将軍たちを前に、私は大きな地図を机いっぱいに広げた。

諸将の視線が一斉に地図へ注がれる。

 

「これから作戦を説明するわ」

 

誰一人として口を挟まない。

 

それが、今の私には何よりありがたかった。

 

寄せ集めの軍では、作戦そのものより先に「誰が指揮を執るのか」で揉めることも珍しくない。諸侯はそれぞれ面子があり、将軍にも長年培った矜持がある。互いに意見を譲らず、軍議だけで半日が潰れることすらある。

 

しかし今、この場では誰も異論を唱えない。

 

皇帝が遠征についての全権を私へ委ねると宣言したこと、そして北方諸侯が従うと誓約書を送ってきたこと。その積み重ねが、この静寂を生み出していた。

 

だからこそ、この機会を無駄にはできない。

 

木製の指揮棒でラリサの街とラリサ川の間、街の前面へと続く緩やかな丘陵を示す。

 

「戦いの場所はここ、敵をここまで引き込んで叩き潰します。 」

 

いきなり結論から話す。それが軍議での私の流儀だ。

決戦を指向する私の言葉に天幕がざわりと揺れるが、私は構わず続ける。

 

「正面には諸侯軍の騎兵以外と傭兵半数、六千を配置します。」

 

視線をユリウス皇子へ向ける。

 

「総指揮はユリウス殿下にお願い致します。」

 

皇子はわずかに表情を強張らせた。もちろん、実際の細かな指揮は側近や将軍らが補佐をする。彼らに任せれば後ろから崩れて崩壊するようなことはないだろう。

 

皇子へ期待しているのは采配ではなく、帝国軍を率いる皇族という存在そのものだ。それだけで諸侯軍はまとまりやすくなる。逆に、一人の将軍へ全軍を預ければ、必ず指揮権を巡る軋轢が生まれる。

 

その点、皇子が頂点なら誰も異を唱えられない。

 

「正面軍は柵を利用し、防御に徹してください。勝つ必要はありません。敵がラリサ川を渡りきるまで持ちこたえること。それだけを考えてください。」

 

攻撃は私の軍がやればいい、彼らに期待するのは容易に崩されずに、引き付けておくことだ。バリスタや投石器もあるが、念のためといったところで効果は期待できない。

 

「そして敵が十分に渡河したところで……」

 

私は地図を叩く。

 

「ここです。ラリサ川の三か所の渡河点。北方諸侯軍のうち、ティルナボス侯、ペトリーノ伯、マラセア伯。」

 

三人の諸侯が前へ出る。

 

「各軍は上流へ潜伏し、合図の狼煙が上がり次第、それぞれの渡河点を占拠してください。」

 

三軍へ任務を分けた理由は単純だった。共同で一つの作戦を行わせれば、誰が指揮を執るかで必ず揉める。ならば最初から担当を分けてしまえばいい。

 

退路を完全に塞ぐ必要もない。敵から見れば、渡河点ごとに軍勢が現れたと思わせるだけで十分だ。

 

私は各軍へ通常より多く軍旗を持たせることも忘れなかった。兵は少なくとも、旗が倍あれば敵には倍の軍勢に見える。混乱した遊牧民が、それを冷静に数えられるはずもない。

最後に私は南側の丘陵に指揮棒を置いた。

 

「残る傭兵二千と、諸侯軍から選抜した騎兵は私が率います。丘陵の裏へ潜伏し、敵が正面へ食いついた瞬間、一気に側背へ突撃します。」

 

そこまで言って、私は将たちを見渡した。

 

作戦そのものは驚くほど単純だ。以前、大公国の軍を率いていた頃なら、ここまで単純な作戦は採らなかっただろう。あの軍は長年鍛え上げた精兵で、離れていても複数の部隊が寸分違わず連携できた。

 

だが、今ここにいるのは帝国各地から集まった寄せ集めの軍だ。命令系統も、戦い方も、価値観さえ違う。そんな軍に複雑な命令を与えれば、敵に敗れる前に味方同士で動きが噛み合わなくなる。

 

だからこそ、作戦は誰が聞いても理解できるほど単純でなければならない。戦場では、難しい作戦より、確実に実行できる作戦の方が強いのだから。

 

 

そして、今回は最悪の場合、私の部隊だけで中核を突き崩してしまえばいい。久しぶりに先鋒に立って、私が自分自身で敵陣をぶった切るのだ。

それを考えた場合、一万の兵というのは私には少し多すぎる。敵も分散して進んでくるのが明らかな以上、指揮しやすい数で連戦して叩き潰す方が合理的だ。

懐かしい……大公国でも最初はそうしていたのだ。

 

なにより兵たちには、来るべき本番の前に自分たちが勝てるという自信をつけてもらうことが必要だ。勝たせてくれる指揮官にこそ兵士も諸侯も従おうとする。それを目の前で見せつけてこそ、より直接的な指揮が可能になるというものだ。

 

 

 

 

 

 

私が手勢と傭兵を率いて丘陵の裏手、深い森の中へ軍を隠し終えた頃だった。北へ送った先遣隊が、テンペ平原の入口で敵と接触し壊滅したとの報が届く。

 

報告を持ち帰ったのは、あらかじめ傭兵隊へ同行させていた伝令騎兵だった。敵を確認した時点で離脱し、状況だけを持ち帰る役目を与えていたため、その情報の信頼性は高い。

 

「……予定どおりね。」

 

私は地図へ目を落とした。

 

勝つために送った部隊ではない。敵本隊を見つけ、引き付けるための部隊だ。壊滅そのものは織り込み済みだった。

 

だが、一つだけ気掛かりな報告があった。

 

「傭兵たちは四散したとのことです。」

 

「ええ。」

 

「一部はマグネシアの街を目指して南へ逃走。こちらへ向かわなかった者も少なくありません。」

 

私は小さく息を吐く。そこだけは計算どおりにはいかなかった。所詮は寄せ集めの傭兵である。南の川に向かって逃げてしまえば、マグネシア公爵が助けようと川を越えて援軍を出してしまうかもしれない。そこでぶつかられては、活餌にするための前提が崩れてしまう。

 

まあ、全員が同じ方向へ逃げるなど期待してはいけない。もっとも、本当に命を惜しんで逃げたのなら、それはそれで自然だった。

 

敵から見れば、「完全に潰走した」と映る。むしろ追撃を誘うには好都合かもしれない。

 

「……あとは天運ね。」

 

ここまで来れば、私にできることはもう多くない。敵がこちらへ来ることを祈るだけだ。

私は数騎だけを伴い、ラリサ川を見渡せる丘へ登った。報告のタイムラグを考えればそろそろ接近していてもおかしくない。

 

それにしても、正確な時刻を報告に添えさせていたころは楽だった。今回も、こんなに急な出発じゃなければ持ってきていたのに……

 

 

風が草を揺らし、遠くでは川面が真昼の太陽に鈍く光っている。対岸へ目を凝らす。しばらくすると、細い煙が一本、また一本と立ち昇り始めた。

 

村が燃えている。遊牧民は追撃だけでなく、集落を襲いながらこちらに向かっているらしい。ただ、あのあたりの集落の住民は早々に焼かれたか、逃げたかしているはず。戦果を求めればラリサの方に進んでくるはずだ。

 

彼らは餌に食いついた。問題は、どこまで喰いつくかだ。先遣隊だけを追って満足し、引き返すようなら、この作戦は失敗する。だが、略奪を続けながら進んでいるということは、少なくとも敵は進撃を止めていない。

 

援軍の先鋒の壊滅的な敗北というのは普通に考えれば、援軍全体が崩壊してもおかしくない状態だ。多少の嗅覚があれば、ラリサ前方に押し出して戦果を拡張したくなるはずだ。

 

 

「そのまま来なさい。もう少し。あと少しで、あなたたちの墓場よ。」

 

 





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