虐殺姫は可愛くありたい 作:クロプトケープ
ラリサ川は長い年月をかけて丘陵の裾を削り、その麓には東西幅数千歩ほどの平地が南北に長く広がっている。
私は大まかにその平地と丘陵の境目に沿って長く陣地を築かせていた。背後は丘陵、前面は平地、そしてその先をラリサ川が流れる。
本来なら天然の堀となるはずだったが、上流で堰き止めているため、この時の川は水量が大きく減っていた。もともと季節で水量が大きく変わる川だが、それにしても浅く。浅瀬では踝ほどの深さしかなく、軽騎兵なら何処からでも難なく渡河できる。
もちろん、それも計算のうちだ。敵には「容易に渡れる」と思わせなければならない。案の定、ゴスティバル族は勢いよくラリサ川を渡り始めた。ありがたいことに、こんな準備万端のこの場所で戦ってくれるようだった。五分に近い兵力が集まってしまったことで一抹の不安があったけど、ちょうどいい塩梅だったようだ。
先頭の騎兵が次々と渡河するが、相手は3万を超える大軍。数で互角か少し劣勢なこちらからは攻撃を仕掛けない。
すると、隊列を整えたゴスティバル族は、そのまま私の陣地へ向かって広がっていく。
そして、その最前列から一団が離れた。
黄金で飾られた旗が進む。老王ベリサデス。その左右を数百騎の近衛騎兵が固める。
私は同じように騎兵だけを従え、陣地を出て平原の中央へ馬を進めた。
互いの本隊を背に、数十歩の距離を隔てて馬を止める。北方の風が、私とベリサデスの間を静かに吹き抜けた。
「臆病風に吹かれて北へ逃げ帰るかと思っていたのだけれど。 一応案内を立てておいたのが、役に立って良かったわ。気に入ってくれたからしら。」
そう、道案内のために、子供を串刺しにして所々に置いたのだが、青筋を立てているところを見るに、気に入ってくれたようだ。蛮族は残虐に略奪をすることで有名なので、私程度では太刀打ちできないと思ったが、あまりアイディアもないので単純なものにしておいた。シンプルさこそが全てというのはまさしく至言だろう。
蛮族の王は険しい眼差しで私を睨み返す。
「小娘。残虐さで虚勢を張っても無駄だ。」
ベリサデスの老いてなお精悍な目が私の背後に築かれた陣地を見回した。
「城に籠らず、奇襲をするでもないその度胸は褒めてやる。だが、柵を並べ、土を積む。そんな細工で北方の勇士を止められると思うか。」
私は思わず笑みを浮かべる。
「勇士?笑わせてくれるわね。」
そう言って右手を静かに掲げる。
背後の陣では、逆さに掲げられたゴスティバル族の軍旗へ拘束されたディミトリウスたちの姿が、敵軍からもはっきりと見えていた。彼らには油を吸った藁を纏わせている。
「今すぐ降伏しなさい。」
私はベリサデスを真っ直ぐ見据える。
「そうしたら、あんなみじめな姿にはならないわ。」
一瞬、平原に静寂が落ちる。
ベリサデスは何も答えない。
その代わり、ゆっくりと剣を抜き放った。
当然だ。
私も投槍を左手に持ち、右手を下す。同時に、私の合図で捕虜に火が掛けられ、心地よい絶叫が開戦の合図となる。
「踏み潰せ!!」
「皆殺しにしなさい!!」
ベリサデスが剣を振り下ろし、ゴスティバル族に攻撃の開始を合図する。
私も同時に腕を振る。投槍は唸りを上げ、一直線に老王の胸を貫かんと飛ぶ。
「ぬうっ!」
ベリサデスは咄嗟に剣を振り抜いた。鋼と鋼が激しくぶつかり、火花が散る。
槍は軌道を逸らされ、そのまま地面へ突き刺さった。一方で、剣もベリサデスの手から離れる。
あの距離から反応するとは。年齢は重ねていても、北方を統べる王は伊達ではない。
「姫様、お下がりください!」
ヨアヒムの声が飛ぶ。
視線を上げると、ベリサデスの背後では近衛騎兵たちが一斉に弓を構え始めていた。この距離では、飛んでくる矢をすべて捌くことは難しい。
私は深追いをやめ、素早く馬首を返す。
「本陣へ!」
馬腹を蹴ると、背後で一斉に弦が鳴った。
矢が風を裂いて飛来する。
それを後続の騎兵が盾で受け止める間に、私は丘陵沿いの陣地へ駆け戻った。
「予定どおり迎え撃つわ。南から始めさせなさい!!」
私は旗を振って合図を送る。
南は丘陵がところどころ途切れ、騎兵が回り込みやすい切れ目がいくつも存在する。だからこそ、この数日の間、最も手を掛けたのは南側だった。
切れ目ごとに柵を築き、その背後へ長槍兵を配置する。さらに後方には重装歩兵を控えさせ、突破されたとしてもすぐ押し返せるよう軽騎兵まで置いてある。
最初の一手は軽騎兵を回り込ませて背後を取るような動きをさせることだ。もちろん、本格的な攻撃を加える気はない。こちらの駒を見せることで相手が回り込むのを断念してくれたらいいという程度だ。
そこ以外では、ひたすら敵の攻撃を受け止めるための指示を飛ばしていく。
「ティルナボス侯に伝えて! 丘を下りて、北から迂回しようとする敵の側面を牽制するように! マラセア伯は動かなくていい。そのまま丘を守って!」
「柵を引き倒されたら鉄杭まで下がっていいとペトリーノ伯に!!無理して維持する必要はないわ!」
旗が翻り、角笛が鳴る。
ゴスティバル族は予想どおり、軽騎兵を前面へ押し出してきた。
馬を駆けさせながら接近し、一斉に矢を放つ。こちらが反撃に移る前には馬首を返し、射程の外へ逃げる。その繰り返しだった。私が築かせた土塁と木柵がその大半を受け止めるが、それでも矢は柵へ突き刺さり、盾を叩き、時折兵士を傷つけた。
もちろん、こちらも好き勝手には撃たせない。
敵が寄せてきそうな地点にはあらかじめ弓兵を集中配置し、接近したところで側面の陣地から十字に矢を浴びせる。後方ではバリスタが唸りを上げ、巨大な矢が騎兵の列を貫いた。さらに投石器から放たれた石弾が土煙を巻き上げ、密集した敵の隊列を乱していく。
それでも遊牧民は崩れない。
矢を浴びせては離れ、別の場所へ現れては再び射かける。決して正面から勝負せず、こちらの綻びを探し続けていた。こちらも、その意図を察して兵を動かし続ける。
私は本陣の机へ広げた地図を見つめる。
その上には各部隊を表す駒が並び、伝令が入るたびに位置を動かしていく。
旗と狼煙、それに騎馬伝令。地形を頭へ叩き込んでいたおかげで、敵が動くより一歩早く命令を飛ばせている。今のところ、戦線に致命的な綻びはない。
もっとも、敵もまだ本気ではない。
こちらの陣形を探り、どこに綻びがあるのかを見極めようとしているのだろう。
私が期待していた落とし穴も、軽騎兵相手では決定打にならなかった。馬は速度を多少落とすものの、遊牧民は巧みに進路を変え、危険な場所を避けていく。機動力を削ぐことはできても、脚を止めるには至らない。
これでは足りない。あの王を、もっと前へ引きずり出さなければならない。
焦れて攻勢へ転じ、もっと多くの兵を送り込んでくる状況を作らなければ、この陣地は真価を発揮しない。
だからこそ、こちらも無理はしない。目的は敵を撃破することではなく、敵を誘い込むことだ。攻勢へ転じるその時のため、私は全軍のうちおよそ五千を一切戦闘へ参加させていなかった。
予備隊は、戦場で最も価値のある兵力である。疲弊した部隊との交代、突破口への増援、そして敵が均衡を崩した瞬間の総攻撃。そのどれにも使える切り札を、今この時に消耗させるつもりはなかった。