虐殺姫は可愛くありたい 作:クロプトケープ
本陣へ入ると、ナルセス将軍がすぐに戦況を報告してきた。
「敵の攻勢をどうにか抑えております。しかし敵主力の波状攻撃で徐々に押し込まれ始めて……」
地図の上には、敵味方を模した駒が並べられている。
私は一瞥しただけで頷いた。
「よく戦ってくれました。ここからは私が引き継ぎます。」
「はっ!」
ナルセス将軍が一歩下がる。
私は前方へ視線を向けた。
先ほど矢を浴びせていたゴスティバル族の騎兵は、こちらの射程外まで退いて隊列を整え直している。散っていた騎馬が少しずつ集まり、報告によるとその中央には一際大きな旗が揺れていた。
黄金で飾られた王旗。
ゴスティバル族の王、ベリサデス自らが率いる本隊だった。
どうやらこちらの左翼、北側を大きく回り込み、こちらの背後へ出ようとしていたらしい。ラリサの街の防備は固めてあるが、なにより左翼が崩壊すれば雪崩を打ってこちらが川に突き落とされる。落とし穴や空堀で多少は足止めが出来ているが、厄介な動きには変わりない。
その時だった。南方から泥にまみれた伝令が駆け込んでくる。
「南戦線、敵を川際まで押し込みました! 現在、中央軍と連携して包囲を進めています!」
私は小さく頷く。
「予想どおりね。」
数万もの兵が入り乱れる戦場では、全体の有利不利を正確に把握することは難しい。それでも数時間戦えば、どこが押し、どこが押されているかははっきり見えてくる。中央と南は、もう決着がつきつつある。
敵は背後に暴れるラリサ川と大河ペネイオス川を背負っている。
退路を失った軍勢は、逃げるより突破を選ぶしかない。だからこそ、あちらには予備隊まで投入した。重装歩兵も長槍兵も惜しまず送り込み、一刻も早く敵を殲滅させる。
そこで勝負を終えた兵を、そのまま北へ回せばいい。
翻って北は違う。
こちらは兵力が少ない。しかも鉄砲水の影響も限定的で、地盤の固い丘陵沿いは騎兵も十分動ける。
中央と南が崩れる前に北を突破し、こちらの背後へ出る。それが最後に残された勝ち筋なのだろう。だからこそ、中央と南が片付くまでこの戦場は動かしてはならない。
その間だけ、この六千近い敵主力をここへ釘付けにできればいい。
とはいえ、守るだけでは駄目だ。こちらが盾を並べて耐えるだけなら、敵も異変に気付く。
「なぜここまで守る?」
そう考えれば、南の危機を悟り、こちらを無視して離脱し、南に突っ込んで解囲しようとするはずだ。
そうさせてはならない。劣勢でもこちらも攻め続ける。敵が追撃を恐れる程度には反撃を繰り返し、この戦場へ意識を縛りつける。
それが、この北での戦いに与えられた役目だった。
自然と口元が吊り上がる。
「燃えてきたわ。」
思わず漏れた言葉に、将軍たちが苦笑する。
こちらの兵は、およそ四千。
その半数はナルセス将軍が率いていた傭兵。残る半数は北方諸侯が率いる軍勢だ。
対する敵は王直属の部隊を中核に六千を下るまい。
数では不利。
だが、この程度なら十分だ。
一万、二万を超える軍では、一人の指揮官の目が届く範囲にも限界がある。
しかし四千なら違う。部隊の動きも、兵の疲労も、敵の癖も、私自身の手で把握できる。私が一番得意な数だ。
敵が再び攻撃態勢を整えるまで、私は馬を進めて戦列を巡った。
槍を握る歩兵の肩を叩き、盾兵へ短く声を掛ける。
「よく持ちこたえたわ。」
「もう少しだけ踏ん張って。」
「焦らなくていい。私がいるわ。」
兵たちは疲労で泥まみれの顔を上げる。その目に、少しずつ光が戻っていく。私が馬を進めるたび、あちこちで槍が掲げられた。
歓声が波のように広がり、私は声に応えて静かに槍を掲げた。
「来たわよ。指定した場所に向かって……放ちなさい!」
号令と同時に、私が軽量化した投石器が一斉に唸りを上げる。腕木が跳ね上がり、石つぶてが高く弧を描いて戦場へ飛んだ。
狙うのは敵そのものではない。
こちらへ騎射を浴びせ、反転して離脱するゴスティバル族騎兵の退路だ。
新たに作らせたこの投石器は、城攻め用ほど巨大ではない。運搬を重視して小型化したため飛距離や命中精度では劣るが、その代わり展開が早い。
城壁を砕く必要はない。騎兵の隊列を乱すだけなら、拳ほどの石でも十分だった。
石つぶては敵騎兵の進路へ次々と降り注いだ。
直撃は少ない。
しかし、それで構わない。先頭の数騎が進路を変えると、その動きは瞬く間に後続へ伝わり、騎兵隊が波打つように乱れ始めた。
「今よ。」
私は迷わず次の命令を下す。
「ナルセス将軍に伝達!千を率いて全力で前へ突撃!」
角笛が短く鳴る。怒号とともに槍の列が走る。
進路を変えようとしていたゴスティバル族騎兵は、不意を突かれた。
左右へ散ろうにも、なお頭上から石が降り続ける。速度を落としたところへ、帝国軍の騎兵が横腹へ食らいついた。
槍を突き出しながら馬を寄せ、敵の進路をさらに狭めていく。
遊牧民は得意の機動戦に持ち込もうとするが、味方同士が互いの進路を塞ぎ、思うように広がれない。
「押し込め!」
こちらの騎兵は深追いせず、敵を逃がさないよう圧力を掛け続ける。
そして、その瞬間を待っていた。後方から駆け足で前進してきた歩兵隊が、乱れた敵騎兵の正面へちょうどぶつかった。
長槍が一斉に前へ突き出される。
進路を失った騎兵は十分な勢いを取り戻せないまま、その壁を前に急停止を余儀なくされた。
止まった騎兵は、もはや遊牧民最大の強みを失っている。左右から帝国騎兵が圧力を掛け、正面では長槍兵が一歩ずつ押し返す。後方ではなお石つぶてが断続的に降り注ぎ、敵は隊列を立て直す余裕すら与えられない。
「いい、そのまま押し潰しなさい。」
私は戦場全体を見渡し、小さく頷いた。
しかし、当然敵もそれを黙って見ているはずがない。乱れた中央を救おうと、左右から新たな騎馬隊が駆け出してくる。
土煙を巻き上げながら迫る二つの集団。
私は一瞬だけ目を細め、その動きを見比べた。右から来る部隊は進軍速度が揃い、隊列の乱れも少ない。先頭と後続の間隔も一定だ。命令がよく通っている。
「……あちらね。」
間違いない。
こちらから見て左へ向かってくる敵右翼。王直属か、それに準ずる精鋭部隊だ。中央での優位を確立するなら、まず彼らを止めなければならない。
「左翼を押し上げなさい。」
私は地図を指でなぞる。
「敵右翼を釘付けにするのよ。」
伝令が駆け出す。
「右翼はナルセス将軍の指揮下へ。中央の包囲を維持。そのまま殲滅を優先。」
そこまで命じると、私は馬首を敵の精鋭へ向けた。
「敵左翼は精鋭よ。私が対処するわ。」
槍を握る手に力が入る。
残された歩兵には中央の半包囲を維持させ、押し寄せる敵を盾と槍で受け止めさせる。
その間に私は直属の騎兵を率いて敵の横腹へ回り込む。
あちこちに配置してきたので、手元に残る騎兵は二百騎ほど。敵に比べれば、あまりにも少ない。
ただ、ここまで戦えば、敵も理解しているはずだ。この旗を倒せば戦況が変わる。そう思わせるだけでいい。
私という餌を見せれば、精鋭ほど無視できない。こちらを追えば中央への救援は遅れる。追わなければ中央が潰れる。
どちらを選んでも、こちらの思惑どおりだ。
「さあ、叩き潰しにいくわ!」
槍を前へ倒す。
鉄蹄が大地を叩き、土煙が舞い上がる。いよいよ決着の時が近づいていた。