虐殺姫は可愛くありたい   作:クロプトケープ

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第四十話

呼び出した諸侯たちに、何の褒美もなく帰れというわけにはいかない。

 

かといって、この大軍をいつまでも維持することもできない。

 

三万近い兵が一か所に集まっているだけで、毎日恐ろしい勢いで食料が消えていく。兵だけではない。馬に食わせる飼葉も必要だし、従者もいる。各地から徴発を続ければ、せっかく守ったマグネシア領を今度はこちらが食い潰すことになる。

 

だから、正面戦力が少なくなった今、半分程度は速やかに帰さなければならない。

 

問題は、どうやって帰すかだった。

 

諸侯は私の命令に従って兵を出し、実際に血を流した。それなのに、勝ったからもう帰って、では当然済まない。

 

普通ならここで恩賞を与えるところなのだけれど、私にはその権限がなかった。軍権こそ預けられているものの、まかり間違っても帝国諸侯へ領地や爵位を与える権利などない。

 

なにしろ私の公的な立場は、未だに外国から招かれた客将でしかないのだ。

 

戦場で獲得した馬や武具、財貨を分配する程度なら、総指揮官としての裁量でどうにでもなる。

 

けれど、相手が侯爵や伯爵ともなれば話は別だ。数百、数千の兵を連れてきた彼らに、馬を百頭やるから満足して帰れと言えるはずもない。まして、本格的な恩賞の原資になる土地は敵地の向こう側にある。

 

まだ取ってもいない土地を、ここはあなたにあげるわ。などと約束するほど私は無責任ではない。

 

敵王ベリサデスの首を帝都へ運ぶ役目を与え、それからユリウス皇子とともに凱旋させる。皇帝陛下の御前で直接戦功を報告する栄誉まで付ければ、それなりの褒美にはなると思っていた。

 

ただ、それだけで全員が納得するとも思えなかった。

 

そこで私は、参戦した諸侯を一人ずつ天幕へ呼び、直接話を聞くことにした。

 

何が欲しいのか。何に困っているのか。どこまでなら兵を残せるのか。

 

場合によっては陛下への上奏文に名前を添えてもいい。

 

その程度のつもりだった。ところが返ってきたのは意外な答えだった。

 

「もし殿下がお許しになるのであれば、一つお願いしたきことがございます」

 

そう切り出した侯爵は、少し言いにくそうに間を置いてから、持参していた地図を机の上に広げた。

 

「マルネ川より西側について、我が家の領地であると認める証書をいただきたいのです」

 

予想していなかった要求に、私は思わず首を傾げた。

 

「……それを、私に求めるの?」

 

戦功に応じた戦利品の増額だとか、帝都へ凱旋する際の席次だとか、その辺りを要求されると思っていた。

 

「先に言っておくけれど、私は帝国の諸侯に領地を与える権限なんて持っていないわよ。軍の指揮権を預かっているだけで、あなたたちの領地を安堵する権利も、領地争いを裁定する権利もない。私が証書を書いたところで、法的にはほとんど何の効力もないわ」

 

「承知しております。ですが、それでもお願いしたいのです」

 

「どうして?」

 

侯爵は地図の一点、マルネ川沿いに並ぶいくつかの村を指した。

 

「我が家とベルキア伯爵家は、長らくこの一帯の帰属を巡って争っております。私が軍を率いて北方へ出ている間に、伯爵が兵を入れれば、それだけで実効支配が成立しかねません」

 

そこでようやく、私は彼が何を求めているのか理解した。

 

「つまり、私に領地をもらいたいわけじゃないのね。あなたがここで戦っている間、留守を狙って境界を動かされないという保証が欲しい、と」

 

「その通りでございます。殿下の御名があれば、少なくとも今この時に境界を侵そうとする者はいないでしょう」

 

私は帝国の皇帝でもなければ、この地方を管轄する総督でもない。領土を安堵する権限もなければ、諸侯同士の領地争いを裁く裁判権もない。

 

私が紙に、「マルネ川から西はあなたの領地です」と書いたところで、それは法的には外国の姫が勝手に書いた紙切れである。

 

ところが、侯爵は真剣だった。よくよく話を聞いてみると、事情が見えてきた。

 

問題は今回の遠征ではなく、もっと前からなのだ。

 

帝国中央の権威が弱まって以降、辺境では諸侯同士の小さな争いが急激に増えていた。

 

川が流れを変えた。昔の境界石がなくなった。どちらの村がどちらの領主へ税を納めるのか分からない。森林の伐採権。放牧地。橋の通行税。婚姻によって飛び地になった荘園。数十年前の相続。

 

そういった小さな火種が山ほど積み重なっている。

 

以前なら帝国の役人なり、有力な大諸侯なりが間へ入った。

 

ところが中央の統制が弱まれば、それを裁く者がいなくなる。当事者同士で解決しようとしても、どちらも自分が正しいと言う。

 

そして双方が兵を持っている。放っておけば、村一つ、牧草地一つを巡る争いが、いつの間にか数百人を動員する私闘にまで発展する。

 

そんな状態で何か月も北方にいれば、帰った時には係争中の村に隣家の旗が立っているかもしれない。もし、そうなっていた時のために、私の名前が欲しいということだった。

 

そして、確かにそれは必要なことでもある。

 

「……分かったわ。相手も呼びなさい」

 

結局、私は係争しているもう一方の諸侯まで呼び出すことになった。

 

双方から事情を聞き、証文があるなら持ってこさせる。古い境界線を知る家臣がいるなら証言させる。過去の徴税記録も確認する。帝都で見ていた資料も思ったより役に立った。

 

そして、話を聞いてみれば、片方だけが一方的に悪いという争いは案外少なかった。

 

「では、マルネ川を境界にしましょう。ただし、この三つの村は東側。代わりに西側の森林については、これまでどおり双方に伐採権を認める。それでどう?」二人が顔を見合わせる。

 

しばらく考えてから、片方が頷いた。

 

「……私は異存ございません」

 

「私も、それであれば」

 

「じゃあ決まりね」

 

問題は、その「決まり」に何の法的根拠もないことだった。

 

仕方がないので、私は自分の名前と当事者二人の名前を記した証書を三通作らせた。

 

二通は双方へ。もう一通は帝都へ送る。

 

遠征軍維持の必要上、当事者双方の合意をもって暫定的にこのように処理しました。陛下におかれましては御追認を願います。

 

という形にする。

 

皇帝からすれば迷惑な話かもしれないけど、私が勝手に領土を与えるよりはずっといい。

 

何より、当事者が合意している話を追認しただけだ。

 

すると、これが思いのほか好評だった。

 

一件処理すると、それなら我が家にもと別の侯爵がやってくる。

 

気がつけば、戦場の地図を広げていた私の天幕には、今度は古い土地台帳と境界図と証文が積み上がっていた。軍を率いて蛮族と戦っていたはずなのに、なぜ私は川のどちら側の水車小屋が誰のものなのかを裁いているのだろう。

 

しかも、これが意外なほど効果を上げた。

 

中には、なぜか改めて私へ忠誠を誓う者まで現れる。

 

もちろん、私は帝国の正式な臣下ではないし、彼らも本来は皇帝の臣下である。だから忠誠を誓われても困るのだけれど、少なくとも軍をまとめる上では都合がいい。

 

「領地へ帰す兵はこちらで指定するわ。その代わり、騎兵と精鋭歩兵、それに経験のある士官は残してもらいます」

 

そんな要求にも、思っていたより素直に応じてくれた。諸侯にとっては、兵をすべて帰せるかどうかより、自分自身が領地へ戻れることの方が重要だったらしい。領主本人と徴募兵の大半を帰還させ、代わりに給金を受け取る騎兵や精鋭だけを遠征軍へ残す。

 

そうやって各軍から使える部分だけを抜き出していくと、寄せ集めだった帝国軍は少しずつ扱いやすい軍へ変わっていった。

 

最終的には、諸侯軍を中心に一万ほどを領地へ帰すことにした。これなら補給の負担もかなり軽くなる。代わりに残った兵は、これから北へ進むために必要な者ばかりだ。

 

とりあえず、兵力の再編については目処が立った。

 

 

 

そして帝都へは、ユリウス皇子に帰還してもらうことにした。戦場というのは過酷な環境で、そこで体調を崩して若くして亡くなるケースも多い。だからこそ、この勝利のタイミングというのはちょうどいい。

 

とりあえずの凱旋式を開ける程度の勝利ではあるのだから、ここで帰っても不名誉にはならないだろう。それに、ここから先は華々しい戦いより、あまり私のイメージに合わないちょっと血生臭く糞尿臭い後処理だ。そういうところだけを見て誤解されるのも悲しい。

 

凱旋式での見栄えのいい兵士は帝都に残った帝国軍を使ってもらうとして、中身は再編も難しい軍や傷ついた傭兵も多い。彼らには帝都での名誉が与えられないといけない。

 

そういうわけで、戦勝の報告とともに、ゴスティバル族の王ベリサデスの首も送る。踏みつぶされてボコボコだが、まあ多分大丈夫だろう。

 

本当なら私自身も凱旋した方が見栄えは良かったのだろうけれど、北方遠征を中断するわけにはいかない。体調の優れないユリウス皇子には悪いけれど、帝都で私の代わりに勝利を宣伝してもらうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

そして数日後、皇帝から返書が届いた。

 

内容を読んで、私は少しだけ眉をひそめざるを得なかった。まず、私が行った軍の再編と諸侯間の裁定については、ほぼ全面的に追認された。

 

それだけではない。北方遠征が終結するまでの間、帝国北部に展開する諸軍について、改めて私へ全軍の指揮権を委ねるとある。さらに、その権限に見合う身分として、大公の称号まで与えられていた。

 

もっとも、領地を伴うものではない。帝国に昔から存在する大公家と同じ権利を与えられたわけでもなく、北方遠征軍を統率するための名目的な称号に近かった。

 

それでも、意味は大きい。少なくとも遠征中については、帝国の名において諸侯へ命令を下せる。これまで私が半ば勝手にやっていたことを、皇帝が正式に認めてしまったのだ。

 

「……これ、思っていたより大事になってない?」

 

ヨアヒムは返事をしなかった。ただ、非常に言いたいことがありそうな顔をしていた。

 

さらにありがたいことに、文官の増員も認められた。むしろ私にとってはこちらの方が切実だった。

 

軍が万を超えれば、戦う人間だけではどうにもならない。兵糧の帳簿、戦利品の分配、捕虜の名簿、馬匹の管理、諸侯への命令書、負傷兵の記録、道路工事の人員割り当て。

 

さらに最近では、なぜか土地争いの裁定記録まで加わっている。戦争に勝つより、書類との戦いの方が終わる気配がなかった。帝都から派遣されてくる官吏には、軍需を扱える者だけでなく、土地台帳や徴税に詳しい者も含まれているという。

 

それを読んだところで、私はようやく安心した。これで、ようやく地盤が固まったと。

 

 





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