虐殺姫は可愛くありたい 作:クロプトケープ
アイメレアが周辺国を叩き潰す以前の大公国は、控えめに言っても崩壊寸前だった。
すべての始まりは、先代大公、私の祖父によるロクリス公国征服である。
北方のロクリス地方を併合したことで、大公国はロクリス川を通じて東の海へ直接アクセスできるようになった。交易路としても軍事上も極めて重要な土地であり、その獲得自体は大きな成功だった。
しかし、その代償もまた大きかった。
まず、テッサリア帝国との国境線が大きく伸び、最南端を守るフォキス公爵と直接利害が衝突するようになる。ロクリス攻略の際に、一部の諸侯がフォキス領から物資を徴発したこともあり、緊張が高まる。
さらに、大公国の東方進出を警戒したエウボイア連合諸都市とも関係が急速に悪化した。南には古くからの宿敵アッティカ王国。西では勢力を拡大したコリンティア族が交易路を脅かし、西方との海上貿易は次第に妨害されるようになっていた。
つまり、大公国は四方すべてを敵に囲まれたのである。
そして、その最悪のタイミングで、八十歳近くまで国を支えてきた祖父が急死した。父はすでに戦死していたため、私は若くして大公位を継承することになる。
その混乱に乗じて反旗を翻したのが、祖父からロクリス伯爵に任じられ、ロクリス一帯の統治を任されていた叔父だった。
叔父は西ロクリスの割譲を条件にフォキス公爵と手を結び、大公国へ反乱を起こす。
祖父が鍛え上げた将兵はすり減りつつも、崩壊は免れていた。そのおかげで、公都テーベ周辺だけは何とか守り抜くことができたが、それ以外は次々と火の手が上がっていく。
南ではアッティカ王国が混乱に乗じて国境地帯への侵攻を開始し、現地諸侯を取り込みながら北上してくる。
東ではエウボイア連合諸都市、西ではコリンティア族が略奪を繰り返した。
こちらには援軍を送る余裕などない。助けが来ないと知った東西の諸侯は、生き残るために敵勢力へ庇護を求め始める。昨日まで味方だった領主が今日は敵となり、明日には別の勢力へ寝返る。
誰が誰を裏切り、誰が誰と結んでいるのか。戦況は日に日に複雑になり、もはや一人の人間が把握できる状態ではなかった。大公国そのものが、無数の小戦争へ分裂し始めていたのである。
それを制御する力は、当時の私にはまだなかった。
もっとも、大公国が完全に滅びなかったのは、私の力ではない。
叔父のロクリス伯爵とフォキス公爵は、戦後の領土分配を巡って早々に仲違いし、自ら争い始めた。
南から侵攻していたアッティカ王国軍も、今度はコリンティア族から補給線を襲われ、十分な兵糧を維持できなくなる。
敵同士が互いの足を引っ張り合った。その偶然だけが、辛うじて大公国中央部の支配を維持させてくれたのである。
それをすべて叩き潰していったのが、アイメレアだった。
あれほど複雑にもつれた情勢を解きほぐすのに必要だったのは、外交ではない。
単純で比類なき軍事力だった。
かつて偉大な大王が、誰にも解けなかった結び目を剣で断ち切ったように、アイメレアは大公国内に存在する敵を、一つずつ力で排除していった。
叔父のロクリス伯爵。フォキス公爵に通じた諸侯。南へ寝返った領主。略奪を繰り返す東西の勢力。
誰が敵で誰が味方かなど考えない。抵抗する者は敵。恭順する者は味方。
その基準だけで、混乱を一つずつ整理していった。
見せしめも躊躇わなかった。串に刺された死体。街道沿いに並ぶ首。耳や鼻、指を積み上げた戦勝塚。恐怖そのものを秩序へ変えていったのである。
やがてロクリス伯爵は討ち取られ、大公国内から武力で対抗できる敵は姿を消した。
裏切った領主の多くは処刑され、その領地には公都から官僚が派遣される。皮肉なことに、それまで諸侯が好き勝手に治めていた土地は、この時初めて大公家が直接統治する地域へ変わっていった。
私がやったことなど、ほとんどない。
飢えた土地へ戦利品を分配し、商人と交渉し、各地の復興を進める。そんな平時の仕事ばかりだった。
……いや、違う。
正直に言えば、それすら大したことではない。私は幼さの残る娘へ、国の命運を預けてしまった。
私の仕事は、各地から届けられる敵将の首を検分し、戦果を確認することだけだった。
だから私は、二つのことを恐れていた。
一つは、父親としての恐れだった。
私が不甲斐なかったせいで、娘は戦場だけで育ってしまった。
人を殺すことへあまりに迷いがない。処刑すら事務仕事のように命じる。部下と談笑しながら敵兵を拷問していた、などという報告まで届いている。
父として、それが正しかったとはどうしても思えない。もし戦争さえなければ。もし私がもっと強ければ。あの子も、普通の娘として笑って暮らせたのではないか。そんなことを考えずにはいられなかった。
もう一つは、大公としての恐れだった。
実質的に、大公国を治めているのはアイメレアである。
それ自体に不満はない。国を救ったのは紛れもなくアイメレアなのだから。しかし、危機を乗り越える才能と、平時に国を治める才能は同じではない。
恐怖は国を統一する。だが、恐怖だけでは国は続かない。人は従う。しかし、いつか必ず憎む。歴史は何度もそれを証明してきた。
そして、もう一つ避けられない問題があった。
私が死ねば、法の上ではレオンが大公位を継ぐ。
今は姉弟の仲は良い。
だが、大公となったレオンが、英雄アイメレアを抑えられるとは思えなかった。互いに千や万の部下や領民を抱えて友好を維持できると考えるほど、私は夢想主義者ではない。
逆にアイメレアへ位を譲ることを考えても、レオンは正統な男子継承者である。本人にその気がなくとも、不満を抱く諸侯や外国勢力は必ず彼を担ぎ上げるだろう。
アイメレアは強い。しかし、それは今だからこそだ。
いつまでも無敵ではいられない。まして、その子の代になればなおさらである。
その時には、かつて私とロクリス伯爵が争ったように、アイメレアの子とレオンの系統が互いに正統性を主張し、大公国を二分する内戦が再び始まるかもしれない。
ようやく終わらせた悲劇を、次の世代で繰り返すわけにはいかなかった。
だからこそ、アイメレアを継承争いそのものから切り離す必要があった。
唯一の方法が、帝国への輿入れだった。アイメレアを帝国皇族の一員とし、大公国の継承権から遠ざけるのだ。
もちろん、それだけではない。
アイメレアによって帝国軍は何度も敗れ、帝国の権威は大きく傷付いていた。辺境諸侯は中央を軽んじ、各地で秩序が揺らぎ始めている。このまま帝国が弱体化すれば、その混乱は必ず大公国にも及ぶ。
一方、大公国もまた、これ以上戦争だけを続けられる状況ではなかった。戦場では勝ち続けていても、国家は剣だけでは成り立たない。交易が止まれば塩も鉄も不足し、職人は離れ、財政は疲弊する。外交を失った国は、軍事で勝っていても、いずれ経済で敗れる。
だから私は、帝国との婚姻を選んだ。
帝国には権威を、大公国には平和と交易を。そしてアイメレアには、大公国の内戦を二度と起こさせない居場所を。
それが、父として、そして大公として、私に残された唯一の選択だった。
ただ、一つだけ私の計算違いがあった。
帝国でアイメレアと皇子たちの相性を見極めるために設けた猶予期間。
本来ならその間に互いを知り、誰が一番相応しいかを判断するはずだった。ところが、その期間は皇子たちがアイメレアを恐れる時間になってしまったらしい。
誰一人として積極的に近づこうとはせず、気付けば縁談の話より軍事の話ばかりになっていたという。
そして挙げ句の果てには、帝国軍をアイメレアが率いて北方遠征へ向かうことになった。
……どうしてそうなる。
思わず天を仰ぎたくなった。
あの皇帝のことだ。私情に流されず、国家の利益だけを見て決断できる若者を好む。アイメレアのように感情より責務を優先する人間は、まさしく皇帝の好みそのものだろう。
だからこそ安心して娘を送り出した。あの皇帝なら、アイメレアを正しく導けるかもしれない。そう信じていた。
だが……軍を預けたということは話が違う。
あの娘は、軍を預けられたら軍を率いる。軍を率いれば勝つ。勝てば兵は従い、将は頭を下げる。諸侯はアイメレアを恐れて進んで従い、傭兵たちは敵になることを避けて逃げ出す。
気付けば誰よりも大きな権威を手にしている。大公国がそうだった。帝国でも、きっと同じことが起こる。
数年もすれば、帝国はアイメレアを中心に回り始めるかもしれない。それでも皇帝が健在なうちは恐らく問題ない。
だが、その先は分からない。
「……せめて。」
私は苦笑しながら窓の外を眺めた。
「昔の大王のように、地の果てまで征服しようなどとは思わないでくれ。」
あの子なら、本当にやりかねないのだから。
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