虐殺姫は可愛くありたい 作:クロプトケープ
北方の蛮族に対する相次ぐ大勝利の報に、帝都は湧いていた。
これまでは南方のボイオティアから敗報が届くたび、街には新たな徴募や臨時の徴税を恐れる声が広がっていた。酒場で威勢よく語られていた雪辱の話も、いつしか聞かれなくなっていた。そこへ、フォキス領での恐ろしい噂が伝わってきた。行商人の話に耳を傾けていた者が途中で口を閉ざし、家へ帰ってからも、聞いたことを妻や子供に話すのを躊躇う。そんな日々が続いていたのだ。
それだけに、久しぶりの勝報を、人々は待ちわびていたものとして迎えた。
初めのうちは、誰もが話半分に聞いていた。北の蛮族に勝ったと言っても、押し寄せた一団を追い払っただけではないのか。冬になればまた来るのではないか。これまでにも勝利を祝ったことはあったが、それで北辺の悩みがなくなったわけではなかった。
ところが、数日も経たぬうちに次の報せが届き、その後も続々と勝利が伝えられる。
敵の大軍を破った。奪われていた土地を取り戻した。逃げた蛮族をさらに追い、今度はこちらから敵の領分へ踏み込んだ。
布告を読み上げる役人の周りには日ごとに大きな人垣が出来、後から来た者が何事かと尋ねると、聞き終えたばかりの者が、自分の手柄のように得意げに説明した。
もちろん、その指揮を取っているのが、あの虐殺姫であるというのは、素直に喜べる話ではなかった。
フォキスの噂を思い出して顔を曇らせる者もいた。アイメレア姫の名が出た途端、話に加わらなくなる者もいた。しかし、勝報を聞いている間は、その恐ろしさにも少し違った意味が生まれた。あの姫が、今は蛮族を相手に戦っている。帝国の兵を率い、帝国の土地を取り戻しているのだ。
敵にするよりは、遥かに良い。
誰かが口にしたその言葉は、次第に街のあちこちで聞かれるようになった。
「アイメレア様は商人には優しいそうな。押し買いにあった商人が訴えたところ、翌日には犯人は晒し首になっていたとか。今なら蛮族の珍しい物品を安く買えるから行ってくると、知り合いの商人が言っていたな」
市場の店先でそんな話が出ると、品物を並べていた主人が手を止めた。軍勢が来れば物が売れる。だが、代金が払われるとは限らない。武器を持った相手に品を持っていかれ、文句を言えば殴られる。商人たちにとっては、遠い土地での戦の勝ち負けより、よほど身近な話だった。
その日のうちに、姫は商人を大切にするという噂が、別の通りの店先でも語られていた。
「ラリサでは敵の首が取れすぎて、それで塔を作ったら城壁より高くなったとか。嘘じゃねえ、北から帰ってきた薬売りから聞いたから間違いねえ」
酒場でそう言い張った男は、杯を置いて、自分の頭よりも高く手を上げた。城壁の高さには到底足りなかったが、聞いていた者たちは、その手の先を見上げて笑った。
そんな数の首を誰が数えたのだと茶々が入り、薬売りも随分と大きな薬を売りつけたものだと、また笑いが起こる。それでも、実際には大した勝利ではなかったのだろうと言う者はいなかった。
城壁より高いというのは大袈裟にしても、それほどまでに敵を討ち取ったのだろう。聞き手は皆、自分の納得するところまで話を小さくし、それでも十分な大勝利として受け取っていた。
「なんでも、アイメレア様が手を振ると洪水が起きて、蛮族の半分はそれで死に絶えたとか。残りの半分は全て斬り殺したとか」
こちらの話には、さすがに話し手まで笑っていた。
姫はいつから川の神になったのだと誰かが言い、だったら雨が降らない時にも手を振っていただきたいものだと別の者が応じた。少し前なら、その名を口にするだけで声を落としていた者たちが、今は酒の肴にしていた。
首の塔も、押し流された蛮族も、この街からは遠かった。
目の前にあるのは満たされた杯と、久しぶりに明るい顔をした馴染みの客たちだった。話の中で敵が多く死ぬほど、北は安全になったように思えた。街道を通る荷が増えれば、商売も上向くかもしれない。人々はそれぞれ、自分の暮らしに引き寄せて勝利を喜んだ。
やがて、勝報に遅れて戦利品が届き始めた。
最初に目を引いたのは、家畜の群れだった。馬が列をなして城門をくぐり、羊の鳴き声が大通りを満たした。御者の怒鳴り声に驚いた羊が列を外れ、店先へ逃げ込もうとして追い戻される。そのたびに見物人が笑い、子供たちが後を追った。
荷車には、厚く重ねられた毛皮が積まれていた。陽に透ける長い毛を見て、毛皮商が隣の者へ何か囁く。続く荷には、銀で飾られた馬具や、奇妙な形の酒器、見慣れない石を嵌め込んだ装飾品が載っていた。何に使うものか分からなくても、高価な品だということは分かった。
通行を妨げられた者まで、荷車が過ぎるのを惜しむように振り返った。
噂を疑っていた者も、これには黙った。これほどの品を、敵が進んで差し出すはずはない。北で何が起きたのかは知らなくても、どちらが勝ったのかは明らかだった。
そうして戦利品が帝都へ運び込まれるたびに、また新しい勝報が届いた。
「それで遂には北の草原まで行っちまって、ゴスティバル族を一網打尽と来たもんだ。こりゃとんでもないぞ」
男は、たった今聞いてきたばかりの布告を、店先に集まった者たちへ披露した。ゴスティバル族の内部事情を正確に知っている者は多くなかったが、北の奥まで追いかけて討ち果たしたということは、誰にも分かった。
追い払ったのではない。向こうの住処まで行って、倒したのだ。
それならば、来年もまた同じ敵がやってくることはないのかもしれない。長年繰り返されてきた話が、とうとう終わるのかもしれない。そう考えると、勝報の一つ一つが、これまでとは違うものに思えた。
「アイメレア様は次の皇后になられる方、兵士や商人にも優しいとのことだし、帝国は安泰だな」
そう言った男は、大通りを進んでいく荷車を眺めながら、満足そうに頷いた。積まれた毛皮の端が、車輪の揺れに合わせて柔らかく波打っていた。
「お前なぁ、この前までは恐ろしいと言っていたではないか」
隣の男が呆れたように言うと、彼は悪びれもせず肩をすくめた。
「そりゃ敵としてはこの上なく恐ろしいが、味方になったならいいじゃないか」
周りの者も笑った。
もっともな話に思えた。兵士を労い、商人の訴えを聞き、帝国を脅かす敵を打ち破る。恐ろしい方なのだとしても、その恐ろしさが自分たちへ向けられないのなら、頼もしいことではないか。
荷車の後ろを、子供たちが走っていった。北の馬だと叫ぶ声に、店の奥から女たちも顔を出した。
その日も帝都は賑やかだった。
誰もが、凱旋の日を楽しみにしていた。
凱旋の日、私は昼前に店を閉めた。
どうせ商売にはならない。朝から通りを行く者は誰も彼も宮城前の大通りへ向かっているし、向かいのパン屋に至っては、夜明け前に焼いた分を売り切ると、そのまま家族総出で出かけてしまった。
私も戸締まりを済ませ、妻と広場へ向かった。
軒先には色布が渡され、窓という窓から人が顔を出している。焼いた肉の匂いに、蜂蜜菓子の甘い匂い。酒樽を荷車に積んだ男が、今日ばかりは北の蛮族持ちだと叫んで、薄い葡萄酒を売っていた。
もちろん、金は取る。
それでも皆、笑いながら買っていた。
こんなふうに帝都が浮き立つのは、いつ以来だろう。
南へ送った軍が敗れたときは、誰もが次の軍ならと口にした。その次も負けると、今度は口にしなくなった。フォキスでの話が届いた頃には、街道から馬が駆け込んでくるだけで、店先の者が手を止めるようになっていた。
今日は違う。
人が走ってくれば、もう来たかと皆が顔を上げる。
「こっちだ、まだ見えるぞ」
先に場所を取っていた隣家の革職人が、片手を上げた。
妻を先に通し、その隣へ身体を滑り込ませる。通りの両側は既に幾重にも人垣が出来ていた。普段なら喧嘩になるような押し合いも、今日は肩を叩いて済んでいる。
やがて、遠くでラッパが鳴った。
ざわめきが大きくなり、その向こうから歓声が近付いてきた。
最初に見えたのは、帝国の旗だった。
陽を受けた鷲の飾りが、家並みの間で揺れている。その下を、磨き上げた兜と槍が進んできた。歩調を合わせた兵士たちの足音が、石畳を伝わって腹に響く。
窓から花が降った。旗手の兜に花輪が引っ掛かり、近くの兵士が笑って払い落とす。それだけで、また歓声が上がる。
続いて来たのは、奪った旗と武具だった。
見慣れない獣の紋章。長い毛の垂れた槍飾り。銀で縁取られた盾。どれほど高位の者の持ち物なのか、私には分からなかったが、それを掲げた兵士の得意そうな顔を見れば、随分な品なのだろうとは分かった。
荷車には毛皮が積まれていた。その次には銀器。その次には、蓋を開けて中身を見せた箱が続く。
「おい、見たか。あれが全部、北からだぞ。あんなもの、見たことないだろう。どうだ!」
革職人が、まるで自分の手柄のように胸を張った。私も笑った。
これほど取り返して来たのだ。長年、北の村々から奪われたものには到底足りないのかもしれないが、少なくとも今日は、こちらが勝ったと誰の目にも分かった。
その後ろを捕えた捕虜や手柄をあげた兵士たちが誇らしげに続く。
ひときわ大きな歓声が上がったのは、その後だった。
ドレスを着た可憐な少女だった。
不釣り合いなほどに大きな白馬に跨り、沿道に向かって手を振るその姿は、将軍というより純粋に嫁ぎに来た姫君に近いものだった。
将軍として軍を率いた話からもっと大きな女を想像していた。いや、身体が大きいというより、見ただけで恐ろしいと分かるような、そういう姿を。
ところが、馬上の姫君は、拍子抜けするほど華やかだった。
髪を飾る細工物が光り、肩から垂れた外套が馬の歩みに合わせて揺れる。こちらを向いた顔は若く、驚くほど整っていた。
姫君が手を振った。
向かいの二階から女たちが歓声を上げる。姫君はそちらを見上げ、嬉しそうに笑って、もう一度手を振った。
「……普通のお姫様じゃないか」
革職人が言った。
妻が、小さく私の袖を引いた。
「綺麗な方ね」
「ああ」
私は頷いた。
あの方が虐殺姫なのか。
北の草原から人をなくしたという。敵の首で塔を作ったという。フォキスでは、逃げる者まで追い尽くしたという。
そんな話と、目の前で花を受け取っている姫君が、どうにも結びつかなかった。
やはり、噂には尾鰭がつくものなのだろう。
戦争なのだから、人は殺す。恐ろしいこともする。それを負けた側が話せば、何倍にもなるに違いない。
「アイメレア様!!」
気がつけば、私も叫んでいた。こちらを見たのかどうかは分からない。ただ、笑って手を振ったので、私も片手を高く上げた。
行列が通り過ぎても、人は減らなかった。
宮城の前に設けられた壇で、まだ式が続くらしい。帰るには惜しいし、酒も残っている。私たちは人の流れに押されるまま、壇の見えるところまで進んだ。
そこで、捕虜らしき少女たちが引き出されてきた。
ただ、様子がおかしい。帝国の貴族令嬢のような豪華なドレスを着た少女たちが、一列になって歩いてくる。
「族長の娘だとさ」
前にいた男が、誰にともなく言った。
「北の王様の娘ってことか」
「そんなようなものだろ」
なるほど、と私は思った。
敵の一族を連れ帰って見せるのなら、凱旋には相応しい。あれほど強かった北の蛮族も、今や娘を取り戻すことも出来ない。そういうことなのだろう。
ただ、晒すにしても、妙齢の少女というのは珍しい。普通は戦場で戦った男や、女でも相応の地位に就いていたものが多い。あるとすれば、帝国の貴族に側室として嫁ぐといったところかもしれない。
だが、少女たちは止められ、兵士が一人の腕を取った。後ろ手に縛られているのだと、そのとき初めて気がついた。
ざわめきが広がる。
「おいおい、本当に処刑する気か?」
敵の捕虜の公開処刑というのは特別珍しいわけではない。大抵は身代金の交渉になるものの、それが破断すれば処刑されることはままある。
とはいえ、大抵は敵の将軍だとか反乱の首謀者といった、戦いに責任があるものであってそれ以外の処刑は珍しい。
特に、女子供の公開処刑ともなれば、相当な理由がないと行われるものではない。
「ありゃ、子供じゃないか?一体なにをやったんだ?戦えるようには見えんが」
服だけで、それまで何をしていたか分かるわけではない。しかし、兵士に腕を引かれるたびによろめく姿や、隣の者へ必死に顔を寄せる様子は、とてもではないが女騎士のようには見えなかった。
一人が何かを訴えていた。内容は分かりにくいが、泣いているのだということだけは分かった。
しかし、兵士は気にもせず壇上に縛り上げた少女たちを固定していく。
広場の歓声がゆっくりと変質する。
そんな中で、壇上にアイメレア姫が立った。
外套は外していたが、髪飾りも、胸元の飾りも、そのままだった。何か兵士に話しかけ、兵士が頭を下げる。
その手に、柄の長いものが渡された。その先端には、飾り気のない鉄の塊がついていた。
「なんだ、あれは。姫様がご自分でお使いになるのか?」
隣の男が眉を寄せた。私も妻も、それを何に使うのかは一瞬では分からなかった。その疑問に誰かが答える間もなく、アイメレア姫が観衆へ向き直った。
「古来、我らが帝国には、大いなる勝利を収めたとき、十三の供物を神前に捧げ、その恩寵に感謝する習わしがございました。今ここに、歴代の皇帝陛下が守り伝えてこられた儀礼に倣い、勝利の証たる十三の供物を、神々の御前に捧げます!」
よく通る、美しい声だった。
広場の後ろにいる者にも届くように、ゆっくりと、晴れやかに語りかけていた。戦勝を告げる言葉に合わせ、手を上げかけた者もいた。しかし、周りが黙っているのを見て、その手を下ろした。
十三の供物。
私は壇に並ぶ娘たちを見た。
それから、隣の男を見た。男もこちらを見ていたが、何か知っているような顔ではなかった。少なくとも私は、そんな儀式を知らなかった。
神殿へ供物を持っていったことならある。商売がうまくいったときには葡萄酒を供え、子供が熱を出したときには、妻が焼いた菓子を持って祈りに行った。戦勝を祝って、奪った軍旗や武器が奉納されたことも知っている。
だが、人を捧げるなどという話は、聞いたことがなかった。
周囲でも囁き声が起こっていた。古い習わしなのかと尋ねる者、聞き間違いではないかと言う者。誰も大声では話さなかった。壇の上では姫が堂々と立っているし、その背後には帝国の旗が並んでいる。自分が知らないだけで、そういうものなのかもしれなかった。
最初の娘が顔を上げた。
何かを言おうとしていた。だが、唇が震えるばかりで、声にならないようだった。その目が、アイメレア姫の顔と、手に握られた鉄の塊との間を行き来していた。
姫は、その娘へ微笑みかけた。
私は一瞬、助けるのだと思った。
怯えなくてよいと声をかけ、ここで縄を解かせるのではないか。勝者の慈悲を示すために、わざわざあのような口上を述べたのではないか。
そう考えかけたところで、姫が両手で柄を握った。
「どうか神々よ、我らの感謝をお受け取りください」
振り上げられた鉄が、陽を受けて光った。
次の瞬間には、もう音がしていた。
重く、鈍い音だった。広場の端まで届いたかどうかは分からない。ただ、私の周りで話していた者は、皆、一斉に口を閉じた。
姫の白い胸元に、赤い飛沫が散っていた。頬にも、小さな赤い筋がついている。さっきまで陽の光を受けて眩しかったドレスを見て、何が起きたのか、遅れて理解した。
そして、さっきまで泣き叫んでいたゴスティバル族の少女には頭部がなかった。
妻の指が、私の腕に食い込んだ。だが、私は妻を見ることが出来なかった。
アイメレア姫が、笑っていたからだ。
口元には、先ほどの微笑みが残っていた。無理に作ったものには見えなかった。目元まで柔らかく緩み、頬が上がっている。凱旋の歓声を受けていたときよりも近くで、その表情がはっきり見えた気がした。
怯えも、ためらいもなかった。
あれほどのことをした直後なのに、息を整える必要さえないようだった。アイメレア姫は得物を少し下げ、残った死体をこともなげに邪魔にならない位置に蹴り飛ばす。髪飾りが揺れ、その下で、赤いもののついた頬がまた綻んだ。
笑っている。そのことばかりが、頭の中で繰り返された。
怒っているのなら、まだ分かった。蛮族への恨みに顔を歪め、憎い、許せないと叫んでいたのなら、恐ろしくても、その怒りがどこから来るのかは分かっただろう。
だが、あの顔には怒りがなかった。
目の前で娘が泣いていたときも、棍棒を振り上げたときも、そして今も、アイメレア姫は機嫌がよさそうだった。
その視線が、次の娘に止まった。
娘が身を竦めるのが見えた。逃げようとして足掻くも、縛られて首を固定されれば出来ることは少ない。
壇上のアイメレア姫は美しかった。血のついた頬も、鮮やかな髪飾りも、遠目には祭りの装いの一部のようにさえ見えた。だからこそ、その手の中にある血肉に塗れた鉄の塊から目を離せなかった。
「いや!どうして、お願い、助けて」
恐らくそのようなことを言っているのだろう。それを言い終わらないうちに、横薙ぎに振るわれた棍棒が叩きつけられる。娘を固定していた台まで粉々に粉砕される。今度は血が先ほどよりも広く飛び散り、アイメレア姫のドレスは赤いところの方が多くなる。
何かの破片が壇を跳ねて、落ちる。前列の人々が一斉に身を引き、その動きが押し合う人垣を伝わって、私のところまで届いた。肩がぶつかり、誰かの足を踏んだ。それでも、文句を言う声は上がらなかった。
周囲の誰かが、小さく息を漏らした。隣の男は口を半ば開いたまま、壇を見上げていた。もう、何に使うのかと尋ねる者はいなかった。
アイメレア姫は、次の娘へ優しく微笑みかけた。
私は思わず目を伏せた。
先ほども、あの顔だった。そして、凱旋式で私たちに向けていた笑顔もそれとよく似ていた。