Still in Loves,   作:soradayo

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8.相愛なんです

「トレーナーさんが、そう仰るのでしたら」

 

 スティルが私の右隣に立つ。

 私の手に彼女の薬指が当たったから、その爪をそっと撫でた。勝負服のときの、紅を塗るように。

 

「何年ぶり?」

「コースの上を走るのは、現役以来でしょうか」

 

 本当なら、どちらか一方に肩入れしてしまうのは駄目だ。

 スティルも、リリーもモリブデンも、大切な担当たちなんだから。

 でも、今回は――誘ってきたのはあの子たち。たまには、片方に肩入れして、トリプルティアラ(あのとき)の威厳を見せてあげるのもいいかもしれない。

 ……まあ、新人の私に威厳なんてあったの? という疑問はあるけど。

 

「それにしても……」

 

 スティルが独りごちた。

 ぼそりと呟かれたその言葉には、魔性の魅力が込められている。魔法のようで、小さな声なのによく聞こえた。

 

「ええ、まだまだね。……でも、期待できるわ」

 

 下を向いていたスティルがもう一度前を向くと、雰囲気ががらりと変わった。

 熱を帯びた視線でコースに向かう獲物たち(ふたり)の背中を見つめると、舌なめずりをした。そして――私に目配せをして、彼女もまた、コースへと向かう。

 あの目だ――紅い、あの瞳。

 何より惹かれる美しい紅。

 

「美味しそうなご馳走。久しぶりね。さあ――(ワタシ)を愉しませて頂戴?」

 

 スティルインラブは、昏く笑んだ。

 

 

「はっ、はっ……。これが……トリプルティアラの実力……」

 

 モリブデンが震えながら言った。少し走っただけ。6ハロン(1200メートル)もない。ましてや、ただの遊びのようなものだ。本気で走ってもない。

 それなのに――彼女は滝のような汗をかいていた。

 圧巻、だった。

 

「震えるぜ……。スティルさん、さっきまでと雰囲気が全く違わなかったか……?」

 

 スティルは、本能を完璧に制御出来るようになっていた。喰らい尽くそうとして不安定な走りとなることも無く、必要な時に、本能と――衝動を解放する。

 私たちが理想とする走りだった。まるで、エリザベス女王杯やジャパンカップの時のような。

 本気ではないとはいえ、現役の子たちにはいくらか劣るものだと思っていたけれど――

 開いた口が塞がらない。

 比喩ではなく、本当に……。不格好だから、強引に口を閉じようと顎に手を持ってきて、気がついた。

 口が開いているんじゃない。

 私は、笑っている。

 

「トレーナーさん。……トレーナーさんっ!」

 

 もっと見たい――そんな欲望が心の中から現れそうになった時、視界の端から、スティルがかわいらしく現れた。

 

「わっ!」

「もうっ! 走るといつもそう……。私ではなくて、走りに目を奪われてしまうんですから……」

 

 少し驚いてしまって跳ねた心臓が、血液を身体中に運んだ。

 どこか熱くなってしまっていた頭が冷静さを取り戻し、スティルの悲しそうな表情を視界に捉える。

 

「妬いて、しまいます。その目は……私だけを見ていれば十分です。私を……私たちを」

「……ごめん。スティル……今は貴方しか見てないよ」

 

 また……間違いを犯すところだった。

 ふう、と大きくため息をついてスティルに頭を下げる。

 ――しかし、顎を掴まれて視線を戻された。

 

「あら……(ワタシ)の事は?」

 

 その声に驚く暇もなく――視界が紅く染まる。

 

「スティ――!?」

 

 唇に、柔らかいものが触れた。

 昨日ぶりの……感触……。

 腕で彼女の身体を押してもびくともしない。それとも、私の身体から力が抜けてしまっているだけなのか……。

 長い。

 ウマ娘とヒトでは、肺活量に差がある。それを身体に理解させるような、長い口付け。

 

「ちょ、おい、見ろよ、おい、モリブデン!」

「なに? ――って、ええっ!? なにしてんの!?」

 

 朦朧としてきた意識の外から、驚く教え子たちの声が聞こえた。

 ぷは、と息継ぎのような声と共に、私もようやく酸素を吸うことが許された。

 荒い呼吸を繰り返すと、ぼんやりとした頭でも今の状況が理解できた。

 

「おませで初心(うぶ)なアナタたちに見せつけるためよ」

「スティル、ちょ、ここじゃ駄目だって……!」

「ここ、じゃ……? 別の場所なら良いのかしら」

「ちがっ……!」

 

 どん、とスティルの身体を押す。

 今度は簡単に動いてくれた。

 

「もう、いい加減に……あれ、スティル?」

 

 恥ずかしくて、スティルの顔を直視できなかった。

 それでもなんとか薄目で彼女の表情をうかがうと――

 

「と、と、トレーナーさん……。わ、わ、私は……なんて……ことを……!!」

「あ、スティル!」

 

 トマトみたいに顔を赤くしたスティルが顔を覆う。

 私が静止する間もなく、そのままどこかに逃げてしまった。

 伸ばした手が空を切る――なんてロマンチックに感傷に浸っている場合ではない。

 ……私もこの場から逃げ出したいんだけど!?

 リリーとモリブデンの方を見ないで――恥ずかしすぎるから――腕だけ伸ばして、指と声で言い聞かせる。

 

「ご、ごめん二人とも! この事は……その……内密に!」

「……わかった」

「まあ、走って昂っちゃう子は珍しくないしね。……早くスティルさんとこ行ってきな」

 

 呆れたようなモリブデンの声を背中に受けながら、私は駆けた。

 

「あたしたちは……何を見せられたんだ……?」

「……スティルさんって、すごいね……」

 

 

 まだすれ違う人もほとんど居ないトレセン学園。

 廊下を歩いて、ある部屋の前まで来た。

 

「スティル?」

 

 締め切ったカーテンは開かれておらず、部屋は暗かった。

 スイッチを押して、灯りをつける。

 蛍光灯が微かに音を立て、朝日の次に強い光で薄い暗闇を切り裂く。現れるのは――見慣れた部屋。

 色褪せてしまった数々のトロフィーや、優勝レイ。戸棚には、薬や飲み物、非常用の保存食などが常備されている。

 

 そんなトレーナー室で、スティルはいつもの場所に座っていた。

 ソファーの左隅。

 彼女と共にトゥインクルシリーズに挑戦していた時は、コーヒーソーサーとマグカップ、スティルの好きなお菓子を満載にした菓子盆がその近くに置かれていた。

 当然、今は無い。代わりに、モリブデンとリリーの私物が乱雑に置かれていた。

 

「やっぱり。ここだと思ったよ」

「トレーナーさん……」

 

 スティルは耳を折って、じっと俯いていた。

 後ろに近づいて、そんな頭をぽん、と撫でた。それから、スティルの前を跨いで隣に座る。尻尾がそっと動かされて、私の膝の上に置かれた。

 

「久しぶりだからって気を抜いちゃったかな」

「そうかも……しれません。……でも……」

 

 慰めようと、スティルの手を取る。膝の上で握っていた手を解いて、指のひとつひとつを優しく撫でた。

 細くて、柔らかくて、あたたかい。

 「大丈夫だよ」と言葉に出さずとも伝えるように、ゆっくり、時間を掛けて安心させる。

 穏やかな時間が過ぎていた。まるで、あの時に戻ったみたい。

 しばらくすると、スティルがゆっくりと話し始めた。

 

「……あの子の欲求は、私の欲求」

 

 本能のことだ。

 これは彼女のコンプレックスでもあり、強みでもある。今では折り合いを付けられているだろうけれど……全てが全て、というはずもない。

 だから――

 

「……貴方に、行ったことは……紛れもなく、私が望んでいることでした」

 

 どんな事でも、優しく受け止める。……そんなつもりで聞いたのに、ちょっと、想定外のことを言われてしまう。

 

「……え」

 

 撫でていた手も止まり、私は呆けてしまった。

 ……え?

 ま、まさか……スティルの口からそんなことを言われるなんて。

 

「わ、忘れてくださいっ! なんでもありませんから……!」

「その……」

 

 手をパタパタとして、尻尾をばしばしと叩きつけるスティル。たぶん、焦りすぎて気がついていない。

 ……焦ることでもないのに。私は、全部受け止めるって決めたんだから。

 

「スティルは、見せつけたいの?」

「……うっ」

 

 スティルの動きが止まる。

 

「……違う……とは言いきれません」

 

 彼女は手のひらを返して、撫でていた私の手を握った。指を絡ませて――恋人繋ぎ。

 

「貴方が、誰にも奪われないように。誰かに狙われないように」

 

 目を伏せる彼女は告白するように囁き続ける。

 

「貴方は……私のモノであると――」

 

 見せつけるように、私が、誰の恋人であるかを周りに知らしめるように――

 

「――(ワタシ)は、貴方に跡を付けたいです」

 

 スティルは、印を付けたいらしい。

 

「それは……えっと……」

 

 言葉を選ぶ。

 ……より良い言葉は見つからない。

 思ったままを言うしかなさそうだった。

 

「ね、ねえ。めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってないかな」

 

 私も恥ずかしくなってくるくらいの告白だった。

 まさか……そこまで、想ってくれていたなんて。

 嬉しいけど……やっぱり、恥ずかしい。

 

「言っています……! わかっています、ですが、心の底からそう望んでいるのですっ!」

 

 ばっ、と顔を上げたスティルが早口で言う。

 自分の状態に気がついて、スティルの顔が更に赤くなる。

 それでも、私の目から視線を逸らすことはなかった。決して冗談ではないことが、その視線だけでも十二分に伝わる。

 

「駄目……でしょうか」

 

 瞳が熱を帯びていく。

 私のことを――

 

「貴方が、誰のモノであるのか」

 

 大切なモノとして、捉えている。

 

貴方(アナタ)に手を出せば、どうなるのか」

 

 スティルの口角が上がる。

 あの子が……出てきた。スティルが望んで、彼女だけじゃ語れない本心を、私に伝えるために。

 間近で見ていないとわからない程微かに、スティルの目が細められた。それだけで、彼女の纏う空気が変わる。

 

「ねえ。運命の、ヒト」

 

 繋いでいた――絡ませていた手が、ゆっくりと、スティルの眼前にまで持ち上げられる。

 そして、薬指に親指が添えられた。

 

「噛んでも――良いかしら?」

 

 牙を見せつけるように、スティルは妖艶に微笑んだ。

 

「……う、ん。……スティルに、なら」

 

 わからない。何をされるのか。

 本当に?

 いや、わかっている。何をされるのか――まるで、指輪のように。

 乾いた喉から出た言葉が、スティルの鼓膜を揺らす。すると、スティルは満足げに目尻を下げた。

 空いた手で私の耳朶を弄ぶと、彼女は耳元に口を近づけて、その声帯を震わせる。

 

「そう……嬉しいわ」

 

 その一瞬で、焦がれるような熱が、奥に点った。

 だけど、すぐに離れて……近くから熱源が消える。

 寒くなった頬の代わりに、薬指はもっと熱い場所へと呑みこまれた。

 

 ヒトよりも高い体温を、直接感じる。

 指が微かに舌に触れて、身体が跳ねそうになる。

 

「いっ……」

 

 熱い。

 痛い。

 口から引き抜く時、一筋の血が流れた。

 スティルの赤い唇が、(ルージュ)を塗ったように艶を増す。

 

「ふふっ――」

 

 (あで)やかに色付いた、形の良い口を歪ませる。高揚しているのか、頬にも朱が差していた。

 

「赤い糸のようですね」

 

 薬指から垂れた血が指で伸ばされると、赤い指輪が現れた。

 それを見て、彼女は目を細める。そして――私に左手の薬指を差し出してきた。

 その爪の先で、唇にそっと触れられる。

 

「トレーナーさんも……私の、紅差し指(ここ)に」

 

 スティルと目を合わせる。

 彼女は陶酔しているかのような表情で――ともすれば婀娜だった。

 私の意思であって、私の意思じゃないみたい。

 ただ、求められるままに――求めるままに。本能に従順に従い、彼女の指を口内へ運んで歯を立てる。

 なるべく痛みの少ないよう、一思いに噛んだ。

 

「っ……」

 

 彼女の指が引き抜かれた。

 私と同じく……まるで、赤い糸のように薬指を彩る。

 恍惚としながら、スティルはその傷を撫でた。

 

「――貴方、罪な人よね」

「……そうかな」

「そうよ。私を酔わせて……」

 

 もう一度、今度は顎を掴まれて、親指で唇を撫でられる。

 スティルの顔が近づく。瞳が震えている。

 

「トレーナーさん」

「どうしたの、スティル」

 

 熱い吐息を感じた。

 

「思考を支配するくらい、愛してください」

「……うん」

 

 鉄の味。

 

「もう二度と泣かなくても良いくらいに、愛してあげる」




ハメでの感想評価お気に入り、ほかにも感想ツイや支援絵等々どれか一つだけでもすごく嬉しいです!よろしくお願いします!
してくれてる人はありがとうございます!あなたのお陰で作品は完結まで続きます!

ウマ娘用X▶︎@chitosejinko
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