そうして、冬が終わり、春が過ぎて、相変わらず地獄のような夏を何とか乗り越えると、今や消え去りつつある秋がやって来た。
スティルとの関係は変わらない。楽しい日々を過ごしていた。
時々スティルは実家に帰るものの、ほとんど常に一緒にいる。半同棲……九割同棲、そんな感じだった。
「温泉旅行、ですか?」
夕食を終えて、二人でソファーに座ってテレビを見ている時に、昼間に渡されたものを思い出した。
かばんから取り出してスティルに手渡す。
そこに書かれていたのは有名な温泉地。そして『ペアチケット』という文字。
「そ。なんかね、うちの子たちが福引で引いたらしくて……。二人で行ってくればいいのに、なんか押し付けられちゃってさ」
スティルを担当していた時を思い出す。あの時も、温泉旅行券を当てた。……確か、商店街の福引だったかな。
いつか落ち着いた時に、一緒に行こうと約束したのだけれど――その約束は果たされなかった。
三年間が終わり、落ち着く前に私は入院して、スティルは……去ってしまったから。
「だからさ、スティル。一緒に行こう。……結局、あの時当てたものも使えなかったから」
「はい。是非」
◇
――遠くから、エンジンと揺れるタイヤの音が聞こえた。
「バスが来ましたよ」
「……ああ、うん」
ぱちり、と瞼を開く。山々に広がる紅葉と秋晴れの空が網膜を刺激した。
ベンチから立ち上がって、伸びをした。ぱきぱきと背中が鳴る。
夢を見ていた。
あの夏の日の、スティルと出会った日の夢を。
「ごめん、ちょっと寝てた」
「最近、忙しかったですから。仕方ないです」
「旅行に間に合わせるために……ちょっと無理したからねえ……」
立ち上がって、財布を取り出す。
うん、大丈夫。現金はしっかり持っている。
キャリーケースを掴んで、崩れかけのバス停から出た。しっかりと、スティルの手も握って。
「夢は……」
「うん?」
「夢は、見ましたか?」
近付いてくるバスを眺めながら、スティルは聞いてきた。
「うん、見たよ」
「どのような?」
「貴方と、出会った頃の……」
あの、うだるような夏の日に、クリスマスに、そして――再会した日に。
私たちの大切な場所となっている、あの場所での初めてのこと。
「懐かしいですね」
「そうだね。さ、バス乗ろっか。……あれ、この地域ってバスこっちから乗るの?」
バスって、電車と違って迷うことが多い。
そこが、ちょっとだけ苦手だった。
「私が運転してきても良かったかもね」
「たまには良いではないですか。ゆっくりと、旅の風情を感じながら……」
バスはのろのろと走り出す。
東京では感じられない、ゆったりとした外の風景は、まるで俗世から離れて行くかのような感覚を抱かせた。
◇
旅館に着いて、チェックインをした。
私たちの案内された部屋は――
「最高の景色だね……!」
「はい、本当に……!」
見事な絶景を楽しめる大当たりの部屋だった。
下を流れる渓流と、眼前に広がる紅葉。耳を澄ますと、川のせせらぎが聞こえた。
「見事な紅葉です」
「あの二人には感謝だね。こんなに良いところのチケット譲ってくれちゃって」
旅館の謎のスペース――広縁というらしい――で旅の疲れを癒やしながら、私たちはお茶を嗜んでいた。
早速浴衣になっている。身体を締め付けていた服から解放されるだけで、随分と気持ちも晴れやかになった。
「トレーナーさんは、慕われておりますね」
「そうかな?」
「私はそう思います」
私がリリーとモリブデンへの感謝を語ってみると、スティルはそう言って持ち上げてくれる。
いつもそうだけど、やっぱり慣れない。つい「スティルだって――」とか「私よりも貴方のほうが――」とか、返したくなってしまう。そうなるともう終わらなくなってしまうので、なんとか我慢しないといけなかった。
「まあ……」
でも、事実として。
私がトレーナーとして実績を積めたのも、今もこうして、教え子たちに指導を続けることができているのも――
「全部、スティルのお陰だよ」
くつろぐスティルを見つめながら、私は言った。
少しだけ目を見開くと、スティルは横を向いて外の風景に集中し始めた。
そんな姿も絵になって、ずっと眺めてしまう。
お茶を飲むために手元へと視線を移すと、スティルが口を開いた。
「……ずるいです、貴方は」
「ええ、どこが?」
「なんでもないですっ。……早速ですが、温泉へ向かいませんか?」
「そうだね。行こうか!」
◇
温泉は最高だった。
それに、ご飯も。
楽しんでいるとあっという間に時間は過ぎて、気が付けば夜も更けてきている。
「はーあ、美味しかったあ……」
私は、夜空のよく見える窓際でスティルに膝枕をしてもらっていた。
柔らかい感触がちょうどよくて、上を向くとスティルとすぐに顔が合う。天国っていうのはここのことらしい。
「ふふ……。すぐに横になると、牛さんになってしまいますよ」
「牛になっても、スティルは私の事好きでいてくれる?」
「そうですね……。大切に、お世話させていただきます」
スティルの言葉に、馬鹿みたいな返事をしてみる。返ってきたのは変わらない信頼の言葉で、私たちは見つめ合って笑いあった。
はあ――と息を吐くと、無言の時間が訪れる。
時計の針が音を立てる。
外は真っ暗になってしまって何も見えないが、変わらずに川のせせらぎと、夜になってからは虫たちの鳴き声も聞こえた。
騒がしい下界とは違い、時間の流れさえもゆっくりに思えた。
「ねえ、スティル……」
スティルの頬に手を伸ばす。
ゆっくりと撫でた。彼女は猫のように目を細める。見えないけれどきっと、耳もリラックスしてくれている。
「貴方は、幸せ?」
私が問うと――
「はいっ」
スティルはにっこりと笑った。
日だまりのような笑顔だった――スティルらしく言うなら、ストロベリームーンのような笑顔、のほうがぴったりかな。
「私は、幸せです」
スティルは私の手を取って、その頬をすりすりと寄せてきた。柔らかくて、すべすべだった。
これでスキンケアはあまりしていないのだというから恐ろしい。
ウマ娘自体がそう、というのもあるけれど。……スティルはその中でも格別だね。
「本業は順調ですし、たまにするお手伝いでは、可愛い後輩たちのお世話ができます」
私たちが再会してからも、スティルは本業を――小説家を続けている。
お金の心配があるから――とかではない。ウマ娘の一人くらいなら余裕で養えるほどの収入も蓄えも、私にはある。
私が知らない間に、彼女は彼女で、また別の世界で自分を形作っていた。
スティルでもなく、
「日々が充実していて……少し苦手な陽射しすらも、心地よく感じられます」
「そして」。スティルは私の唇に指を当てながら、話を続けた。
「なにより――隣に、貴方が居ますから」
唇から指が離れると、彼女は、祈るようにその指に口付けを落とす。
「……嬉しいな。貴方のその言葉が聞けて」
なんだか、満足してしまった。
スティルの幸せが私の幸せ。再会してからは、そのことを強く実感していた。
担当していたときは当然のように思っていたことも、時間が経つことで忘れてしまっていたのだけれど――今はもう、前よりも更に強くその想いが根ざしている。
頬から手を離して、窓の外を眺める。
夜空には数々の星が浮かんでいた。月は……山の向こうかな。残念だけど、見えない。
「見て。星が綺麗」
スティルに伝えると、彼女は首を伸ばして外を見る。
栗毛が少し頬に当たってこそばゆい。
そんな感覚と同時に――変な既視感も抱いた。
「あれ、なんでかな。デジャヴ……? 今日は、この場所で綺麗な星を見られてよかった。そんな風に思うの」
そのことを伝えると、スティルは首を傾げる。
「……? 不思議ですね。トレーナーさんと旅行に来たのは初めてですし……」
こんなことを話されても、困ってしまうのはわかっている。だけど、スティル相手には何も心配せずに話すことができる。
気兼ねない関係、気の置けない関係――私のことを大切に想ってくれて、どんな言葉も真摯に受け止めてくれる。
そういうところが――大好きだった。
「ね、本当に不思議だね。――つめたっ」
「も、申し訳ございません。髪が乾ききっていなかったようです」
「あはは、気にしないで。うとうとしてたけど、なんだか目が覚めちゃった」
そのまま膝枕から起き上がると、私の頭を置いていた場所が少しだけ湿っていることに気が付いた。
「トレーナーさんの髪も、まだ少し濡れていますね」
彼女も当然わかっていて、私の髪をそっと束ねると、すぐに手を離して立ち上がる。
「そこへお掛けください。お
言われるがままに椅子に座ると、スティルは櫛とドライヤーを持って、私の後ろにきた。
◇
されるがまま――っていうのは、なんだか。
なんだか、すごく眠くなる。
瞼がすごく重くなり、ひとりでに閉じられる。
ヘッドスパみたいだった。
気持ちよくて、心地よくて、とろけてしまう。
「……ねえ、スティル」
「はい……トレーナーさん」
ドライヤーを終えると、スティルはマッサージをしてくれていた。
日々のデスクワークやら心労やらで凝り固まった身体が解されていく。
ひとたび覚めた眠気が、再び戻ってきた。
「……私も、幸せだよ」
ずっと、こんな日々を求めていた。
大好きなひとが隣にいて、担当している子たちは毎日頑張っていて――
「まるで……毎日が夢みたい……」
正直、信じられなかった。
「ずっと、ずっと……。この夢を……」
すう――と深く息を吸う。
「……この夢を、見られたらいいのに…………」
スティルが私の手を取った。
手のひら、指の先……丁寧に、全体が指圧される。
瞼が殆ど上がらない。溜まっていた疲れが、今になってやって来た……。
「……見られますよ」
手が離れていく――
まどろみが深くなっていく。境界が曖昧になる……。
薬指の跡を愛撫された。……気がする。
「……トレーナーさん。貴方のスティルインラブは……」
スティルが私に布団を被せてくれた。
彼女も、私のすぐ隣で横になる。
薄らと目を開くと、吐息すら感じられるほど近いところで、スティルと目が合う。
「……私は……ずっと……お傍に…………」
ああ――すごく、眠い。
意識が沈む。
昏く、美しく、紅い場所に――すこし怖い。
だけど――安心する。
沈む意識は……スティルの笑顔を最後に途切れた。
ハメでの感想評価お気に入り、ほかにも感想ツイや支援絵等々どれか一つだけでもすごく嬉しいです!よろしくお願いします!
してくれてる人はありがとうございます!あなたのお陰で作品は完結まで続きます!
ウマ娘用X▶︎@chitosejinko