吾輩は猫である。名前はルクシオンという。 作:ノワールキャット
至らない点が多々ございますが、どうか見守ってくれると嬉しいです。
吾輩は猫である。名前はルクシオン。
どこで生れたかとんと見当がつかぬが、少なくとも現在はシーツの敷かれたバスケットの中でぬくぬくと日向ぼっこができる場所に腰を落ち着けている。
吾輩にとっての日向ぼっこはリラックスできるストレス発散でもあり、吾輩の健康に繋がる行為でもある。まぁ、生まれてこの方病気どころか怪我一つした事ない健康体である為、現在はほぼ日光浴目的だ。それにこうして日に当たっていると「お日様の匂いがする」と蕩けた顔と声で吾輩の飼い主は体に顔を埋めてくるのだ。
本来なら吾輩がそんな事を許す理由はないが、今の飼い主には吾輩を拾ってくれた恩があるのだ。吾輩に人の心はわからぬが、拾ってくれた義理は果たすべきだと思うのが吾輩の持論である。
ん?そうこう言っているうちに吾輩の飼い主が戻って来たようだ。ガチャリと扉の音が鳴り、白衣の裾を小刻みに揺らしながらトテトテと部屋に入って来たのは見慣れた栗毛のウマ娘。
ふわふわとしたウルフボブに右のウマ耳にはベンゼン環を模したイヤリングを身に着け、ハイライトのない赤い瞳は吾輩をじっと見つめている。
フラフラとまるで幽鬼の様に吾輩の下まで来るとぽふん、というなんとも気の抜けた効果音と共に吾輩の体に顔を埋めた。柔らかさとお日様の匂いを堪能でもしているのか「スーハースーハー」と呼吸音が聞こえている。
それが数分続くとバッと顔を上げ、パンパンと軽く頬を叩くと一息吐いた。
「ふぅ……落ち着いた。すまないね、シオン。ちょっと君との触れ合いが足りなかった様でね。危うくシオン欠乏症で倒れてしまう所だったんだ」
『なにをバカな事を言ってるんだ。そんな病気なんてある訳ないだろう』
「ふっふっふっ……いいかい、シオン。世界には未発見のウィルスは160万種を超えるとされている。病気ならば希少疾患の数は1万種まで上り、更には毎年新しい疾患が報告されているのだよ。つまり、世界の何処かにはシオン欠乏症なる未知の病気があってもおかしくないのだよ!!」
手を大き振り、まるで大々的な何かの発表するかの様な振る舞いを見せる我がご主人の姿に吾輩は溜息を吐いた。全くこの飼い主は昔よりも屁理屈が上手くなった。何かしらの理論を並べれば許されるのではないかと思っているんじゃなかろうか?
「あ、それはそれで……先程ふと思い付いた仮説があるのだが……」
そしてまたこれだ。こればっかりは10何年の付き合いをしている吾輩でも慣れない。元来猫というのは気まぐれな生き物。小難しい話や長ったらしい話は性に合わないのだ。
『言わなくてもわかると思うが、吾輩は聞かないぞ。お前の言う事は全部突拍子もない事ばかりじゃないか』
「何を言うか。科学者とはロマンを追い求める者達を指す言葉だぞ。ウマ娘の限界速度、その更なる先を目指すには例え荒唐無稽なモノであっても一から仮説を立てて、検証を積み重ねていかなくてはならない」
全くこのご主人は。
吾輩がじと目を向ける先で件のウマ娘、アグネスタキオンはガサゴソと小難しい書籍が詰め込まれた本棚を漁っていた。
信念というか、信条というか、心意気は素晴らしいのだ。吾輩にはわからぬが科学者としては正しい姿勢なのだろう。しかし如何せんマッドサイエンティスト感が酷い。
口を開けば一に実験、二に実験。三があっても実験の言葉だけだろう。昔からそうだ。ある時を境にウマ娘の身体能力に惹かれ、可能性を見出してからは研究に明け暮れた生活を送っている。
「ふむふむ、やはりウマ娘と猫の相性の良さは昔ながらだが、歴史が証明してくれている。効果としては主に精神面に影響を与えるが……これをパフォーマンスの向上に繋げられる事ができれば、私のプランAに外付けできそうだ」
先程からタキオンがぶつぶつと言っている事に吾輩は
「肉体のポテンシャルも重要だが……十全に発揮するにはやはり精神面でも何かしらのアプローチがある方がより効果的か……ともなればこの論文を読んで見る価値があるか」
例に漏れず吾輩には全く分からぬ。吾輩は一度大きく欠伸をすると、再びバスケットの中で丸くなった。それに気付いたタキオンがポンと吾輩の頭に手を置いてゆっくりと撫でた。
撫でられる事は嫌いではないが、特別好きというわけでもない。しかし何も知らない人間に触れられるのは嫌いだとはっきり言える。撫でられるのはもっとの他で、撫でるのを許したのは今の所タキオンだけだ。
「やっぱり君の毛並みは綺麗だね〜。それにもふもふで触り心地も良い」
『吾輩は綺麗好きだからな。毛並みは毎日整えている。当然だろう』
「そうだね、シオンは無類の綺麗好きだったな。私の話も毛並みを整えるぐらい真剣に聞いてくれれば文句はないのだがね〜」
『それは断固としてお断りだ。吾輩は小難しい話は嫌いなんだ』
吾輩の断固拒否する姿勢にタキオンは「我儘だね〜」と下振れた声で不満を表したが、匂いを嗅がせてあげた上に現在進行形で撫でさせてあげているのだ。これ以上向こうの要求を飲む理由がない。優しい手付きで撫でているタキオンを尻目に、吾輩は無理矢理でも寝入った。
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不貞寝してしまった我が愛猫を視界に収め、私は「ここまでか」と呟きながら、撫でる手を止めずに机に置いた資料に目を向けた。こうなっては暫くは口を聞いてはくれないだろう。
もっとも、口を聞いてはくれないが、眠っている間はこちらの一方的な独り言は黙認してくれる。
「『精神は肉体を凌駕する』……そんな言葉があるが、実際は一種の自己暗示……催眠に近いものだと私は考えている。まぁ、ようは思い込みだね」
私は独り言を呟きながら、思い出に浸っていた。
……早いものだ、シオンと出会ってからもう10年以上になる。思い返せば随分感慨深いものがある。庭の中でミャアミャアと鳴いていた、まだ子猫であったシオンを気紛れで拾ってからずっと一緒に生きてきた。……いや、気紛れと言いつつも、私は意図的にその子猫を欲した。
「例えばプラセボ効果というものがあってね。これは主に薬効の臨床試験で活用される精神的作用の一種だ」
私の実家は俗に言う名家と呼ばれる、日本のウマ娘界の中でも歴史ある家だった。
日本のウマ娘界の中でも歴史ある家───アグネス家。
メジロ家やシンボリ家と比べたら劣るが、それでも勝るとも劣らない歴史を積み重ねた名家が、奇しくも私の生家だった。その中でも私は一際大きな期待を掛けられていた。
「プラセボ効果は偽薬を服用しても、それが本物の薬だと信じる事で思い込みによって症状が改善したり、効果が現れたりする現象だ。つまりは服用した薬効を問わずに『その薬が有効である』と思い込む事で薬効が実際に身体に影響を与えるんだ」
私の母はURAのうちのクラシックレースである桜花賞を優勝した実績を持つアグネスフローラ。その母であり、私の祖母に当たるアグネスレディーはオークスを優勝した実績を持っていた。
GIレースは世界共通の最高峰のレースの証、全てのウマ娘が目指す最大の栄華であり、夢だ。GIウマ娘となれるのは極僅かで、それを優勝したとなれば、例え1勝だけでも上澄みの上澄み、一流の証であった。
つまりは実績十分な家系で生まれ、その中でも私は突出した能力があった為、周りとは違った期待を寄せられた。だからか物心ついた時からとにかく英才教育を施された。一般教養に加えて専門的な学問、礼儀作法を叩き込まれ、競技者の身体を作る為にトレーニングをするのが私の毎日だった。しかしそれを苦に思った事は不思議と一度もなかった。
なまじ何でもできてしまう"センス"が私にはあったのだ。だからなのか、時間が経てば経つ程、一族の中でその分期待は大きくなっていった。
「しかし服用した薬には薬効を持たない。ようは勘違いだ。服用した者は『薬を飲んだから治る』という認識だけで症状を緩和させてしまっているんだ」
その期待を鬱陶しいとは思ったが、苦にした事はない。何せ私は求められた事をこなせてしまう才能があり、知恵があり、能力があったからだ。しかし私には、昔から気を許せる様な存在、友人と呼べる者が欠如していた。
常に緊張感と重圧に包まれたあの環境は堅苦しい上に気を許せる場所ではなかった。気を許せる存在がなく、心の拠り所と呼べる者がいない。両親は放任主義者であったせいか、明確な愛情は与えてはくれなかった。
「想像妊娠という症例があるくらいだ。人は思い込みだけで肉体に少なからず影響を与える。これは明確に精神が肉体に影響を及ぼしていると言えるだろう。
『精神は肉体を凌駕する』……この言葉通り凌駕している訳ではないが、ニュアンス的には近いものがある筈だ」
友人の欠如。同じ視点に立ってくれる、"私"という存在を贔屓目なしで見てくれる存在がいない私の世界はとても狭かった。
私の生活は勉学とトレーニングの線の上にあり、それ以外の余白は存在しなかった。周囲には常に人が居たが、誰一人として"私"を見てはいなかった。見られていたのは"アグネス家の才能あるウマ娘"という記号だけ。
だからこそ……私は君を欲したのだろう。
「精神と肉体は、無視できない密接な繋がりがあるのは間違いない。スポーツ選手はゾーンと呼ばれる心理状態があるが、あれは極限の集中状態の中で体感時間が非常にゆっくりと感じる現象だ。
精神がどういうものかを言葉で表すのは難しいが、知覚や感知ができるのは生物に備わっている感覚器官だ。もし、精神と肉体の繋がり故にこの様な現象を起こせるのだとしたら、一時的にでも肉体のパフォーマンスを底上げする事は不可能ではない筈さ」
独り言を呟きながら、丸くなっているシオンへ再び目を向けた。
私が欲した存在は、シオンが全て体現してくれた。
"アグネス家の才能あるウマ娘"ではなく、"アグネスタキオン"を見てくれる。
言葉を選ばず、上下もなく、同じ視点に立って対等で居てくれる。
「しかし肉体に影響を及ぼす心理状態がどういうものなのかは未だ不明瞭だ。しかし、あるスポーツ選手は『ファンの励ましが力になった』と言った。ある種の比喩なのだろうが、私はこれが事実でもあると思う」
君が最初だった。猫だからこそ、君は何の飾り気もない私を見てくれた。
期待もせず、評価もせず、ありのままの私を受け入れて、ただその場所に居てくれた。
「もし、人との繋がりで力が湧くのだとしたら?その力が精神的活力となり、肉体に影響を及ばすとしたら?人だけでなく、異なる種族同士でも成立するとしたら?……机上の空論、オカルト、妄想に等しい内容で信憑性の欠片もないが、私は調べてみる価値はあると思っているよ」
そう、価値がある。動機はそれだけで十分だ。元来より科学者はロマンを追い求めて生きる生き物だ。空想、不可能、実に結構。
神の伝説だとされた雷電を解明し、人類文明に「電気」を齎した偉大な科学者ニコラ・テスラ。
実用的ではなかった電球の性能の安定化を成し遂げ、一般に普及させた発明家トーマス・エジソン。
今では当たり前のものとなっているが、当時では考えられない、信じれない空想の産物だった事だろう。しかし彼らは成し遂げた。周囲の反対を押し退けて結果で黙らせた。
つまり、私のやる事は地道に研究と検証を重ねて結果を示す事だ。
「この仮説を立証できれば、私のプランAはより現実味を帯びてくる。穴だらけで、精神がどれ程肉体に影響を及ぼすかは定かではないが、面白い内容だと思わないかい?」
そう私はシオンに問い掛けた。が、恐らく返事が帰ってくる事はない。しかしそれでも構わないと私は言葉を続ける。
「憶測の域を出ない仮説だが、そこまで的を得ない話ではないと私は考えている。今まで大きな疑問を抱いた事はないが、私と君は不思議な事に何故か会話が成立するこの事象……普通に考えればあり得ない事だ。
"私"と"君"だからこそ成立するのか、私と君に"何か"があるから成立するのか……わからない事が多いが、きっとこれは私の研究に繋がると確信している」
シオンの体を撫で続けていた手を頭まで持っていき、右手で顎を、左手で頭を撫でてやる。うんともすんとも言わないが、嫌なら嫌だとシオンははっきりと言う。嫌がる素振りを見せない事から少なくとも許容範囲ではあるのだろう。
「……ありがとう、シオン」
私の突然の感謝の言葉にシオンは耳をピンと立たせた。そして唐突に聞こえてくるゴロゴロという鳴き声。生理的反応なのかどうかは判別がつかないが、実にシオンらしい返事に私は小さな笑みを浮かべた。
タキオンの口調がよく分からぬ。こんな感じでいいのか?