読みやすくなっていればな、と
「全主砲、撃てえーーーっ!!」
叫び声から一拍置いて、万雷に勝る轟音が鼓膜をしたたかに打った。耳を塞いで、口を大きく開けるという少し間の抜けた表情で、吹雪は音源の方を振り向いた。
前方を指向した六門の主砲口から、うっすらと砲煙をたなびかせる巨大な艤装を背負った一人の艦娘が、洋上に立っていた。
測距儀型の頭部艤装の邪魔にならないよう、高い位置で結ばれた長い髪と桜の花があしらわれた髪飾り。マスト型の日傘が容赦のない陽光を遮り、あたかもその肌を何者からも守り抜かんとしているかのようだ。
音速の二倍の速度で飛んで行った砲弾が炸裂し、空中に鮮やかな花火を作り出す。その中で、豆粒ほどにしか見えない敵機が落ちていくのが見えた。
「命中です!!」
吹雪は驚嘆の目で、この遠距離対空射撃を成功させた彼女を再び振り返った。
「よかった・・・間に合ったのですね」
先程までの険しい顔を緩め、ほっとした表情で胸に手を当てた。超弩級戦艦相当の大きさを持ったそれが、安心したように上下する。
一一航艦の零戦隊が辿り着いたのを確認して、大和は仰角の掛かっていた主砲身を下ろした。彼女の仕事はここまでだ。
砲撃公試中だった彼女の弾薬庫には、最低限の主砲弾しか積まれていなかった。すでに徹甲弾の残りは無く、零式弾と三式弾も心もとない。
「さあ、戻りましょうか」
敵編隊が零戦隊に迎撃されているのを確認して、後ろ髪を引かれるような表情の大和が吹雪を促した。大和は未だに極秘の存在、そして吹雪はその護衛だ。支援射撃はしても、できるだけ早くこの場から離れるべきだった。
二隻分のウェーキは、今戦闘が起こっている方とは逆に伸びていく。その先に立つ二人の艦娘からはしかし、明らかに背中側に意識が向けられているのがありありとわかる。
―――これで、よかったのかな。
吹雪の思考はそこだけだ。今まで、ずっと最前線に立って戦ってきたのは紛れもない彼女だ。でも今は、その戦場に背を向けている。割り切ったつもりでも、納得できないものがある。それが駆逐艦としての彼女の性なのかもしれない。
『摩耶より、鎮守府。本艦及び八駆は、これより水上部隊の迎撃に向かう!以上!』
繋がれたままだった回線から、勇ましい声が聞こえてきたとき、吹雪は思わず振り返ってしまった。
まだ、水平線の手前に、南邀艦と第八駆逐隊、護衛の零戦隊が見える。そこから五人の艦娘が離脱して行くのも。
「・・・行きたいのではないのですか」
大和は静かに尋ねた。肩を跳ね上げて否定しかけた吹雪だが、言葉は口から出てこなかった。代わりに、曖昧に頷く。
「戦ってるんです。あの下で、仲間が」
吹雪の言葉に、大和は優しく微笑んだ。
「・・・ふふ、提督がおっしゃっていた通りですね、吹雪ちゃんは」
「・・・え?」
「いえ、気にしないでください。それよりも、今行けば間に合いますよ」
大和は横に並ぶ吹雪を、目を細めて見つめた。柔らかな瞳に、吹雪の心は決まった。
「・・・すみません大和さん。わたし、やっぱり行きます」
「わかりました。こちらは心配しないでください。すぐそこですから」
もう一度頷いた吹雪は、そのまま反転して速力を上げる。U字を描いた航跡が、風を切って大和から離れて行った。たなびく髪に、自らの上げる飛沫が掛かった。
「・・・ご武運を」
大和のつぶやきは、わずかに吹雪に届かなかった。
*
単縦陣で敵水上部隊へ突っ込む摩耶と第八駆逐隊の四人に、突如として通信が入った。
『摩耶さん、聞こえますか?』
「吹雪か!?」
鎮守府最古参艦娘の声を間違えるはずがない。たとえ通信機越しでも、その張り詰めた声音を聞き分けられるぐらいには、摩耶もこの鎮守府では長い。
『わたしも迎撃に参加させてください!』
「おまっ、そこにいるのか!?」
無言で肯定した声の主が、先程自分たちを救援してくれた二人の艦娘のうちの一人だと知り、慌ててその方向を見る。戦場から離脱していく戦艦娘から離れて、白波を蹴立て接近する艦影が見えた。
「こっちでも見えた。すぐに合流できるか?」
『はい!』
「わかった。加わってくれ」
戦力は多い方がいい。それに漠然とした予感だが、摩耶は接近する水上部隊を率いている重巡洋艦が、新型―――高雄を打ちのめした、あの非常に撃たれ強い奴だと感じていた。摩耶一人では、倒せるかどうか。
ちなみに、鳥海は一緒ではない。摩耶は手持ちの零式弾が詰まった弾倉を全て渡して、唯一無傷の姉妹艦を南邀艦の護衛とした。近海に入れば、他の駆逐隊が迎えてくれるはずだ。
しばらくして、吹雪が迎撃隊に合流した。絶妙な操舵で隊列の最後尾に付き、隊列を整える。
―――うまいもんだ。
摩耶はその練度に内心で舌を巻く。重巡洋艦と駆逐艦の差はあるとはいえ、あそこまで手際よく寄せることは、摩耶含めほとんどの艦娘にはできないことだ。あれを駆逐隊単位でやれるのは、まさに第十一駆逐隊だけだ。吹雪は、その司令駆逐艦娘である。
「行くぞ!」
一瞬だけ後ろを確認した摩耶は号令をかけて、第三戦速まで速力を上げた。六つの機関が唸り、波を切り裂く音が重なる。
敵艦隊までは距離一万五千を切っている。昼戦であるからこの辺りから撃つことが摩耶には可能だ。しかし、彼我ともに重巡洋艦が一隻では話にならない。だから摩耶は、全速で距離を詰めることを選んだ。そうすれば、必殺の魚雷が放てる。
もっとも、摩耶は魚雷を持っていない。沖ノ島沖の戦いで全て使い果たし、補充を受けていないからだ。残念ながら“佐世保”は魚雷を長期管理する設備が少なく、艦内にはもう魚雷が残っていなかった。
―――あたしが重巡を引き付ければ、何とかなる。
摩耶は両腕の連装砲塔を確認する。帰ってくるまで相当数撃ったから、砲身命数が尽きかけている。内筒を交換しなければならないだろう。
全ては帰ってからだ。
『第一次攻撃隊、発艦始め』
通信機からはもう一つの迎撃隊―――第五航空戦隊を中心とした部隊が、敵軽空母部隊に攻撃隊を出す様子が聞こえてくる。そちらは、彼女たちに任せておく。
―――さて、そろそろだぜ。
摩耶は間もなく一万を切ろうとする敵艦隊を見据え、主砲に徹甲弾を装填する。案の定、近づいてきた水上艦隊の先頭は、あの青い目をした新型の重巡洋艦だった。姉が相手取って勝てなかった相手に、今彼女は一人で挑もうとしていた。
「突撃だ!気合い入れろ!!」
どこかの高速戦艦みたいなことを叫んで第八駆逐隊と吹雪を鼓舞する。そして一万を切った瞬間に第一射を放とうとしたその時。
今正に狙いを付けていた重巡洋艦の艦上で突如として爆発が生じ、盛大に後方へ吹き飛ばした。訳がわからないという表情で宙を舞った敵艦は、水飛沫とともに海面に激突する。
『第二射、てっ!!』
また割り込んできた通信から数秒を置いて、先程と同じことがもう一度起きた。それらが収まったとき、あれほどに摩耶たちを苦しめた敵艦の姿は海上から消え、小さな泡となって海底へと帰って行った。
目の前で起きた現象に唖然とした摩耶は、それでもなぜかほっとしている自分に小さく舌打ちした。
*
「上出来じゃない」
鎮守府正面海域を一望できる工廠の屋上に上がってきた明石は、そこにいる二人の人物が上げた戦果にそうコメントした。
「第二弾も命中。敵艦撃沈」
明石から見て奥に立つ軍服を着た女性が、ゴーグルを頭上に押し上げて覗き込んだ双眼鏡から見えたものを、横に寝転んでいるポニーテールの艦娘に伝えた。それを合図に、艦娘の方もまたゴーグルをはずして体を起こした。
「間に合ったかあ~。ありがとうございます、ユキさん」
夕張はそう言ってユキに微笑みかける。ユキも相好を崩し、首にかけた双眼鏡から手を離した。
「それにしてもすごいのね、この・・・F4?」
ユキは屋上からせり出すように設置された、所謂狙撃銃の形状をした艤装に目を向けた。
「正式には、試製巡洋艦用大口径狙撃砲F型です。まあ長いので、F砲をもじって“F4”って呼んでるんですけど」
自慢げに胸をそらす夕張に、明石は苦笑する。このネーミングは、あちら側の日本から持ち込まれた某少女漫画から持ってきたものだった。
試製巡洋艦用大口径狙撃砲は、陸上からの深海棲艦迎撃を目的として開発が開始されていた。まだ試作段階だが、今後の戦艦部隊強化のために試験が始まっていた大威力の主砲システムを組み込み、巡洋艦クラスの艦娘でも扱えるように改造が施されている。明石の試算では、口径にして四六サンチとほぼ同等の威力を有することになっていた。
狙撃砲ゆえの射程の短さがあるが、それでも命中率は高い。いずれは艦娘支援母艦の自衛用兵器として、海上でも扱えるように照準器等の改良がなされる予定だ。
「ただまあ、威力はすごいんだけど砲身の加熱がね。どんなに頑張っても、現状では二連射が限度ですから」
「改良の余地は大いにあり、ってことね。―――ちなみに、誰派?」
「断然、類です」
「私は道明寺かな」
「あ、明石さんも読んでたんだ」
「夕張に勧められたら、嵌ってしまって・・・」
「すごいんですよ、徹夜で全巻読み切っちゃいましたから」
*
狙撃班が漫画トークに花を咲かせている間、吹雪含めた迎撃隊は、旗艦を失い、狂ったように突撃してくる深海棲艦の水上艦隊と向かい合っていた。
『摩耶、目標一番艦。八駆、突撃せよ』
艦隊を率いる重巡洋艦からの通信を合図に、八駆は速力を上げた。それに追随する吹雪も一緒だ。
ここに至り、一一航艦の索敵機は重大な見落としをしていたことが判明した。敵の編成に、戦艦がいたのだ。
夕張からの支援砲撃で旗艦の重巡洋艦を潰された艦隊は、摩耶の正確な砲撃によって早急に沈黙した。しかしその最中、大気を揺るがす轟音とともに巨大な水柱が立ち上ったのだった。その時になって初めて、鎮守府側は戦艦の存在に気づいた。
由々しき事態だった。鎮守府にはまともに動ける戦艦がほとんどいない。仮にいたとしても、そんなに早く動かせるような代物ではないのが戦艦なのだ。かといって、軽空母部隊と交戦中の五航戦が第二次攻撃隊を差し向けている時間は無かった。
結果、摩耶と駆逐艦五隻で、戦艦一、護衛の駆逐艦三という部隊に戦いを挑むことになった。ただし、摩耶は戦力に加算できそうにはない。後数回でも撃てば砲身命数が尽きるからだ。
『八駆、突撃します!』
通信機からは生真面目な少女の声が聞こえる。第八駆逐隊を率いて単縦陣の先頭を行く司令駆逐艦娘“朝潮”の指示だ。
摩耶の横を抜けて、脇目もふらず敵戦艦へ突撃する。三○ノット超の最高速力では、流れていく風も波飛沫も激しい。正しく顔に打ち付けるようだ。
水柱が噴き上がる。一六インチという大きさの恐るべき鋼鉄製の火矢が、突撃を阻む壁となって乱立した。
なぜか。彼女―――という表現が適当かどうかはわからないが、あの女性の容姿を持つ戦艦ル級は知っているのだ。そして同時に恐れてもいる。今吹雪たちが持っている必殺の兵器を。
小型快速ゆえに、大きな砲も満足な装甲も持たない駆逐艦が大型艦に対抗する手段。それは、魚雷という人工の魚類の、船に対する圧倒的なまでの破壊力だった。
魚型水雷の名の通り、自ら水中を進む爆薬の塊は、あらゆる艦船にとって脅威以外の何者でもない。それは単に、魚雷が船の腹を食い破って海水を大量に飲ませるから、という理由だけではない。
同じ炸薬量でも、空中と水中では威力が大きく違う。水中では、爆風の逃げ場がない上に水圧や水蒸気の発生など様々な要因で、船に対する直接的なダメージは何倍にも膨れ上がるのだ。
ただし欠点もある。速度が砲弾に比べて非常に遅い上に馳走距離が短い。それに魚雷そのものが高価な精密機械であるためにちょっとした衝撃でへそを曲げてしまうことがあった。
それは艦娘や深海棲艦にしても同じだった。だからル級は、その脅威を排除しようと砲口を向けてきたのだ。
三十秒おきに、数本の水柱が上がる。その距離は間違いなく縮まってきていた。
『全艦に意見具申』
その言葉に吹雪は首を傾げた。なぜならその言葉を口にしたのが朝潮だったからだ。普通意見具申というのは旗艦に対して僚艦が行うものだ。
『八駆の統制雷撃権を吹雪に委譲します』
「・・・え?」
一番驚いたのは吹雪だった。戦闘中だというのに、思わず変な声を上げてしまった。
「ちょ、ちょっと待って朝潮ちゃん。わたし、みんなの指揮なんて執ったこと・・・」
駆逐隊の指揮を、そこに所属しない艦娘が執るなんて前代未聞だ。
『このままわたしが指揮を執り続けた場合、いずれ間違いなく被弾します。ここが、わたしの限界です』
認めるのは悔しいですが。相変わらずの真面目できびきびとした口調で続ける。
『吹雪なら、我が隊を確実に導いてくれると考えます。どうでしょうか』
もしも目の前にいたのなら、純粋で真剣な瞳にまじまじと見つめられたことだろう。そしてその考えに賛同する声が、隊のあちこちから出た。
『大丈夫です。わたしたちは、必ず吹雪に付いて行きます』
一転の曇りもない、まっすぐそのものの言葉。彼女が司令駆逐艦娘として出したその答えを、吹雪もきっぱりと否定できない。それだけの迫力があった。
―――わたしもこんな感じなのかな。
同じ司令駆逐艦娘である吹雪は、普段第十一駆逐隊の指揮を執る自分を思い返す。意外と、頑固で融通が利かないのが司令駆逐艦娘を務められる資質なのかもしれない。
覚悟を決めた。
「わかりました。吹雪、八駆の統制雷撃権を貰います」
今だけは、わたしがみんなを導く。それは駆逐隊全員の命を預かるということ。吹雪の双肩と判断に全てが掛かっている。
速力をほんの少し上げ、前に出る。先頭に立ち、駆逐隊の指揮を執る。
『“先輩”のお手並み拝見と行きましょうか』
わずかに挑発の色を帯びた言葉を発したとき、こちらを見る朝潮は微かに頬を吊り上げて微笑んでいた。
隊列を入れ替え、吹雪は突撃を続行する。途端に信号灯の発色をものすごい速さで切り替え、小さく、そして時に大胆に舵を切って弾雨を抜けて行く。
その目は弾着の水中と、苛立ちの混じった砲撃を浴びせかけてくる敵戦艦を同時に見つめている。確率論的に同じ場所に着弾することがほぼない砲撃の特性を利用し、あるいは発砲の瞬間と砲身の角度から簡易的な方程式に当てはめて弾着位置を予想しこれを紙一重で回避していく。鎮守府近海、まだ戦艦も空母もまともにいなかった頃から突撃と訓練、魚雷を撃ち続けてきた彼女だからできることだ。
一万を切るのに、突撃開始から五分とかからなかった。被弾どころか、まともに至近弾すら受けていない。全くの無傷だ。
驚嘆の目で吹雪を見つめる四つの視線に、彼女自身は気づいていない。前だけ見つめて、砲撃を避け続ける。後ろに付いてきているのは、追随してくる機関と波を切る音でわかっていた。だから吹雪は、振り向くことなく転舵を繰り返した。
実に十数回の砲撃を神がかり的に回避した吹雪たちの目の前に、今度は小さな砲弾がミシンのように降り注ぐ。近距離戦闘用の両用砲だ。威力は小さいが、数が多い上に恐ろしく早い。ただばら撒くだけで、十分すぎる面の制圧力を発揮する。駆逐艦にとっては最大の脅威と言ってもいい。
だが次の瞬間、敵戦艦の周囲に中口径のそれとわかる砲弾が落下する。
『おらあ!こっちだぞ!!』
摩耶だった。なけなしの砲弾を、敵艦の注意を引き付けるために放つ。ついでに二発ほど命中弾を与えて両用砲を二基吹き飛ばした。
敵戦艦の弾幕に一瞬の迷いが生じる。その間を見逃さず、吹雪たちは再び距離を縮めた。
「雷戦距離は六○(六千)!雷撃戦用意!!」
吹雪は下令して、太腿に取り付けられた魚雷発射管を発射位置に持っていく。朝潮型の艤装は、発射管を左手に持つタイプだ。
再び始まった鋼鉄製の嵐に、吹雪は次の手を考えた。
探照灯を引っ張り出して、間髪いれずに照射する。その先に敵戦艦を捉えた。顔面に当たった強烈な光に、ル級が顔を歪める。駆逐艦用とはいえ、闇夜で数千先の敵艦を照らす探照灯の光は目潰しに十分すぎた。どこぞの幸運艦は、これで航空機を落としたりもしている。
弾幕が緩んでる間に、吹雪は背後の艤装から小さいドラム缶状のものをいくつか取り出す。対潜水艦用の投射兵器、所謂爆雷だ。
調停深度がかなり浅くセットされた爆雷を持ったまま、吹雪たちは突撃していく。距離七千。もう後一歩で、雷撃距離だ。
―――油断せず、頃合を見計らって・・・今!
タイミングを取り続けた吹雪は、その瞬間に探照灯の照射を止めた。おそらく敵艦は、薄ぼんやりとした視界とレーダーを頼りにして、砲撃を続けている。この状況なら多分、彼女の考えた手は有効に働いてくれるはずだ。
『右舷前方より、敵駆逐艦接近!』
二番艦の位置につく朝潮が、声を張り上げる。だが吹雪がそちらを見ることはない。戦艦に対する雷撃を遮ろうとするなら、自ずと取る行動を予測できるし、何より吹雪は駆逐艦娘として初めて二二号対水上電探を搭載していた。見なくても、敵艦の位置と速度、進路は知ることが出来る。ちなみにこれは大和護衛時の警戒のために搭載されていた。
「了解!」
それだけ、短く答える。こういう時に先頭に立つものがぶれてはいけない。多くの軽巡洋艦と行動をともにしてきた彼女には、それがよくわかっていた。
「このまま突っ切る!」
迎え撃てば、それだけ発射点への到達が送れ、弾幕に曝される。それにもしかしたら、その間にル級の視力が完全に回復してしまうかもしれない。だから無視する。代わりに、取って置きのプレゼントを、迫り来る異形の魚たちに投げつけた。
吹雪のスナップから繰り出された爆雷は、綺麗な放物線を描いて、接近する敵駆逐艦の手前に落下する。彼我の距離が四千程度しかないため、人間の腕力でもそれなりに近くに落とせるのだ。といっても、実際の着弾点は一千以上も手前だったが。
ドラム缶が海面に衝突して数秒、轟音とともに内蔵された火薬が弾け、巨大な水柱を立ち上げる。それもそのはず、こと炸薬量に限って言えば、爆雷は戦艦の主砲弾と遜色ないどころかむしろ上回っている。突然目の前に噴き出した人工の間欠泉は、深海棲艦には戦艦の砲撃に見えていることだろう。
不意の“砲撃”に動揺して周囲を探るように速度を落とした駆逐艦に見向きもせず、吹雪たちは魚雷の発射点に取り付こうと弾幕の中を行く。横殴りに降き付ける暴風は、徐々にではあるが正確さを取り戻してきた。
「距離、六四」
三○ノット超で、距離一千を詰めるのに直線で約一分。だが弾丸の猛吹雪を進む今、ことはそう簡単には行かない。すでに○五を切った距離が、これ以上ないほどに遠く感じる。
「・・・六三っ!!」
六千三百を切った時、吹雪はあらゆる小細工を止め、真一文字となって突き進む。ここまで来れば、後は被弾しないことを祈るしかなかった。
吹雪たちに振り回されていた弾幕が、急に仕事を思い出したが如く、その距離を縮め始めた。
「六二・・・」
『右舷至近弾!』
吹雪たちの搭載する一二・七サンチ砲とほとんど同じ大きさの砲弾が纏まって着弾し、水飛沫を飛ばす。
「六一・・・」
『左舷至近弾!』
今度は吹雪たちの身の丈を遥かに越えていく白い巨塔が、海水のモニュメントをかたどって、やがて崩れる。同時に無数の細かい断片が飛び散り、いくつかが艤装に当たって不協和音を奏でる。
ル級も必死だ。吹雪たちの突撃を止めようと、ありったけの砲弾を叩き込む。これが人間同士ならば、互いに譲れない思いというのがあったのだろうが、生憎深海棲艦に感情というものがあるのかどうかはわからなかった。
―――負けない!
吹雪たちの背中には、傷ついた南邀艦が、そして母港である鎮守府がある。今、この二つを守れるのは吹雪たちしかいない。
逆境は、小柄な駆逐艦娘を大きくする。滴る水飛沫は、女に磨きをかける。降り注ぐ断片は、軍艦の魂に火をつける。仲間との呼吸が、それらを飲み込み、莫大な勇気へと変える。
喰らいついたら離さない。狙った獲物は、この魚雷で必ず仕留める。それが、彼女たちが自らと仲間を―――大切な“何か”を守るたった一つの方法だった。
もう、余計なことは考えない。飛来する砲弾を気にも留めず、ただひたすらに驀進する。
「六○!!」
吹雪は叫び、残った手持ちの爆雷を投げる。もう一度水飛沫が上がり、ル級の姿を隠した。
いや逆だ。吹雪たちの姿を隠した。
「魚雷発射始め!!」
わずかに踏ん張り、二基の三連装魚雷発射管から魚雷を放出する。朝潮たちは引き金を引いて、四連装発射管から魚雷を送り出す。圧搾空気の力によって海原に放流された鉄製のダツたちは、鮭が迷うことなく故郷へ帰るように、水中をカジキ顔負けの速度で突き進んで行った。
爆雷が作り出した水のカーテンのせいで、ル級からは投雷の瞬間が見えていないはずだ。目の前から水柱が消えたとき、ル級には自らに迫り来る六本の白線が見えるだろう。
酸素魚雷は、燃焼剤に純酸素を使った副産物として、昼間でもその航跡を見つけることがほとんど不可能だ。では、ル級に伸びていく六本の白線は何か。
吹雪は、酸素魚雷を持っていなかった。正確には、酸素魚雷を扱えるような構造に、発射管がなっていなかった。だからそこから射出されたのは、通常の魚雷だ。燃焼剤に含まれる不純物―――主に、水に溶けにくい窒素のせいで航跡が丸見えになるこの魚雷を、吹雪は使用した。
投雷を終えた吹雪たちは、進路を反転して距離を取る。朝潮たちには魚雷の次発装填装置があるが、戦闘中に素早く再装填が出来るほど、甘くはない。
ル級がゆっくりと回避運動を取る。これだけはっきりと航跡が見えるのだ。転舵は容易い。これが艦娘ならば、後は当たらないように祈るだけだ。
が、ル級は大事なことを見落としていた。それは、目に見えているものが全てではないということ。
吹雪は、八駆とはわざと角度やタイミングをずらして魚雷を放っていた。自らの搭載する九○式魚雷の特性をいかし、これを囮に使ったのだ。
結果として、これは図に当たった。
『時間!』
朝潮が叫ぶ。吹雪は一瞬だけ、後ろを振り向いた。
白い航跡がル級の前を通り過ぎるよりも先に、一際大きな水柱が、その舷側に生じた。それが連続して、二本、三本と上がっていく。やがて水柱が火柱に変わった時、大気を鳴動するおどろおどろしい轟音が、吹雪たちの耳朶を打った。
撃沈確実だ。
『四本命中!敵艦撃沈!』
最後尾の大潮が歓喜の声を上げる。八駆の面々がガッツポーズをし、吹雪はほっと胸を撫で下ろした。
『すごい・・・』
朝潮のつぶやきは、吹雪には届かない。
通信機のスイッチを入れる。
「こちら吹雪。敵戦艦部隊の撃破を確認」
出来るだけ喜びの感情を抑えて、吹雪は鎮守府に一報を入れた。ちなみに、離脱時に手土産とばかりに残った駆逐艦も海の藻屑に変えていた。
『こちら翔鶴。敵軽空母二隻を撃沈確実。敵艦隊撤退を始めました』
ほぼ同じタイミングで、第五航空戦隊の方からも入電した。
『了解しました。南邀艦はすでに撤退を完了しています。両艦隊も帰投してください』
『翔鶴了解。これより帰投します』
「吹雪了解。摩耶と合流して帰投します」
端的に答えて、吹雪は転針する。白い波を切り裂いて、少しずつ速力を落としていく。中天に輝く太陽の光が、きらめくダイヤモンドのように水飛沫を照らした。幻想的な光を撒き散らして、吹雪以下五人の駆逐艦娘が、鎮守府へと帰って行った。
さて、ここに何を書いたものか・・・
これからは、一話分の長さにもっと気を付けます・・・