「おい、起きろ!」
耳元で怒号が炸裂する。薄汚れたソファの上で丸まっていた木原は、まぶたをわずかに開いた。うつろな視線で天井を見つめる。
「んああ……?」
乱暴な足音とともに、陽気な音楽が事務所の壁越しに鳴り響いた。ドンドン、パラッパ~。まるでふざけたバラエティ番組のような音が現実の街に鳴り響く。
外では、英雄ソラリスのパレードが始まっていた。
「みんな、ありがとう! 世界の平和は、私が必ず守ってみせる!」
高らかにそう宣言し、ソラリスは天へと剣を掲げた。緑のスーツを着こなしたその男は、太陽の下で完璧な笑顔を振りまいている。
その両脇を固めるのは、パーティーメンバーたち。
剣闘士リア、音速のバニー、そしてアサシンのホロー──どれも人間離れした実力を誇る猛者たちだ。市民たちは熱狂し、歓声をあげていた。
だが、事務所の窓からその様子を見やった木原は、つぶやく。
「……うるせぇパレードだな、チクショウが」
机の上に転がっていたウイスキーのボトルを手に取り、振りかぶると、そのまま壁に叩きつけた。ガラスの砕ける音が静寂を裂く。
「ヒック……クソが……」
しゃっくり混じりの悪態をつきながら、木原はよろよろと立ち上がる。足元がふらつき、壁に手をついて体勢を整えると、壁にかかった日めくりカレンダーを無造作に破り捨てた。
「そうか……もう、あれから一年か……ドラゴンが死んで」
──あの日を、忘れることはできない。
一年前。突如として世界各地に“巨大不明生物”が現れた。軍隊の砲火も通じず、人類はなすすべもなく蹂躙された。
日本には“三つ首のドラゴン”──通称《ガルヘッド》が襲来。
市民は喰われ、潰され、街は瓦礫と化した。
あらゆる希望が絶たれかけたそのとき、
“彼ら”が現れた。
青い衣に三角帽子の大剣使い。
露出度の高い戦闘服の女戦士。
赤いタンクトップにサングラスをかけた俊足の男。
黒いローブを纏った骸骨のような何か。
そして、リーダー──勇者《ソラリス》。
彼は巨剣を振り回し、ガルヘッドの三つの首を次々と斬り落とした。
その戦いぶりは、まるで神話そのものだった。
その後もソラリスは空を飛び、世界中の怪獣を次々と仕留めていく。
人類は彼を「救世主」と称え、英雄として祀り上げた。
パレードを終えたソラリス一行は、ゆっくりと自社ビルへと帰還する。
そう、彼らは世界を救った後、自らの“ギルド会社”を設立した。
今もなお、世界各地で出現する巨大不明生物の討伐を請け負い、活動を続けている。
──だが、それはすべて演技だった。
ソラリスは、自社ビルの最上階で一人、葉巻を咥えていた。火をつける仕草すらも、洗練されたパフォーマンスの一環のように見える。
「まったく……毎度のことながら、クソ人間どもを相手にするのは疲れるな」
うんざりしたように煙を吐き出すと、部下へと命じた。
「次の怪獣を出せ。今度は──大阪だ」
ソラリスコーポレーション本社──東京都心にそびえる鏡面の塔。
地上80階、地下13階。一般には「勇者のギルド会社」として認識されているが、その内情を知る者はほとんどいない。
──地下3階・研究部門。
白衣を着た社員たちが、黙々とモニターと試験管に向き合っていた。
誰一人、私語も息抜きも許されない。呼吸の音すら、はばかられるような沈黙。
そんな緊張を破るように、エレベーターが無機質な音を立てて開いた。
現れたのは、ソラリス。
葉巻の煙を漂わせながら、ゆっくりと歩を進める。背後には、巨大な剣を背負ったままの剣闘士リアと、表情一つ変えないアサシン・ホローの姿があった。
「……おや?」
ソラリスの足が止まった。指先が、ある若手研究員の肩に触れる。
「君、さっきからマウス操作が止まってるね。何か問題でも?」
若い男は震えながら立ち上がった。
「い、いえ……その……昨晩の解析でエラーが出てしまい、修正に……その、三十六時間ほど……起きていなくて……」
「ああ、なるほど。エラーか」
にこやかに、ソラリスは頷いた。
次の瞬間だった。
**バキィッ!**という鈍い音が、地下室の空気を裂いた。
ソラリスの拳が、研究員の顔面を真正面から打ち抜いていた。
男は椅子ごと吹き飛び、床に激突した。モニターが倒れ、ガラスが割れる。
「三十六時間働いてエラーを出す? ふざけるな。そんなもの、努力とは呼ばん」
吐き捨てるように言うと、彼はその場に膝をつく研究員の頭を、革靴のかかとで無造作に踏みつけた。
「努力とはな、“成果が出てから”報われるもんだ。お前らは神に仕えてるんじゃない。神そのものに仕えているんだよ、わかるか?」
床に這いつくばった研究員は、鼻血を流しながらかすれた声で叫んだ。
「……ハ、ハイ……申し訳ありません、ソラリス様……!」
「よろしい」
ソラリスは足をどけると、後ろを振り返った。
「リア、ホロー。こいつは見せしめに吊るしておけ。モルモットの檻の隣がいい」
無言で頷き、リアとホローが無様に転がる研究員を担いでいく。
社員たちは、まばたきすらせずに作業に戻った。息を吸う音すら、どこか申し訳なさそうだった。
──一方そのころ。別室にあるオペレーション会議室。
壁一面の巨大モニターには、衛星からの都市情報と怪獣出現予測アルゴリズムが映し出されている。
その部屋の中央に座る女──社長秘書であり“元魔女”のリタが、静かに報告を行っていた。
「次のターゲットは大阪・梅田地区。人口密集率高、メディア露出も十分です。PR効果は高いでしょう」
「怪獣の種類は?」
「四足歩行型、毛皮と触手を融合した設計で、愛玩動物と古代の邪神を掛け合わせたようなイメージ。コードネームは──《ネズ=ゴン》としました」
ソラリスは頷いた。
「いいね。それなら子どもも泣くし、老人も騒ぐ。──映えるな」
彼は楽しげに笑い、葉巻の煙をくゆらせた。
「じゃあ、いつも通り。午前4時に発生。メディアにリークさせてから……午前9時、出動だ」
リアは軽く頭を下げる。
「承知しました、勇者様」
──こうして“次なる救済劇”が、着々と準備されていく。
狂った神と、それを支える沈黙の信者たちによって。
大阪・梅田。午前4時。
黒い雲の底から、ねっとりとした影が垂れ下がるように現れた。
地響きとともに、四足歩行の巨獣が街に降り立つ。長い毛皮に覆われた胴体から、蛸のような触手が無数に伸び、そこかしこで窓ガラスや信号機を絡めとって破壊していく。
──コードネーム《ネズ=ゴン》。
地面に開いた裂け目から、轟音が響いた。人々の悲鳴が混ざり合い、交差点は地獄のような有様だった。
「……出たな」
木原は現場の一角、瓦礫の上に立っていた。
しわくちゃのスーツに泥がこびりつき、ポケットにはウイスキーのフラスコが入っている。
その目は赤く血走っていた。
「テメェらが作ったオモチャで、どれだけ人間が死ねば気が済む……!」
低く、誰にともなく呟く。
周囲の警官隊は恐怖に顔をこわばらせ、退避命令を受けて逃げ惑っていた。彼らの視線の先に、“あの男”が降り立つ。
緑のスーツに身を包み、剣を背負い、額に青白い光を宿す男──勇者《ソラリス》。
背後に剣闘士リア、音速のバニー、アサシン・ホローを従え、颯爽と空から着地した。
「安心しろ、市民諸君──ここからは我々の仕事だ」
ソラリスは完璧な笑顔で言い放ち、剣を引き抜く。
その刃は怪獣の粘液を受けてなお、冴え冴えと青い光を放つ。
しかし木原は一歩も退かない。
剣を構えるソラリスの前に、わざと立ちふさがった。
「……その口で、よく言えるな。あんたらの“仕事”の後始末は、全部こっちに回ってくる」
ソラリスの目が細められる。
周囲のパーティーメンバーが、一瞬、空気を張り詰めさせた。
「……刑事さん。危険だから下がっていなさい。これ以上は、君の身のためにもならない」
「“俺の身のため”ねぇ……ハッ」
木原は口元を歪め、上着の内ポケットから銃を取り出した。
それをソラリスの胸元に向ける。
「お前の正義がどんなもんか、見せてもらおうじゃねぇか。……英雄サマよ」
ネズ=ゴンが咆哮した。
ビルの壁面が崩れ、無数の瓦礫が降り注ぐ。触手が車を巻き込み、粉砕する。
ソラリスはちらりと木原に目を向けると、薄く笑った。
「──面白い男だ。だが、今はショーの最中だ。観客が邪魔をしてはいけない」
その言葉と同時に、彼の額から青白いビームが迸り、怪獣の触手を次々と焼き切っていく。
バニーとリアが高速でビルの壁を駆け上り、ホローが影の中から触手を切断する。
木原は、ただその光景を見つめていた。
「……クソが。あんな茶番で、誰が信じるかよ……」
かすれた声で呟き、拳を握り締めた。
そのとき、ソラリスが怪獣の上に飛び乗り、剣を掲げて振り向いた。
「さあ、刑事。見ているがいい。これが──正義だ」
剣が振り下ろされる。
刹那、ビル群を揺るがす轟音と閃光が街を覆った。