一時間に一度しか電車の来ない駅前の寂れた商店街。そのほど近くに軒を連ねる家々は負けず劣らず寂れている。
道を知らなければ容易く見逃すような隙間、影の差す路地裏に迷わず足を進める。
入ってすぐに右に曲がる、壁の無機質な色と不釣り合いな配管を目印に左、足を引っかけそうになる植木鉢を見かけたらその方向にまっすぐ進む。夕暮れ時とはいえ、あまりに薄暗い路地裏が窓越しの照明によって暖かく照らされる。ようやく見えた、いつもの灯り、いつもの店。
焦茶色の屋根、ステンドグラスをはめ込んだ窓、店頭には昔ながらの看板が立つ、シックなフォントで店名が掲げられている「カワセミ珈琲店」。見慣れた景色を横目に手慣れた動作で少し重い年季の入った扉を開いた。
店内に進み、なるべく音を立てないように扉を閉める。コーヒーの芳醇な香りが鼻を打ち、アンティーク調のカウンターと椅子が自分を向かい入れる。
「いらっしゃいませ」
こちらを確認したマスターが会釈をする。つられてこちらも会釈を返す。いつもの流れ、いつもの動きだ。
いつも通り丸テーブルの席を確保し、冷コーヒーを注文、ミルクとフレッシュもつけてもらう。去年の秋ごろから、春の今まで変わらないルーティーン。飽きることを通り越してどこか安心すら覚える。もはや日常の一部だ。
「やあやあ、待たせたね」
くすんだ色の扉が勢い良く開き、彼女が来店した。日常が乱され始める。
「いらっしゃいませ」
マスターがワンテンポ遅れて会釈をする。マスターに手を振って返した彼女は、ずんずんと自分の席まで近づいてくる。
「君は何頼んだ?どうせアイスコーヒーだよね」
質問を自己完結させると、当然のように向かいの席にジャケットをかけ始める。
「僕は何にしようかな~、まあ無難に、マスター、ブレンドを一つ。ブラックで」
文句を言う暇も与えず、意気揚々と注文を済ませている。
向かいに座り、何を思っているのか自分の目を見つめている。
「アズサさん、席に座る前に、相席いいですかとか聞いてくださいよ」
見つめられる気まずさに耐えられず思ったことをそのまま口に出す。
「そんな前置き要らないだろ~、僕とヨシノ君の仲じゃないか」
まだ四回しか会っていない我々の間にどんな仲があるというのだろうか。
「お待たせしました」
マスターが丁寧な所作で冷コーヒーを運んでくる。注文してすぐに出てきたところを見るにマスターにも何を頼むか察せられているらしい。これだけ通えばそれも当然だろうか。
「さあ、君の好物も来たことだし始めようぜ「紫陽会」」
「紫陽会(しようかい)」向かいの席でニコニコしている彼女の名に由来するこの会は、読書を共通の趣味にしている我々が、自作の小説を紹介しあう。なんとも気恥ずかしい催しである。
「今回のテーマは「忘れられないもの」だったね」
「そうでしたね」
冷コーヒーにフレッシュとミルクを注ぎ、かき混ぜながら答える。
「一応確認するけど、ちゃんと書いてきたよね?小説も君の忘れられないものになっているといいんだけど」
「ええ、忘れずに書いてきましたよ。アズサさんはどうです?」
自分としては、この会の存在を忘れておきたかったのだが。
「もちろん、ばっちりだぜ」
ブレンドが待ち遠しいのかカウンターの方に目を向けながら、歯を見せたわざとらしい笑みを浮かべている。
「じゃあまずはヨシノ君から発表してもらおうかな」
「何でですか、アズサさんからにしてくださいよ」
「やだよ、恥ずかしいし」
自分の名前をもじった会をウキウキで作っておきながら、どの口がいうのか。
「自分だって恥ずかしいですよ」
「これは僕の優しささ、待つ時間が長いほど恥ずかしい時間も増えるだろ」
「なら、自分だって優しくしますよ」
「いいから、発表は君からだ。コーヒーおごってやるから」
マスターがブレンドを運んできた。手渡しで受け取ると話はここまでだといわんばかりに息を吹いてブレンドを冷ましている。こうなると彼女は強情だ。
あきらめて冷コーヒーに口を付ける。鼻を通り抜ける澄んだ香り、ミルクとフレッシュの甘味によく合う苦みと酸味、いつもの味だ。
「わかりました。それじゃあ発表しますよ、つまらなくても文句いわないでくださいね」