「わかりました。それじゃあ発表しますよ、つまらなくても文句いわないでくださいね」
そう言って自分は彼女にスマートフォンを渡す。我ながら不用心な方法だと思うがこれが一番マシな方法だ。どこかの小説サイトへ投稿するのは恐ろしく、メッセージアプリで送信するには長文が過ぎる。
「楽しみしてたんだ、文句なんて言わないさ。感想は述べさせてもらうけどね」
渡されたスマホに彼女の指がスワイプをし始める。
「黒猫」 作:吉野晃大
秋晴れの風が心地のいい日、電車に乗って田舎に遠出をした帰り道、座りっぱなしで疲れた足を引きずる僕は、一匹の黒猫を見た。錆びたシャッターのついた小屋の上に黒猫が乗っていた。
「黒猫」そう表現したが、初めて視界にそれを収めた時、僕にはそれが何かわからなかった。
夕空に穴が開いているように見えた。空がくり抜かれているように思えたのだ。尖ったようなまあるいような不思議と愛嬌のある形に。
脳が理解に追いついたとき、僕はそれが猫であると考えた。そのシルエットから猫であろうと判断した。その柔軟で愛らしさを感じる形状に猫を感じた。決して色味や造形で判断したのではなかった。
むしろその色味や造形は猫であることを否定していた。その猫と思しきシルエットの黒は、夕陽に赤く染まる空や赤錆がまとわりついたシャッターと対照的にどこまでも暗かった。動物である感じがしなかった。黒が佇んでいる周囲だけ視界が歪んだように思えた。目を凝らしてみても毛のふくらみや手足の境界も認識できない、夕陽を見つめているのか、目鼻すら確認が取れなかった。中身が入っているにも関わらず、ラベルがはがされているペットボトルのような得体の知れないものに対する恐れを感じた。
黒色は、色ではなく光が反射せず吸収されてしまっているだけという話が頭をよぎった。それ程にその黒は深く暗かった。
黒を見つめるうち僕は不安を覚える。その黒から不吉なものを感じたからだ。それは、迷信から来ていたように思う。異様に黒いあの猫に前を横切られでもしたら、どんな恐ろしい目に遭うか分からないと本気で考えた。今思い返すと馬鹿馬鹿しいようだけれど、その時は本当に恐ろしかった。
僕は、黒猫が動き出す前に帰ってしまおうと急いで足を動かした。
足を前に進めながら、黒猫は本来幸運の象徴であるという話を必死で思い浮かべるようにしていた。どこかで聞いた出所も真偽も定かではないその情報に縋りたいように思った。
家の玄関に着き鍵を取り出す段になって僕は、ようやく平静を取り戻した。それと同時に下らないことで焦っていたことへの羞恥にはにかんだ。部屋に入り鍵を閉め、ため息を吐き出す。あの黒が猫であると確信できない自分に嫌気を指しながら。
彼女がスマホをテーブルの中心に置く。
「黒猫か、どこでだって見かけられるようなものほど、忘れられないものかな」
「読み終わりましたか」
「うん、感想としては、まあいいんじゃないかな」
えらく気の抜ける感想だ。本当に楽しみにしていたのか。
「一応、高評価ってことですか」
「そうだよ、ただ暗い感じがしてね。黒がどうとか不幸がどうとか」
「多少脚色はしましたが、見かけた当時思ったことを書いたつもりですよ」
テーマに沿うように書こうと思うとどうしても暗くなってしまったのだ。
「でも、好きなところもあったよ。猫についての描写とかさ」
彼女にしては珍しく気を遣ったようなことをいうと、黒色のケースを付けたスマホを取り出し画面をいじる。
この黒に何の言及もしないところを見るに、彼女の心には何も残らなかったらしい。
「それじゃあ、僕の作品も発表するか」