十二月の風は、容赦なく肌を刺す。
マフラーの隙間から入り込んでくる冷気は、まるで氷の刃物みたいに鋭くて、私は思わず首をすくめてコートの襟を立てた。
吐く息は白く、街灯の光に照らされては霧散していく。
トレセン学園からほど近いこの商店街は、年末特有の浮き足立った空気と、冬の寒さを凌ごうとする人々の熱気が入り混じって、一年で一番「生きてる」って感じがする季節を迎えていた。
私は両手に食い込むエコバッグの重みを確かめながら、アーケードの入り口で一度足を止めた。
頭上からは、少し音割れしたスピーカーから流れるクリスマスソングと、商店街のお馴染みの呼び込みの声が降ってくる。
西日の暖かさはもうないけれど、ここには別の種類の暖かさがある。
無数の赤提灯が灯り、店先から漏れる湯気が白いカーテンのように揺らめいている光景。
「……さて、と。気合入れますか」
誰に聞かせるでもなく呟いて、私はその光の渦へと足を踏み入れた。
今日のミッションは重大だ。
チーム・カノープス恒例、冬の鍋パーティー。
その買い出しを一手に引き受けた(というより、ジャンケンで負けた上に、他のみんなに任せるとろくなことにならないと判断した)のが、私、ナイスネイチャである。
アーケードの中は、外よりも幾分か暖かい。
風が遮られていることもあるけれど、何より、人と食べ物の熱気が充満しているからだ。
八百屋の軒先には、泥付きの立派な大根や、丸々と太った白菜が山のように積まれている。
その青臭い土の匂いに、冬の冷たい空気が混ざる独特の香り。
私はメモを取り出し、イクノディクタスがきっちりと栄養バランスを計算して弾き出したリストを確認した。
「ええと……白菜一玉、長ネギ三本、春菊……あと、キノコ類か」
八百屋のおじさんと「今日は鍋かい?」「うん、うちのうるさい連中が肉だけじゃヤダって言うからさ」なんて軽口を叩きながら、冬野菜をカゴに放り込んでいく。
白菜はずっしりと重い。
その重みを感じると、ああ、冬が来たんだな、と実感する。
夏野菜の軽い彩りとは違う、生命力を蓄えた重量感。これはこれで、悪くない。
野菜を買い終えると、次は豆腐屋だ。
店先にあるステンレスの水槽からは、夏場とは違ってうっすらと湯気が立っているように見えるけれど、実際には指が切れそうなほど冷たい水が張られている。
その中で、木綿豆腐が白く静かに鎮座している。
辺りには、大豆を煮る甘い香りと、冷たい水の清廉な匂いが漂っていた。
湿ったコンクリートの床が、照明を反射して鈍く光る。
「おばちゃん、木綿二丁。あと油揚げ、厚いやつね」
「はいよ、ネイチャちゃん。精が出るねぇ」
ビニール袋に入れられた豆腐を受け取ると、ひんやりとした冷たさが手袋越しにも伝わってきた。
鍋の中で熱々に煮込まれる前の、静かな冷たさ。
これをハフハフと言いながら食べる時の、ターボの火傷しそうな顔や、マチタンの幸せそうな笑顔が脳裏をよぎる。
……ったく、想像しただけで少しニヤけちまう自分が悔しい。
私は「モブ」を自称してはいるけれど、あの騒がしいチームの「お母さん」役まで引き受けた覚えはないんだけどな。
まあ、あいつらが腹を空かせて待ってると思うと、悪い気はしない。それが私の、今の立ち位置ってやつだ。
さらに奥へ進むと、いよいよ匂いの本丸が近づいてくる。
『肉のサタケ』。
この商店街で一番の行列ができる、揚げ物惣菜と精肉の聖地。
冬のこの時期、店の前は白い湯気と、ラードの濃厚な香りで結界が張られているみたいだ。
換気扇が唸りを上げ、パチパチという油の爆ぜる音と、ジュワァアという食欲をそそる重低音が、寒空の下で待つ人々の胃袋を鷲掴みにしている。
揚げたてのコロッケ。メンチカツ。唐揚げ。
それらの香ばしい匂いは、夏の湿った空気の中で嗅ぐよりも、冬の乾燥した空気の中の方が、より鋭く、より切実に鼻腔を刺激してくる。
私は豚バラ肉と鶏団子用のひき肉を注文した後、ショーケースの中で黄金色に輝くそれらから目を離せなくなってしまった。
重い荷物を持って、ここまで歩いてきたんだ。
これくらいの役得、あってもいいよね?
「……おじさん、コロッケ一つ。今食べるから、そのままで」
私の注文に、店主はニカっと笑って、揚げたてを紙袋に入れて渡してくれた。
熱い。
かじかんだ指先に、紙袋越しの熱がじんわりと染み渡る。
カイロなんて目じゃない熱さだ。
私は店の脇、少し人通りが少なくなった路地の端に立って、マスクをずらした。
白い息と共に、コロッケにかぶりつく。
サクッ、という乾いた音。
その直後に広がる、ホクホクとしたジャガイモの甘みと、肉の脂の旨味。
熱々の蒸気が口の中で暴れて、私は思わず「はふっ、あつっ」と声を漏らした。
「……んー、おいし」
冷え切った体に、熱量が直接注入されていく感じ。
鼻先が冷たい風に晒されている分、口の中の熱さが際立つ。
商店街を行き交う人々を眺める。
コートの襟を立てて足早に歩くサラリーマン、手を繋いでポケットに入れ合うカップル、大きなネギを袋からはみ出させて笑うお母さんたち。
みんな、寒い寒いと言いながら、どこか楽しそうだ。
きっとこの後、それぞれの家に帰って、暖かい食卓を囲むんだろう。
私も、その中の一人だ。
特別キラキラした主役のストーリーじゃないかもしれない。
G1勝利の華々しいインタビューも、センターでのウイニングライブもないかもしれない。
でも、帰り道を待っている仲間がいて、一緒に鍋をつつく場所がある。
ターボはきっと「おせーよネイチャ! お腹と背中がくっつくー!」って叫ぶだろう。
イクノは「ターボさん、姿勢を正してください。ネイチャさん、レシートの計算は合っていますか?」って眼鏡を光らせる。
マチタンは「わあ、おかえりネイチャちゃん! 鍋の準備、お皿だけは並べておいたよ~! ……あ、一枚割っちゃったけど」なんて言うに決まってる。
そしてトレーナーは、そんな私たちを見て、困ったように、でも嬉しそうに笑うんだ。
……うん。悪くない。
むしろ、最高に贅沢な「脇役」の冬じゃないか。
最後の一口を飲み込んで、私は紙袋をくしゃりと丸めた。
お腹の底から力が湧いてくる。
さあ、帰ろう。
荷物は腕がちぎれそうなくらい重いけれど、足取りは不思議と軽かった。
商店街のスピーカーから、五時のチャイムが鳴り響く。
夕闇が本格的に降りてきて、アーケードの照明がいっそう輝きを増した。
私はエコバッグを持ち直し、マフラーに顔をうずめると、雑踏の中へと再び歩き出した。