なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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天才の証:ホラー
オープニング


 

 

「……語られない物語?」

 

 青見は、マグカップを持ったまま固まった。窓の外では、郡山駅前のロータリーをバスがぐるぐると回っている。どこにでもある地方都市の夕方の景色――のはずなのに、伊集院の口から「敗者の集う地」なんて言葉が出てくると、街の輪郭が少しだけ歪んで見える。

 

「勿論、あるさ」

 

 伊集院貴也は、癖のある笑い方をした。いつもの、授業中にはまず見せない顔だ。伊達眼鏡の奥の目が、青見の反応をじっと観察している。

 

「……オカルト研究会に入ってると、そういう話が自然に集まるんですか?」

 

「違うね。語られない物語ってのは、そもそも“語られない”ように出来ている。人が意図的に黙る場合もあるし、記録そのものが消される場合もある。ここ郡山の場合は、後者だ」

 

「記録が……消された?」

 

 青見の隣で、伊集院の祖父――白髪をきっちり撫で付けた老人が、静かに湯呑みを置いた。

 

「青見くん。世界には、二種類の“歴史”があるよ」

 

「二種類、ですか」

 

「うむ。一つは、人が自分たちの都合で書いた歴史。もう一つは、“世界”が自分を守るために塗り替えた歴史だ」

 

「世界が、自分を守る……?」

 

「今、君が興味を持っているのは、たぶん後者だろう。わしの孫と同じ目をしている。厄介な目じゃ」

 

 祖父はおかしそうに笑うが、その目は笑っていない。

 

「郡山には、ちゃんと物語があった。竜の話でも、武将の残酷な伝説でも、怪異譚でもない。もっと、形容しがたい“何か”の物語がな」

 

「それが消された、と」

 

「そう。“こちら側”で生きるには、無いことにした方が都合が良かった。……だが、消したものの“形”までは完全には消せんのだよ。痕跡は残る」

 

 青見は思わず窓の外を振り返った。平凡なビル群。駅ビルの看板。チェーン店の明かり。だけど、そのどれもが“上書きされたレイヤー”のように見えてくる。

 

「痕跡って、例えば……?」

 

「場所、だよ」

 

 伊集院が、テーブルの上に郡山の簡単な地図を広げる。コンビニのコピー機で印刷したような、白黒の味気ない地図だ。だが、そのいくつかの点にだけ赤ペンで丸が付けられている。

 

「青見。君の通学路の途中にある神社、わかるか?」

 

「あの……線路沿いの、誰も寄りつかない小さいやつですか?」

 

「そう。それから、旧市街の方の、商店街の抜け道になっている路地。あそこの突き当たりの、空き地。あれもそうだ。それから、郡山第一病院の旧館、屋上の……」

 

「待って下さい。全部、知ってますけど……あそこってただの――」

 

「“ただの”と言い切れるかどうかだね」

 

 伊集院は、さっきの祖父の言葉をなぞるようにして、指で地図の赤丸をなぞった。

 

「ここは、語られなかった物語の“継ぎ目”みたいな場所だ。人間の歴史と、“世界”の歴史が擦れて、ほつれて、縫い直された縫い目の跡とでも言えばいいかな」

 

 祖父が静かに付け加える。

 

「君たちは、そういう継ぎ目に気づいてしまうタイプだ。だからこそ、最初の言葉を話したのだよ」

 

「……一度目は偶然、二度目は必然、三度目は当然、ってやつですか」

 

「うむ」

 

 祖父は頷き、青見をまっすぐ見た。

 

「君はもう、“二度目”に足を踏み入れている」

 

 その言葉に、青見の喉がひゅっと鳴った。思い出す。あの、雨の夜の線路脇。見なかったことにした、あの“影”。そして、つい先週の、旧病院の火災報知器誤作動騒ぎ――あの時、階段の踊り場で聞こえた、耳鳴りとも音楽ともつかない“メロディー”。

 

 自分では、ただの偶然の積み重ねだと思っていたことが、ぐい、と別の軸で繋がっていく感覚。

 

「三度目は……?」

 

「三度目は当然、だ。こちら側に留まりながら、向こう側を覗き続ける覚悟を決めた者だけが辿り着く。探索者と呼ばれる者たちの立ち位置だな」

 

 伊集院は、面白がるように笑う。

 

「君がそこまで行くのかどうかは、君次第だ。……でも、たぶん君は行くだろう。その顔はもう、“物語の外”には戻れない顔をしている」

 

「……先生、脅してます?」

 

「忠告しているつもりだよ」

 

 祖父が湯呑みを持ち直し、ぽつりと言った。

 

「物語には、語り手がいる。だが、“語らせない物語”には、語り手がいない。その代わりに――『聞き手』が必要になる」

 

「聞き手?」

 

「君のような若い目と耳が、必要なのさ。世界のほころびを見つけ、それを“こちらの言葉”に翻訳してくれる者が。そうでなければ、ほころびはひっそりと広がり、ある日、何もかも飲み込んでしまう」

 

 青見は、マグカップの底に残ったコーヒーを見つめた。黒い液面が、ほんの僅かに波打っている。誰も触れていないのに。

 

(……偶然、か)

 

 猫の通り道のような路地。人が寄りつかない神社。廃墟寸前の旧館。そこで聞いた、意味のないはずの“音”と“気配”。

 

(本当に、全部偶然か?)

 

「青見」

 

 伊集院の声が、思考を引き戻す。

 

「まずは一つ、選びなさい。どの“継ぎ目”から覗いてみるか。それが、君にとっての“二度目”の入り口だ」

 

 地図の上で、赤い丸が、ごくわずかに滲んで見えた気がした。

 

 ――語られなかった物語は、確かにそこにある。

 

 ただ、まだ言葉になっていないだけで。

 

 

 

/*/事件前夜・東/*/

 

 

 夏が過ぎ、あの溶けるような暑さは、もうどこにもない。

 夜空にはフォーマルハウトが昇る季節。

 蜃気楼みたいに揺れていた空気も、少しずつ澄み渡っていく。星がきれいに見えるようになればなるほど、空気は温度を失い、冬の寒さへとつながっていく。

 

 オレは東青見(あずま・あおみ)。

 この春から高校に通う――まあ、自分では「それなりに普通の学生」だと思っている。

 

 オレたちくらいの年齢だと、ふつうはパソコンよりもスマホが主流だ。

 でもオレは、ネットのやり取りはもっぱらパソコン派だ。だって仕方ないだろ?

 オレの欲しい情報は、スマホじゃなくて、パソコンの向こう側にしかないんだから。

 

 ……昔から。物心ついたときにはもう、オレは「遠くに行きたくて仕方ない」人間だった。

 どこでもいいわけじゃない。行きたい方向は、決まっていた。

 

 北東。

 

 そこにどんな意味があるのかは、今でもよくわからない。

 けれど、とにかく「東で北な方向」に行きたい――そういう衝動が、どうしようもなくオレを突き動かす。

 

 何かが待っている。

 何かを見つけなくちゃならない。

 

 そんな、理由にならない理由のせいで。

 

 小学生の頃、オレは一人で歩いて、四十キロも離れた隣の市まで行ったことがある。

 黙って家を出たから、大騒ぎだ。誘拐騒ぎになって、警察まで呼ばれて、めちゃくちゃ怒られた。

 

 中学のときには、お年玉と小遣いを貯めて、夏休みに北海道を歩き回った。

 今度はちゃんと学習して、親に事前に許可を取ってから出発した。

 

 けど、そこも「違う」と感じた。

 

 だから、もっと遠くへ行こうと思った。

 ……さすがにおおらかな両親も、「中学生の海外一人旅」には首を縦に振ってくれなかったので、高校生になるのを待つことにした。

 

 もちろん、ただ待っていただけじゃない。

 

 親から出された一人旅の条件は二つ。

 一つは、私立の進学校への合格。

 一つは、旅先で困らない程度の英会話力を身につけること。

 

 その二つをクリアするために勉強しながら、時間が過ぎるのを待った。

 

 ――人間、黙ってるだけじゃ無駄に年を取る。

 黙っていても時間は流れるが、黙っているだけじゃ能力は身につかない。

 

 我ながら年齢不相応な考えだとは思う。父さんの影響だろう。

 おかげで、オレはいつも周囲から浮いていた。

 別に「悪ぶってる」つもりはないのに、浮いているせいでそう見えるのか、中学の頃はそういう手合いの連中にはずいぶんとお世話になった。

 

 高校に入れば、少しはマシになるだろう――そう思っていた。

 

 一つの節目を越えて、人間は多少なりとも大人になるはずだ。

 ……と期待していたのだが、甘かった。やっぱりオレは浮いていた。

 

 ――まあ、その話は置いておこう。

 

 インターネットは匿名性が高い。だから、年齢を気にせず大人たちに紛れて会話ができる。

 この夏、ついにオレはカナダのグレイシア・ベイに行くことができ、その流れで「海外旅行をしている人たちが集まるサイト」に参加させてもらうことになった。

 

 サイト名は「不思議見るアリス」。

 

 好奇心から三月兎を追いかけ、不思議の国を駆けたアリスみたいに――

 「好奇心と冒険心のままに地球を歩こう」というのがコンセプトらしい。

 可愛らしい名前とは裏腹に、そこで飛び交う地名は

 

 「ゴビ砂漠」

 「ジブラルタル海峡」

「ガンジス河」

 

 ……と、日本人の海外旅行=ハワイ、なんて既成概念を粉々にしてくれる。

 

 しかもその中身がすごい。

 

 「病気になって強制送還された」だの、

 「徒歩旅行でニュースを見てなくて、紛争地域にうっかり踏み込んだ」だの、

 「ヤクの売人と間違えられて、ホテルに警察が踏み込んできた」だの。

 

 そんな、巻き込まれたトラブルや失敗談、その対処法なんかが山ほど書き込まれている。

 これからもっと遠くへ行こうとしているオレには、どれもこれも非常に参考になる話ばかりだ。

 

 オレは、今のところ質問する側に回ることの方が多い。

 海外といっても、オレの旅の経験はまだ国内がほとんどだから仕方ない。

 だけど、オレの視点からの話もそこそこ面白いらしく、常連たちにもそこそこ受けているようだ。

 

 たとえば――

 

 山で野宿していたら、猿に食料を持っていかれた話とか。

 猪に追いかけられた話とか。

 猟友会に本気で誤射されかけた話とか。

 

 そんな話を書き込むと、管理人や常連たちからは

 

「近場にも冒険はある」

 

 と、ありがたいコメントをもらえる。

 そうやって、だんだんと顔なじみの常連たちと仲良くなっていった。

 

 掲示板そのものは、実際に書き込んでいるのは十人くらいの常連がほとんどで、気の合う者同士、和やかな雑談が日々続いている。

 そんな中、「オフ会を開こう」という話題が持ち上がった。

 

 ここでは、これまでも何度かオフ会が開かれていて、別に珍しいことではない。

 掲示板にはさっそく参加表明の書き込みが並び始めた。

 

 その中で、珍しい人物が二人いた。

 

 一人はオレ。ハンドルネームは「イースト・ブルー」。

 そしてもう一人は、「カモノハシ」という名前で書き込んでいる常連の一人。

 

 二人とも、それまで一度もオフ会に顔を出したことのない常連だ。

 その二人が、今回に限ってそろって参加表明をしたものだから、一気に話題の中心になった。

 

 カモノハシは、オレと同じくらいの時期――一年前くらいからネットに書き込みを始めた人物で、ほぼ同時期にこのサイトにも顔を出し始めた。

 書き込みの内容はいつも丁寧で、親しみやすく、常連の間でも人気者だ。

 

「カモノハシさんに会えるのが楽しみです!」

 

 というレスが次々とつき、

 

「カモノハシさんが来るなら、無理してでもオフ会に参加したいです」

 

 なんて書き込みまで増えていく。

 

 メールでやり取りした限りでは、オレから見てもかなり好感の持てる人物だった。

 それも当然だと思う。

 

 するどい着眼点と、文章の理解力。

 純粋な知識量はそこまで多くなさそうなのに、頭の回転がとにかく早い。

 逆に、オレでも知っているような一般常識や、ひと昔前の話題(オレが知らなかったような古いネタも含めて)について、素直に質問してくることもある。

 

 だからオレは、カモノハシを

 

「たぶん、オレと同年代くらいの、頭のキレる奴」

 

 と勝手に推測している。

 

 性格も穏やかで、争いごとを好まないタイプらしい。

 知的好奇心を満たすために掲示板へ来ているのであって、知識をひけらかして自己顕示欲を満足させるようなタイプじゃない。

 それもまた、人気の理由なんだろう。

 

 これまでのオフ会は、たいてい居酒屋で開かれていた。

 中学生だったオレが参加できるはずもない場所だ。

 

 だけど、今回は――何を思ったのか――「ケーキバイキングでオフ会」ということになった。

 

 そのおかげで、ようやくオレも参加できるようになったわけだ。

 常連のみんなに会えると思うと、正直かなりワクワクしている。

 

 ……ただ、一つだけ残念なことがある。

 

 長いあいだ謎の存在だった「イースト・ブルー」、つまりオレの参加表明は、

 翌日になされたカモノハシの参加表明によって、きれいさっぱり影が薄くなってしまった。

 

 ――ま、そういう星の下に生まれてるんだろ、オレは。

 

 

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