なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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突入射角

 

 

 三森家から少し離れた路地にMTBを止め、鍵をかけてから、オレは徒歩で屋敷へ向かった。

 

 表札の掛かった門を抜け、小道に足を踏み入れる。

 足元に注意を払いながら、できるだけ足音を殺して進む。

 

 本当は雑木林側から近づいた方がそれっぽいのだろうけど、ああいうところは葉擦れの音が意外と大きい。静かに動きたいなら不向きだし、万が一近所の目に留まる危険もある。

 その点、正面から堂々と入ってしまえば、逆に怪しまれにくい。

 どうせ一度敷地内に入ってしまえば、外から様子をうかがうことは出来ないのだから。

 

 夜の森は暗い。

 

 それは単に照明が少ないからとか、そういう話じゃない。

 濃紺の夜空を背景に、黒々と浮かび上がる樹々の塊は、まるで人の恐れそのものみたいにそこにある。

 

 確かに夜の森は危険だ。

 けれど、それと折り合いをつけられるなら、過剰に怯える必要はない。

 むしろ、むやみに怖がる方が危ない。

 

 それでも胸の奥からせり上がってくるこの感情は――恐怖であり、畏れなのだろう。

 

 オレを含めた全てを抱きこみながら、どれほど我儘を通そうとも「お前も世界の一部だ」と包み続けてくれる自然への畏怖。

 

 どんなに小さな林でも、どれほど深い森でも、その感覚だけは変わらない。

 

 暗い小道を、オレは静かに、ゆっくりと歩く。

 通りから差し込んでいた街灯の明かりもすぐに途切れてしまい、あとは闇の中を進むだけだ。

 

 曲がりくねった道の先は見えず、足元さえおぼつかない。

 それでも、オレは一歩ずつ、亀みたいな速度で前へ進む。

 遅くても、たしかに前へ進んでいる――そんな夜の小道。

 

 あの時も、オレは夜道に独りきりだった。

 

 あの時は、走っていた。

 恐ろしくて、怯えて――ただ、逃げていた。

 

 あれから。

 あの“赤い夏”から、まだ二ヶ月半も経っていないのか。

 信じられないほど、遠い昔のように感じる。

 

 決して忘れられない、真夏の夜の悪夢。

 

 ふと、前方にかすかな明かりが見え、顔を上げる。

 

 森の切れ間から顔を出した空には、金青石を散りばめたみたいに星が瞬き、その下に三森家のシルエットが黒々と浮かんでいた。

 

 二階――玄関から見て右奥の部屋に、明かりが灯っている。

 

 息を殺し、その真下まで近づいて耳を澄ますと、テレビの笑い声のような音が微かに聞こえた。

 

 どうやら、オレはあの二人に警戒されてはいないらしい。

 

 ほっと胸をなで下ろし、それから気持ちを引き締める。

 オレに気づいていないなら、それはチャンスだ。

 

 玄関左脇の応接間――カーテンも閉められていない――の窓まで移動する。

 ウェストポーチからビニールテープとポケットナイフを取り出した。

 

 鍵の周囲を囲むように、切ったビニールテープをしっかり貼り付ける。

 それからテープとナイフを片づけ、代わりに取り出したのはプラスチックハンマー。

 

 音が響きすぎないように気を配りながら、必要最小限の範囲だけを叩き割る。

 

 低く鈍い音が、夜気に溶けていった。

 

 人間の耳は高音に敏感だが、低音は意外と聞き取りづらく、どこから来た音かも分かりにくい。

 階下まで届く音量でテレビをつけている人間が、この音に気づくことはまずない。

 

 窓から身を滑り込ませると、応接間の空気がひやりと肌を撫でた。

 

 凝った細工のテーブル、ソファ、壁に掛けられた絵画――

 だが暗さのせいで、その細部まではよく見えない。

 

 外の星明かりに目が慣れていた分、室内の闇は一層濃く感じられた。

 

 オレは窓をそっと閉め、四つん這いの姿勢になってゆっくり進む。

 

 初めて入る部屋で、しかも真っ暗な状態。

 立って歩けば、何に足を引っかけるか分からない。

 物を倒して音を立てるくらいなら、最初から手探りで進んだ方がいい。

 

 しばらくじっとしていると、闇に目が慣れはじめ、ぼんやりとした影が輪郭を持ちはじめる。

 

 テーブルもソファも、やはり凝った造りで、しかも古そうだ。

 屋敷自体が大正から昭和初期の建物らしいから、その頃から使われ続けている家具なのかもしれない。

 

 小さく感嘆の息を漏らしながら室内を見回すと、壁際のサイドボードに高級そうな洋酒がずらりと並んでいるのが目に入る。

 どれも封が切られている様子はない。

 

「飾り、か……?」

 

 思わず首を傾げた。

 

 父さんも酒を飲まない人で、いただきものの洋酒がよく台所の隅に積まれていた。

 母さんが料理酒代わりに使ったりしていたが、それでも飲みきれない分は残っている――そんな光景を思い出す。

 

 きちんと並べられた瓶の最後に、ふと違和感を覚えた。

 

 頭蓋骨が一つ、ぽつりと置かれていたのだ。

 

 思わず息を呑む。

 

 ……飾り、だよな?

 

 四つん這いの姿勢のまま、床を滑るように近づいていき、目の前でまじまじと観察する。

 

 暗いせいで余計に本物に見える。

 眼窩から顎のラインまでは、どう見ても普通の人間の頭蓋骨。

 ただ、額が妙に狭く、後頭部がぐっと後ろに張り出している。

 

「……?」

 

 違和感の正体を確かめるように、そっと指先で触れてみる。

 

 ……なんだ。レプリカか。

 

 見事な出来だが、触感は冷たい骨ではなく、何かの樹脂かプラスチックに近い。

 

 よく出来ている。

 よく出来ているのだが――

 

「……にしても、なんでこんなもん飾ってんだよ」

 

 小さくつぶやきながら、オレは改めて三森啓司という人物に、薄ら寒い興味を覚えた。

 

 

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