なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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観測会2

 

 

 ここからが、本当の「気合いを入れる時間」だった。

 

(……神様。いるなら今だけでいいから、先生の足をあと3センチ伸ばしてくれ)

 

 もはや信仰に近い祈りを捧げているうちに、ようやく視界の先に開けた場所が見えてきた。

 

 駐車場。

 小さな売店と、公衆トイレと、「☆星の村へようこそ☆」の看板。

 

「――着きましたよー。第一チェックポイント、星の村です」

 

 きゅ、とブレーキが踏まれ、ハイエースが止まった瞬間、東の全身の力が抜けた。

 

「……生きてる……」

 

 シートベルトを外しながら、心からの実感が漏れる。

 足に力が入らず、車から降りるときに一瞬よろめいた。

 

「大げさねぇ、青見」

 

 後部座席から飛び降りた彩女が、ぐいっと伸びをする。

 

「普通に楽しかったじゃない。ね、玲子?」

 

「え? はい。景色、とても綺麗でした」

 

 玲子は本当に“普通に”頷く。

 窓の外の山並みを、ずっと食い入るように眺めていたのは知っている。

 

「ほらほら、東くん。顔色悪いから、これ飲んで」

 

 愛香が、紙コップのスポーツドリンクを差し出してきた。

 手際よく持参のジャグから注がれていて、氷まで浮いている。

 

「……ありがとな」

 

 ごくごくと喉を鳴らして飲み干す。

 冷たさが食道を通って、ようやく人心地がついた。

 

 隣で、結先生が車のキーをぶんぶん振りながら言う。

 

「じゃあ、トイレ休憩と飲み物補給はここまでですよー。十分したらまた出発しますからねー」

 

「……先生」

 

「なんですか?」

 

「今なら、まだ引き返せます」

 

「前向きに生きましょう、東くん」

 

 にっこり微笑みながら、容赦なくフラグを叩き折ってくる顧問である。

 

 

/*/

 

 

 休憩を終えて再び車に乗り込むと、道の様子はさらに“楽しく”なった。

 

 舗装はされているが、先ほどよりも一回り狭い。

 ガードレールの向こうの谷底は、さっきよりもさらに深い。

 道路脇から伸びてくる木々の枝が、サイドミラーをかすめていく。

 

「先生。さっきより“なんか”狭くなってますけど」

 

「そうですね~。ここから先は林道扱いですから」

 

「言い切った!」

 

 東の抗議をよそに、ハイエースはひたすら登る。

 さっきより速度が落ちたぶん、エンジン音だけがやたらと大きく聞こえた。

 

「でも、星はきっと綺麗ですよ。ここまで街の灯りが少ない場所は、なかなか無いですからね」

 

 結先生の声は、心底嬉しそうだった。

 

「今日のメインはペルセウス座流星群ですから。ね、三森さん」

 

「ええ。極大日をちょっと過ぎてますけど、条件は悪くないです」

 

 玲子が、後部座席でメモを見ながら頷く。

 

「標高は約千メートル。南東方向の視界も開けていますし……」

 

「そこにたどり着ける保証が、今のところ無いんだよなぁ……」

 

 東がぼそっとこぼした愚痴は、かき消されたのか、聞こえていないふりをされたのか、誰にも拾われなかった。

 

 代わりに、背後から彩女の声が飛んでくる。

 

「ていうかさ。青見ってさ」

 

「なんだよ」

 

「怪異相手だと変に肝据わってるくせに、こういう“リアルな危険”には弱いよね」

 

「そりゃそうだろ。幽霊に突き落とされるより、ブレーキ踏み損ねた車の方が現実味あるからな」

 

「理屈は分かるけどさぁ……」

 

 彩女は呆れたように笑う。

 その笑い声が、少しだけ東の肩の力を抜いてくれた。

 

「大丈夫だよ、青見くん」

 

 愛香が、またしても背もたれ越しに覗き込みながら言う。

 

「もし落ちそうになったら、わたしがそーくんに祈っとくから」

 

「何その遠距離祈祷……効力あるのか?」

 

「“なんか知らないけどギリギリ助かった”ってなるかもよ?」

 

「……お前、たまに怖いことさらっと言うよな」

 

 愛香はにこにこ笑うだけだった。

 悪意はない。悪意はないのだが、だからこそタチが悪い。

 

/*/

 

 どれくらい山道を登っただろうか。

 体感時間では三時間、実際には三十分ほど。

 

 ようやく、木立の切れ目から小さな開けた場所が見えてきた。

 

「着きましたよー。ここが今夜のキャンプ場です!」

 

 結先生の宣言と同時に、ハイエースは広場の片隅に停まった。

 

 見渡せば、山の斜面を切り開いた草地と、その端に並ぶ数棟の平屋ロッジ。

 簡易式の炊事場と、水場。

 遠くに、山の稜線と、その上に広がる青すぎる空。

 

 振り返れば、山道は一本の細い線となって、さっきの星の村の方へと続いている。

 

 風が、ひときわ強く吹き抜けた。

 

 東は思わず、その場にしゃがみ込みかけ――その襟首を、後ろから彩女に掴まれた。

 

「ちょっと。地面にキスするのはやめなさいよ」

 

「いいだろ別に……文明世界の固い地面だぞ……」

 

「変なこと言ってる暇があったら、荷物降ろして。テント建てるんだから」

 

 彩女が片手でスポーツバッグを肩に担ぎ、もう片方の手で東を引っ張り上げる。

 

「ほら、しっかり。あんた、今日の夜だって仕事あるでしょ」

 

「……ああ。観測機材の組み立てと、星図のチェックと、怪談の聞き役な」

 

「最後のは予定に入れてないんだけど」

 

 そんなやり取りをしていると、少し離れたところで玲子が空を見上げて言った。

 

「――いい空です。これは、きっとよく見えますよ」

 

 その横顔は、街の教室にいる時よりもずっと楽しそうで、どこか解き放たれたみたいに見えた。

 

 東は、胸の奥の不安をほんの少しだけ押し込めて、大きく息を吸い込む。

 

 山の匂い。

 草の匂い。

 夏の終わりの、少し乾いた風。

 

(……まあ、ここまで来ちまったしな)

 

 背中で、まだエンジンの余熱が残るハイエースをちらりと振り返りながら、東は心の中で結論を出した。

 

(落ちるのを怖がってばっかりいても、星は見えない)

 

「よし。じゃあ、さっさと設営終わらせて、風呂と飯と星だ」

 

「それが一番青見らしいね」

 

 彩女が、ふっと笑う。

 

 遠く、山の向こうの空は、まだ真っ青だ。

 けれど、そのずっと高いところには、もう見えない星々が、今夜の舞台の準備を始めているのかもしれない――

 

 東はそんな、少しだけロマンチックな思考を、自分で自分にツッコミつつ打ち消して、荷物の山に向き直った。

 

 ――そのころハイエースの後部座席では、

 惣一郎がひとり、何も知らずに、まだ気持ちよさそうに眠っていた。

 

 

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