炭がいい感じに白くなって、じゅっ、と最初の肉が網の上で鳴いた。
「よーし、そろそろ始めますかね」
東がトングを構えたタイミングで、愛香がペットボトルのジュースを順番に配っていく。
「はい、オレンジ。はい、コーラ。先生はリンゴ」
「運転手ですからね~。ノンアルで十分です」
結先生が紙コップを軽く掲げる。
「じゃあ――」
愛香がみんなの顔をぐるりと見渡して、笑った。
「天文部合宿、無事到着記念ってことで。かんぱーい!」
「かんぱーい!」
紙コップが、カシャンと軽い音を立ててぶつかり合う。
夕焼けに染まった空をバックに、ジュースの泡がきらっとはじけた。
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「惣くん、はい、あーん」
「自分で食べるから!? いや、うまいけどさ!」
BBQコンロの一角では、いつもの光景が展開されていた。
焼けたばかりの肉を一枚、さっとタレにくぐらせて、愛香が惣一郎の口元に差し出す。
惣一郎は「しょうがないなぁ」と言いつつ、結局ちゃんと口を開ける。
「はい次。野菜も食べなきゃダメだよ」
「子ども扱いが過ぎるぞ、愛香……」
「はいはい、文句言う子にはお肉減らしちゃいます」
「それは困る!」
必死に抗議しつつ、結局ペースよく食べ続けている辺り、本当に「食べる係」だ。
(……あれはあれで、完成された生態系だよな)
東は少し離れた場所から、その二人を眺めつつ肉をひっくり返す。
じゅうじゅうという音と一緒に、脂の匂いが風に乗って広がっていく。
「ね、青見。そろそろこっちも焼けてる」
彩女が、串の乗ったトレイを抱えて隣に腰を下ろした。
さっき自分で刺した串だ。肉多め、野菜多め、バランス型――三種類がきれいに並んでいる。
「お、いいじゃん。彩女にしちゃ上出来」
「"にしちゃ"を付けるな。これ全部あんたの口には入らないからね」
「え、なんで」
「女子の恨みをなめるな」
「あの唐辛子まみれのやつだけは遠慮したいんだけど」
「それは……まあ、惣一郎行きで」
「殺す気か」
そんなやり取りをしていると――
「青見さん、わたしも焼いていいですか?」
玲子が、遠慮がちにトングを持って近づいてきた。
「お、いいぞ。ほら、ここ空いてるから」
東がコンロの前のスペースをぽんぽん叩いた瞬間――
玲子は、するりと彩女と東の間に腰を下ろした。
「じゃ、じゃあわたし、この辺を……」
トングの先で、肉の列をそっと持ち上げて確認する。
頬にほんのり、火の照り返しとは別の赤みが差しているのが分かった。
「あのさ」
背後から、じとっとした視線を感じる。
「なに、彩女」
「なんでさらっと真ん中に座ってんの、玲子」
「え? いえ、その……焼き加減、青見さんに見てもらおうと思って」
「俺そんなに信用されてんの?」
「はい。キャンプ慣れてるって聞きましたし」
「聞きましたし、じゃないわよ……」
彩女の抗議は、半分本気で、半分自分でも持て余しているような響きだった。
玲子は少しだけ肩を縮こまらせてから、敢えて明るい声を出す。
「彩女さん、こっちの串、野菜多めにしておきましたよ。後で半分こしましょう」
「……ん。ありがと」
口では素直じゃないが、トレイを受け取る手つきは、どこか嬉しそうだ。
(……まあ、これはこれで、いいんじゃないか)
東は、二人の距離感を横目で見ながら、炭の位置を整えた。
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少し離れた折りたたみチェアで、結先生が紙コップ片手に、その様子を眺めていた。
「青春ですねぇ……」
ひとりごとのように呟いてから、すぐ近くの焚火台に目をやる。
まだ本格的には火を入れていないが、細い薪を組んだ形だけは整っている。
「先生、飲み物おかわりいります?」
愛香がジャグを持って近づいてくる。
「あ、じゃあリンゴジュースもうちょっとだけ」
「はーい」
コップに注がれる黄金色の液体を見ながら、結先生はにこにこ笑っていた。
東と彩女の間に、さりげなく割り込んで座る玲子。
その向こうで、惣一郎にせっせと肉を運び続ける愛香。
焚火台の向こう、まだ明るい空。
(星もいいですけど……こういうのも、悪くないですね)
顧問として見れば、どれもこれも"扱いにくい"生徒たちではある。
でも――このくらい賑やかで、面倒くさくて、眩しい方が、きっと普通なのだ。
炭の上で、油がはじけて火の粉がひとつ跳ねた。
笑い声と、肉の焼ける音と、ジュースの氷が当たる小さな音。
夏の山の夕暮れは、ゆっくり、ゆっくりと、星の時間へと近づいていく。
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肉が一通り片づいて、片付けもひと段落したころには、山の空はすっかり藍色に沈んでいた。
ロッジの灯りも、炊事場の蛍光灯も、結先生の号令で全部落とされる。
残っているのは、小さくした焚火の炎と、各自の手元ランタンだけ。
「じゃあ――そろそろ、今日のメインイベント行きますか」
東がそう言うと、惣一郎がようやく「食べる係」から「本来の仕事」に切り替わった。
「おっしゃ、出番だな。玲子ちゃん、赤ライト頼む」
「はい」
玲子がヘッドライトのスイッチを切り替える。
白色から、星図を見ても目が眩まない赤色へ。
地面に広げられた星図。
隣にはさっき組み立てたばかりの天体望遠鏡が、夜空に向かって無骨にそびえている。
「じゃ、まずは肉眼で確認な」
惣一郎が指を空に向けて伸ばした。
「ほら、あれ。頭の真上より、ちょい東側。ひときわ明るい星、見えるだろ?」
「えーと……どれ?」
「……全部それっぽく見えるわね」
彩女と愛香と東、三人揃って首をかしげる。
玲子が少しだけ前に出た。
「三人とも、そのまままっすぐ上見ててください。
そこから、ちょっとだけ右。三角形に星が三つ見えませんか?」
「あ、見えた。なんかデカい三角形」
「それが夏の大三角です。今見えてるのは――」
玲子が指を換えながら、ゆっくりと説明していく。
「一番明るいのがこと座のベガ。
その少し下、弱めだけど並んで見えるのがわし座のアルタイル。
で、左側にちょっと離れて見えてるのが、はくちょう座のデネブです」
「ベガが織姫、アルタイルが彦星、だっけ?」
愛香がぽん、と手を打つ。
「はい。デネブは“天の川の渡し守”って呼ばれることもあります」
「へぇ~」
三人分の「ほえー」が、ほぼハモった。
その様子に、惣一郎がちょっと得意げに鼻を鳴らす。
「夏の大三角が基準になるんだよ。
星座探すとき、まずあいつを見つけられるかどうかで難易度が変わってくる」
「さすがオタク」
「おう。褒め言葉として受けとっとく」
焚火の火の粉が、時々ふわりと夜空へ飛んでいく。
そのずっと上、高い高いところで、本物の星たちがじっと瞬いていた。
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「じゃ、望遠鏡の出番といきますか」
惣一郎が筒を軽く叩く。
「今はまだ月も出てねぇし、暗さ的にはベスト。
まずはこと座のダブルダブルスターでも見せるか」
「名前からしてチートっぽいんだけど」
「実質、二重の二重星だしな。ゲーマー心をくすぐるだろ?」
「いや、そういう問題?」
東がツッコむ横で、玲子が真面目に説明を補足する。
「ひとつの星に見えるところが、実は近づいて見ると二つに分かれていて、
さらにその一つひとつも二つの星のペアになってるんです。
“ダブルダブルスター”って、ちょっとかわいい名前ですよね」
「かわいいって感想、初めて聞いた」
そんなやり取りを挟みつつ、望遠鏡のファインダーを覗き込む惣一郎。
ピントを合わせ、ゆっくりと筒を動かす。
しばらくして、満足げに頷いた。
「OK、入った。はい、一番手、誰行く?」
「はいっ!」
真っ先に手を挙げたのは彩女だった。
椅子から立ち上がって、望遠鏡の接眼部にそっと目を当てる。
「……わ。分かれた」
「ちゃんと二つに見えるだろ?」
「うん。小さいけど、並んで光ってる。なんか、兄弟みたい」
彩女の感想に、玲子が目を細める。
「お互いの重力で周りあってるんです。
ずっと一緒にぐるぐる回ってる星たち」
「へぇ……いいな、それ」
彩女が、ほんの少しだけ羨ましそうな声を出す。
望遠鏡から目を離して、ちらりと横の東を見るのは、半分条件反射みたいなものだ。
「じゃ、次は?」
「はいはーい」
愛香が手を挙げて交代する。
「わ、ほんとだ。ふたつ、ぴったりくっついてる……。
ねぇそーくん、これ、カップル星?」
「勝手にニックネームつけんな。ダブルダブルスターな」
「でもカップルっぽくない? ほら、寄り添ってるし」
「……否定しづらいのが腹立つ」
愛香が楽しそうに笑う。
玲子も望遠鏡から顔を上げながら、うっすらと頬を赤くしていた。
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しばらく望遠鏡の順番を回したあと、玲子が空を指さした。
「――あ、流れました」
「え、どこどこ?」
「ペルセウス座のあたり。あの、大三角の向こう側……」
三人が一斉にそちらを向く。
その直後。
「今の、見えた?」
東が声を上げた。
夜空を横切る、細く白い線。線香花火の最後の火花を伸ばしたみたいな、儚い軌跡。
「あっ――見えた!」
彩女の声が弾む。
「すごー……ほんとに流れるんだ。テレビのやつじゃなくて」
「お前、今までまともに見たことなかったのか?」
「街だとこんなに見えないもん。
ていうか、夜に外で空見上げる余裕がない」
彩女の言葉に、愛香もこくこく頷く。
「願い事、三回言う暇は無いね」
「そんだけ早く流れるってことだな」
惣一郎が肩をすくめる。
「でもまあ、回数じゃなくて“思ったかどうか”って話だろ。
願いごと叶うかどうかなんてさ」
「惣一郎にしてはいいこと言うじゃん」
「“にしては”って付けんのやめろ」
その時、少し離れたところで手を組んで空を見上げていた結先生が、さりげなく口を挟んだ。
「流星群って、実は“星が流れてる”わけじゃないんですよ」
「え、違うんですか?」
三人がそろって振り返る。
「はい。地球が、彗星の通ったあとの“塵の帯”に突っ込んでいくから、
大気とこすれて光ってるだけなんです」
結先生は、焚火台の光に照らされながら、楽しそうに説明を続ける。
「だから、今日みたいに同じ方向からたくさん流れるのを“流星群”って呼ぶんです。
ペルセウス座流星群は、だいたい毎年同じ時期に、同じ場所から見られるんですよ」
「へぇ……」
「なんかさ」
彩女がぽつりと言った。
「“神様の気まぐれ”とかじゃなくて、ちゃんと理由があるんだね」
「理由があって、それでも綺麗だから、いいんじゃない?」
東が寝転がったまま、頭の後ろで手を組む。
「理由分かってても、“おおー”ってなるものは、ちゃんとすごい」
「そうだね」
玲子の横顔が、星明かりの下でふっと笑う。
その様子を、結先生は少し離れたところから静かに眺めていた。
(……ちゃんと、見てほしいものを見てくれてる顔だ)
学力だの内申だの、普段はそんなものに追われている生徒たちが、
今はただ、空を見上げるためだけにここにいる。
顧問冥利というやつかもしれない、と結先生は小さく頷いた。
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「――あ、今のはでかかった!」
「見えてないってば! どこ見てればいいのよ!」
「空全体!」
「雑ぅ!」
何度目かの「見えた/見えてない」攻防を繰り返しながら、時間はゆっくり過ぎていく。
流れ星は、忘れたころにふっと現れて、すぐに消える。
誰かの「見えた!」という声と、「今のは分かった!」という歓声と、「ちくしょう!」という悔しがる声。
笑い声とため息と、虫の声。
遠くの山影の向こうで、夜はさらに深くなっていく。
「……ねえ」
ふいに、彩女がぽつりと呟いた。
「なに?」
隣で同じように寝転がっている東が答える。
「今こうやってさ。同じ空見てるじゃない」
「まあな」
「――そう思うと、ちょっとだけ、怖くなくなるね」
その言葉に、東は一瞬だけ黙った。
八月の夜風が、静かに髪を揺らす。
「……そりゃ、よかった」
それだけ答えて、また空を見上げる。
星は、さっきと同じ場所で、さっきと同じように瞬いている。
けれど、その下で息をする自分たちは――もう、さっきまでと同じではないのかもしれない。
流れ星がひとつ、ゆっくりと尾を引いた。
誰の願い事を拾ったのかも分からないままに、それは夜空のどこかへ溶けていった。