なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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雨の中4

 

 

 

 

一方その頃――。

 

「タイミングよかったですね、先生」

 

別の避難小屋の中で、愛香がほうっと息をついた。

 

ここも構造はよく似た山小屋だが、こちらには4人分のザックがきちんと並べられ、濡れたレインウェアが一列に吊るされている。小窓を叩く雨音は激しいが、屋根はしっかりしていて、風の吹き込みもない。

 

「そうですね」

 

結先生は、壁に貼られた登山道の略図を見上げながら頷いた。

落ち着いた声色の裏に、わずかな緊張が混じっている。

 

「ギリギリでしたけど……雷雲の本体に捕まる前に入れて、本当に助かりました」

 

その隣では、惣一郎がストーブ代わりのガスバーナーを前にしゃがみ込み、コッヘルの中身を木べらでかき混ぜている。

 

「でもさ、先生。青見たちは大丈夫でしょうか」

 

「山の中だから、衛星通信くらいしか使えませんからね」

 

結先生は腕時計の端末をちらりと見て、小さく息を吐く。

 

「位置情報のログを見る限り、分かれた地点から大きく外れてはいません。

 青見くんがついているから、大丈夫でしょう」

 

「だよな」

 

惣一郎は、火加減を弱めながら笑った。

 

「二人とも足、速いし。

 あの二人のペースなら、幾つか先の避難小屋までいけてるだろう」

 

「……彩女さん、絶対『平気平気』って前に出てましたよね」

 

玲子がタオルで髪を拭きながら、苦笑まじりに呟く。

 

「で、青見くんが後ろからフォローして、ってパターン」

 

「目に浮かびますねぇ……」

 

愛香もつられて笑うが、その表情のどこかに、心配の影が差している。

 

「心配なのはわかりますが――」

 

結先生は三人を見回し、優しく言葉を続けた。

 

「今は、私たちが体力を回復させること。

 明るいうちに雨が弱まれば、その時点で再確認をします。

 それまでは、信じて待ちましょう。二人を」

 

「……はい」

 

三人は揃って返事をした。

 

小さな避難小屋の中、ガスバーナーの火が静かに揺れる。

窓の外では、相変わらず雷雨が山肌を打ちつけている。

 

けれど、誰ひとり口には出さないまま――皆、同じことを思っていた。

 

(青見なら……大丈夫だな)

 

(彩女ちゃん、きっと文句言いながらも、ちゃんとついてってるよね)

 

(ちゃんと、二人とも、笑って戻ってきてね)

 

それぞれの祈りのような想いが、湯気の立つ小さな空間に、そっと溶けていった。

 

 

 

 

 どれくらい眠っていたのだろう。

 

 耳にまとわりついていた雨音が、いつの間にか遠くなっていることに、青見はぼんやりと気づいた。

 

 最初に意識したのは、ぴたりと張り付く温もりだった。

 胸のあたりに柔らかな重み。腕の中には細い肩。エマージェンシーブランケット越しに、しなやかな背中の線が手のひらに触れている。

 

(……あれ?)

 

 視線を落とすと、自分の胸元に、彩女の頭がすっぽりと収まっていた。

 膝を抱えるように身体を丸めた彩女を、いつの間にか自分が抱き寄せる形になっている。ブランケットは二人まとめてくるくると巻き込んでおり、外から見れば大きな繭のようだろう。

 

 触れ合った素肌は、思っていたより温かい。

 雨に濡れていたはずの身体から、じんわりとした熱がじかに伝わってきて、心地よい重さと一緒に青見の胸の奥をくすぐる。

 

 パンツ一枚。

 互いにそんな格好のまま、どうやら疲れ切って眠ってしまっていたらしい。

 

(……間違いは、してない。よな)

 

 それが、少し残念で、惜しくもあって、悔しいような。

 でも同時に、心底ほっとしている自分もいる。

 

(もう一歩くらい……踏み込んでも、良かったのかもしれないけど)

 

 そこから先を想像しかけて、青見は慌てて頭を振った。

 

「ん……」

 

 胸のあたりで、小さく声がした。

 彩女がゆっくりまぶたを開ける。最初は焦点の合わない瞳が、やがて状況を理解し――

 

「……っ!?」

 

 ぱちんと目を見開いた。

 

 しばしの沈黙。

 互いに、互いの距離の近さを認識する時間。

 

「……お、おはよ」

 

 気まずさを誤魔化すように、青見が先に口を開いた。

 

「……おはよ」

 

 彩女も、ほんの少し頬を赤くしながら答える。

 腕の中でもぞもぞと身じろぎして、ようやく「今の体勢」に気づいたらしい。

 

「……あのさ」

 

「……なに」

 

「これ、誰がこうしたんだっけ」

 

「知らない。気がついたら、こうなってた」

 

 短いやり取りのあと、二人とも同時に相手の顔を見て――

 ばつが悪そうに、でもどこか嬉しそうに、同時に笑った。

 

(もう一歩くらい、踏み込んでも良かったのかな)

 

(…………同じこと考えてそうだな、こいつ)

 

 そんな予感がして、余計におかしくなる。

 

「と、とりあえずさ。服、着よ」

 

「そ、そうね!」

 

 慌ててブランケットをほどき、互いにそっぽを向く。

 ロープに掛けておいた服は、完全には乾いていないものの、びしょ濡れだったさっきとは比べものにならない状態まで戻っていた。

 

 少しひんやりとするTシャツの感触に肩をすくめながら、それでも袖を通し、Gパンを引き上げる。

 彩女も、まだ湿り気の残る生地に顔をしかめつつ、手早く着替えを済ませた。

 

「……だいぶ、小降りになってるみたい」

 

 二重窓の向こうを覗いた彩女が、安堵の息をつく。

 さっきまで白く煙っていた雨脚は弱まり、空の一角には、雲の切れ目から薄い光が覗いていた。

 

「この隙に、キャンプ場まで戻ろうか」

 

「そうね。

 先に戻ったらさ――心配かけないように、今日の夜の準備、先にやっとこうよ」

 

 彩女がいつもの調子を取り戻したように言うと、青見は笑って頷いた。

 

「惣一郎の分の薪運び、押し付けてもバチ当たらないよな」

 

「それは同意する」

 

 二人で小屋を出る前に、青見がふと足を止める。

 

「……先生たち、ここ通るかもしれないし」

 

「だね」

 

 小屋の前、少し開けた場所の地面から、ちょうど良さそうな石を拾い集める。

 それを積み上げ、小さなケルン――“無事”を知らせる石積みを作った。

 

「気づいてくれるかな」

 

「結先生だもん、きっと気づくよ」

 

 石の頂点に、細い枝で作った小さな三角をちょこんと差し込む。

 それは、どこか二人だけの秘密のサインのようにも見えた。

 

「よし。じゃ、帰るか」

 

「帰ろっか」

 

 山小屋をあとにし、まだところどころ濡れた山道へと踏み出す。

 足元に気を配りながら、一歩一歩確かめるように下っていく。

 

 先を行く青見の背中は、やっぱり頼もしくて。

 そのすぐ後ろを歩く彩女の横顔には、さっきまでの青ざめた気配はもうない。

 

 雨上がりの空気は冷たく澄んでいて、濡れた葉の匂いが強く香っていた。

 その中を、二人の影は並ぶようで、少しだけ重なりながら、キャンプ場へと帰っていった。

 

 

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