なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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蛇水鍾乳洞2

 

 

 それは、本当に一瞬のことだった。

 

「わぁ、ここ天井低い……」

 

 結先生が、先頭でしゃがみ込みながら振り返ろうとした、その瞬間。

 

 ――ばしゃんっ。

 

 足元の水が、何か巨大なものに蹴り上げられたみたいに跳ね上がった。

 冷水の飛沫が一同の顔に降りかかる。

 

「きゃっ!?」

「うわっ!」

 

 視界が水しぶきで白くなった、その一瞬の“目隠し”の間に。

 

 細くて、やけに長い腕が、結先生と、そのすぐ後ろにいた玲子の腰を、ぬるりと巻き込んだ。

 

 ライトの輪の端で、ぬめった鱗と土で汚れた白い肌、異様に細長い首と、崩れかけた仮面みたいな顔がちらりと見えた。

 

(――ヘビ? いや、人間……?)

 

 正体を認識する前に、その「何か」は、ふたりを抱えたまま水の中へ沈み込むように、闇の奥へと滑り去っていった。

 

「結先生!?」

「玲子!!」

 

 叫びと同時に、遅れて悲鳴が洞窟に反響する。

 

「いやっ、今のなに!? ちょっと、玲子!?」

「先生っ!!」

「待て!」

 

 青見は反射的に一歩、闇へ踏み込んだが――足元の水が深くなっていることに気づいて、慌てて踏みとどまる。

 そこだけ、不自然なほど黒く沈んでいる。

 

 足音と、水音と、誰かの荒い息遣いがごちゃ混ぜになって、パニックになりかける。

 

「お、落ち着いて! い、今の見た?」

「見たけど、見てないことにしたい! あれ絶対、人じゃなかったって!」

「玲子、返してよ……!」

 

 愛香がランタンを握る手を震わせ、彩女は顔色を失って唇を噛む。

 惣一郎も冗談を言う余裕などなく、歯を食いしばって水面を睨みつけていた。

 

 ――その中で、青見だけが、意識的に大きく息を吸った。

 

(パニックになったら、それこそ全員やられる)

 

 肺いっぱいに冷たい空気を入れて、頭を強制的に冷やす。

 

「……一回、落ち着け」

 

 低く、押し殺すような声で言うと、三人の視線がこちらを向いた。

 

「この洞窟は、さっきまで一本道だった。分かれ道はひとつだけ――」

 青見は、来た道を振り返る。

 一般見学コースへと戻るロープと、「ここから先、予約コース」と書かれたプレート。

 

「……ってことは、逃げ道は“奥”しかない」

 

 結先生たちを連れ去った“何か”が通った水の筋が、さらに奥の暗闇へと続いている。

 そこにはロープで仕切られた先――予約必須、熟練ガイド同行じゃないと入れない探索コースの入口があった。

 

 青見は迷わず、そのロープに手をかける。

 

「ちょ、ちょっと待って、青見くん」

 愛香が慌てて呼び止めた。

「一旦、外に出て……貴也おじさんに連絡しよう? こういうのは、プロに任せた方が……」

 

 貴也おじさん――愛香の言う“おじさん”は、ただの親戚じゃない。

 奇妙な事件に何度も顔を突っ込んできた、あの人のことだ。

 

 青見も、それが一番“正しい”判断だとは分かっている。

 

 けれど。

 

「……三人はそうしてくれ」

 

 ロープを跨ごうとした足を一度止め、青見は振り返る。

 

「オレは、二人を探してくる」

 

 その目には、躊躇いはなかった。

 今すぐ追わなければ、あの細い腕と長い首の“何か”に、ふたりがどこまで連れて行かれるか分からない。

 

「はぁ? お前一人で行かせるかよ」

 

 惣一郎が鼻で笑う。

「しゃーねぇな、俺も付き合うぜ。ま、ゲームのエリア外バグに突っ込むよりは分かりやすい状況だしな」

「惣くんが残るなら、わたしも残る」

 

 愛香が、即座にそう言った。

 いつものおっとりした声なのに、その中に、ごく固い芯みたいなものが混ざっている。

 

「お前は外に出て、叔父さんに連絡してくれ」

「いや、惣くんが残るなら、わたしも残る」

 

 珍しく、食い下がる。

 その頑固さに、惣一郎も目を丸くした。

 

「お、おい愛香? ここ、マジで“ヤバい側”の案件だぞ。ホラーゲームの中なら、真っ先に死ぬポジションだぞ」

「だからこそ、惣くんだけ危ない目に遭わせるわけにいかないの」

 

 愛香はきゅっと唇を結び、青見と惣一郎、両方を見る。

 

「わたしだって……惣くんも、結先生も、玲子ちゃんも、ぜったいに守りたい」

 

 その言葉に、一瞬、洞窟のひんやりした空気が違う意味で重くなった気がした。

 青見は、ちらりと彼女の横顔を覗き込む。

 

(……さっき、“もういないから”って囁いてきた時の顔だ)

 

 あの時も今も、何かを“知っている”目だ。

 

 それでも、ここで全員突っ込めば、戻れる保証はなくなる。

 

「――私が、青見についてるから」

 

 そこで、静かな声が割って入った。

 

 彩女だ。

 

 震えかけていた指先をぎゅっと握りしめて、一歩前に出る。

 

「私がいる。だから、二人は外に出て、伊集院さんに連絡して」

 

「彩女?」

「伊集院さんなら、状況聞いてすぐ動いてくれるはずでしょ? 星の会の時も、変な人がいた時、すぐ対処してくれたじゃない」

 

 彩女の瞳は、まっすぐだった。

 怖くないわけがないのに、それでも自分の足でここに立っている。

 

「それに……」

 

 少しだけ視線を落とし、照れ隠しみたいに笑う。

 

「青見のことは、私が一番、止められるから」

 

「勝手に決めんな」

「うるさい。どうせ行く気なんでしょ」

 

 いつもの軽口のやりとりが、ほんのわずかだけ空気を緩ませる。

 

 惣一郎が頭をがしがし掻きながら、ため息をついた。

 

「……チッ。万能ヒロインムーブしやがって」

「惣一郎」

「分かったよ。彩女がそこまで言うなら、俺と愛香で外に出る」

 

 惣一郎は愛香の方を振り返る。

 

「外なら電波も入るだろうしな。ダッシュで戻って、貴也おじさんに連絡つける。いいか?」

「……うん」

 

 愛香はまだ何か言いたげだったが、ぐっと飲み込んで頷いた。

 

「ほんとは、わたしが一緒に行きたいけど……外でやれること、ちゃんとやるから」

「ああ。頼んだ」

 

 青見は短く答え、惣一郎には少しだけ口元を緩めてみせる。

 

「変なフラグ立てんなよ。戻ってきた時、“実はもう助っ人呼んでましたー”ってドヤ顔させてやるからな」

「それ、期待してる」

 

 四人は、そこで一度だけ顔を見合わせた。

 

 恐怖と不安と、それでも繋がったままの信頼が、狭い洞窟の空気の中で確かめ合われる。

 

「じゃあ――ここで別れよう」

 

 青見が言う。

「惣一郎、愛香。二人は戻って外へ。状況を伝えられるだけ全部伝えてくれ」

「任せろ」

「気をつけて。絶対、無茶しないで」

 

「彩女」

「分かってる」

 

 彩女はロープの向こう、予約コースの暗闇を見据えた。

 その横顔は、さっきまでとは違う、どこか“覚悟を決めた顔”になっている。

 

「行こう、青見」

 

「ああ」

 

 ロープがきしむ音がした。

 青見と彩女は、それを跨ぎ――“零落したヘビ人間”の消えた、予約必須の禁忌コースへと足を踏み入れた。

 

 背後で、水を蹴る音が遠ざかっていく。

 惣一郎と愛香が、出口へ向かって走り出したのだ。

 

 残された洞窟の奥には、冷たい水音と、岩肌に反射する心許ない灯り――そして、そのさらに奥で、ずるり、と何かが岩を這うような音が、確かに聞こえた。

 

 

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