なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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蛇水鍾乳洞3

 

 

 ――引きずられる。

 

 冷たい水の感触と、岩肌に擦れる膝の痛みで、玲子はようやく自分が「連れて行かれている」ことをはっきり自覚した。

 

「っ、せ、先生っ……!」

 

 腰のあたりを巻きつく、ぬるりとした力。

 細いのに、びくともしない腕――いや、これは腕と言っていいのかも分からない。

 鱗と、ところどころただれたような皮膚が混じった、異様な触感。

 

 隣では、結先生も同じように締め付けられていた。

 先生の小柄な身体が、ひゅ、と水の中を滑るたび、ヘルメットのライトが天井の鍾乳石をちらちらと照らす。

 

「だ、大丈夫、大丈夫ですからね、三森さん……!」

「どこがですか先生ーっ!」

 

 玲子が半泣きで叫ぶと、二人を抱えた“ヘビ人間”が、少しだけ身を竦めたように見えた。

 だが速度は緩めない。普通の見学コースとは明らかに違う、壁の裂け目――人間の目には影にしか見えないほどの脇道へ、迷いなく滑り込んでいく。

 

 岩と岩の隙間を、ぬらり、と通り抜ける。

 ヘルメットが何度も擦れて、キィンと嫌な音が鳴った。

 

(狭い、暗い、冷たい、怖い怖い怖い――!)

 

 心の中が「こわい」で埋め尽くされそうなところで、ふっと視界が開けた。

 

 そこは、ぽっかりと空いた“広場”だった。

 

 天井は高く、ライトの光が届かない。

 足元の水はやや浅くなり、ところどころに乾いた岩の島のような場所が点在している。

 

 何より、そこにいたのは――

 

「……っ!」

 

 玲子の喉から、声にならない声が漏れた。

 

 十……いや、二十。もしかしたら、それ以上。

 水面から、岩の陰から、壁に張り付くようにして。

 

 何十もの「零落したヘビ人間」が、ふたりを取り囲んでいた。

 

 細く長い首。崩れかけた人の骨格に、無理やりヘビを貼り付けたような顔。

 片側だけ鱗が残り、反対側は白くただれた皮膚が覗いている者。

 腕が二本どころか、三本、四本に分岐してだらりと垂れ下がっている者。

 逆に片腕しかなく、その分、尾が異様に太くなっている者。

 

 どれも、同じ“種族”であることだけは分かるが、ひとりひとり、壊れ方が違う。

 

(こ……これ、ホラー映画なら「全滅確定」のやつじゃない……?)

 

 玲子がぎゅっと目を閉じかけたその時、腰を掴んでいたヘビ人間が、そっと腕を緩めた。

 

 ぽとん、と水の中に降ろされる。

 すぐに、結先生の方にも同じようにしているのが分かった。

 

「い、痛っ……え?」

 

 捕まえたまま離さないのではなく、ちゃんと「立てるように」してくれている。

 玲子の膝が震えるのを見て、最初に掴んでいた個体が慌てたように、近くの岩の島へ促すように手招きした。

 

「……こっち、に……って、言ってる……のかな」

 

 結先生が、息を整えながら呟く。

 ヘビ人間は、先生が一歩動くたびに、びくっと身体を震わせて、それからほっとしたようにうなずいた。

 

 ――その瞬間。

 

 広場にいる全てのヘビ人間たちが、一斉に動き出した。

 

「ひっ……!」

 

 玲子は思わず結先生の腕を掴む。

 だが、彼らは飛びかかってくるでも、締め上げてくるでもなかった。

 

 それぞれが、勝手に、自分の持ち場へ散っていく。

 

 ある者は、壁の一角へとにじり寄り、ぬれた岩肌を、細い指でこすりはじめる。

 別の者は、水面に手を突っ込んで、石を取り出しては、先生たちの足元に並べていく。

 また別の者は、天井近くへと身を伸ばし、ぶら下がっている鍾乳石をそっと撫でるように叩く。

 

 キン……キン……と、澄んだ音が、洞窟の中に響いた。

 

「あの、その……」

 

 結先生がおずおずと声をかける。

 

「わ、私たちのこと、食べる予定は……」

「せ、先生ストレート……!」

 

 玲子が半泣きで突っ込むと、すぐ目の前にいたヘビ人間が、ぶんぶんと慌てて首を横に振った。

 

 崩れかけた顔の片側だけで、必死に表情を作ろうとする。

 片目しかないその目が、申し訳なさそうに上下する。

 

 そして――

 

「シィィィ……シ、ィ……」

 

 喉を震わせて、何かを言おうとした。

 

 それに呼応するように、周囲のヘビ人間たちも、一斉に声を発する。

 

「シィ……シュー……シシャァ……」

「シィィ……ッ……シャアア……」

 

 シュー、シシシ、シャアア――。

 耳慣れない、けれどどこか必死な“音”の連なりが、重なり合って広場を満たす。

 

 だが、日本語ではない。

 英語でも、何語でもない。

 

 ただ、彼らの喉と舌と、空気が作る「音」。

 

「ご、ごめんなさい。全然……分からないです」

 

 結先生は、申し訳なさそうに微笑む。

 その表情を見て、近くの個体が、はっとしたように身を引いた。

 

 そして、再び。

 

 今度は身振り手振りを交えて、訴え始める。

 

 長い腕を広げて、自分たちの周囲――この広場をぐるりと指し示す。

 それから、天井を指さし、ゆっくりと円を描くようにぐるぐると回す。

 

 別の個体が、水面に指を突っ込み、なぞるように動かす。

 残光のようにキラキラと水が光って、一瞬だけ、星座の線画みたいな模様が浮かんだ。

 

「……星?」

 

 思わず、玲子が呟く。

 

 途端に、彼らが一斉にそちらを振り向いた。

 

「シィ!」

「シィィ!」

 

 わっと、歓声のようなものが上がる。

 彼らは口々に「シィ」「シ」といった音を繰り返しながら、天井を、そしてまだライトの届かない“上”の方角を指差す。

 

 玲子はごくり、と唾を飲んだ。

 

(え、なに……? 星、が……どうしたの?)

 

 ヘビ人間たちは、さらに動きを大きくする。

 

 一体が、自分の胸をどんどんと叩く。

 次に、その手をずるりと引き下ろし、落ちていく様子を誇張して見せる。

 

 零れ落ちる、落ちぶれる、墜ちていく――そんなイメージを、必死に“演じている”ようだった。

 

 そして、胸を叩いた手を、今度は玲子と結先生の胸に、そっと触れさせる。

 乱暴ではない。驚くほど、慎重に。

 

 そのまま、彼らは二人の手を取り、天井――その向こうの空を、また指さす。

 

「……私たちに、星を――?」

 

 玲子が言葉を紡ごうとした時。

 

 ヘビ人間たちの中のひとりが、よろよろと歩み出て、胸に抱えていた石板のようなものを、そっと足元に置いた。

 

 粗く削られた岩の表面に、何かが刻まれている。

 

 人と、ヘビ。

 そのふたつが、並んで、同じ方向――空に浮かぶ丸いものを見上げているような、つたない線画。

 

「……!」

 

 玲子も、結先生も、思わず息を呑んだ。

 

 ヘビ人間たちは、その絵を指さし、自分たちを指さし――そして、ふたりを指さす。

 

 最後に、天井の向こう――地上の夜空があるはずの方向へ、そっと手を伸ばした。

 

「シィ……」

 

 さっきよりも、ずっとか細い声で。

 

 それは、今にも消えてしまいそうな、懇願の音に聞こえた。

 

「……ね、先生」

 

 玲子は、袖を掴んだまま、小さな声で言う。

 

「この人たち……わたしたち、を食べに来たんじゃなくて」

「――助けを、求めてる……のかもしれませんね」

 

 結先生は、震える膝をどうにか押さえ込みながら、広場を取り囲むヘビ人間たちをゆっくりと見回した。

 

 彼らの目は、確かにおぞましい形をしている。

 けれど、その底に揺れているのは――獰猛さよりも、もっと別のもの。

 

 切迫と、焦燥と、かすかな希望。

 

 洞窟の奥深く。

 人には見えない脇道の果てのこの“広場”で、零落したヘビ人間たちは、壊れかけた身体を振り絞るようにして、なおもふたりに訴え続けていた。

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