――なんで、そんな顔で見るの。
洞窟の影から半分だけ顔を出しているヘビ人間が、じっとこっちを見ていた。
怖い、というよりも。
怯えて、縋って、泣きそうで。
その視線の先が、青見じゃなくて、先生でもなくて、玲子ちゃんでもなくて――わたしだっていうのが、どうしようもなく胸の奥をざわつかせた。
(……わたし、そんなに“変”かな)
ちょっと風が使えて。
ちょっと耳がいいだけで。
でも、玲子ちゃんが言った。「彩女さんの気配に驚いたみたいですね」って。
気配。
自分では、よく分からないもの。
でも、こうして向けられている視線が、その答えみたいに突き刺さってくる。
「……えっと」
気づいたら、わたしは一歩、前に出ていた。
「安達さん?」
先生の呼びかけが、少し不安そうだ。
分かってる。先生からしたら、早く連れ帰りたいはずだ。
それでも、足は止まらなかった。
ヘビ人間との距離が、少しずつ縮まる。
向こうは向こうで、じりじりと後ずさる。
逃げたいのか、逃げたくないのか、身体の動きと目の色がバラバラだ。
「大丈夫。近づかないから……ここからで、話すから」
自分でも驚くくらい落ち着いた声が出た。
ヘビ人間の喉が、ごくり、と動く。
崩れた顔の片方の目だけが、じっとわたしを見ている。
――そのとき、ふっと、胸の奥で何かが鳴った。
(……あ)
歌だ、と思った。
歌、と言っても、言葉のないメロディ。
昔、誰かが口ずさんでいた気がする。夜みたいに暗くて、でも不思議と怖くない旋律。
喉の奥がむずむずする。
声に出したら、なにか“戻れないところ”まで行ってしまいそうで、唇を噛んだ。
(駄目。歌っちゃ、駄目)
そう思うのに、息を吸った瞬間、ほんの少しだけ、漏れた。
ひゅう――と、洞窟の中を風が撫でる。
誰も、口をきいていない。
なのに、空気が「旋律」を思い出したみたいに、壁を、天井を、なぞっていく。
水面が、かすかに震えた。
ランタンの光が揺らいで、ほんの一瞬だけ――水の上に、点々と小さな光が散った。
星みたいに。
「……っ」
ヘビ人間が、はっきりと分かるほど身体を震わせた。
崩れた顔が、ありえないほどくしゃっと歪んで、次の瞬間――
「シィ……!」
膝を折った。
それは、ひれ伏す、って言葉がいちばん近い動きだった。
遠くの影から覗いていた他の個体たちも、ビクッと身を固くした後、同じように水の中に膝をつく。
尾を丸め、首を垂れ、腕を胸に当てて。
(やめて)
心の中で思った。
(そんなふうに見ないで。わたし、そんな――)
鬼、じゃない。
そう言いかけて、喉の奥で言葉が止まる。
……ほんとうに? と、どこか冷静な自分が問いかけてくる。
葬式の場で、殺された人たちの“何か”が擦り寄ってきたあの日から、わたしはずっと、その質問から目をそらしてきた。
でも、今、この人たちは。
わたしを見て、怖がって。
それでも、逃げないで。
助けて、と言っている。
水の反射に揺れる“星の影”を、食い入るように見上げながら。
「……星、見たいの?」
気づけば、そう問いかけていた。
ヘビ人間の肩が、ぴくりと震える。
目に見えてざわつきが走る。
「シィ! シィィ!」
肯定の音なのかは、分からない。
けれど、その必死さは痛いほど伝わってきた。
喉の奥で、さっきのメロディがまたうずく。
わたしが歌えば――この闇はきっと、もっと深くなる。
洞窟の天井なんて関係なく、夜がここまで降りてきてしまう。
それは、この人たちが望む「救い」なのか。
それとも、何か別の「災厄」なのか。
答えはまだ分からない。
「安達さん」
背中から、結先生の声がする。
その声には、心配と、信頼と、教師としての責任が混ざっていた。
「今は、一度戻りましょう」
わかってる。
わたしたちは、まだ高校生で。
ここは、学校行事の最中で。
それでも――
目の前で、壊れかけた手が、水の中から必死に伸びる。
シュー、シューと、懇願するような音。
わたしは、小さく息を吐いて、ヘビ人間と視線を合わせた。
「……今日は、一回、帰る」
はっきりと言葉にする。
ヘビ人間の肩が、がくりと落ちた。
でも、そこで終わりにはしない。
「でも、約束する。わたしたち、また来るから」
驚いたように、崩れた顔が上がる。
怖がらせないように、できるだけ普通の女子高生みたいな笑顔を作った。
「星、見たいんでしょ? ――夜空、ちゃんと連れてきてあげるから」
どうやって、なんて、まだ何も考えていない。
ただの無茶苦茶な約束だって、どこかで分かっている。
それでも――言わずにはいられなかった。
ヘビ人間は、しばらく固まっていたけれど。
やがて、胸の前で腕を組むような仕草をして、深く、深く頭を垂れた。
「……シィ」
それは、たぶん。
この人たちなりの「分かった」と「頼んだ」と「待ってる」が混ざった音だった。
背中で、青見が小さく息を吐くのが分かる。
「行こう、彩女」
「……うん」
振り向いて歩き出すとき、洞窟の闇が、すこしだけ優しくなった気がした。
水面の揺らぎの中に、さっき一瞬だけ浮かんだ“星の影”が、まだ細く残っている。
(ほんとに、鬼なのかな、わたし)
そんな問いを胸のうちにしまいこんだまま。
わたしたちは、零落したヘビ人間たちの視線と、まだ見ぬ夜空への約束を背に受けて――蛇水鍾乳洞の出口へと、歩き出した。