なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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蛇水鍾乳洞5

 

 

 ――なんで、そんな顔で見るの。

 

 洞窟の影から半分だけ顔を出しているヘビ人間が、じっとこっちを見ていた。

 

 怖い、というよりも。

 怯えて、縋って、泣きそうで。

 

 その視線の先が、青見じゃなくて、先生でもなくて、玲子ちゃんでもなくて――わたしだっていうのが、どうしようもなく胸の奥をざわつかせた。

 

(……わたし、そんなに“変”かな)

 

 ちょっと風が使えて。

 ちょっと耳がいいだけで。

 

 でも、玲子ちゃんが言った。「彩女さんの気配に驚いたみたいですね」って。

 

 気配。

 自分では、よく分からないもの。

 

 でも、こうして向けられている視線が、その答えみたいに突き刺さってくる。

 

「……えっと」

 

 気づいたら、わたしは一歩、前に出ていた。

 

「安達さん?」

 

 先生の呼びかけが、少し不安そうだ。

 分かってる。先生からしたら、早く連れ帰りたいはずだ。

 

 それでも、足は止まらなかった。

 

 ヘビ人間との距離が、少しずつ縮まる。

 向こうは向こうで、じりじりと後ずさる。

 逃げたいのか、逃げたくないのか、身体の動きと目の色がバラバラだ。

 

「大丈夫。近づかないから……ここからで、話すから」

 

 自分でも驚くくらい落ち着いた声が出た。

 

 ヘビ人間の喉が、ごくり、と動く。

 崩れた顔の片方の目だけが、じっとわたしを見ている。

 

 ――そのとき、ふっと、胸の奥で何かが鳴った。

 

(……あ)

 

 歌だ、と思った。

 

 歌、と言っても、言葉のないメロディ。

 昔、誰かが口ずさんでいた気がする。夜みたいに暗くて、でも不思議と怖くない旋律。

 

 喉の奥がむずむずする。

 声に出したら、なにか“戻れないところ”まで行ってしまいそうで、唇を噛んだ。

 

(駄目。歌っちゃ、駄目)

 

 そう思うのに、息を吸った瞬間、ほんの少しだけ、漏れた。

 

 ひゅう――と、洞窟の中を風が撫でる。

 

 誰も、口をきいていない。

 なのに、空気が「旋律」を思い出したみたいに、壁を、天井を、なぞっていく。

 

 水面が、かすかに震えた。

 

 ランタンの光が揺らいで、ほんの一瞬だけ――水の上に、点々と小さな光が散った。

 

 星みたいに。

 

「……っ」

 

 ヘビ人間が、はっきりと分かるほど身体を震わせた。

 崩れた顔が、ありえないほどくしゃっと歪んで、次の瞬間――

 

「シィ……!」

 

 膝を折った。

 

 それは、ひれ伏す、って言葉がいちばん近い動きだった。

 

 遠くの影から覗いていた他の個体たちも、ビクッと身を固くした後、同じように水の中に膝をつく。

 尾を丸め、首を垂れ、腕を胸に当てて。

 

(やめて)

 

 心の中で思った。

 

(そんなふうに見ないで。わたし、そんな――)

 

 鬼、じゃない。

 

 そう言いかけて、喉の奥で言葉が止まる。

 

 ……ほんとうに? と、どこか冷静な自分が問いかけてくる。

 葬式の場で、殺された人たちの“何か”が擦り寄ってきたあの日から、わたしはずっと、その質問から目をそらしてきた。

 

 でも、今、この人たちは。

 

 わたしを見て、怖がって。

 それでも、逃げないで。

 

 助けて、と言っている。

 

 水の反射に揺れる“星の影”を、食い入るように見上げながら。

 

「……星、見たいの?」

 

 気づけば、そう問いかけていた。

 

 ヘビ人間の肩が、ぴくりと震える。

 目に見えてざわつきが走る。

 

「シィ! シィィ!」

 

 肯定の音なのかは、分からない。

 けれど、その必死さは痛いほど伝わってきた。

 

 喉の奥で、さっきのメロディがまたうずく。

 

 わたしが歌えば――この闇はきっと、もっと深くなる。

 洞窟の天井なんて関係なく、夜がここまで降りてきてしまう。

 

 それは、この人たちが望む「救い」なのか。

 それとも、何か別の「災厄」なのか。

 

 答えはまだ分からない。

 

「安達さん」

 

 背中から、結先生の声がする。

 その声には、心配と、信頼と、教師としての責任が混ざっていた。

 

「今は、一度戻りましょう」

 

 わかってる。

 わたしたちは、まだ高校生で。

 ここは、学校行事の最中で。

 

 それでも――

 

 目の前で、壊れかけた手が、水の中から必死に伸びる。

 

 シュー、シューと、懇願するような音。

 

 わたしは、小さく息を吐いて、ヘビ人間と視線を合わせた。

 

「……今日は、一回、帰る」

 

 はっきりと言葉にする。

 ヘビ人間の肩が、がくりと落ちた。

 

 でも、そこで終わりにはしない。

 

「でも、約束する。わたしたち、また来るから」

 

 驚いたように、崩れた顔が上がる。

 

 怖がらせないように、できるだけ普通の女子高生みたいな笑顔を作った。

 

「星、見たいんでしょ? ――夜空、ちゃんと連れてきてあげるから」

 

 どうやって、なんて、まだ何も考えていない。

 ただの無茶苦茶な約束だって、どこかで分かっている。

 

 それでも――言わずにはいられなかった。

 

 ヘビ人間は、しばらく固まっていたけれど。

 

 やがて、胸の前で腕を組むような仕草をして、深く、深く頭を垂れた。

 

「……シィ」

 

 それは、たぶん。

 

 この人たちなりの「分かった」と「頼んだ」と「待ってる」が混ざった音だった。

 

 背中で、青見が小さく息を吐くのが分かる。

 

「行こう、彩女」

 

「……うん」

 

 振り向いて歩き出すとき、洞窟の闇が、すこしだけ優しくなった気がした。

 

 水面の揺らぎの中に、さっき一瞬だけ浮かんだ“星の影”が、まだ細く残っている。

 

(ほんとに、鬼なのかな、わたし)

 

 そんな問いを胸のうちにしまいこんだまま。

 

 わたしたちは、零落したヘビ人間たちの視線と、まだ見ぬ夜空への約束を背に受けて――蛇水鍾乳洞の出口へと、歩き出した。

 

 

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