◇ 洞窟出口・合流 ◇
まぶしい。
そう感じるくらいには、蛇水鍾乳洞の闇に目が慣れていたらしい。
ひんやりした空気から、むわっとした夏の湿気に変わる。
半ば駆けるようにして出口の階段を上がると――
「青見!」「彩女ちゃん!」
待機スペースのベンチから、ほとんど飛び出すみたいに惣一郎と愛香が駆け寄ってきた。
「お、お前ら……!」
惣一郎が息を詰まらせて、結先生と玲子の顔をざっと確認し、それから青見の胸をドン、と小突く。
「全員そろって帰ってくるとか、フラグぶち折りすぎだろ、お前」
「お前な……心配して損したって顔すんな」
「心配したわ! めっちゃしたわ!」
言葉とは裏腹に、惣一郎はほんの一瞬だけ、目を赤くしてから顔をそむけた。
「惣くん……よかった……ほんとによかった……」
愛香は、ほっと息を吐いた途端、ずるずると青見の腕にしがみつく。
濡れた服越しに、彼女の手が震えているのが分かる。
「ごめん、心配かけた」
「ううん……帰ってきてくれたなら、それで……」
その横で、彩女と玲子も目を合わせる。
「玲子」
「彩女さん……っ」
玲子は言葉にならない声を漏らして、思いっきり抱きついた。
普段はマイペースな彩女も、背中をぽんぽんと叩きながら、苦笑する。
「ごめん、怖い目に遭わせたね」
「いや、あれは……怖いっていうか、ホラー通り越してファンタジーでしたけど……!」
結先生が改めて全員の顔を確かめ、深く息を吐いた。
「全員無事ね。よかった……伊集院さんにも、“最悪の事態は免れました”って言えます」
「そうだ、それ!」
惣一郎が思い出したようにスマホを掲げる。
「貴也おじさんと、あと桜さん? 竜樹さんが今こっち向かってるってさ」
「桜さんも?」
結先生が目を瞬かせる。
愛香が補足するようにうなずいた。
「貴也おじさん、車で二人で来るって。あと、受付の人に“伊集院のものだ”って伝えて、連れが“ヘビ人間”に攫われたって状況だけ説明しておいてくれって……」
さらっと物騒な単語が出てきて、青見たちがざわつく。
「ヘビ人間って、やっぱりヘビ人間だったんだ……」
「え、名前そのまんまなんだ……」
そんな中、受付の方から「あらあら」と年配の女性の声がした。
振り向くと、洞窟の受付カウンターから、おばさんとおじさんが一緒に出てくるところだった。
観光地らしいポロシャツに名札をつけた、どこにでもいそうな夫婦――なのに、「ヘビ人間」という言葉に眉一つ動かしていない。
「さっきのお電話ねぇ。伊集院さんのとこの子たちって聞いて、びっくりしたわ」
「ご迷惑を……」と結先生が頭を下げると、おばさんは慌てて手を振った。
「いえいえ、あの人に世話になってるのはこっちの方だからねぇ。それより、“ヘビ人間に攫われた”って聞いて、ちょっと首を捻ってたところで」
「首を、ですか?」
結先生が聞き返す。
おじさんが、ぽりぽりと頭を掻いた。
「いやねぇ……あの子たち、人を襲ったりしないはずなんだけどねぇ」
「……あの子たち?」
彩女と玲子が顔を見合わせる。
おばさんは「そうそう」と頷いて、洞窟の方へ視線を向けた。
「もともとね、この洞窟に住まってる“怪異”でねぇ。うちらは“蛇水さま”とか“へびの子たち”って呼んでるんだけど」
「が、怪異……」
惣一郎がごくりと唾を飲む。
おばさんは、まるで「そこにスズメが巣作っててねぇ」とでも言うみたいな気楽さで続ける。
「観光地にする時にね、地面を均したり砂を敷いたりする作業が大変だったのよ。そしたら、夜な夜なあの子たちが出てきてねぇ」
「手伝ってくれたんですか?」
玲子が思わず食いついた。
おじさんがにやりと笑う。
「そうそう。あいつら、意外と力持ちなんだわ。岩どかしたり、狭いとこ潜って様子見てきたりな」
「胎内くぐりのとこなんか、あいつらが先に通って、『ここまでは人が通れる』『ここからは無理』って教えてくれたんだよ」とおばさん。
「へ、へぇ……」
玲子の脳裏に、「測量ヘビ人間」のシュールな姿が浮かんでしまう。
「で、その代わりってわけでもないけどねぇ」
おばさんは指折り数えるように言う。
「たまに卵とか、お肉の切れ端とか、お供えしてるの。あと、たまーに、“迷子”を送り届けてくれたり」
「迷子……?」
結先生が姿勢を正す。
おじさんは少し真面目な顔になった。
「観光客でね、たまにいるんだわ。勝手にロープくぐって奥まで入り込んで、帰れなくなっちまうのが」
「あー……」
惣一郎と青見、心当たりがありすぎて同時に目をそらす。
「そういう時、朝の見回りで見つかるのよ。胎内くぐりの出口辺りに、びしょ濡れでひっくり返ってるお客さんが」
「“気がついたらここに出てた”“夢見てたみたいだ”なんて言うんだよ」とおばさん。
「……人知れず、助けてくれてるってことですか?」
「そうそう。奥の方で変に足滑らせたりしても、だいたいあの子らが運んできてくれるのよ。で、こっちはお礼に、ご飯ちょっと多めに置いとく、って感じでねぇ」
なんとも牧歌的な「共生関係」の実態に、その場の空気がぽかんとした。
「じゃあ……」
玲子が、おそるおそる口を開く。
「さっき、わたしたち攫われたのも……」
「怪我、してないだろ?」
おじさんがすかさず返す。
玲子と結先生が顔を見合わせる。
「腰を掴まれて、引きずられて……で、広いところに連れて行かれて」
「“蛇水さま”の広間だな。あそこ、奥行きがある割に足場が悪いから、あいつらのテリトリーなんだわ」
おじさんは腕を組んでうなった。
「うーん……やっぱり、襲ったっていうより、“運んだ”んじゃねぇかなぁ」
「でも、囲まれてましたけど……」
玲子が口ごもる。
その横で、彩女が小さく呟いた。
「……話、しようとしてたよね」
その言葉に、玲子がはっと顔を上げる。
「うん。あの……なんか、すごい勢いでジェスチャーしてました」
「シューシュー言いながら、星の絵みたいなの見せてきて」
「星?」
惣一郎が眉を上げる。
おばさんが「ああ」と頷いた。
「夜、あんまり騒がしいとねぇ。あの子たち、時々、外の空見たそうに入り口の方うろうろしてるのよ」
「でも、さすがに人前には出せないしな」とおじさん。
「だからまあ……星が見たい、ってのは、前からあるんだろうなぁとは思ってたけどねぇ」
そこで、おばさんは首をひねる。
「でも、攫うような真似をするのは、初めて聞いたわ。伊集院さんにも相談して、ルール決めたはずなんだけどねぇ。“人を驚かさないこと”って」
「……ごめんなさい」
思わず、彩女が頭を下げた。
「え?」
全員の視線が集中する。
「もしかしたら……わたしが、一緒にいたせいかも」
彩女は、胸の前で手をぎゅっと握る。
「玲子と先生を連れて行ったの、ほんとは“星を見せてってお願いするため”だったのかもしれないのに。そこに、わたしが後から入っていって……」
「彩女」
青見が呼びかける。
けれど、彩女は首を横に振った。
「さっき、あの子たち、すごく怯えてた。わたしを見て、逃げて。……多分、わたしの“何か”に、びっくりしちゃったんだと思う」
おばさんとおじさんは、顔を見合わせた。
「……伊集院さんのとこって、そういう子も来るんだったねぇ」
「“強い子”は、あの子たち苦手なんだわ。昔も、神主さんが大祓いしに来た時、あいつら巣から出てこなかったしな」
そこへ、愛香のスマホがぶるぶると震えた。
「あ、貴也おじさん」
通話に出て、短く状況を話す。
すぐに、愛香が皆に向き直った。
「今、こっちの駐車場に着いたって。伊集院さんと、桜竜樹さん」
「お、ボスとガチのプロ来たな」
惣一郎が、どこか安心したように肩を回す。
「受付の二人にはそのまま、今聞いた話も全部伝えておいて、だって。“共生のルールが崩れてる可能性があるから、ちゃんと調べる”って」
「心配かけてすみませんでした」
結先生が、受付の二人に改めて頭を下げる。
おばさんは「いいのいいの」と手を振った。
「伊集院さんが来るなら安心だわ。あの人、あの子たちとも顔なじみだからねぇ」
「お前らも、今日はもう洞窟入るのはやめときな。星は、外からでも見えるさ」
そう笑うおじさんの言葉に、彩女は小さくうなずいた。
(……約束、しちゃったからな)
“また来る”“夜空、連れてくる”。
闇の中で交わした約束が、胸の奥でまだじん、じんと熱を持っている。
駐車場の方から、車のエンジン音が近づいてくる。
伊集院貴也と桜竜樹――“怪異側”と“人側”の中間に立つ大人たちが、蛇水鍾乳洞の異変を確かめにやって来る気配が、外気と一緒に流れ込んできていた。