カモノハシの監禁場所を聞き出そうとしたが、雅之くんはまだ気絶したままで、問いかけてもぴくりともしない。
……まあ、死にはしないと思うけど。
仕方がないので、時間はかかるが家捜しして手がかりを探すことにした。
本当は、小西のおばさんが帰ってきてくれれば早いのだ。
ふん縛って、じっくり聞き出せるのに。
まず見つけたのは、部屋に転がっていたスマホが二つ。
どちらも机の上に、無造作に放り出されていた。
一つは裏側に、カモノハシの可愛らしいシールが貼ってある。
もう一つは、味も素っ気もないストレートタイプ。
カモノハシシールの方の通話履歴を確認すると、この一ヶ月、まったく発信していない。
これが玲子――カモノハシの携帯なのだろう。
着信履歴も空っぽだが、留守番電話サービスにはメッセージがかなり溜まっていた。
いくつか再生してみる。
「早く病気を治して、学校に来てね」
そんな、友人たちの見舞いの声が続く。
その中には、父親らしき人物からの国際電話もあった。
どうやら三森啓司さんは、学会で発表するために一ヶ月ほど留守にしているらしい。
学会ということは、医者か何かだろうか。
だとすれば、応接間にあった頭蓋骨のイミテーションも少しは納得できる。
ただ、形が微妙におかしいから、人類学とか、そういう方面の人なのかもしれない。
……人類学が具体的に何をする学問なのか、オレはよく知らないけれど。
もう一つの携帯は、ミノムシ雅之のものだと見て間違いない。
登録されているアドレスは「先生」「三森」「ホテル」の三件だけ。
発信・着信履歴をざっと確認しても、やり取りしているのはほとんどその三つの番号だけという、実に限定的な交友関係だ。
「先生」ってのは、小西須美のことなんだろうなぁ。
大した手がかりも得られず、ため息をひとつ吐く。
視線を小さな書き物机に移した。
そもそも、小西おばさんや雅之が、何を目的にこんなことをしているのかが分からない。
金目当てではなさそうだ。
目的が見えない誘拐、監禁――その時点で十分に嫌な予感しかしない。
机の上には、筆記用具を入れた洒落た銀製の文具皿が置かれている。
机そのものはきれいに整頓されているが、先の丸まった鉛筆や、使いかけの消しゴムが残っているところを見ると、この机が日常的に使われていたことが分かる。
机には引き出しが一つだけ。その中には、本が一冊と携帯ライトが一本入っていた。
本は黒い装丁で、オリジナルのデザインがきちんとなされている。
表紙には金文字で――
「Book of Dzyan」
と題名が記されていた。
携帯ライトは、電球ではなく小さな蛍光灯が入ったタイプ。
ただ、その蛍光灯は普通のものとは違い、どこか青みがかっている。
スイッチを入れてみても、ほとんど光らない。
「……ブラックライトか?」
試しに部屋の電気を落とし、雅之のシャツに向けて照らしてみる。
布地の一部がぼんやりと光って見えた。
何のために置いてあるのかは分からない。
けれど、こういうものには大抵「意味」がある。
例えば――人目につかない印を、こっそり残しておくとか。
もう一つの「Book of Dzyan」。
日本語に訳せば、そのまんま「ドジアンの書」だ。
思わず苦笑しながらも、ページを開いてみる。
正直、大した手がかりにはならないだろうと、高を括っていた。
――それは、奇妙な本だった。
古びた本のページを写真に撮り、それらを丁寧につなぎ合わせたようなものが延々と続いている。
ページによっては、白紙が続いていたり、紙の損傷が激しくて内容が判読できない箇所もある。
恐らく、ひどい保存状態の原本を、一切内容を改変することなく「そのまま」再現しようとした本なのだろう。
どくん。
鼓動が、大きく跳ねた。
息が詰まる。
真夏のあの夜と同じだ。
心臓がどくんどくんと胸の中で跳ね回り、普段の五倍は膨れあがったみたいに重く感じる。
肺が圧迫され、横隔膜は動いているのに空気を吸い込めない。
「……あ」
な……んで……こんな……本、で……?
意味もなく震える手でページをめくる。
心臓の鼓動だけがやけに大きく、重く響く。
その重さに耐えきれず、背中は自然と丸くなる。
それでも、オレはページをめくる手を止めなかった。
ぺら、ぺら、と紙がめくれる音のあいだに、挟まれているものがあった。
しおり代わりに使われている、幾枚もの細長い紙切れ。
メモ用紙を細く折り畳んだものだ。
震える指先で一枚つまみ上げる。
吐き気がするほどぐらつく頭を、首を叱咤して支えながら、一枚、一枚、丁寧に開いていく。
そこには、走り書きのような文字が並んでいた。
思いついた言葉をそのまま書き連ねたような、散文調のメモ。
多分、小西須美が考え事をしながら書き殴ったものだろう。
内容は――
「 ハイパーボリア Hyperborea
クトゥグァ 神話的古代文明
ヒューペルボリア? 北欧 化石 1ヶ月戻らない
論文 啓司 北欧
北風の向こう側……北欧の土地? 原人 殺? 帰国前!
魔法国家
指の長さが鍵 玲子の指 探すには整形外科? レントゲン管理は?
魔術的素養 天才の証 約束された天才 玲子 メール
選ばれし者 イースト・ブルー カモノハシ 面識無い
産婦人科のほうがBetter? 庭石に紋様 門の基点 日高 替え玉
見えず こちらは見える 門 鍵は? ブラックライト
隠れ家は洞窟、迷宮? 危険性? 目印 専用塗料
恐らく無し 玲子監禁 教育 モートラン 犬
調査 時間 人手 ライト 水晶球 日高 もっと有能な人間を」
断片的で、脈絡のない言葉ばかり。
正直、よく分からない。
どうせなら、自分の悪事を事細かに書いておいてくれれば楽なのに。
……まあ、「玲子」というのはカモノハシのことだろう。
とりあえず、メモが挟まれていた部分を中心に、ページを斜め読みする。
新聞を読む程度の英語は身についている。
これはオレの、ささやかな自慢だ。
だって、そうじゃなきゃ旅先で困る。
軽口を叩いてみたところで、呼吸の苦しさは変わらない。
頭痛もひどくなってくる。
こめかみから側頭部にかけて、ずきん、ずきんと痛みが走る。
耳の奥で響く鼓動は、まるで「読むのをやめろ」と訴えているみたいだ。
……ハイパーボレア……我々ならざる人々……北風の向こう側に……遥かな時、栄え、富み……あり続けた……
……古きにあり、ここにあり、先にある……古びしもの……極……狭き門……刻まれた紋様……扉……盲の怪物……住まう無限の迷宮……あり得ざる者……大迷宮……
メモの内容と文中の言葉を重ねて読む。
考えろ。
考えるんだ。
本を読みながら、小西は考えた。
考えながら、ペンを走らせた。
だから、メモを読みながら本を追うオレは、小西の思考をなぞっていることになる。
オレは、小西。
玲子、カモノハシ。
オレ、イースト・ブルー。
面識はない。
監禁していたら、メールを送られた。
だから日高を替え玉に使う。
本物はどこへ隠す?
見えない場所。だが、小西には「見える」。
庭石に紋様。
門の基点。
鍵はブラックライト。
専用塗料で描かれた紋様は、ライトで照らさなければ見えない。
庭石。紋様。門。
ブラックライトが、鍵。
ああ、それにしても、本当に頭が痛い。
あの真夏の夜と同じように、手足がすうっと冷えていく。
身体の芯から、凍えていくみたいだ。
カチ――
カチカチ――
カチカチカチ――
……何か、
何か音がする。
カチカチカチカチ――
何の音だ?
カチカチ カチカチ カチカチ カチカチ
カチカチ カチカチ カチカチ カチカチ
カチカチ カチカチ カチカチ カチカチ
本当に、うるさい。
何の音だろう。
硬いもの同士を打ち合わせる音――。
ひどく、寒い。
それが、自分の震える歯が鳴らしている音だと気づくまで、少し時間がかかった。
本当に、寒い。
いつの間に、こんなに冷えてしまったんだろう。
暖房の効いた部屋の中にいるはずなのに。
……い……や……眼を……背けるな……怖い……んだ……
オレから父さんを、母さんを奪った事件。
何の疑いもなく続いてきた日常を、突然ぶち壊したあの夜。
魔術師。
魔術師。
魔術師。
魔術師――。
頭の中で、あの言葉が何度も、何度も反響する。
何をしたいのかは分からない。
けれど、小西はカモノハシを閉じ込めている。
人知れず、何かをしている。
それが何なのかは分からない。
分からないけれど――
カモノハシは「助けて」と書いてきた。
オレには、そんなことを言う暇すらなかったのに。
それでも、オレから魔術師が多くを奪ったように、
あいつらがカモノハシから多くを奪おうとしているのなら――
その時は。
オレは、「ドジアンの書」をぱたりと閉じた。
震える膝に力を込め、ゆっくりと立ち上がる。
今度は、逃げない。