なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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蛇水鍾乳洞7

 

 

 ◆ 蛇水鍾乳洞・境界線 ◆

 

 

「――ふむ。安達くんに驚いてたか。それは仕方ないね」

 

 伊集院貴也は、いつもの白シャツの袖を軽くまくりながら、洞窟の闇を眺めた。

 

「猫の集会に、突然、虎が乱入したようなものだから」

 

「虎、ですか……」

 

 彩女が気まずそうに視線をそらす。

 隣で青見が、ちらりと彼女の横顔を見る。

 

(やっぱり、そういう扱いなんだな)

 

 惣一郎が小声でぼそっと言った。

 

「安達、虎だってよ。やべーな、ラスボスポジ」

「うるさい」

 

 軽口で、少しだけ空気が緩む。

 

 今いるのは、照明が設置されている「探検体験コース」のいちばん奥――

 ロープと注意書きが張られていて「ここから先は本格的な探検コース(要予約・ガイド同伴)」と書いてある、その境界線だった。

 

 伊集院は一歩、ロープのすぐ手前まで進むと、ふっと息を吸い込んだ。

 

「じゃあ、ちょっと話をしてみようか」

 

 次の瞬間――

 

「シィィ……シャアァ……」

 

 人間の声帯じゃ、どうやっても真似できないような、擦れる音が喉から滑り出た。

 蛇の威嚇音にも似ているが、それだけではない。

 水の流れや、岩の軋みまで混ぜたような奇妙な音列。

 

 暗闇が、それに応えるように揺れる。

 

 しばらくすると――

 

「……シ、シィ」

 

 奥の方から「返事」が返ってきた。

 ゼエゼエと湿った呼吸に混じるかすれ声。

 

 やがて、ロープの向こうの闇から、零落したヘビ人間が一体、そろりと顔を出した。

 

 崩れかけた顔。片目だけが光っていて、その目が伊集院をじっと見つめる。

 

「よく来てくれたね」

 

 伊集院は穏やかに微笑むと、またシューシューとした音で何かを語りかける。

 

 その会話は、シィ、シシャ、シャア……と、ほとんど“音”でしか聞こえない。

 けれど、互いにちゃんと意味をやりとりしているのが分かるくらい、リズムと抑揚があった。

 

 玲子が、じっと耳を澄ませながら囁く。

 

「……“どうしたのかな?”“何かトラブルがあったかい?”って聞いてる感じですね」

「通訳できるのか、お前……」

「なんとなく、ですけど」

 

 やがて、ヘビ人間が短く答えた。

 

「……シィ」

 

 その一言に、伊集院の表情が少しだけ変わる。

 

「上がってきた“不死のヘビ人間”が?」

 

 皆が息を呑む。

 

「なるほど、それで君たちも落ち着かなくなったわけだね。案内してくれたまえ」

 

 そう言うと、伊集院は上着をふわりと脱いだ。

 

「竜樹くん、悪いけど預かっていて」

「おう」

 

 桜竜樹が無造作に受け取る。

 自分のパーカーも一緒に脱いで、結先生に渡した。

 

「ちょっと行ってくる」

「お前だけ行かせられないだろう」

 

 桜竜樹は肩を回しながら、ロープの前に並び立つ。

 

「こいつらの言葉、俺はさっぱり分からんしな。通訳が暗闇で一人きりは不安だ」

「心強いね」

 

 伊集院は、嬉しそうに目を細めた。

 

「では、少しだけ“奥”を見てくるよ。君たちはここで待っていてくれ」

 

 そう言うや、ふたりはロープをまたぎ、ヘビ人間の後について暗闇の中へと消えていった。

 

 ヘルメットのライトだけが、しばらく揺れて――すぐに、完全な闇に飲み込まれる。

 

 

 ◆ 待つ側 ◆

 

 

「……なんか、テレビで見る特番の裏側って感じだな」

 

 惣一郎が、気まずさ紛れに呟く。

 

 照明の届くギリギリのところまで黒い影が迫っていて、その先は想像すらしたくない深さの闇が口を開けている。

 

「大丈夫でしょうか、伊集院さんたち……」

 結先生が不安そうにロープを見つめる。

 桜竜樹の上着が、その腕の中で小さく揺れた。

 

「大丈夫ですよ、先生」

 

 愛香が静かに言う。

 

「貴也おじさん、こういうの、慣れてますから。……たぶん」

 

 最後の一言だけ小さくなる。

 

「“不死のヘビ人間”って、さっき……」

 玲子が腕を抱きしめる。

 

「零落したヘビ人間と、また別物なんでしょうか」

「アンデッド版ヘビ人間……名前の時点で嫌な予感しかしねぇ」

 

 惣一郎が顔をしかめた。

 

 彩女は黙って、ロープの向こうを見つめている。

 

 さっきの広場で交わした約束。

 「また来る」「夜空を連れてくる」。

 

 ――その前に、“不死のヘビ人間”とやらの問題を解決しないと、あの子たちの「星」どころじゃないのかもしれない。

 

 そんな予感が、胸の奥でじわじわと広がっていた。

 

「安達さん、大丈夫?」

 

 結先生がそっと声をかける。

 

「さっきから顔、ちょっとこわばってますよ」

「……大丈夫です。ちょっと、怒らせちゃったかなって思っただけで」

 

「怒らせた?」

 玲子が首をかしげる。

 

「ええと……わたしが、“虎”だから」

 

 彩女は、自嘲気味に笑った。

 

「猫の集会、壊しちゃったかもしれないなって」

 

 青見が、それを聞いて口を開きかけ――結局、何も言わずに彩女の頭を軽くぽん、と叩いた。

 

「お前が悪いなら、俺ら全員もっと悪いよ」

「え?」

「勝手にロープくぐって行ったの、俺たち全員だからな」

 

 惣一郎が「そうそう」と頷いてくる。

 

「正直、怒られるならまとめてだろ。怪異的にも、先生的にも」

「だから、ひとりで背負うなってこと」

 

 と、青見。

 

 彩女は一瞬きょとんとしてから、小さく笑った。

 

「……うん」

 

 

 ◆ 暗闇の奥 ◆

 

 

 一方その頃。

 

 ロープの向こう、照明の届かない本格探検コースのさらに奥。

 

 ヘルメットのライトが照らすのは、濡れた岩肌と、ところどころ深くなっている水たまりだけ。

 伊集院と桜竜樹は、先導する零落したヘビ人間の後を、慎重に進んでいた。

 

「で、その“不死のヘビ人間”ってのは?」

「彼らの“親玉”……というより、“古い同族”だろうね」

 

 伊集院は答える。

 

「この蛇水鍾乳洞は、昔から“上”と“下”をつなぐ穴だった。地上に近い方には、今の“蛇水さま”たちが棲みついて人間と共生しているけれど――もっと下には、別の層がある」

 

「地下水脈と……“黄泉”のあいだ、みたいなとこか」

「言い得て妙だね」

 

 先導のヘビ人間が、立ち止まる。

 目の前は、さっきまでよりもずっと広い空間だった。

 

 天井は高く、鍾乳石が逆さまの森みたいにぶら下がっている。

 足元の水は、ここだけやや温かい。

 

 ――そして、その中央に。

 

 ひときわ大きな“ヘビ人間”が、膝を抱えるようにして座り込んでいた。

 

 普通の零落した個体と違い、その身体はどす黒く変色し、部分的に骨が露出している。

 目のあたりは空洞で、そこから青白い光がじわじわと漏れている。

 

「……なるほど、これは」

 

 桜竜樹が眉をひそめた。

 

「完全に“不死者”だな。生き物っていうより、呪いで動いてるタイプだ」

「“上がってきた”ってのは、どうやら本当みたいだ」

 

 伊集院は、シューシューとした声で何かを問いかける。

 

 不死のヘビ人間は、ゆっくりと顔を上げた。

 空洞の眼窩が、まっすぐ伊集院をとらえる。

 

 その目の奥には――飢えと、渇きと、その奥でかすかに揺れる、別のもの。

 

「……シ、シャァ……」

 

 喉の奥から、風が漏れるような声がした。

 

 それは、かつての言葉の残骸。

 星、地上、人。そんな単語の断片だけが、辛うじて聞き取れる。

 

 伊集院は目を細める。

 

「ふむ。“上の子らが、星の話をするから、見に来た”……ってところかな」

「お前、よくそんな半分腐った声から拾えるな」

「慣れだよ、慣れ」

 

 そう言いながらも、伊集院の表情はわずかに曇っていた。

 

「問題はね――この子はもう、“生きて”いないってことだ」

 

 不死のヘビ人間は、ぎこちない動きで胸をかきむしる。

 

 そこには、黒くひび割れた“石”のようなものが埋まっていた。

 おそらく、生前は“心臓”か“核”だった場所。

 

 そこから、どろりとした影が滲み出ている。

 

「星の光じゃなくて、“星影”を食べようとしてしまうタイプですね」

「その通り」

 

 伊集院はうなずいた。

 

「地上に出れば、人間の“夜”を壊す。だから、蛇水さまたちは必死に押し留めている……が、自分たちだけではどうにもならない、と」

 

「で、人間を攫ってきたと」

 桜竜樹が肩をすくめる。

 

「たいしたもんだな。先生と生徒、ちゃんと大人連れで連れてきてる辺り、まだ理性は残ってんだろうが」

「“虎”が混ざってしまったから、余計にパニックになったんだろうね」

 

 伊集院は、ふと口元を緩めた。

 

「安達くんの気配は、“怪異にとっての天敵”みたいなものだ。零落したヘビ人間たちにしてみれば、自分たちの巣に雷が落ちてきたような感覚だったろう」

「そりゃ逃げるわ」

 

 そう言いながらも、桜竜樹の目は不死のヘビ人間から離れない。

 

「で、どうする。戻すか? 下に」

「選択肢はふたつ」

 

 伊集院は指を二本、立てる。

 

「一つは、君の言う通り、“元いた層”に送り返す。黄泉の水脈にね」

「もう一つは?」

「ここに“石碑”を立てる」

 

 桜竜樹が目を細めた。

 

「封じる、ってことか」

「まあ、簡単に言えばね」

 

 不死のヘビ人間が、ゆっくりと顔を上げる。

 空洞の目から漏れる光が、ほんのわずかだけ揺れた。

 

「君は“星”が見たい。けれど、“星影”を食べてしまう身体になってしまった」

 

 伊集院は、静かに言葉を紡いだ。

 

「だから――君はここで、“星の記憶”だけを見守る番人にならないかい?」

 

 ヘルメットのライトの下、伊集院の瞳は真剣だ。

 

「地上から夜空が映り込む水たまりを作ろう。蛇水さまたちが入口近くまで来たとき、そこに映る星を、君にも分けてあげる」

 

 それは、完全な救いではない。

 

 夜空そのものではなく、「水面に映る星」のみ。

 けれど、黄泉の底へ押し戻されるよりは、はるかに“上”に近い。

 

 不死のヘビ人間は、しばらく黙っていた。

 骨の露出した指先が、かすかに震える。

 

 やがて――

 

「……シィ」

 

 かすれた同意の音が、洞窟に溶けた。

 

 桜竜樹が、ふっと息を吐く。

 

「決まりか」

「決まりだね」

 

 伊集院は微笑んで、零落したヘビ人間たちの方を振り返る。

 

 いつの間にか、広間の周りには、何体もの蛇水さまたちが顔を出していた。

 恐怖と、不安と、それでも仲間を見捨てたくないという感情が入り交じった目。

 

「これから、ここに“境界”を作る」

 

 伊集院はシューシューとした声で、彼らに説明する。

 

「不死のヘビ人間は、ここから上には出ない。代わりに、君たちの“星の願い”を、少しだけ肩代わりしてもらう」

 

 蛇水さまたちは、互いに顔を見合わせ――最後に、ゆっくりとうなずいた。

 

 

 ◆ 境界線にて ◆

 

 

「戻ってきた!」

 

 どれくらい待っただろうか。

 ロープの向こうから、ふたつのライトが戻ってくる。

 

 伊集院と桜竜樹だ。

 ふたりとも、泥と水でそこそこ汚れてはいるが、表情は落ち着いていた。

 

「おかえりなさい!」

 

 結先生が駆け寄る。

 伊集院は、濡れた髪をかき上げながら、軽く会釈した。

 

「ただいま戻りました。ひとまず――大きな問題は、片づけてきましたよ」

「“不死のヘビ人間”は?」

 玲子が身を乗り出す。

 

「地下に“星の見張り役”として残ってもらうことにしました」

 伊集院はやんわりと言葉を選ぶ。

 

「地上には出てこない。その代わり、蛇水さまたちが星の話をする権利を、少し分けてもらう。そういう形です」

 

「……なんか、よく分かんないけど」

 惣一郎が頭を掻いた。

 

「ひとまず、襲ってこないならオッケー、ってことでいいのか」

「そういうことです」

 

 伊集院は柔らかく笑う。

 

「君たちを攫った件については、蛇水さまたちにもちゃんと説明しました。“人を驚かさないこと”というルールは、今後はもっと厳しく守ってもらうつもりです」

 

 そう言って、ちらりと彩女を見る。

 

「それと――安達くん」

「はい」

 

 彩女は背筋を伸ばした。

 

「君のことも、向こうには話しておきました。“猫の集会に紛れ込んだ虎”だとね」

「やっぱり虎なんですね……」

「でも、“誰も食べるつもりはない”虎です」

 

 伊集院は、はっきりとそう付け加えた。

 

「君が約束した“星を見せる”件も、整理しておきましょう。ここでまた、ぼくと蛇水さまたち、それから学校側で相談して――“特別観測会”という形にできれば一番いい」

 

「特別……観測会」

 

 彩女の胸が、少しだけ弾む。

 

「蛇水さまたちは、入り口近くまで。人間は外から。間に水たまりを挟んで、同じ星を眺める。――そういう夜があっても、きっと悪くないでしょう?」

 

 伊集院の提案に、その場の空気がふっと明るくなる。

 

「なんか、それ、ちょっとロマンチックですね」

 玲子が目を輝かせる。

 

「“人とヘビと星の観測会”。レポート書いたら、絶対先生に怒られるタイトルですけど」

「怒りませんよ、ちゃんと内容が伴っていれば」

 結先生が苦笑した。

 

 惣一郎が、彩女の方を見てニヤリと笑う。

 

「よかったな、安達。今度は正式に“招待”ってわけだ」

「……うん」

 

 彩女は、小さく息を吐いてから、洞窟の暗闇に向かってそっと頭を下げた。

 

(約束、ちゃんと叶えよう)

 

 あの広場で、ひざまずいたヘビ人間たち。

 水面に浮かんだ“星の影”。

 

 それら全部が、胸のどこかで静かに繋がっていく。

 

 蛇水鍾乳洞の奥には、まだ“境界”がいくつも眠っている。

 その一つが、今、少しだけ形を変えた。

 

 ――猫の集会と、虎と、ヘビと、夜空。

 

 奇妙な取り合わせの物語が、またひとつ、この夏のページに書き足されていくのだった。

 

 

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