なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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なんとか修行

 

 

/*/ 花嫁修業、宣言 /*/

 

 

 日曜の昼下がり。

 安達家のリビングには、ゆるいバラエティ番組の笑い声と、天気のいい午後特有の眠気が漂っていた。

 

 ソファの上でゴロゴロ転がりながら、彩女はスマホをいじっている。

 昨日のリレーの動画や、クラスメイトが撮ってくれた写真が次々と流れてきて、ついニヤニヤしてしまう。

 

 そこへ――

 

「彩女」

 

 キッチンから、お母さんの声。

 

「なにー?」

 

「ちょっとこっち来なさい」

 

 呼び方が妙に“用事あり”のトーンだったので、彩女はイヤな予感を覚えつつも立ち上がる。

 

 キッチンに入ると、まな板の上には野菜、シンクには洗いかけの食器、床にはまだ掃除機がかかっていない一角。

 

「……なに、この“家事フルコース”」

 

「はい、正解」

 

 お母さんは、エプロンの裾で手を拭きながら、ニコッと笑った。

 

「彩女さん。今日から、料理に洗濯、掃除の修行をしましょうね」

 

「……へ?」

 

 いきなり修行宣言。

 

「ちょ、ちょっと待って。なんでそうなるの」

 

「だって、将来の夢――」

 

 お母さんは、わざとらしく指を一本立てる。

 

「“青見くんのお嫁さん”なんでしょう?」

 

「ぶっ」

 

 彩女の顔から、瞬間的に色という色が消えた。

 

「ちょ、ちょちょちょっと待って!? 誰がそんなこと言ったの!?」

 

「小学校の文集」

 

 即答。

 

「“将来の夢 東くんのお嫁さん”って、ちゃんと書いてあったわよ? ほら、ここに」

 

 いつの間にかリビングの棚から持ってきていた文集を、ぺらぺらとめくるお母さん。

 本当に載っていた。将来の夢の欄に、あの汚い字で。

 

(なんで捨ててないのよ、この黒歴史……!)

 

 頭を抱える娘をよそに、お母さんは楽しそうに続ける。

 

「今からしっかり修行しておかないとね。花嫁修業ってやつ」

「いやいやいや、令和だよ!? そういうの昭和っぽくない!?」

「家事出来るに越したことないのは、いつの時代も一緒です」

 

 ど正論である。

 反論の余地がないのが腹立たしい。

 

「お母さん、言っとくけどね! 今どきは男女共同――」

「彩女」

 

 名前を呼ぶ声のトーンが、ほんの少しだけ低くなる。

 

「“どっちも出来る”夫婦の方が、素敵でしょ?」

 

 その一言で、口が止まった。

 

 青見が、エプロン姿で台所に立っていた昨日の夕飯。

 あの手際の良さと味を思い出してしまう。

 

「……う」

 

「青見くん、料理も洗濯も一通り出来るんでしょ?」

「……だいたい、ね」

 

 認めざるを得ない。

 

「じゃあ、うちの娘も“家事できます”って胸張れるくらいになってないと、釣り合わないわよ?」

 

「釣り合うとか言うのやめてよ、なんか余計恥ずかしいから!」

 

 頬を真っ赤にしながら叫ぶと、リビングから新聞を畳む音が聞こえた。

 

「ふむ」

 

 お父さんだ。

 

「青見くんなら……」

 

 ぽつりと呟いてから、新聞を膝に置いて腕を組む。

 

「……だが、あんまり早くに嫁がれるのもな……」

 

 しみじみした声である。

 

「いや、まだ嫁がねえからね!? 高校生だからね!?」

 

 彩女が全力でツッコむ。

 

 しかしお父さんは、まるで聞いていないかのように続けた。

 

「いや、そう言ってると行き遅れるのもな……」

 

「お父さん!?」

 

 妙に現実味のある悩みに、娘としては頭を抱えるしかない。

 

 お母さんはそのやり取りを見てケラケラ笑いながら、手にしていたフライパンをコンロに乗せた。

 

「はい、じゃあまずは玉ねぎのみじん切りから行きましょうか、お嫁さん候補」

 

「だから違っ……」

 

 言いかけて、やめた。

 

(……“候補”くらいなら、別にいい、けど)

 

 胸の奥が、ちょっとだけむずがゆくなる。

 

「彩女、包丁はこう。指は猫の手」

「こう?」

「そうそう。青見くんも、こうやって最初は覚えたのよねぇ」

「それを引き合いに出すのやめて!」

 

 キッチンに、トントントン、と包丁の音が響く。

 いつか、「うちに来る?」なんて、逆に聞けるくらいになったら――

 

(……って、なに考えてんの、わたし)

 

 自分で自分の頬をぺちっと叩いて、彩女は玉ねぎと向き合い直した。

 

 目に染みて、少しだけ涙がにじむ。

 それが玉ねぎのせいだけだと、今は信じておくことにした。

 

 

/*/

 

 

 玉ねぎのみじん切りと格闘していると、お母さんがふと思い出したように口を開いた。

 

「それにねぇ、青見くん進学するんでしょ」

 

「へ?」

 

 包丁を動かしていた手が、ぴたりと止まる。

 

「彩女ついてくとか言い出したら、学生結婚しかねないし、来年は受験だし、そうなると花嫁修業してる暇なんて今しかないでしょう」

 

「はぁぁぁ!?!?」

 

 包丁を置いて、全力で振り向く。

 

「なに言ってんの!? そんなドラマみたいな話あるわけないでしょ!?」

 

「あるかもしれないじゃない」

 お母さんは、どこまでも真顔で言う。

 

「“青見くんが行くなら、私も行く”って、さらっと言い出しそうなの、誰だっけ?」

 

「だ、誰もそんなこと――」

 

 言いかけて、喉の奥で言葉がつかえる。

 

(……言うかもしんない、って自分でちょっと思ったことあるけど)

 

 その自覚があるせいで、強く否定しづらい。

 

 リビングから、お父さんが「ふむ」と相槌を打った。

 

「学生結婚かぁ……」

 

「だからしないってば!!」

 

 全力で遮ったのに、お父さんは勝手に悩みモードに入っている。

 

「いや、青見くんなら……まあ、相手としては文句ないが……。

 だが、あんまり早くに嫁がれるのも……いや、そう言ってると本当に行き遅れるのも……」

 

「それさっきも言ってたからね!? 二回悩まないで!?」

 

 娘と父のやりとりを聞きながら、お母さんは楽しそうに肩を震わせた。

 

「ほら、やっぱり今のうちよ」

 

「なにが“ほら”なのよ」

 

「来年は受験勉強でしょ? 青見くんも彩女も。

 その前の一年で、最低限“人に出せるご飯”と“人前で出せる部屋”は作れるようになっておかないと」

 

 妙に具体的なラインを提示される。

 

「そしたら、青見くんが一人暮らし始めたときに――」

 

「やめなさい」

 

 お父さんが、そこでぐっと手を挙げて止めに入った。

 

「そこから先は、父親のメンタルに悪い」

 

「なによ、いいところだったのに」

「“いいところ”じゃないからね!?」

 

 彩女は耳まで真っ赤になりながら、再び玉ねぎに向き直る。

 

(進学、か……)

 

 さっきまで笑い話だったはずの単語が、急に胸の奥で重みを持つ。

 

 青見がこの街を出て行く未来。

 自分はどうするのか。

 追いかけたいと思うのか、この町に残るのか。

 

 考えたことがないわけじゃない。

 でも、まだ先の話だと勝手に思っていた。

 

「ほら、手止まってる」

 

「……分かってるって」

 

 玉ねぎを刻む手を動かしながら、彩女は小さく深呼吸する。

 

(学生結婚なんて、するわけ――)

 

 そこで脳裏に浮かぶ、エプロン姿で台所に立つ青見の姿。

 昨日、さも当たり前のように自分の家のキッチンを仕切っていた背中。

 

 ――“そういうのも、ちょっとアリかも”って思ってしまった自分を、全力で否定したくなる。

 

「……お母さん」

 

「なに?」

 

「とりあえずさ」

 

 包丁を動かしながら、彩女は視線を玉ねぎから離さないまま言った。

 

「“花嫁修業”じゃなくて、“ひとりでも生きていける修行”ってことにしてくんない?」

 

「ふふ。看板はなんでもいいけどね」

 

 お母さんは、優しく目を細める。

 

「誰かのところに行くにしても、ここに残るにしても、自分のこと自分で回せる女の子の方が、かっこいいでしょ?」

 

「……それは、認める」

 

 その答えだけは、すんなり出てきた。

 

「じゃあ、はい。次はフライパンね。焦がしたら減点」

「減点制度!? 何点スタートなの!?」

「そりゃもちろん、青見くんのお嫁さん目指すなら――」

「目指してないってば!」

 

 賑やかな声と、ジュッと油の跳ねる音が、日曜の台所に響く。

 

 先のことなんて、まだ分からない。

 でも、“今しかない時間”に何を覚えて、何を身に付けるかは、自分で決めていくしかない。

 

(……とりあえず、焦がさないところから、だよね)

 

 そんなふうに思いながら、彩女はフライパンの中の玉ねぎを、真剣な顔で炒め始めた。

 

 

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