「……権力には、屈せぬ……」
もう一度そう呟いて、俺は布団の中に潜ろうとした。
が、その前に。
ばさっ、と。
肩口から、布団が器用に引きはがされた。
「うおっ、さみっ!?」
「ふふ、お疲れなんだね」
布団の端を抱え込むように持ち上げているのは、もちろん愛香だ。
いつもなら、ここで苦笑して「今日は諦めておくね」って言うのが定番コースなんだが――
今日の愛香は、どこか目つきが違った。
「惣くん、ここ最近ずっとギリギリなんだよ? 遅刻一歩手前ばっかり」
「人生とは、常にギリギリを歩むものだからな……」
「そうやってカッコつけてるけど、出席日数、本気で危ないんだよ?」
ずい、と顔を近づけられる。
ツインテールがさらりと肩をかすめて、いい匂いがした。
……いや、起きたくない。起きたくないが。
距離が近い。色々と近い。
「それにね?」
愛香が、少しだけ声を落とす。
「惣くんが朝なかなか起きられない理由、わたしだってちゃんと分かってるんだよ」
「……え?」
(いや、まあ、そりゃ……だいたい原因はお前だけども)
ぼんやりした頭でそう考えていると、愛香はほんの一瞬だけ視線を泳がせて、頬を指でかいた。
「そんなに夜更かししてるわけでもないのに、ぐっすりなのはね。生命力回復のために、身体が休憩欲しがってるからだよ」
「なんか、ゲーム用語みたいな言い方された」
「それだけ、惣くんから“いっぱい貰ってる”んだから、ちゃんと大事にしないと」
さらっと変なことを言うなこの幼なじみは。
「……それ、お前が言う?」
「言うよ?」
しれっと胸を張るな。
俺が言葉に詰まっている隙に、愛香は布団を足元までずらし、ぺしぺしと俺の膝を軽く叩く。
「ほら、起きる。今日は、頑張って起こしてみる日って決めたから」
「誰が決めた」
「わたしが」
即答である。民主主義のかけらもない。
「惣くん」
名前を呼ばれる。
柔らかい声だった。
「わたしね、毎朝起こしに来るの、全然苦じゃないんだよ」
ふっと微笑む愛香。
「惣くんの寝顔見て、『あ、ちゃんと生きてる』って確認できるから」
「俺、いつ死にそうなんだよ」
「気持ちよさそうに寝てると、あ、昨日も頑張ってたなぁって安心するし」
「その“昨日も”って言い方やめろ」
耳が熱くなるのを自覚しながら、枕を被ろうとしたところで――
パシッ、と枕も取り上げられた。
「逃げちゃダメ」
「お前、今日はやたら本気だな……」
「だって、惣くん。このままだと本気で留年とか笑えないよ?」
言いながら、愛香はベッドの端にちょこんと腰を下ろす。
制服のスカートのすそを気にしながら、俺の方へ身体を向けた。
「昨日も、ちゃんと“責任取るからね”って約束したし」
「……なんの責任だよ」
「惣くんの人生、って言ったら重たい?」
「お前、自覚あるならもう少しオブラートに包め」
とはいえ、その言葉に、胸の奥がちょっとだけ温かくなるのを感じたのも事実で。
……くそ。こういうとこなんだよな、こいつ。
「だから、まずはね」
愛香が、俺の頬にそっと手を伸ばす。
掌が、寝起きの顔にひんやりと触れた。
「一緒に高校、ちゃんと卒業するところから」
「そこからって、お前、ゴールだいぶ先まで見てね?」
「ん。だって惣くん、すぐサボろうとするから。わたしがちゃんと見てないと」
にっこり。
……勝てるわけがない。
「……分かったよ。起きる、起きるから。な?」
「ほんと?」
「嘘ついたことあるか、俺が」
「うーん……ゲームの“あと一戦だけ”ってやつは、だいたい嘘だよね?」
「それは世界中のゲーマーに謝れ」
ぶつぶつ文句を言いながら、渋々上半身を起こす。
身体の奥に、まだ妙な重だるさが残っているのは、まあ……昨夜のせいだ。異論はない。
そんな俺の様子をちらりと見て、愛香が小さく笑った。
「……惣くん、やっぱりちょっと疲れてるね」
「そりゃまあ、色々とな」
「うん。だからこそ、ちゃんと朝ご飯食べて、動けるようにしないと」
するりと立ち上がって、制服のスカートを整える。
「顔洗ってきたら? その間に朝ご飯用意しておくね」
「え、そこまでやってくれんの?」
「当たり前でしょ。わたし、惣くんの専属マネージャーだから」
「肩書き増えてね?」
「幼なじみ兼、親戚兼、専属メイド兼、マネージャー」
「もう会社作れるわ」
言い合いながらも、足は自然とベッドから降りていた。
立ち上がった瞬間にふらっとしたが、すかさず愛香の手が俺の肘を支える。
「ほら、ゆっくりでいいから」
「悪いな」
「ううん。惣くんが頑張った分くらい、わたしがちゃんと支えるよ」
何気なく言った一言が、やけに心に刺さる。
顔を見られないように、軽く手を振って洗面所の方へ向かう。
「……んじゃ、とりあえず顔洗ってくる」
「はいはーい。逃げちゃダメだからねー?」
「誰が逃げるか」
そう返しつつ、内心では苦笑していた。
(――まあ、こいつにここまで言われて、また布団に戻るほど俺も腐っちゃいねぇか)
聖なる怠惰は魅力的だ。
けど、それを引きはがしてくる手のぬくもりも、悪くない。
洗面台に水を出しながら、鏡に映った自分の情けない寝起き顔を見て、ため息をついた。
「……しゃーねぇ。今日くらいは、ちゃんと“権力”に屈してやるか」
そう呟いて、冷たい水を思い切り顔に浴びせた。