/*/ 安生カフェ、本日だけメイド営業 /*/
昼休みの逢瀬学園カフェテリアは、今日もそこそこ繁盛していた。
トレーを持った生徒たちが行き交い、揚げたてのポテトの匂いと、珈琲の香りがゆるく混ざり合っている。
「――おいしくなぁれ★ ミルミルきゅん★」
その一角だけ、空気の色が明らかにおかしかった。
カウンター奥、珈琲マシン横のコーナー。
そこに置かれた手挽きのコーヒーミルを、安生四姉妹の長女・梨花が、満面の笑みでぐるぐる回している。
「珈琲さん、美味しく出来てね★」
ウインク付き。
ミルを回すたびに、銀のスプーンがカップの縁でカラン、と軽く鳴る。
「…………」
カウンターの向こうで待っている男子生徒たちは、トレーを抱えたままフリーズしていた。
「な、なんだあれ」「いつから逢瀬カフェはメイド喫茶に……?」「安生先輩今日も攻めてるな……」
ざわざわとした囁きが、順番待ちの列の中に広がっていく。
「はーい、抽出いきまーす★」
梨花は、少しだけ真剣な顔になって、丁寧に湯を落としていく。
膨らむ粉の様子を確認して、湯の太さを調整して――腕だけはプロのそれだ。
湯気とともに、香りがふわりと立ち上る。
「……よし」
仕上がった珈琲をカップに注ぎながら、梨花はくるりと振り返った。
「珈琲お待たせ★」
そして――両手で、胸の前にハートマークを作る。
「今日も一日、がんばってね★」
「ッ……!」
真正面からそのスマイルを浴びた男子生徒の一人が、心臓を撃ち抜かれたような顔で小銭を落とした。
隣の友人が慌てて拾う。
「お、おい財布!」
「ご、ごめん……なんか手震えて……」
カウンター横には、いつの間にか「ご厚意(チップ)は備え付けの箱へ」という、小さな紙が貼られていた。
ちゃりん、と硬貨が落ちる音がするたびに、箱の中身が増えていく。
そこへ、同じくカウンター内側でレジを打っていた次女・友香が、たまらず声をかけた。
「……姉さん、何してるの?」
梨花は、ハートマークをほどきながら、きょとんと振り返る。
「え? 見ての通り、“おいしくなぁれ★ミルミルきゅん★”だけど?」
「いや、そういうこと聞いてるんじゃなくて」
友香は額に手を当てた。
「なんで学園のカフェテリアで、身体張ってメイドさんみたいなことしてるのかって話」
「……売り上げが上がるかと思って」
梨花は、わりと真面目な顔で答える。
「ここ、コーヒーちゃんと美味しいのに、みんなカレーとラーメンばっかりで、可哀想じゃない?
だったら“映え営業”した方が、珈琲さんも喜ぶかなって」
「珈琲さんって言うな」
ツッコミながらも、友香は横目でチップ箱を見た。
ちゃりん。
ちゃりんちゃりん。
さっきから、明らかに通常より多いペースで硬貨が投下されている。
「……上がってるのは、売り上げじゃなくてチップなんだけどね」
「それはそれで、ほら。生活費の足しに――」
「問題はそこじゃなくて」
不意に、カウンター前の空気がすっと引き締まった。
振り向くと、そこには生活指導の先生と、生徒会の風紀委員が並んで立っていた。
「安生梨花さん」
「はい?」
「“おいしくなぁれミルミルきゅん”とやらは、ここ学園カフェテリアでは自粛してください」
生活指導の先生は、引きつった笑顔で告げた。
「風紀、乱れますから」
「え、乱れてました?」
「列の男子のテンション見れば分かるでしょ」
風紀委員の女子が、じとっとした目でチップ箱を指差す。
「“チップ”という名目で小銭投げ込ませるのもアウトです。ここ学校ですから」
「う……」
梨花は、さすがにバツが悪そうに肩をすくめた。
「でも、珈琲さんは喜んでたと思います」
「珈琲の感想は聞いてません」
きっぱり切り捨てられた。
結局その日――
安生梨花の「おいしくなぁれ★ミルミルきゅん★」営業は、
チップという形で一時的に売り上げを伸ばしたものの、
「学園の風紀を乱す」という理由で、正式に禁止されたのだった。
「……ほらね、身体張り過ぎでしょ」
片付けのあと、友香がストローをくわえながらぼそっと言う。
「でも、“楽しかった”って言ってくれたから、いいの」
梨花は、ミルをそっと撫でて笑った。
「またどこかで、“ミルミルきゅん★”やろっと」
「次やるときは、場所選んでね、姉さん……」
逢瀬学園カフェテリアは、その日を境に、
ごく普通に落ち着いた“学内食堂”へと戻っていったのだった。