なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

137 / 240
ミルミルきゅん

 

 

/*/ 安生カフェ、本日だけメイド営業 /*/

 

 

 昼休みの逢瀬学園カフェテリアは、今日もそこそこ繁盛していた。

 トレーを持った生徒たちが行き交い、揚げたてのポテトの匂いと、珈琲の香りがゆるく混ざり合っている。

 

「――おいしくなぁれ★ ミルミルきゅん★」

 

 その一角だけ、空気の色が明らかにおかしかった。

 

 カウンター奥、珈琲マシン横のコーナー。

 そこに置かれた手挽きのコーヒーミルを、安生四姉妹の長女・梨花が、満面の笑みでぐるぐる回している。

 

「珈琲さん、美味しく出来てね★」

 

 ウインク付き。

 ミルを回すたびに、銀のスプーンがカップの縁でカラン、と軽く鳴る。

 

「…………」

 

 カウンターの向こうで待っている男子生徒たちは、トレーを抱えたままフリーズしていた。

 

「な、なんだあれ」「いつから逢瀬カフェはメイド喫茶に……?」「安生先輩今日も攻めてるな……」

 

 ざわざわとした囁きが、順番待ちの列の中に広がっていく。

 

「はーい、抽出いきまーす★」

 

 梨花は、少しだけ真剣な顔になって、丁寧に湯を落としていく。

 膨らむ粉の様子を確認して、湯の太さを調整して――腕だけはプロのそれだ。

 

 湯気とともに、香りがふわりと立ち上る。

 

「……よし」

 

 仕上がった珈琲をカップに注ぎながら、梨花はくるりと振り返った。

 

「珈琲お待たせ★」

 

 そして――両手で、胸の前にハートマークを作る。

 

「今日も一日、がんばってね★」

 

「ッ……!」

 

 真正面からそのスマイルを浴びた男子生徒の一人が、心臓を撃ち抜かれたような顔で小銭を落とした。

 隣の友人が慌てて拾う。

 

「お、おい財布!」

 

「ご、ごめん……なんか手震えて……」

 

 カウンター横には、いつの間にか「ご厚意(チップ)は備え付けの箱へ」という、小さな紙が貼られていた。

 

 ちゃりん、と硬貨が落ちる音がするたびに、箱の中身が増えていく。

 

 そこへ、同じくカウンター内側でレジを打っていた次女・友香が、たまらず声をかけた。

 

「……姉さん、何してるの?」

 

 梨花は、ハートマークをほどきながら、きょとんと振り返る。

 

「え? 見ての通り、“おいしくなぁれ★ミルミルきゅん★”だけど?」

 

「いや、そういうこと聞いてるんじゃなくて」

 

 友香は額に手を当てた。

 

「なんで学園のカフェテリアで、身体張ってメイドさんみたいなことしてるのかって話」

 

「……売り上げが上がるかと思って」

 

 梨花は、わりと真面目な顔で答える。

 

「ここ、コーヒーちゃんと美味しいのに、みんなカレーとラーメンばっかりで、可哀想じゃない?

 だったら“映え営業”した方が、珈琲さんも喜ぶかなって」

 

「珈琲さんって言うな」

 

 ツッコミながらも、友香は横目でチップ箱を見た。

 

 ちゃりん。

 ちゃりんちゃりん。

 

 さっきから、明らかに通常より多いペースで硬貨が投下されている。

 

「……上がってるのは、売り上げじゃなくてチップなんだけどね」

 

「それはそれで、ほら。生活費の足しに――」

 

「問題はそこじゃなくて」

 

 不意に、カウンター前の空気がすっと引き締まった。

 

 振り向くと、そこには生活指導の先生と、生徒会の風紀委員が並んで立っていた。

 

「安生梨花さん」

 

「はい?」

 

「“おいしくなぁれミルミルきゅん”とやらは、ここ学園カフェテリアでは自粛してください」

 

 生活指導の先生は、引きつった笑顔で告げた。

 

「風紀、乱れますから」

 

「え、乱れてました?」

 

「列の男子のテンション見れば分かるでしょ」

 

 風紀委員の女子が、じとっとした目でチップ箱を指差す。

 

「“チップ”という名目で小銭投げ込ませるのもアウトです。ここ学校ですから」

 

「う……」

 

 梨花は、さすがにバツが悪そうに肩をすくめた。

 

「でも、珈琲さんは喜んでたと思います」

 

「珈琲の感想は聞いてません」

 

 きっぱり切り捨てられた。

 

 結局その日――

 

 安生梨花の「おいしくなぁれ★ミルミルきゅん★」営業は、

 チップという形で一時的に売り上げを伸ばしたものの、

 

 「学園の風紀を乱す」という理由で、正式に禁止されたのだった。

 

「……ほらね、身体張り過ぎでしょ」

 

 片付けのあと、友香がストローをくわえながらぼそっと言う。

 

「でも、“楽しかった”って言ってくれたから、いいの」

 

 梨花は、ミルをそっと撫でて笑った。

 

「またどこかで、“ミルミルきゅん★”やろっと」

 

「次やるときは、場所選んでね、姉さん……」

 

 逢瀬学園カフェテリアは、その日を境に、

 ごく普通に落ち着いた“学内食堂”へと戻っていったのだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。