/*/ 父よ、何をした /*/
その日。
安生道場の居間には、妙な緊張感が漂っていた。
「――父が」
ちゃぶ台の上に通帳をバンッと叩きつけて、梨花が宣言する。
「家に一千万なんて大金を入金した!!」
パタン、と廊下で誰かがスリッパを落とす音がした。
顔を出したのは、次女の友香だ。
「……は?」
「見てこれ!」
梨花は通帳のページを広げ、赤い数字の桁数を指でなぞった。
0が、いつもの給料振込の二倍どころじゃない。
「一、十、百、千、万、十万、百万……千万。
はい、アウトー!! これはもうアウトの金額!」
「落ち着いて、姉さん」
友香は通帳をひったくって、改めて数字を確認した。
「……ほんとに一千万だね」
「でしょ!?」
「……お父さん、宝くじ当てた?」
「それならそれで問題はないが……」
低い声がして、奥の座敷から“龍お父さん”がのっそり現れた。
道着のまま、タオルで頭を拭きながら居間に入ってくる。
「なんだそんなに騒いで」
「父よ、何をした」
梨花が、すっと立ち上がって指を突きつけた。
「大人しく自首せよ」
「そうだよ、お父さん!」
友香まで、うるうるした目で通帳を突き出す。
「こんな大金、普通に考えておかしいよ! ニュースでやってる詐欺とか横領とか、そういうやつじゃないの!?」
「お前たちの父親の犯罪イメージがひどくないか?」
龍お父さんはこめかみを押さえた。
そこへ、廊下の向こうから小走りの気配。
ひょこっと顔を出したのは、銀髪ポニテの三女・ユイリィだ。
「どうしたの? なんか騒いでるけど……」
「ユイリィ! 聞いて! 父が――」
梨花がドラマチックに指をさす。
「家に一千万なんて大金を入金したのよ!!」
「えぇ……?」
ユイリィの顔が、みるみる青ざめる。
「ま、まさか、そんな……お父様が闇の組織に……」
「なぜいきなりスケールを跳ね上げる」
龍お父さんのツッコミはスルーされ、さらに奥からもう一人、ぴょん、と跳ねるように現れた。
「えー、やっちゃったの?」
ピンクブロンドのふわふわヘアー、四女・ルテアである。
「お父さん、ついに裏社会デビュー? “虎の爪”とか“一角龍”とか、そういう二つ名つけられるやつ?」
「お前らの父親像どうなってるんだほんとに!!」
龍お父さんは、全力で否定の手を振った。
「ち、違う。これは賞金首を捕まえた懸賞金だ」
居間の空気が、一瞬だけ固まる。
「……しょうきんくび?」
友香が復唱する。
「お父様に捕まる賞金首なんて、現代にいなさそうですが……」
ユイリィが真顔で首をかしげる。
「そうだよね、今の賞金首って、完全犯罪とかやってる知能犯っぽいもん」
梨花も腕を組み、うんうんとうなずいた。
「ニュースでやってる“国際指名手配の天才ハッカー”的な?」
「そうそう。“都市伝説の殺し屋”とか“顔を見たら最後”とか」
「お前ら、父親がそういうの捕まえてきたと思ってんのか」
龍お父さんは、大きくため息をついた。
「いいか。ニュース見てなかったのか、お前ら」
「ニュース?」
「最近、世間を騒がせてる“クマ狩り”の話だ」
その単語で、全員の表情が同時に変わった。
「あー……」
「山から下りてきて、畑荒らしたり、人を襲ったりしてるっていう……」
「猟友会の人たちが大変そうにしてたやつ?」
「そうだ。あれを、俺なら一番効率よく止められると思ってな」
龍お父さんは、さらっと恐ろしいことを言った。
「俺ならば、市街地でもクマを倒せる! 素手だからな!」
「どれだけやってきたのよ!!」
梨花が、思わずちゃぶ台を叩いた。
「ちょっと待って、確認。
本州のクマと、北海道のヒグマ、どっち?」
「両方だな」
「両方!?」
今度は四姉妹全員の声が揃った。
「本州のクマと北海道のヒグマだな。
〇S〇何号とか言うのも倒してきたぞ」
「待って待って待って」
友香が、慌ててスマホを取り出し、ニュースアプリを開く。
「〇S〇何号って、あの……連日ニュースになってた、“被害が相次いで捕獲困難”って言われてたヒグマだよね……?」
「そうだ。あれな、動きがいい。なかなかのもんだった」
龍お父さんは、なぜか嬉しそうに頷いた。
「山の中で追い詰めたら、急に方向転換して崖を駆け上がってな。
ああいうのは、鍛えられた体にしか出せん動きだ。ちょっと惚れた」
「惚れんな!!」
梨花のツッコミが冴え渡る。
「で、どうやって倒したの?」
ルテアが、なぜか目を輝かせて身を乗り出す。
「まさか、“熊殺しの正拳”的な?」
「いや、ああいうのは真正面から殴るより、崩すのが大事でな」
龍お父さんは、畳の上で軽く構えてみせる。
「足を払って、体勢を崩し――顎と肩をまとめて極めて、意識を落としてから縛る」
「え、ちゃんと捕獲ルール守ってる……」
ユイリィがぽかんとした顔をした。
「てっきり、“素手で一撃KO!!”みたいなノリかと」
「俺だってなぁ、野生動物相手に無駄な殺生はしたくない。
今回の懸賞金は、全部“生け捕り”の分だ(どうせ始末されるんだがな)」
「そこはちょっと安心したかも……」
友香は胸をなでおろしつつ、それでも納得はいかない顔をする。
「でもさ、それにしたって、一千万は桁がおかしくない?」
「何頭分よ、それ」
「本州のツキノワと、北海道のヒグマ合わせて――」
龍お父さんは、指を折りながらさらっと言った。
「少しやりすぎたかもしれん」
「“少し”ってレベルの額じゃないからね!?」
梨花が再び通帳を突きつける。
「っていうかさ、その……」
ユイリィが、おずおずと手を挙げた。
「お父様が素手でクマ捕まえてる映像とか、どこかに出回ってませんか……?」
「さすがに顔出しはしてない」
龍お父さんは首を振る。
「猟友会経由で依頼受けて、現場ではフードかぶってたしな。
ニュースで出てるのは、せいぜい“謎の協力者”くらいだろう」
友香のスマホ画面には、ちょうど速報の文字が踊っていた。
『――道内各地のヒグマ被害、格闘技経験者とみられる人物により次々と捕獲され――』
「これ絶対お父さんだよね!?」
「決めつけるな」
そう言いつつも、龍お父さんはどこか居心地悪そうに頭をかいた。
「とにかく、その一千万は真っ当な懸賞金だ。
市役所と猟友会から正式に振り込まれてる。あとで書類も見せてやる」
「…………」
四姉妹は顔を見合わせる。
「……じゃあ」
梨花が、ゆっくりと通帳をちゃぶ台に戻した。
「父よ。今回は――」
「“今回は”?」
「――自首は保留とする」
「最初から自首案件じゃない」
龍お父さんは、深く深くため息をついた。
「でもさ、お父さん」
ルテアが、ぽふんとクッションに座り込みながら言う。
「クマと素手で戦うの、やっぱり危ないと思うからさ。
次からは、せめて誰か連れてってよ。動画くらい撮らせて」
「そっちの心配か」
「だって、“クマと戦うお父さん”とか、絶対バズるじゃん」
「お前たち、父親を何だと思っているんだ本当に」
安生道場に、一日で一千万もの大金が転がり込んだ理由は――
犯罪でも、宝くじでもなく。
ただひたすらに、“クマより強い父親”のせいだった。
その事実が、道場の噂として外に漏れるかどうかは、
四姉妹の口の固さ次第……ということになるのだが。
それはまた、別の日の話である。