気がつくと、オレは暗闇の中に立っていた。
ポケットからライトを取り出し、周囲を照らす。
直径五メートルほどのトンネルの途中らしい。
足元では、つけっぱなしになっているブラックライトに照らされて、あの紋様がぼんやりと輝いている。よく見ると、その紋様から奥へ向かって、矢印が点々と描かれているのにも気づいた。
とりあえず、また転送されてはたまらないので、ブラックライトはいったん消す。
紋様から少し離れたところまで進んでから、今度はL型ライトを取り出し、左胸に縫い付けたマジックテープに固定して点灯した。
ポケットライトは強力だが、連続点灯には向かない。
それにしても――どうしたものか。
ここまで来てなんだけど、どう考えても、オレが喧嘩を売っていい相手じゃない。
だからといって、警察に駆け込んでどうにかなるとも思えない。
この洞窟の空気、その気配だけで分かる。
匂いが脳を伝って脊髄に入り込み、熱く鼓動する心臓を内側から凍らせようとしている。
本音を言えば、悲鳴を上げて逃げ出したい。
……もう一回、ブラックライトつけて帰ろう。
そう決めて、ブラックライトを再点灯した。
全身が警告を発している。ここは異質だ、危険だ、逃げろ、と。
頼りないL型ライトの光の中、不可視光に浮かび上がる紋様へと、足を戻そうとする。
「来てくれてありがとう。この手紙を見ているという事は、私はいまどこかに監禁されていることでしょう。小西さんの言うことにだまされないでください。お願いです、私を助けてください!」
丸っこい、女の子みたいな字。
震える手で急いで書いたのか、文字そのものも震えている。
……ちぇッ。
なんでこんな時に思い出すんだよ。
やめろよな。
胸のあたりがむかむかする。
気分が悪くなる。
ただでさえ怖くて、恐ろしくて、今にも悲鳴を上げそうなのに。
そんなものを思い出したら、余計に心がぐちゃぐちゃになるじゃないか。
いいじゃないか、忘れちまえば。
どうせ、顔も名前も知らない。
オレがここまで来ていることだって、あの子は知らない。
「来てくれてありがとう。この手紙を見ているという事は、私はいまどこかに監禁されていることでしょう。小西さんの言うことにだまされないでください。お願いです、私を助けてください!」
玄関の、タマゴ細工の中のメッセージ。
来るかどうかも分からないオレに宛てた、場違いなほど必死な一文。
溺れる者は藁をもつかむ。
きっと、来るはずがないと分かっていたはずだ。
それでも――誰かが助けてくれると信じて、ただそれだけに縋って託したメッセージ。
ちっ……くそ。
怖くて、恐ろしくて、仕方がないのに。
逃げたくて、帰りたくて、たまらないのに。
ここで回れ右したら、オレは「逃げたオレ」から逃げられない。
逃げ出したオレを、一生許せない。
オレはもう、オレを信じられなくなる。
人間を信じられなくなるじゃないか。
……オレだって、人間なんだからさ。
――わかったよ。行くよ。
進むよ。
右手にポケットライト、左手にブラックライト。
震える心臓を押さえ込むように、オレは矢印に導かれるまま、洞窟の奥へと足を踏み出した。
「苦しいのは、自分でそれを為したいと、弱い自分と戦っているからだよ」
「貴方に助けてもらいたいからじゃないわ。私は、貴方を助けたい」
「俺はこの手を差し伸べる。人は信じるに値するってことを、俺はこの身で証明しよう」
「逃げろ!」
――たった一言。
それだけだったのに、その背中は、オレが見てきたどんな背中よりも儚く、脆く、そして強く、頼もしかった。
どんな言葉よりも雄弁に、百万の言葉を超える「想い」を語ってくれた。
いつか、オレにそう教えてくれた人たちの背中が、
暗闇の先に、ふっと見えたような気がした。