なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

141 / 240
特殊な訓練を積んでおります。

 

 

/*/ 特殊な訓練を積んだ男 /*/

 

 

「なあ、これ本物かよ……?」

 

 昼休み。

 教室後ろの窓際で、惣一郎はスマホの画面を親指で止めた。

 

 画面いっぱいに表示されているのは、某動画再生サイトの注意書き。

 

『この動画は特殊な訓練を積んだ達人が行っております。

 一般の方は決して真似しないで下さい』

 

「この注意書きついてるクマ捕獲の動画、本物か?

 クマ殺しなら兎も角、絞めて生け捕りとか。今は令和だぞ。昭和じゃないんだ」

 

「昭和でもどうかと思うけど」

 

 隣の席から、彩女が即ツッコミを入れる。

 その前の机には、食べかけのパンと牛乳パック。

 

「どれどれ?」

 

 愛香が、惣一郎の肩越しに覗き込む。

 薄く甘い卵焼きの匂いが、弁当箱からふんわり漂っていた。

 

「“道内某所でのヒグマ生け捕りの瞬間”か……タイトルからして物騒だね」

 

「サムネ見ろよ、サムネ」

 

 惣一郎は動画の縮小表示を拡大した。

 

 そこには――

 山の斜面。

 仕掛けられた箱罠の前で、フードを目深にかぶった黒い男が、金網越しに巨大な影と向き合っている図。

 

 金網の向こう側には、肩を怒らせたヒグマ。

 立ち上がっただけで、人の倍以上はありそうな巨体だ。

 

「合成とかじゃないの、これ……?」

 

 彩女が、ちょっと引き気味の声を出す。

 

「コメント欄めっちゃ伸びてるよ」

 

 愛香がスクロールする。

 

『これ絶対プロレスごっこじゃないだろ』

『クマかわいそうとか言ってる場合じゃなくて命のやりとりでは』

『フードの男、動きがガチで怖い』

『これを“生け捕り”って言えるメンタルが一番怖い』

 

「……再生数、やば」

 

 惣一郎が時間バーの下を見て、口笛を吹きそうになるのを飲み込んだ。

 

「そりゃ“素手でクマを絞め落とす謎の格闘家”とか、バズらないわけがないよね」

 

「いやいやいやいや」

 

 彩女は、ぐっと画面を睨むように見つめた。

 

「どうせ“プロのスタントマンが安全な状況で撮影しました”的なやつだって。

 何かの番組用でしょ、ほら」

 

「でもこれ、投稿者一般人っぽい名前だよ?」

 

 愛香が、投稿者名を指で示す。

 

「“山のじいちゃんと孫のチャンネル”って書いてある」

 

「余計に怖いわ!」

 

 そんな騒ぎを聞きつけて、前の方の席からひょこっと顔が出た。

 

「なになに? なに見てるの?」

 

 ピンクブロンドの髪を揺らして近づいてきたのは、ルテアだ。

 その後ろから、梨花と友香、ユイリィもぞろぞろついてくる。

 

「あ、安生組だ」

 

 惣一郎がスマホを少し傾ける。

 

「ちょうどいいところに来たな。お前らも見ろよ。

 なんかさ、“特殊な訓練を積んだ達人がやってます。真似すんな”って注意書き付のクマ捕獲動画なんだけど――」

 

「――っていうか、そもそも“特殊な訓練を積んだ達人”って何なんだろな。

 よくあるけどさ、こういう――」

 

 そこまで言いかけたところで。

 

「――あ、それうちのお父さんだ」

 

 ルテアが、まったく間を置かずに言った。

 

「……………………は?」

 

 惣一郎の思考が、3秒くらい完全停止した。

 

 隣でパンをかじっていた彩女も、噛みかけのところで動きが止まる。

 

「ちょっと待って」

 

 惣一郎は、ゆっくりとルテアを見る。

 

「今、なんて?」

 

「だから、それ。うちのお父さん」

 

 ルテアは、スマホの画面をのぞき込みながら、当然のように繰り返した。

 

 画面の中では、フードの男がスッ……と構えを取る瞬間だった。

 肩の力を抜き、わずかに正面から外した位置に重心を置く、独特の構え。

 

「……あー、やっぱ安生流だね」

 

 梨花が、腕を組んで頷いた。

 

「構えがうちの型そのまんま」

 

「“そのまんま”ってレベルじゃないよ、これ」

 

 友香も前のめりに覗き込む。

 

「足運び、完璧に父さん。

 この一歩下がってから踏み込むタイミング、嫌ってほど見てきたもん」

 

「私、帯締めされる時いつもこの入り方されてる……」

 

 ユイリィがなぜか遠い目をした。

 

 ちょうどそのタイミングで、動画の中の“謎の協力者”が動いた。

 

 金網越しに突進してくるヒグマ。

 それをギリギリでいなして、斜め下から足を払う。

 

 ぐらり、とクマのバランスが崩れる――

 その巨体に、男の腕が、蛇のように絡みついた。

 

『……っ!』

 

 画面越しにも聞こえる低い唸り声。

 瞬間、顎と肩をまとめて極めるような体勢で、クマの首がわずかに傾く。

 

『はい、落ちたぁ! 落ちた落ちた! しめ落とした!』

 

 撮影している“じいちゃん”と思しき声が、妙に楽しそうに響いた。

 

『ロープ、ロープ! 早く持ってこい!』

 

 クマの巨体が、どさっ……と雪の上に沈む。

 男は素早く離れ、猟友会の人らしき数人が、一斉にロープで縛り上げていった。

 

 ――再生が一時停止になる。

 

 教室の空気が、しばし静まり返った。

 

「……いやいやいやいやいや」

 

 最初に口を開いたのは惣一郎だった。

 

「お前ら、なんでそんな“家の犬が映ってた”みたいなテンションで言えるんだよ」

 

「家の犬より見慣れてるからね、父の動き」

 

 梨花が、悪びれずに言った。

 

「これ、あの日のだね。

 『ちょっとクマしばいてくる』って朝出てった日」

 

「そんな感じで出てったの!?」

 

 彩女が机を叩いた。

 

「もっとこう、『命の危険があるかもしれないが――』とかじゃなくて!?」

 

「いやそこまで重く言われると、こっちも困るし」

 

 友香が肩をすくめる。

 

「“今日も道場空けるから、ちゃんと掃除しておけよ”って方が現実的でしょ」

 

「現実感の方向おかしいだろ」

 

 惣一郎は自分のツッコミが追いつかないことを自覚した。

 

「ていうかさ」

 

 愛香が、動画のタイトルを見ながら言う。

 

「“特殊な訓練を積んだ達人が行っております。一般の方は真似しないで下さい”って注意書き――」

 

 ちら、とルテアを見る。

 

「割と正しいんだね。

 “特殊な訓練を積んだ達人(安生道場師範)”」

 

「そうだね。真似しようとしても、まずクマの前に立てないからね、普通の人」

 

 ユイリィが、さらっと怖いことを言う。

 

「動画サイト的には大正解の注意書きだよ」

 

「問題はさぁ」

 

 梨花が、じっと画面を睨む。

 

「こうやってバズっちゃうと、“安生道場=クマしばくとこ”って認識されないかが心配なんだよね」

 

「それは……あるかも」

 

 友香が、小さくため息をつく。

 

「コメント欄見てみてよ。

 “この謎の格闘家の道場どこですか?”とか、“弟子入りしたい”とか、“熊殺しの先生の元で修行したい”とか」

 

「やめてぇ……普通の近所の子供に来てほしい……」

 

「少なくとも“クマより強くなりたいです!”って言ってくるやつは門前払いでしょ」

 

「父さん、喜んで入門させそうだから怖いんだよねぇ」

 

 安生四姉妹が同時にため息をつく光景に、惣一郎は頭を抱えるしかなかった。

 

「……なあ」

 

 しばらく沈黙してから、惣一郎はぽつりと言った。

 

「なんかさ。

 “特殊な訓練を積んだ達人”って、もっとこう――映画とかドラマの中の存在な気がしてたけど」

 

「うん」

 

「実在するんだな。

 しかも、同級生の父として、ふつうに町内に住んでるんだな……」

 

「しかも、そのお父さんのクママネーで、今度の服買ってきたんだよ」

 

 ルテアが、嬉しそうに言う。

 

「この前の土曜、おしゃれ番長と女子力モンスター監修で」

 

「だから、その呼び方やめよって言ってるじゃん……」

 

 愛香が苦笑する。

 

「でも、クマと戦って稼いだお金で服買うって、字面だけ見るとだいぶサバイバルだよね……」

 

 彩女が頭を抱えると、惣一郎がふっと笑った。

 

「いいんじゃね?」

 

「え?」

 

「世の中にはさ、いろんな父親がいるけど――

 “クマをしばいて娘の服代稼いでる父親”なんて、そうそういないだろ」

 

 そう言って、スマホの画面をもう一度再生する。

 

 雪山の中、フードの男がクマの前に立つ姿は――

 どこか滑稽で、でも、不思議と頼もしく見えた。

 

「……まあ、そう言われると、ちょっと誇らしいかも」

 

 梨花が、照れくさそうに笑う。

 

「とりあえず、“熊殺しの動画見たよ”ってメッセ送っとく?」

 

「“熊しばき”くらいに言葉柔らかくしてあげて」

 

 教室の片隅で、いつものように笑い声が弾ける。

 

 動画の中の“特殊な訓練を積んだ達人”は、

 世界のどこかの誰かにとってはただの“謎の格闘家”でしかない。

 

 けれど安生四姉妹にとっては――

 帰れば道場にいて、飯を食い、文句を言いながらテレビを見ている、“いつもの父親”なのであった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。