/*/ 特殊な訓練を積んだ男 /*/
「なあ、これ本物かよ……?」
昼休み。
教室後ろの窓際で、惣一郎はスマホの画面を親指で止めた。
画面いっぱいに表示されているのは、某動画再生サイトの注意書き。
『この動画は特殊な訓練を積んだ達人が行っております。
一般の方は決して真似しないで下さい』
「この注意書きついてるクマ捕獲の動画、本物か?
クマ殺しなら兎も角、絞めて生け捕りとか。今は令和だぞ。昭和じゃないんだ」
「昭和でもどうかと思うけど」
隣の席から、彩女が即ツッコミを入れる。
その前の机には、食べかけのパンと牛乳パック。
「どれどれ?」
愛香が、惣一郎の肩越しに覗き込む。
薄く甘い卵焼きの匂いが、弁当箱からふんわり漂っていた。
「“道内某所でのヒグマ生け捕りの瞬間”か……タイトルからして物騒だね」
「サムネ見ろよ、サムネ」
惣一郎は動画の縮小表示を拡大した。
そこには――
山の斜面。
仕掛けられた箱罠の前で、フードを目深にかぶった黒い男が、金網越しに巨大な影と向き合っている図。
金網の向こう側には、肩を怒らせたヒグマ。
立ち上がっただけで、人の倍以上はありそうな巨体だ。
「合成とかじゃないの、これ……?」
彩女が、ちょっと引き気味の声を出す。
「コメント欄めっちゃ伸びてるよ」
愛香がスクロールする。
『これ絶対プロレスごっこじゃないだろ』
『クマかわいそうとか言ってる場合じゃなくて命のやりとりでは』
『フードの男、動きがガチで怖い』
『これを“生け捕り”って言えるメンタルが一番怖い』
「……再生数、やば」
惣一郎が時間バーの下を見て、口笛を吹きそうになるのを飲み込んだ。
「そりゃ“素手でクマを絞め落とす謎の格闘家”とか、バズらないわけがないよね」
「いやいやいやいや」
彩女は、ぐっと画面を睨むように見つめた。
「どうせ“プロのスタントマンが安全な状況で撮影しました”的なやつだって。
何かの番組用でしょ、ほら」
「でもこれ、投稿者一般人っぽい名前だよ?」
愛香が、投稿者名を指で示す。
「“山のじいちゃんと孫のチャンネル”って書いてある」
「余計に怖いわ!」
そんな騒ぎを聞きつけて、前の方の席からひょこっと顔が出た。
「なになに? なに見てるの?」
ピンクブロンドの髪を揺らして近づいてきたのは、ルテアだ。
その後ろから、梨花と友香、ユイリィもぞろぞろついてくる。
「あ、安生組だ」
惣一郎がスマホを少し傾ける。
「ちょうどいいところに来たな。お前らも見ろよ。
なんかさ、“特殊な訓練を積んだ達人がやってます。真似すんな”って注意書き付のクマ捕獲動画なんだけど――」
「――っていうか、そもそも“特殊な訓練を積んだ達人”って何なんだろな。
よくあるけどさ、こういう――」
そこまで言いかけたところで。
「――あ、それうちのお父さんだ」
ルテアが、まったく間を置かずに言った。
「……………………は?」
惣一郎の思考が、3秒くらい完全停止した。
隣でパンをかじっていた彩女も、噛みかけのところで動きが止まる。
「ちょっと待って」
惣一郎は、ゆっくりとルテアを見る。
「今、なんて?」
「だから、それ。うちのお父さん」
ルテアは、スマホの画面をのぞき込みながら、当然のように繰り返した。
画面の中では、フードの男がスッ……と構えを取る瞬間だった。
肩の力を抜き、わずかに正面から外した位置に重心を置く、独特の構え。
「……あー、やっぱ安生流だね」
梨花が、腕を組んで頷いた。
「構えがうちの型そのまんま」
「“そのまんま”ってレベルじゃないよ、これ」
友香も前のめりに覗き込む。
「足運び、完璧に父さん。
この一歩下がってから踏み込むタイミング、嫌ってほど見てきたもん」
「私、帯締めされる時いつもこの入り方されてる……」
ユイリィがなぜか遠い目をした。
ちょうどそのタイミングで、動画の中の“謎の協力者”が動いた。
金網越しに突進してくるヒグマ。
それをギリギリでいなして、斜め下から足を払う。
ぐらり、とクマのバランスが崩れる――
その巨体に、男の腕が、蛇のように絡みついた。
『……っ!』
画面越しにも聞こえる低い唸り声。
瞬間、顎と肩をまとめて極めるような体勢で、クマの首がわずかに傾く。
『はい、落ちたぁ! 落ちた落ちた! しめ落とした!』
撮影している“じいちゃん”と思しき声が、妙に楽しそうに響いた。
『ロープ、ロープ! 早く持ってこい!』
クマの巨体が、どさっ……と雪の上に沈む。
男は素早く離れ、猟友会の人らしき数人が、一斉にロープで縛り上げていった。
――再生が一時停止になる。
教室の空気が、しばし静まり返った。
「……いやいやいやいやいや」
最初に口を開いたのは惣一郎だった。
「お前ら、なんでそんな“家の犬が映ってた”みたいなテンションで言えるんだよ」
「家の犬より見慣れてるからね、父の動き」
梨花が、悪びれずに言った。
「これ、あの日のだね。
『ちょっとクマしばいてくる』って朝出てった日」
「そんな感じで出てったの!?」
彩女が机を叩いた。
「もっとこう、『命の危険があるかもしれないが――』とかじゃなくて!?」
「いやそこまで重く言われると、こっちも困るし」
友香が肩をすくめる。
「“今日も道場空けるから、ちゃんと掃除しておけよ”って方が現実的でしょ」
「現実感の方向おかしいだろ」
惣一郎は自分のツッコミが追いつかないことを自覚した。
「ていうかさ」
愛香が、動画のタイトルを見ながら言う。
「“特殊な訓練を積んだ達人が行っております。一般の方は真似しないで下さい”って注意書き――」
ちら、とルテアを見る。
「割と正しいんだね。
“特殊な訓練を積んだ達人(安生道場師範)”」
「そうだね。真似しようとしても、まずクマの前に立てないからね、普通の人」
ユイリィが、さらっと怖いことを言う。
「動画サイト的には大正解の注意書きだよ」
「問題はさぁ」
梨花が、じっと画面を睨む。
「こうやってバズっちゃうと、“安生道場=クマしばくとこ”って認識されないかが心配なんだよね」
「それは……あるかも」
友香が、小さくため息をつく。
「コメント欄見てみてよ。
“この謎の格闘家の道場どこですか?”とか、“弟子入りしたい”とか、“熊殺しの先生の元で修行したい”とか」
「やめてぇ……普通の近所の子供に来てほしい……」
「少なくとも“クマより強くなりたいです!”って言ってくるやつは門前払いでしょ」
「父さん、喜んで入門させそうだから怖いんだよねぇ」
安生四姉妹が同時にため息をつく光景に、惣一郎は頭を抱えるしかなかった。
「……なあ」
しばらく沈黙してから、惣一郎はぽつりと言った。
「なんかさ。
“特殊な訓練を積んだ達人”って、もっとこう――映画とかドラマの中の存在な気がしてたけど」
「うん」
「実在するんだな。
しかも、同級生の父として、ふつうに町内に住んでるんだな……」
「しかも、そのお父さんのクママネーで、今度の服買ってきたんだよ」
ルテアが、嬉しそうに言う。
「この前の土曜、おしゃれ番長と女子力モンスター監修で」
「だから、その呼び方やめよって言ってるじゃん……」
愛香が苦笑する。
「でも、クマと戦って稼いだお金で服買うって、字面だけ見るとだいぶサバイバルだよね……」
彩女が頭を抱えると、惣一郎がふっと笑った。
「いいんじゃね?」
「え?」
「世の中にはさ、いろんな父親がいるけど――
“クマをしばいて娘の服代稼いでる父親”なんて、そうそういないだろ」
そう言って、スマホの画面をもう一度再生する。
雪山の中、フードの男がクマの前に立つ姿は――
どこか滑稽で、でも、不思議と頼もしく見えた。
「……まあ、そう言われると、ちょっと誇らしいかも」
梨花が、照れくさそうに笑う。
「とりあえず、“熊殺しの動画見たよ”ってメッセ送っとく?」
「“熊しばき”くらいに言葉柔らかくしてあげて」
教室の片隅で、いつものように笑い声が弾ける。
動画の中の“特殊な訓練を積んだ達人”は、
世界のどこかの誰かにとってはただの“謎の格闘家”でしかない。
けれど安生四姉妹にとっては――
帰れば道場にいて、飯を食い、文句を言いながらテレビを見ている、“いつもの父親”なのであった。