なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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安生道場2

 

 

 ◆ 安生道場・初日 ◆

 

 

「にょほほ、その構えじゃ、その構え」

 

 すり減った畳の真ん中で、李は猫のように細い目をさらに細めた。

 朝の柔らかな光が障子越しに差し込み、道場の空気はしんと静まり返っている。

 

 青見は、汗でシャツがじっとりと背中に張り付くのを感じながら、木刀を中段に構えていた。

 足は肩幅。膝は軽く曲げ――いるどころか、もうぷるぷる震えている。

 

「まず確認じゃ。お主は“拳法使い”ではなく、“剣法”が主じゃからな」

 

 李は小さく顎をさすり、にょほほと笑う。

 

「素手も鍛えはするが……基礎と武器術が中心になる。そこはよいな?」

 

「……はい」

 

 返事をした瞬間、踏み込みの足がぐらりと揺れた。

 

「ほら、もう崩れる。にょっほっほ、まだまだじゃのう。

 ――まあよい。基礎から叩き込む」

 

 李はぱん、と手を打つと、木刀を構える青見の周りを一周する。

 

「それとな。剣の“型”そのものについては、ワシより適した手がおる。

 基礎や体の使い方、武器の扱いはワシらが見てやるが……」

 

 そこで一度、わざとらしく間を空けた。

 

「基礎になっておる“刀”については、知り合いもおるからの。

 たまには“出稽古”といこうかの?」

 

「出稽古、ですか?」

 

「そうじゃ。表に顔を出さん、ちょいと変わり者の剣客でな。

 剣そのものについては、ワシなんぞよりよほど口を出したがる」

 

 李は思い出し笑いのように、肩を揺らした。

 

「お主がこの先、ちゃんと続けられたら、の話じゃがな。

 今はまず――基礎じゃ」

 

 その「基礎」が、地味で、キツくて、容赦がなかった。

 

 

 * * *

 

 

「前蹴り二十本、左右。腰からだせい、腰から!」

 

「は、はいっ……!」

 

 道場の端から端まで、ひたすら前蹴り。

 膝を上げ、腰を切り、足の甲で畳を“踏む”ように――を、延々と。

 

「はい、馬歩立ち三分!」

 

「さ、三分……って、さっきもやりましたよね……?」

 

「にょほほ。さっきは“二分”じゃったろう? 増えただけじゃ」

 

「“だけ”ってレベルじゃないんですよ……」

 

 腰を落とし、太ももが悲鳴をあげる。

 両腕を前に伸ばし、重い木刀を水平に保持したまま、ただひたすら時間を耐える。

 

 時計を見ることも許されず、呼吸だけがやけに大きく聞こえてくる。

 

「よいぞ、その顔。“キツいけどまだ折れておらん”という顔じゃ。

 ――今どきの学生にしては体力があるの。驚いたぞ」

 

 李が楽しそうに言う。

 

「部活か? それともケンカか? どこで鍛えた?」

 

「部活、です……多分……」

 

 息も絶え絶えに答えると、李は「多分とは」と吹き出した。

 

「まあよい。

 ――じゃがな」

 

 李はすっと目を細め、声だけを少し低くする。

 

「これでも、ワシの要求はかなり“落としておる”方じゃ」

 

「え、これで……?」

 

「そうじゃ。ワシらの世代は、もっと無茶をした。

 それに――」

 

 ちらりと、壁際の写真立てに目を向ける。

 梨花たち四姉妹が、道着姿で腰を落としている写真だ。

 

「梨花たち四姉妹はな」

 

 李はにやりと笑った。

 

「お主と同い年の女子の身で、これより“もう少し上”はこなしておるぞ?」

 

「……マジですか」

 

「マジじゃな。

 朝の基本稽古がこれくらい。夕方には別のメニューがある」

 

(あいつら……これ、朝からやってんのか……)

 

 脳裏に、道場で涼しい顔をしていた梨花たちの姿が浮かぶ。

 友香の軽口。ユイリィの無言の視線。ルテアの適当そうで実は鋭いアドバイス。

 

 ――あいつら、あの身体能力の裏側で、こんなことしてたのか。

 

「どうした。怖気づいたか?」

 

「……いえ」

 

 青見は歯を食いしばって、腰をもう一度ぐっと落とした。

 

「同級生の女子に負けっぱなしってのも、男としてどうかと思うんで」

 

「にょっほっほ! 言うようになったの!」

 

 李の笑い声が、道場に明るく響く。

 

「よかろう。そこまで言うなら、もう一段階いくかの」

 

「え、ちょっと待ってください心の準備が――」

 

「ほれ、木刀を下ろせ。次は素手じゃ」

 

 言われるがままに木刀を下ろした途端――。

 

「腕立て百回」

 

「話聞いてました?」

 

「聞いとるわ。お主の“やる気”もな」

 

 李は、悪戯を思いついた子どものような顔で笑った。

 

「剣を振るうにも、拳を握るにも、まずは“体”じゃ。

 体ができておれば、多少の無茶も効く。

 ――お主が望む“本物の剣の世界”に足を踏み入れたいなら、の話じゃがな」

 

 “本物”。

 

 その単語に、青見の中で何かがかちりと噛み合った。

 

(部活の延長じゃない。

 彩女と、皆と、これから先を――)

 

「……やります」

 

「声が小さい」

 

「やります!」

 

「よし。では数えるぞ。いーち、にーい――」

 

 腕が焼けるように熱くなり、汗が額からぽたぽたと畳に落ちる。

 呼吸は荒く、視界の端がじわじわと滲んでくる。

 

 それでも。

 

(梨花たちは、これ以上を当たり前みたいにやってる)

 

(あいつらに“そこ止まりか”って顔されたくないし――)

 

(彩女にも、胸はって“行ってきた”って言いたいしな)

 

「……九十九っ……」

 

「ラストじゃ」

 

「ひゃ、百っ!!」

 

 最後の一回を押し切った瞬間、腕ががくりと床についた。

 

「――ふぅ」

 

 仰向けになった視界に、天井板と、そこに走る木の節が見える。

 そこへ、李の顔がひょいっと割り込んできた。

 

「にょほほ。いい顔になったわい」

 

「……どんな顔ですか」

 

「“まだやれるかどうか微妙じゃが、踏ん張ろうとしておる顔”じゃ」

 

 李は満足げに頷く。

 

「よし。今日はここまでにしといてやる」

 

「“しといてやる”って……」

 

「当たり前じゃ。まだ初日。壊してどうする」

 

 そう言いつつ、李の目はどこか楽しそうだ。

 

「明日以降は、胆や龍にも見させる。

 梨花たちも、組手の相手で容赦はせんじゃろう」

 

「容赦しないの、確定なんですね……」

 

「当たり前じゃ。道場に入った以上は“弟子”じゃからの。

 ――その分、強くもなる」

 

 李はすっと立ち上がり、道場の奥の神棚に向かって一礼する。

 

「さあ、片付けじゃ。道場は使った者がきれいにして帰る。

 これもまた、立派な“基礎”よ」

 

「了解です」

 

 青見はゆっくりと起き上がり、まだ震える足で雑巾を取りに向かった。

 

 畳を一枚一枚、丁寧に拭きながら、じんわりと全身が重く、熱く、心地よく疲れていく。

 

(……地味だな。派手な技なんか一つも教わってない)

 

 でも。

 

(この“地味さ”の上に、あいつらの動きがあるんだとしたら――)

 

 雑巾を絞る手に、自然と力がこもる。

 

(やるしか、ねぇよな)

 

 障子の向こうでは、夕方の光が少しずつ色を変えながら、道場の中を照らしていた。

 

 まだ、始まったばかりだ。

 安生道場での修行も。

 そして、その先に繋がる“出稽古”という、見えない世界への扉も。

 

 

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