なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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安生道場4

 

 

 ◆ 二日目・安生道場 ◆

 

 

 次の日の放課後。

 下校ラッシュの人波を抜けて、青見は一人、住宅街の奥へと足を向けていた。

 

 朝は自宅で、昨日教わった基礎メニューをひと通りこなした。

 馬歩立ち、前蹴り、素振り。

 起き抜けの身体に鞭を入れるようなメニューだったが、やらないという選択肢はなかった。

 

(やるって決めたしな)

 

 汗を流してから登校し、一日授業を受けて――今に至る。

 

 安生道場の門をくぐると、砂利を踏む音が静かに響いた。

 今日は昨日より少し早い時間帯。道場の戸口は開け放たれ、畳の匂いと木の香りが風に乗って漂ってくる。

 

「おじゃまします」

 

 入口で一礼してから、畳の上へと上がる。

 中では既に李が座しており、湯呑みを手にしていた。

 

「良く来たの」

 

 李は湯呑みを置き、にょほほと笑う。

 

「体の具合はどうじゃ?」

 

「筋肉痛でバキバキです」

 

 正直に言うと、李は「ほう」と片眉を上げた。

 

「ほう、どれどれ」

 

 立ち上がると、ひょいひょいと近づいてくる。

 そして遠慮という概念をどこかに置いてきたような動きで、青見の肩、背中、太ももを次々に押したり揉んだりし始めた。

 

「うおっ……!」

 

「ここは? 痛いか」

 

「そこは、まぁ、普通に……いたた」

 

「ふむ。ではこっちは?」

 

 親指でぐっと脇腹の奥を押され、思わず背筋が震える。

 

「ぐっ……!」

 

「おお、いい反応じゃ」

 

「どこがですか……」

 

 李は満足げに頷きながら、さらにふくらはぎ、アキレス腱と順に触っていく。

 

「良い食事をとって、自分でほぐしたか。

 風呂にも浸かったな?」

 

「さすがに、倒れそうだったんで……」

 

「にょほほ。良いな良いぞ」

 

 李は一歩下がって、すっかり“診察”を終えた医者のような顔になる。

 

「筋肉痛は出ておるが、潰れてはおらん。

 “使ったところが悲鳴をあげておる状態”で、“壊した”わけではない。

 ……きちんとケアしたのが見て取れる」

 

 李は顎をさすりながら、じろりと青見を見る。

 

「ここで無茶して、朝練も何もせず寝腐っていたら、今日の稽古は半分にするつもりじゃった。

 じゃが――」

 

 口元に、わずかに愉快そうな笑みが浮かぶ。

 

「自宅で朝練まで済ませてきたとあらば、話は別じゃな」

 

「え、なんでわかったんですか」

 

「足の裏の使い方が、昨日と違う。

 踏み癖が変わっておる。――ちゃんと復習しておる足じゃ」

 

 あっさりと言われ、青見は言葉を失った。

 

(……化け物じじいだな、この人やっぱり)

 

「では――今日も始めるか」

 

 李がぴしりと背筋を伸ばした、そのとき。

 

「父上、準備運動は終わりましたか?」

 

 道場の奥から、穏やかながらも鋭い声が聞こえた。

 龍が胴着姿で現れる。後ろには、腕を組んだ胆もいる。

 

「おお、ちょうど良いところに来た。

 龍、胆。今日からはお主らにも見てもらう」

 

「ほう」

 

 龍は青見を一瞥し、口元だけで小さく笑う。

 

「昨日より目が良くなっているな。

 “覚悟を決めた目”だ」

 

「はぁ……」

 

「褒めている」

 

 簡潔に言い切ると、今度は胆が一歩前に出る。

 

「立ってみろ」

 

 命じられるまま、青見は道場の中央へ一歩進んだ。

 

「昨日、父上から聞いた。

 馬歩立ち、前蹴り、腕立て――数は伏せられていたが、“それなり”らしいな」

 

「“それなり”にキツかったです」

 

「なら今日からは、“それなり以上”だ」

 

 胆は淡々と告げる。

 

「だが、勘違いするな。

 今日は“量”を増やすために来たのではない。

 ――“質”を上げるためだ」

 

 李が「そうそう」と頷きながら、後ろ手に回る。

 

「ワシは体の具合を見た。問題なし。

 あとはお主らに任せるわい」

 

「承知しました」

 

 龍が短く返事をし、青見に向き直る。

 

「まずは、昨日やった基本を、ひと通り見せてみろ。

 馬歩立ち、前蹴り、素振り――それぞれ数は問わん。動きだけ確認する」

 

「はい」

 

 青見は深呼吸を一つして、構えを取った。

 

 昨日ほど足は震えない。

 だが、筋肉痛の鈍い痛みが、確かにそこにある。

 

(こっから、どこまで上げられるか、だな)

 

 意識を足の裏と腰に落とし込み、ゆっくりと膝を沈めていく。

 

「――ふむ」

 

 龍の低い声が響く。

 

 馬歩立ち。

 前蹴り。

 素振り。

 

 一つひとつの動きに合わせて、龍の視線が細かく動く。

 少し離れたところで、胆も腕を組んだままじっと見ていた。

 

「止め」

 

 ひと通り終えたところで、龍が手を挙げた。

 

「悪くない。

 体幹が思ったより安定している。部活でのトレーニングの成果だろう」

 

「ですが――」

 

 そこで、胆が言葉を継ぐ。

 

「力の入れどころと抜きどころが、まだ“逆”なところが多い」

 

「逆?」

 

「そうだ」

 

 胆は青見の背後に回り、軽く肩に手を置く。

 

「蹴りを出すとき、肩まで力が入っている。

 必要なのは腰から下だ。上半身は“乗せる”だけ」

 

 そう言うと、実際に軽く前蹴りの動きを見せてみせる。

 すっと上がる膝。ぶれない中心軸。

 足が伸びる瞬間だけ、爆発するように力が乗る。

 

「わかるか?」

 

「……はい。多分」

 

「多分を“確信”に変えるまで、今日はそれだけをやる」

 

「それ“だけ”……」

 

「“だけ”と言えば“だけ”だ」

 

 龍が口角を上げる。

 

「量をこなすのは、昨日、父上に散々やられたのだろう?

 今日は、同じ動きの中で、意識する場所を変える」

 

 そう言ったところで、ふと道場の入口が開いた。

 

「ただいま戻りました」

 

 荷物を抱えた梨花が顔を出す。その後ろには、買い物袋を持った友香とルテアも続いていた。

 

「あ、青見くん、今日も来てるんだ」

 

 友香がニヤッと笑う。

 

「筋肉痛で死んでない?」

 

「死にかけてますけど、まだ息はあります」

 

「それは良かった。じゃ、今日も容赦なく行けるね、ユイリィ」

 

「……私まで数に入れるのですか」

 

 少し遅れて入ってきたユイリィが、呆れたように目を細める。

 

 梨花は靴を脱ぎながら、道場の様子を一通り見渡した。

 

「おじい様、無茶させてませんよね?」

 

「にょほほ。ワシなど序の口じゃ。

 今日のメインは龍と胆じゃよ」

 

「それはそれで不安なんですけど……」

 

 梨花は小さくため息をつきつつ、青見に会釈する。

 

「こんにちは、青見くん。

 体、大丈夫?」

 

「正直、大丈夫ではないですけど……来ました」

 

「来た時点で合格だね」

 

 友香がひょいと道場の端に座り込み、見学モードに入る。

 

「じゃ、私たちは買い物荷物片づけてから、両親の夕飯の手伝いして、そのあと時間あったら組手付き合うから」

 

「“時間あったら”と言いつつ絶対来るじゃろ、お主ら」

 

 李のぼやきに、四姉妹はそろって笑った。

 

「――というわけだ」

 

 龍が改めて青見の方へ向き直る。

 

「今日は“前蹴り”と“馬歩”だけで、へとへとになるぞ」

 

「昨日もそれでへとへとになったんですけど」

 

「昨日とは別物にする。

 “同じ動き”の中身を変えていく。それが稽古だ」

 

 胆が短く補足する。

 

「途中で四人が帰ってくる。

 夕方の組手で、今日の成果が出るかどうか――そこでわかる」

 

(四姉妹との組手、確定なんだな……)

 

 青見は内心でため息をつきつつ、木刀を脇に置き、構え直した。

 

「……お願いします」

 

「よし」

 

 龍が手を叩く。

 

「じゃあまず、“力を抜く”前蹴り五十本からだ」

 

「抜くのに五十本……」

 

「抜けないから五十本だ」

 

 乾いた龍の声に、思わず苦笑が漏れる。

 

 ――こうして、二日目の稽古が始まった。

 

 昨日よりは少しだけマシな身体。

 だが、要求される“質”は、昨日より一段、いや二段は高い。

 

 入口の方では、夕飯の支度に向かう四姉妹の後ろ姿。

 彼女たちの足運びや、階段を上るときの無駄のない重心の移動さえ、今の青見には“教材”として目に入っていた。

 

(あそこに、近づいていくための、最初の一歩だ)

 

 筋肉痛の鈍い痛みも、汗が目に入る痺れも――

 その全部を飲み込むように、青見は静かに息を吐いた。

 

 李のにょほほという笑い声と、龍の短い号令。

 胆の淡々とした指摘。

 奥からは、台所で鍋の蓋が鳴る音。

 

 そんな安生道場の日常の中で、青見の“剣のための身体”作りは、着実に一歩を踏み出し始めていた。

 

 

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