◆ 三日目・正式入門 ◆
三日目。
朝練を自宅で終え、放課後に安生道場へ向かうのも、もう少しだけ“いつものルート”に感じ始めていた。
門をくぐると、いつものように畳の匂いと木の香りが迎えてくれる。
「おじゃまします」
正面で一礼して上がると、李がすでに真ん中にどっかり座っていた。
龍と胆も、なぜか揃っている。三人とも妙に“待ってました”という顔だ。
「――にょほほ。良く来たの」
李が目を細める。
「三日続いたの。体はどうじゃ?」
「まだバキバキですけど、昨日よりマシです」
「ふむ。筋肉痛が“来なくなったら”それはそれで問題じゃが……今のは悪くない」
李はうんうんと頷くと、ふっと表情を改めた。
「さて。三日続いたら、“三日坊主”の看板は外してやってもよい」
「そんな看板ついてたんですか、俺」
「最初は誰でもついとる。外からは見えんだけじゃ」
「ですよね……」
苦笑したところで、李が膝の横に置いていた小さな木箱をとん、と叩いた。
「というわけでじゃな」
にやり、と口角を上げる。
「ここからは、正式に“弟子”として扱う。
――月謝、受け取っておこうかの」
「あ、はい」
青見は少し緊張しながら、鞄から封筒を取り出した。
“月謝”とだけ書かれた、ごく普通の茶封筒だ。
「最初の三日は“お試し”じゃったからの。
続くかどうかわからん者から金は取らん主義でな」
「……ありがとうございます」
「続けると決めた以上は、“払う側”も腹を括る。
それが“けじめ”じゃ」
李は封筒を軽く持ち上げ、重さを確かめるようにひょいひょいと振る。
「ほう。きっちり入っとる。釣りも要らんの」
「え、これ規定額ですよね?」
「にょっほっほ。当たり前じゃ」
隣で龍が小さく笑う。
「心配するな。学生の月謝に、いきなり“達人コース料金”など取らん」
「“達人コース”とかあるんですかこの道場……」
「あるにはあるが、お前はまだそこまで行ってない。安心しろ」
安心なのかどうなのか、微妙なところだ。
「ちなみに、お前のは“学生割引+梨花補正”が入っている」
「梨花補正?」
「梨花が“あんまり高いと青見くん来づらいからやめて”と胸ぐら掴んできての」
「掴んだんですか」
その場にいない梨花の苦労が、なんとなく想像できてしまう。
「ともあれ。これでお主は“安生道場の門下生”じゃ」
李は木箱の中に封筒をしまい、ぴしりと背筋を伸ばした。
「金を取る以上、こちらも半端なものは教えん。
――覚悟しておれよ」
「……はい」
その言葉に、龍と胆も静かに頷いた。
「では、今日も始めるか」
短い一言で、三日目の稽古が幕を開けた。
◆ 夕飯前・梨花の雷 ◆
その日の稽古も、前蹴り・馬歩・体幹・簡単な型と、みっちり三人に見られながらしごかれて、
青見が「ありがとうございました」と頭を下げて帰っていったあと――。
母屋の台所では、夕飯の準備がほぼ終わり、鍋の蓋からいい匂いが漏れていた。
座敷に戻ると、なぜか龍と胆、そして李までが、まだ道場側に腰を落ち着けたまま話し込んでいる。
「今日は前蹴り、だいぶよくなってきましたね」
「うむ。あれなら実戦でも使えるようになる。
あと数ヶ月もすれば――」
「“あと数ヶ月”とか、“内弟子にしたら”とか、さっきからその話ばっかりですね、三人とも」
ぴしゃり、と切り込む声が飛んだ。
振り向くと、エプロン姿の梨花が腕を組んで仁王立ちしていた。
背後には、友香とルテアとユイリィも、やや呆れ顔で控えている。
「……梨花」
「なんじゃ、梨花よ。せっかく将来有望な――」
「おじい様はともかく」
梨花がぴしっと指を伸ばす。
「お父様とお兄様は、いい加減“付きっ切り”やめてください」
「付きっ切り……?」
龍が首を傾げる。
「いや、門下生をちゃんと見るのは師範の務めだろう」
「“門下生”は青見くん一人じゃないんですよ」
梨花が一歩にじり寄る。
「この三日間、ほかの子たちの稽古の時間、誰がフォローしてたと思ってるんですか?」
「…………」
龍と胆の視線が、同時に友香とルテアの方へ流れる。
「……はい、私とルテアでーす」
友香が苦笑しながら手を挙げた。
「初心者組のミット持ちも、型の復習も、私たちが回してたんだよね」
「お父様は“ちょっと見るだけだ”と言って、結局ずっと青見くんを見てました」
ルテアが、どこか楽しそうに告げる。
「お兄様も“フォーム調整だけ”と言いながら、一時間は離れませんでしたし」
「だって、あいつは――」
「“伸びるから”、“面白いから”、“ほっとくと変な癖つくから”」
梨花が食い気味に言葉を重ねる。
「そういう理由で、父と兄が新人に張り付いて、ほかの門下生ほったらかしにするの、何回目ですか?」
「…………」
龍と胆が、同時に視線をそらした。
「それになにより――」
梨花は腰に手を当て、深くため息をつく。
「男三人で、朝から晩まで道場に詰めてても、お金は増えないんですよ?」
「ぐ……」
龍の心にクリティカルヒットしたらしい。
「父上、図星ですね」
胆がぼそっと呟き、龍の足の甲をつつく。
「お前もだ、胆」
「私はまだ学生だ」
「家業手伝ってるでしょ」
梨花が間髪入れずに突っ込む。
「その家業の収支を、誰が帳簿つけてると思ってるんですか? お母様と私ですよ?
光熱費も、食費も、道場の修繕費も、ぜーんぶ数字で見てるんです」
ユイリィが静かに補足する。
「……実際、ここ三日、父と胆が“青見くん優先モード”に入ってから、
雑用やこまごました仕事が、微妙に梨花側に片寄っているのは事実です」
「ですよね?」
梨花がうなずく。
「だから言います」
ぴしっと龍と胆を交互に指差す。
「男三人で付きっ切りしてないで――」
言葉に力を乗せる。
「父と兄は、バイトにでも行ってきてください!」
「バ、バイト……」
龍が、なぜか少しだけ情けない顔になる。
「道場が本業だぞ?」
「その本業の合間に、です」
梨花は容赦がない。
「今月、近所のスポーツクラブから“護身術の出張講習”の依頼来てましたよね?
あれ、返事まだ出してないの、お母様に怒られてましたよ」
「……そういえば」
胆が小声で思い出す。
「“高校生向け安全講座”とかいうやつだな」
「そう。それ」
梨花が頷いた。
「ちゃんと話まとめて、行ってきてください。
それも立派な“バイト”です。宣伝にもなるし、収入にもなるし」
「なるほど」
ユイリィが淡々と続ける。
「父と胆が外で働き、道場の宣伝と収入を確保する。
その間の基本稽古と初心者の面倒は、私たち四人で見ます」
「システムとしては、悪くありませんね」
「ユイリィ、乗るの早い」
友香が笑いながらも、どこか納得している顔だ。
「でもまあ、たしかに。
ずーっと青見くんに三人張り付きって、コスパ悪いかもね」
「“コスパ”て……」
李が苦笑混じりに口を挟んだ。
「にょほほ。まあ、梨花の言うことも一理ある」
「父上まで……」
「龍よ。ワシらの頃はな、道場の看板を背負いつつも、そこここで“用心棒”や“護衛”の仕事をして小遣いを稼いだものじゃ」
「時代が違う」
「今は“護身術教室”“出張講師”と言うだけじゃ。
やることはさほど変わらん」
李は楽しそうに肩を揺らす。
「それに――」
龍の肩をぽん、と叩く。
「道場ばかりにこもっておると、世間の空気を忘れるぞ。
たまには外に出て、“今の若いもん”の体の使い方や癖を見るのも勉強じゃ」
「……」
そこまで言われると、龍も反論しづらいらしい。
「胆」
「なんだ、父上」
「お前、来週の講習予定、梨花から詳細聞いておけ。
俺が技の構成を考える。お前はデモ要員だ」
「了解した」
話がまとまりかけたところで、梨花が一つ咳払いする。
「その代わり」
「ん?」
「青見くんを“内弟子に”とか言い出すのは、当面禁止ですからね?」
「にょ?」
李が間抜けな声を漏らした。
「まだ言ってませんよね? 本人に」
「“にょほほ、内弟子にしたら伸びるだろうの”と、昨日の夜言っておりました」
ルテアが容赦なく暴露する。
「お兄様も“惜しいな”と言ってました」
「ルテア」
「事実です」
「…………」
龍と胆と李の三人が、揃って黙った。
梨花は、そんな三人をじろりと見回す。
「彩女に知られたら、絶対面倒なことになります」
きっぱり。
「私は彩女と喧嘩したくありません。
だから、“内弟子”案はしばらく私の許可が出るまで封印です」
「梨花の“許可制”なのか……」
龍がぼそっとつぶやく。
「それでいいと思います」
ユイリィが即答した。
「現状、彩女さんとの関係調整は、梨花が一番得意ですから」
「得意って言わないでほしいですけど……」
梨花は額を押さえながらも、最後には小さく息を吐いた。
「とにかく。父は出張講師の準備。兄はその補佐。
おじい様は……」
「ワシは?」
「……ほどほどに、青見くんの基礎を見てあげてください」
少しだけトーンを落として付け加える。
「おじい様の“基礎”は、ちゃんと効いてるの、わかってますから」
「にょほほ」
李が嬉しそうに笑った。
「任されたわい」
◆ そのころ・自宅での彩女 ◆
同じ頃。
青見が家でストレッチをしながら、道場の筋肉痛と今日のメニューを思い返していると――。
彩女のスマホには、別ルートから情報が届いていた。
梨花からのメッセージ。
『今日、青見くん正式に月謝払って“門下生”になりました。
今のところ、変な意味での“付きっ切り”はさせてません。
安心していいよ』
その下に、追伸のように一行。
『お父様とお兄様には、ちゃんと釘刺しときました』
彩女は画面を見つめて、ふっと笑う。
「……さすが梨花」
ぽつりと呟き、ベッドにごろんと転がる。
しばらく考えてから、青見に一言だけメッセージを送った。
『月謝払ったって。
ちゃんと元取るまで、途中でやめるの禁止』
すぐに返ってくる返信。
『こえーよ』
『当然でしょ。
あんた、あたしの隣に立つんだから』
送信ボタンを押したあと、自分で自分の言葉に少しだけ照れて、枕に顔を埋めた。
(……ま、安生道場の人たちに任せといても、大丈夫か)
そんな風に思えるくらいには、梨花たちと家族を信頼している自分に気づいて、
少しだけ誇らしくなった。