なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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名も顔も知らなくても友達

 

 

 通路は、自然の洞窟とも人工のトンネルともつかない、不気味な造りをしていた。

 ただ一つ言えるのは――あまりにもスケールが大きすぎて、オレの常識じゃ判断がつかないってことだ。

 

 あちこちで枝分かれしている横穴。

 天井から斜めに、あるいは足元から口を開く小さな通路は、まるでオレが小さくなってアリの巣に紛れ込んだみたいな錯覚を呼び起こす。

 

 足元や壁には、ところどころ灰色の粘液がべったり張りついている。

 それを見た瞬間、オレの想像は勝手に「何かの巣」にたどり着いてしまった。

 

 ガサガサ、と。

 

 通路の奥から音がして、思わず振り返る。

 体高八十センチ、体長三メートルはあろうかという「ムカデみたいな何か」が、通路を横切っていった。

 

 目を瞬き、じっと通路を見つめる。

 

 ――魔術師が本当にいる世界だ。

 あんな怪物がいても、おかしくない……と、自分に言い聞かせる。

 

 先へ進むと、通路の先でそのムカデが岩をむしゃむしゃと喰っているのが見えた。

 暗闇に適応しているのか、眼は退化しているらしく、ライトで照らしてもこちらに気づく様子はない。ただひたすら岩をかじり続けている。

 

 その一心不乱な様子を見ているうちに、唐突に理解してしまう。

 

 ――この洞窟は、こいつらが何万年もかけて岩を喰い進んだ「後」なんだ、と。

 

 そんな場所が、地球にあるわけがない。

 

 オレは本気で、自分がなんでこんなところに首を突っ込んでいるのか分からなくなって、ため息をひとつついた。

 

     ◇

 

 矢印を辿って五分ほど進むと、比較的小さな横穴に突き当たった。

 ここは明らかに人の手が入っている。

 

 入口には、壁の色に似せた布がかけられ、外からはほとんど分からないようカモフラージュされていた。

 お粗末な偽装に見えるけど、あのムカデ相手なら、これで十分なんだろう。

 

 布の向こう側からは、三森家で嗅いだ、あの胸が悪くなるような香の匂いが漂ってくる。

 

 ――小西は家にはいなかった。

 ということは、ここにいる可能性が高い。

 

 厄介だな、と考えた矢先。

 

 通ってきた方角から、ガサガサと大量の脚が地面を踏み鳴らす音が近づいてきた。

 まだ姿は見えないけれど、通路を埋め尽くすほどの数が押し寄せてきているのが分かる。

 

 ……選択の余地は、無いらしい。

 

 オレは布をめくって横穴の中に滑り込み、そのまま布を元に戻した。

 直後、すぐ外を、あのムカデの群れがうねりながら通り過ぎていく気配がした。

 

 ここまで来てしまった以上、覚悟を決めるしかない。

 それでも、ほんの少しの可能性――「ここには誰もいないかもしれない」という甘い期待に賭けて、ライトを消す。

 

 出来る限り音を殺し、手探りで横穴を進む。

 

 やがて、奥から微かな人工の光が漏れているのが見えた。

 

 普段なら、人工の灯りなんて、と馬鹿にしていたかもしれない。

 けど、この時ばかりは、喉から手が出るほどありがたかった。

 

 ――ここには、人がいる。

 少なくとも、かつては「人間」がいた証拠だ。

 

     ◇

 

 横穴は途中から広がり、最後には二十畳ほどの小部屋になっていた。

 

 通路の影に身を潜めたまま、そっと中を覗き込む。

 

 床には寝袋。缶詰。工具一式。簡易トイレ。

 小さなベースキャンプのような装備があれこれと置かれている。

 

 そして、一番奥。

 

 寝袋に半分身を沈め、「カモノハシ」のぬいぐるみを抱きしめている少女がひとり。

 耳を両手で塞ぎ、顔をうずめて、何かから必死に逃れようとしているように見えた。

 

 オレが来たことには、まるで気づいていない。

 

 ――いや。気づく余裕なんて、最初から残ってないのかもしれない。

 

 他に人影がないことを確認してから、オレはそっと立ち上がり、小部屋へ足を踏み入れた。

 

 そこでようやく、異様な「装置」に気づく。

 

 少女の傍らには、水晶球。

 そして、青銅の火鉢。

 

 火鉢からは、屋根裏で嗅いだのと同じ、あの胸が悪くなる香の匂いが濃く立ち上っている。

 

 だが、本当におかしいのはそこじゃない。

 

 火鉢の上には、大型犬がワイヤーで吊られていた。

 

 半殺しの状態で。

 犬から落ちる血は、火の灯っていないはずの火鉢にぽたり、ぽたりと垂れていく。

 

 血が落ちるたび、火鉢はジュッと音を立てて、青白い煙をふき上げた。

 

「……なんだよ、これ」

 

 思わず声が漏れる。

 

 ここには、生き物への畏敬なんか、ほんの一欠片もない。

 少しでも長く血を流させるために、わざと「死なない程度」に傷つけるなんて――まともな人間のやることじゃない。

 

 さらに、水晶球は強い光で照らされており、血の煙の中に立体的な映像を浮かび上がらせている。

 

 煙に描かれる映像は、暗い洞窟の中の光景だった。

 

 白い石が敷き詰められた床。

 その上には、黒い水を満たした浴槽のようなものが、いくつもいくつも並んでいる。

 

 闇の奥には、形容しがたい巨大な塊が、うずくまるようにして身を寄せていた。

 どろりとした塊がわずかに身じろぎすると、浴槽の黒い水から、偽足のようなものが無数にあふれ出し、それらは一斉に揺れて、奥に鎮座する塊を讃えるようにうねる。

 

 応じるように、その「それ」は一歩前へ進んだ。

 

 ヒキガエルじみた顔。

 コウモリのような巨大な耳。

 だらしなく広がった口に、気怠そうな目。

 毛皮に覆われた身体は、水の入った袋を揺らしたみたいに、不気味に波打っている。

 

 化け物は、ゆっくりと口を開き、足元に転がっていた白い何かを丸呑みにした。

 それは、人の形をした白い塊――人間のように見えた。

 

 その瞬間、オレは気付いてしまった。

 

 この洞窟の床を敷き詰めている「白い石」の正体に。

 それが、すべて生き物の白骨であることに。

 そして、その多くが――紛れもなく「人骨」だということに。

 

 そして、この光景が、ただの幻覚やイメージではなく――

 現実のどこかで、今も続いている「事実」なのだと理解してしまった。

 

     ◇

 

 気づいた時には、オレは叫んでいた。

 

 あまりにうるさくて、誰かを黙らせようと必死に周囲を見回し、誰も叫んでいないことに気づき、ようやく悟る。

 

 ――叫んでいるのは、オレ自身だ。

 

 うるさい。うるさい。うるさい。

 頭の中がノイズで満たされる。

 

 黙れ。黙れ。黙れ。

 自分の声に、自分で耳を塞ぎたくなる。

 

 なんで、オレはこんなに叫んでいるんだ?

 

 何が、オレをここまで叫ばせている?

 

 ――ああ。あれ、か。

 

 そうか。なら――簡単じゃないか。

 

 右手が勝手に特殊警棒を引き抜き、一振りで伸ばす。

 渾身の力を込めて、火鉢を叩き割った。

 

 左手でタクティカル・ナイフを抜き、刃を返す。

 セレーションの刃で、大型犬を吊るしているワイヤーを断ち切った。

 

     ◇

 

 気がつくと、火鉢は粉々に割れ、吊るされていた犬はワイヤーを断たれて床に落ちていた。

 まだ、生きている。

 

 オレは、夢の中を歩くみたいなのろい動きでポーチから消毒液を取り出し、黙って犬の傷口を洗った。

 ハンカチを押し当て、その上から包帯を巻いていく。

 よほど弱っていたのか、犬は一度も抵抗しなかった。ただ、かすかに胸が上下しているだけだ。

 

 ……?

 

 そこでようやく、思考が現実に追いついた。

 

 なんで、オレは犬の手当てなんかしているんだ?

 

     ◇

 

 ふと、我に返る。

 

 ――それ以前に、ここはどこだ?

 

 なんで、オレはこんな場所にいる?

 

 少しのあいだ考え込む。

 昨日のことを、ひとつひとつ遡るように。

 

 ……カモノハシからメールが来て、行ってみようと思って、寝て、起きて。

 住所を頼りに三森家を訪ねて、屋敷に忍び込んで、庭石の紋様に触れて――

 

 そこから先が、うまく繋がらない。

 

 洞窟。横穴。吊るされた犬。

 そのあたりだけが、黒い塊になって抜け落ちている。

 

 それでも、犬を下ろして手当てしてるのは自分だと分かるだけの断片は残っていた。

 

 ようやく、記憶が細い糸でつながり始める。

 

     ◇

 

 周囲を見回すと、「カモノハシ」のぬいぐるみを抱きしめた少女は、相変わらず耳を塞いで目を閉じていた。

 

 こちらに気づいた様子は、ない。

 

 ――オレが見た『何か』を、ずっと見せられていたんだとしたら。

 この反応は、当たり前だ。

 

 心の方が無事だといいけど……。

 

 恐る恐る近づき、そっと肩に手を置き、揺すりながら声をかける。

 

 細い肩は、ひどく冷たく、軽かった。

 長い間、こうして震え続けていたのだと一目で分かる。

 

 どれくらいそうしていただろう。

 やがて、少女の瞳に、ゆっくりと何かが戻ってくる。

 

 ……それは、恐怖だった。

 

 彼女は悲鳴をあげて、オレから逃れようと身体をよじる。

 三つ編みにした長いおさげは汚れ、あちこちほどけてしまっている。

 

 だが、すぐに動きが止まった。

 

 見ると、彼女の足首には手錠が嵌められており、その鎖は床に打ち込まれた鉄の輪につながれていた。

 

 怯え、涙を浮かべ、それでも逃げ場のない少女を見て――胸の奥で何かが切れた。

 

 なんだよ、これ。

 

 こんなところに閉じ込めて。

 思い出したくもないものを無理やり見せつけて。

 そのうえ、逃げられないように鎖で縛るなんて。

 

 本気で、頭にきた。

 

 何より――

 

 そんな彼女を見捨てて帰ろうとした、さっきまでの「オレ」自身に、いちばん腹が立った。

 

     ◇

 

 黙って、右胸のホルスターからタクティカル・ナイフを抜く。

 

 鋼の刃が小部屋の光を反射して、ぎらりと光った。

 それに怯えたのか、オレの顔つきに怯えたのか、彼女は「ひっ」と小さく悲鳴をあげて身を縮める。

 

 ナイフを逆手に持ち替え、手錠の鎖に刃先をねじ込む。

 鎖は、床の鉄環に無理やり通されているようで、その部分だけ歪んでいた。

 

 そこを狙って、特殊警棒を引き抜き、柄尻でナイフの背を何度も叩く。

 

 一度。

 二度。

 三度。

 

 ――ガキン。

 

 硬い音とともに、鎖があっけなく千切れた。

 

 ナイフは万能じゃない。

 カミソリみたいな刃で薪割りはできないし、何でも斬れるわけじゃない。

 でも、ちゃんとした刃を持った鉄は、オモチャみたいな鎖くらい、どうとでもできる。

 

 多分、刃先は多少欠けただろうけど――今はどうでもいい。

 

 今気にすべきなのは、彼女をここから連れ出せるかどうかだ。

 

 彼女は、切断された鎖と、ナイフを仕舞ったオレの手元とを、不安そうに見比べている。

 

「……どうし、て……?」

 

 擦れた、震える声。

 長いあいだ一人でこの穴蔵に閉じ込められていた、その重みがにじむ声だった。

 

 オレは黙って、右手をポケットに突っ込み、握りしめていたものを掴む。

 そのまま彼女の前に、ぐっと拳を突き出した。

 

 びくっと身体を震わせる彼女の目の前で、ゆっくりと拳を開く。

 

 掌の上。

 割れたタマゴ細工の破片と一緒に、五センチ四方の小さなメモが乗っている。

 

 そこには、見慣れた文字が並んでいた。

 

「来てくれてありがとう。この手紙を見ているという事は、私はいまどこかに監禁されていることでしょう。小西さんの言うことにだまされないでください。お願いです、私を助けてください!」

 

 丸っこい、女の子らしい字。

 震える手で書いたのか、文字自体が小さく震えている。

 

 あの時、玄関で見つけたメモ。

 それを見つけてしまったからこそ、オレは帰れなくなった。

 

 これさえなければ、きっとオレは、何事もなかったフリをして家に戻っていたはずだ。

 

「……これ……」

 

 彼女の瞳が、ゆっくりと色を取り戻す。

 期待なんて、もう信じちゃいけないと分かっているはずなのに、それでも諦めきれない光が宿る。

 

「青いタマゴに“東”の文字。オレ宛のメッセージだって、すぐ分かったよ。……気づけて、良かった」

 

 オレは頷いた。

 

「イースト・ブルー、只今参上。……助けに来たよ、カモノハシさん」

 

 我ながら芝居じみた台詞だと思う。

 でも、彼女の反応は、その全てを吹き飛ばした。

 

 利発そうな目に、大粒の涙がみるみる溢れ、

 次の瞬間には、緊張の糸が切れたみたいに、わんわん泣きながらオレにしがみついてきた。

 

 オレは彼女の頭を撫で、背中をぽんぽんと叩きながら、泣き止むのを待つ。

 

     ◇

 

 やがて、ようやく落ち着いた彼女に事情を尋ねると、涙を拭いながら、年齢に似合わない落ち着いた口調で話し始めた。

 

「あの人は、その水晶球に映る映像を使って、わたしに無理やり“恐ろしい世界の真理”を教えようとしていました」

 

 人の精神は伸縮の効かない器だ、と彼女は言う。

 

「より多くの“真理”と、完全な“正気”……その両方を、一度に入れておくことは出来ません。片方を多く入れれば、もう片方は押し出されてしまいます」

 

 無理やり詰め込まれる「真理」に押し出されるように、

 自分の正気が削れていく感覚が分かるのだ、と。

 

「このままだと、わたしは正気を失います。……あの人の狙いは、それなんです。全部の真理を受け入れてこそ、人は真理を恐れず、自由に利用できるようになるから……でも、そうなったとき、わたしは、今のわたしじゃなくなって……知らないわたしになってしまって……」

 

 語るうちに、だんだん声が詰まり、口調も年相応の少女のものに戻っていく。

 

「怖くなったわたしは、ネットでお友達になれたイースト・ブルーさんを呼んで……危ない目にあうかもしれないのに……それでも、どうしても怖くて……わたしは……わたしは……」

 

 そこまで言うのが限界だったのだろう。

 彼女は再びオレの胸に顔を埋めて、子どものように泣きじゃくる。

 

 言葉遣いは大人びていても、中身はまだ年端もいかない少女なんだと、改めて思い知らされる。

 

 オレはまた彼女の頭を撫で、背中を叩きながら、泣き止むのを待った。

 

 そして、少し落ち着いたところで声をかける。

 

「よし。それじゃ、そろそろここを出よう。……それとさ、名前、教えてくれる?」

 

 彼女はきょとんとした顔で見上げてきた。

 

「名前、お互いハンドルネームしか知らないだろ?」

 

 もう一度問いかけると、ようやく意味が通じたらしい。

 目を丸くして、驚いたように口を開いた。

 

 ……よく見れば、かなり可愛い子じゃないか。

 ここに来るまで、そんな余裕がなかったのが惜しいくらいだ。

 

「……名前……どうして……?」

 

 名前も知らないのに、どうしてそこまで、ってことだろう。

 

「オレだって、自分が困ってたら、誰かに助けてほしいと思うよ。だったら、友達が『助けて』って言ってるなら、手を差し伸べるのは当たり前だろ?」

 

 笑ってそう言いながら、オレは立ち上がった。

 

「改めて、はじめまして。イースト・ブルーこと東青見(あずま・あおみ)、高一。こんなとこまで来る馬鹿野郎だけど、まあ、よろしく」

 

 彼女の手を取って立たせると、くすっと小さく笑ってくれた。

 

 ――良かった。

 笑えるなら、きっと大丈夫だ。

 

「はじめまして。わたしはカモノハシこと三森玲子(みもり・れいこ)です。本日はオフ会に来ていただいて、ありがとうございます」

 

 その返しに、今度はオレが驚かされる番だった。

 

 この調子なら、ちゃんと家に帰ってからも、時間さえかければ元の生活を取り戻せるだろう。

 

 そう確信して、「じゃあ帰ろう」と告げると、玲子は青ざめた顔で首を振った。

 

 この迷宮は、自分たちの知らない世界にある。

 帰り道なんて分からない。

 部屋の外をうろつく怪物に食われるかもしれない。

 

 怯えた声でそう訴えてくる。

 

 オレは笑って、ブラックライトをひと振りして見せた。

 

「ヘンゼルとグレーテル、って知ってるか? パンくずの代わりに、“光る石”を置いてきたんだ」

 

 足元の洞窟の床に――オレたちを「来た道」へと導く、目に見えない道標が、確かに残っている。

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