なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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安生道場7

 ◆ 日曜・出稽古の朝 ◆

 

「――今日は道場じゃないんですね」

 

 日曜の朝。

 いつもの安生道場ではなく、駅前のロータリーに立ちながら、青見は李の隣でそう言った。

 

「にょほほ、たまには“外の空気”も吸わんとな」

 

 李は紙袋をぶら下げ、のんきそうに笑っている。

 その紙袋の中には、木刀が二本と、何やら細長い包みが一本。

 

「前に言ったじゃろ。“お主の刀を見てくれる、ちと変わり者の剣客”のこと」

 

「ああ、あの“出稽古”ってやつですか」

 

「そうじゃそうじゃ。

 お主の基礎、いくらワシらが鍛えても、最後に“刃の世界”に触れさせるのは、やはり相応の手がよい」

 

「相応の手……」

 

 そこだけ妙に含みのある言い方だった。

 

 電車に乗り、さらにローカル線に揺られ、そこからバスに乗り継ぎ――。

 辿り着いたのは、町外れの小さな神社だった。

 

 石段を上ると、拝殿の横に、少し開けた土のスペースがある。

 殺風景といえば殺風景だが、足を踏みしめた感触は妙に“稽古場”向きだった。

 

「着いたぞ」

 

 李が鳥居の前で立ち止まり、小さく頭を下げる。

 

「ご無沙汰しておりますのう、“相良”殿」

 

 その声に応えるように、拝殿の影から、すっと一人の男が現れた。

 

 年の頃は四十前後か。

 長身痩躯。

 髪は無造作に後ろで束ね、古びたジャージの上に道着の上衣だけを羽織っている。

 だが、その歩き方は異様なほど静かで、土を踏む音がほとんどしなかった。

 

「……遅い」

 

 抑えた声が落ちる。

 

「時間ぴったりでしょうに」

 

 李が肩をすくめると、男はちらりと青見を見た。

 

「こいつか」

 

「そうじゃ。安生道場の、新入りじゃよ」

 

 男――相良義輝は、その名を聞いても特に表情を変えなかった。

 だが、青見を射抜くような視線だけが、じりじりと肌を刺す。

 

「名は」

 

「青見です。青見……えっと」

 

「名だけでいい」

 

 ばっさり切られて、微妙に名乗り損ねた。

 

「よろしくお願いします」

 

 頭を下げると、相良は一歩、近づいてきた。

 

「そこに立て」

 

 拝殿前の、少し開けた土の上を指さされる。

 

「はい」

 

 指定された位置に立つと、相良は拝殿の柱に立てかけてあった長い包みを解いた。

 中から現れたのは――

 

 鞘付きの日本刀だった。

 

(……マジか)

 

 青見の喉が、ごくりと鳴る。

 

 相良はゆっくりと鞘を払った。

 薄曇りの空の下で、刃が白く光る。

 

「にょほほ」

 

 李が少し離れたところから楽しそうに見ている。

 

「今日は、“本物”と挨拶してもらう日じゃ」

 

「本物……」

 

 青見は、無意識のうちに背筋を伸ばしていた。

 刃がこちらを向いているわけではない。

 それでも、視界のどこかに“鋼の線”が入ってくるだけで、指先の血の流れが変わった気がした。

 

「怖いか」

 

 相良が、唐突に尋ねた。

 

「……正直、ちょっと」

 

「ちょっと、で済んでいるうちは甘い」

 

 相良は刀を下段に構えた。

 踏み込みも予備動作も、ほとんど見えない。

 

「恐怖を、知れ」

 

 その声と同時に――刃が消えた。

 

 いや、正確には“見えなくなった”だけだ。

 

 次の瞬間には、首筋すれすれの位置で、ぴたりと止まっていた。

 

 ひゅうっ、と、遅れて風が頬を撫でる。

 

「っ……!」

 

 全身の毛穴が、一斉に開いた。

 

 あと一歩、遅くても速くても、何かが違っていたかもしれない。

 そういう“ギリギリ”の線上に、自分の命が乗っていた感覚だけが、鮮烈に残る。

 

「動かなかったな」

 

 相良の声が、耳のすぐそばで響いた。

 

「よくやった、とは言わん」

 

 刃がゆっくりと離れていく。

 青見は、ようやく肺に空気を入れた。

 

「今ので腰が抜けても、おかしくはない。

 だが、お前は――一瞬、目を閉じそうになって、閉じなかった」

 

「……そう、ですか」

 

「首を狙った。視界から刃を消した。

 それでも“消えた後の軌道”を追っていた」

 

 相良は、刀を軽く払うように振る。

 

「実戦を潜っているな」

 

 その一言に、青見の背中がぴくりと跳ねた。

 

「“初めて刃を見た目”じゃない」

 

 相良の瞳が、どこか遠くを見るように細められる。

 

「耳に残っているだろう。

 ――真紅の戦慄の、あの音が」

 

「っ……!」

 

 喉の奥で、何かがつかえた。

 

 赤。

 あの夜の、いやなほど鮮やかな色が蘇る。

 目の前で振り下ろされた何か。

 自分のものではない血の飛沫。

 焼けつくような金属音と、悲鳴と――。

 

「それだけじゃない」

 

 相良は、さらに一歩、距離を詰めた。

 

「“天才の証”だと、自分では思っていないか。

 “闇を呼ぶメロディ”に、いつか自分も呑まれるのではないかと、どこかで怯えている」

 

「……何、言って……」

 

 口では否定しようとしたが、言葉が続かなかった。

 

 あの時見た。

 自分よりずっと“上”の存在が、名状し難い姿で人を食らうところを。

 音楽のように、一定のリズムで、淡々と。

 血の匂いに酔いながら、自分の才能を“証明”していく化け物を。

 

「その目だ」

 

 相良は、刀を静かに鞘に納めた。

 

「一度、血の匂いを嗅いでいる。

 それも、ただのケンカや事故ではない。

 ――“殺すつもりの誰か”と、“殺す気のない自分”。その軋みを知っている目だ」

 

 青見は、拳を握りしめた。

 

「……そんなもの、知らない方がよかったですよ」

 

「だろうな」

 

 相良は、あっさりと頷く。

 

「だが、知ってしまった以上、それは消えん。

 ならば、その闇ごと“刃の側”に引きずってしまえ」

 

「刃の、側……?」

 

「そうだ」

 

 相良は、李の持ってきた紙袋を足先でつついた。

 

「おい、じじい。例の物は」

 

「おお、これじゃこれじゃ」

 

 李が中から、細長い鉄の棒を取り出した。

 柄も鍔もない、ただの鉄の棒。

 片手で扱える長さ――だが、ずっしり重い。

 

「お主、普段は何を使っとるんじゃったかの」

 

「えっと……」

 

 青見は、少しためらってから答えた。

 

「特殊警棒、です。

 伸びるやつ。普段は短くして持ち歩けるんで」

 

「ほほう」

 

 相良が、興味なさそうに眉だけ動かす。

 

「伸びる棒か。

 確かに便利だ。携帯性もいい。

 ……だが、それでは“突き”が死ぬ」

 

「突き、ですか」

 

「そうだ。

 その手の警棒は、構造上どうしても先端が軽くなる。

 伸ばした状態で強く突けば、関節に無駄な負荷がかかるだけだ」

 

 相良は、鉄の棒を片手で受け取り、軽く振ってみせた。

 

「刃物に慣れないうちは、“刃のない刃”を持て」

 

 しゃらん、と、空気を裂く音がした。

 

「これは、ただの鉄の棒だ。

 だが、バランスは刀に寄せてある。

 打つこともできる。突くこともできる。

 ――“怖がらずに振れる刃”だと思え」

 

 そう言って、棒を青見に差し出す。

 

 受け取った瞬間、腕にずしりと来た。

 

(重……)

 

 特殊警棒とは、比べものにならない密度だった。

 重心も、柄寄りではなく、刃寄りに作られている。

 

「えっと、これ……」

 

 青見は、棒と相良の顔を交互に見た。

 

「どう持ち歩けば……」

 

「そのまま持って歩けばいい」

 

「いや、絶対職質されますよねこれ!?」

 

 思わず素の声が出た。

 

 相良は、そこでようやく少しだけ口元を緩めた。

 

「職質されないようなに、歩き方と、持ち方と、顔つきを覚えろ」

 

「顔つきってなんですか!?」

 

「“こいつはこういう物を持っていてもおかしくない”と思わせる顔だ」

 

「それ余計危ないやつじゃないですか!?」

 

 後ろで李が「にょっほっほ」と笑っている。

 

「まあまあ。相良の言い方が悪いだけでのう。

 ――ちゃんとケースも用意しておるわい」

 

 李が紙袋の底から、地味な黒い筒型ケースを取り出した。

 どう見ても釣り竿ケースか、ポスターケースである。

 

「これなら電車もバスも大丈夫じゃ。

 中に鉄の棒が入っておるとは思われまい」

 

「ですよね!? 最初からそう言ってくださいよ!」

 

「相良は説明が苦手での」

 

「お前が余計な前振りをするからだ」

 

 ぶつぶつ言い合う二人を横目に、青見は改めて鉄の棒――“刃のない刃”を握り直した。

 

 重い。

 だが、その重さの奥に、どこか安心感がある。

 

「それを“普段使いの延長”にするなよ」

 

 相良が、ふっと真顔に戻る。

 

「警棒感覚で“人を殴る棒”として持ち歩けば、いずれお前は間違える。

 ――これは、“刃物の代わり”だ」

 

「……はい」

 

「お前が“闇を呼ぶメロディ”を怖がっているのは、悪いことじゃない」

 

 相良の目が、もう一度、青見の奥を覗き込む。

 

「だが、その恐怖を“見ないふり”したまま刃物を握れば、いつか本当に、あの旋律に飲まれる」

 

 低く、静かな声。

 

「恐怖を知れ。

 知った上で、“それでも立つ”筋肉を作れ。

 今はその段階だ」

 

「……はい」

 

 握り拳に、力が入る。

 

(怖いのは、ずっと前からだ。

 でも――)

 

 その怖さごと抱えて、“隣に立つ”と決めた相手がいる。

 自分の選んだ場所がある。

 

(そっから逃げるのは、たぶん違う)

 

「よし」

 

 相良は、ひとつ頷いた。

 

「今日はこいつで、ひたすら“突き”だけだ」

 

「だけ……」

 

「“だけ”と言っても、百本や二百本で終わると思うな」

 

「ですよね……」

 

 李が、楽しそうに手を叩く。

 

「にょほほ。若いのう。

 ――安心せい、夕飯はワシが奢ってやる」

 

「それ聞いても、あんまり安心できないんですけど……」

 

 それでも、青見は鉄の棒を構え、土の上に足を踏み込んだ。

 

 真剣の寸止めが、まだ首筋の皮膚に残っている。

 あの“真紅の戦慄”と、“闇を呼ぶメロディ”の記憶も、消えることはない。

 

 ――だからこそ。

 

(この線を越えないために、強くなる)

 

 鉄の棒の先を、目の前の見えない敵へとまっすぐ向ける。

 

 相良義輝という、現代に残る剣豪の前で。

 恐怖も闇もまとめて抱えながら、青見の“刃の稽古”が始まった。

 

 

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